第十話「遙か未来へ」
今日は俺がこの街を出る前日、数日前に無事10歳になり街を出る許可を貰いあとは準備をするだけになった俺は今、お世話になった人たちに別れを告げに行っていた。
何度か通ったこの道も、今日で終わりか…
あの事件の後から時々通っていた被害者の、いやビアトリスさんの家…
ここに来るたびあの子の死体が脳裏に過った。
俺は家の扉にノックをし、応答を待つ。
さほど待つことはなく、家の扉は開けられた。
中から出てきたのは母親のラニアさんだった。
ラニアさんの顔はすっかり生気を取り戻し、血色のいい顔になっていた。
「久しぶりねシノン君、さ、上がって。
いつもの紅茶でいいかしら?」
俺を家へ招こうとするラニアさんの手を取り彼女を制止する。
「今日は、別れを…伝えにきました」
「…別れ?」
ラニアさんの顔が少し曇った。
自分でも、この人に別れを告げるのが酷なことだとはわかっていた。
それでも、黙って出るよりは真っ直ぐ別れを切り出す方がいいと思った。
「僕ももうここに通って3年です。
数日前で10歳になりました」
10歳、その言葉を聞いてラニアさんは話の内容を察し、納得したような顔になった。
俺はいつか来る別れのために10歳になればここを出るとは伝えていた。
ラニアさんもあの話を思い出したのだろう。
「そう…もう時間なのね」
「はい…明日、この街を出ます。
最後に別れを告げようと思い、今日は来ました」
俺が別れの言葉を口にしようとした時、ラニアさんが頭を下げた。
「ちょっと!何してるんですか!?」
「今までありがとう」
ラニアさんは顔を上げ、優しい顔で言ってくる。
「今日は、あなたがいなくなった後に私たちが大丈夫かどうか、確認に来てくれたのよね?
大丈夫よ、話している時のあなたの言葉はいつも寄り添いながら背中を押すような言葉だったわ。
決して手を差し伸べ続けるんじゃなくて、立ち上がる手伝いをしてくれていた。
もう私たちは大丈夫、あの子がいなくなった悲しみは胸に刻んだし乗り越えたわ」
俺が手を差し伸べたのは、この家に初めて来た時だけだ。
ラニアさんたちが立ち上がるために手を差し伸べ、未来へ歩き出せるために寄り添った。
二人はそれを理解して、自分なりに努力してきたんだ…
もう、俺はいらないな。
「お二人の支えに慣れて、よかったです」
「また、この街に寄る時があったら、また来てね」
「はい…」
俺はお辞儀をしてからここを立ち去った。
俺は少しでも、助けることのできなかった彼女にこれで少しは償えただろうか。
死した後の魂に意志があるのかはわからないが、これで少しは晴れた気持ちになってほしいと願う。
「さ、次はリアの家か…」
ショートカットのために住宅街を屋根から屋根へと飛び越えていき街の中央にあるリアの家へ向かう。
屋根同士の距離が離れている場合は、再構築で作り出した粒子を縄のように結合させ、擬似スパイ⚪︎ーマンをして乗り越える。
屋根を飛び越え直線の最短距離を通ったおかげで所要時間は数分でリアの家に着いた。
赤い屋根と、煉瓦の壁、大きな門が特徴的な三階建ての大きな屋敷、 何度来ても慣れない家に緊張感を覚えながら門の近くの衛兵に話かけ門を開けてもらう。
何回も来ているせいで衛兵の人とも仲良くなり、今や少しボディーチェックをするくらいで通してくれる。
俺は引っかかったことはないが普通は訪問書やら正当な手続きがないと関係者以外は立ち入れないらしい。
屋敷の中に入り三階にある一室に向かう。
三階まで向かう途中で数人の使用人の人たちに会ったが、その人たちももう俺がこの屋敷にいても違和感なく挨拶してくれる。
やっと着いた三階の一室に辿り着いた。
この屋敷にある部屋の中で一際装飾の凝った扉の部屋、ここはリアのお父さん、つまりはこの街の管理者の部屋だ。
事前に俺が来ることはリアから伝えてもらっているためここにリアのお父さんもいるはずだ。
俺は恐る恐る扉を三回ノックする。
「入りたまえ」
「失礼します」
入室の許可を貰い扉を開ける。
数回来たが、この部屋はあまり慣れないな。
商談用の椅子が二つとその間に置いてある机、壁面の種に置かれた交易で得ただろう各国の珍品、そして奥には管理者が座る椅子と幾つもの書類が積まれた机がある。
椅子を回転させ、こちらに振り向いた人こそリアの父親にしてこの街の管理者、アルゴ・シルウェーヌだ。
少し白髪の混じったリアを彷彿とさせる青く短めの髪と貫禄のある渋い顔に似合う白い髭、来ているスーツが全体をピシッと見せている。
「掛けてくれ」
「はい」
アルゴスさんは俺を商談用の席に移動させると自信も椅子から立ち上がり、俺の対面の椅子に腰掛け少し身を乗り出し、指を絡めながら俺の話を聞こうとする姿勢を作る。
「君の話というのは、この街を断つことについてだね?」
「はい、明日ここを断ちます」
「そうか…」
この人とは話す機会は少なかったが、全てが深く印象に残っている。
あの事件からしばらくした時に呼び出されたり、リアの誕生日会で呼び出されたり、リアとの遊びの話を聞きたいからと呼び出されたり…ずっと呼び出されてね?
そう考えると俺は自分でここに足を運ぶのは今回初めてか。
この人から届く呼び出しの手紙で何度心臓がなったことか…
「君には本当にリアが世話になったな」
「いえ、僕の方こそ良くしてもらいました。
彼女と知り合ったおかげで経験できたことも多くありますから」
「それでも、君に返せた恩はほんの少しだ」
恩、それはつまりあの事件のことだろう。
あの事件の一ヶ月後にここに呼び出された時にもすごい感謝されたな。
一生を賭けて恩を返すなんて言われた時は冗談かと思っていたが、まさか本気だったのか?
「気にしないでください。
信念のままに動いただけです」
「そうか…」
気まずいなぁ…
いい人なのは十分わかるんだけど、リアが何考えてるのかわからないって言うのもよくわかる。
実際今も、目を泳がせながら部屋の中で話題になりそうなものを探している。
ギャップがすごいな。
「アルゴさんはどうしてこういう仕事についたんですか?」
「私の話を聞きたいのか?」
「ええ、是非」
俺の身内にいるのは大体が戦いの中で生きていった人だからな〜
こう言う商業関係の人の話を聞く機会はあまりないし、聞けることを聞いておこう。
しかもこの人はこの街の最高権力者、並の商人からは聞けないものがあるはずだ。
「私は、14の時にここを継いだ。
先代、つまり私の父が私に継がせた当初は、対してやる気も熱意もなかった。
そんな私は家業をのうのうとこなし、人生の時間を無駄に使うだけだった。
しかしある日、私は街の外にある小さく、貧しい村に交易の仕事で足を運び、思った。
何故本当に豊かな生活が必要な者たちに何も与えられていないんだろうと。
そこから、私は必死に新たな貿易の仕組みを編み出し始めた。
そして近辺の村につながる道まで作り、貿易品を安く売り出すながら利益を生む仕組みを作り上げた。
時が経ち豊かになった村を見て、私の心は満たされた」
自ら仕組みを作り上げ、それを実行するほどの努力…
この人がいたから、この街はここまで反映したのか。
戦うことで人々を救う父さんたちとは違い、この人は純粋な力とは別の、類稀なる采配の力で人々の光になったのだ。
この人の人としての在り方、持ちうる力で人を助けるその姿は尊敬に値する。
「娘は、君から見てどう思う?」
「と言いますと?」
「家業を継ぎ、心血を注ぐことができると思うか?」
正直に正直に言った方がいいのか?
でも、それでリアとアルゴさんが気まずくなってもな…
いや、いずれ向き合うことだ。
俺から見たリアをしっかり伝えよう。
「正直なところ、リアから家業を継ぎたいと聞いたことはありません。
彼女は達観しているせいか、家業を継ぐことがすでに決まっているように考えています。
継がせるまではいいと思いますが、そこからどう歩んでいくかは彼女次第です」
これでよかったよな?
どちらの考えも尊重しつつ正直に答えたはずだ。
リアの本心はあんまり聞いたことがない。
俺を好きかもって言うのも父さんが勝手言ってるだけだし、家業を継ぐことについてもそういうことだと割り切っている感じだったし…
良くも悪くも大人すぎる子だ。
「娘は私に似ず強く優しい子だ。
この仕事が人々を支えてるとわかればきっと自分なりに努力するだろう。
私は親だ。
継がせた後はあの子の背中を支え、そして押していくよ」
きっと、あまり家でも話せてはいないのだろう。
リアの中での父親のイメージは遠い人、厳格な人だ。
そんなイメージを持っている人に気軽に話しかけるのは難しい。
これを機に、少しでも家族の中を良くしてもらいたいものだ。
街を出て直接的な関係は無くなってしまうが、この国は大国だ。
彼女が貿易業をうまく行い名を上げればすぐに耳にはするだろう。
「それじゃ僕は失礼します。
最後にいい話を聞かせてもらいありがとうございました」
「こちらこそ、今までありがとう。
またいつか会おう」
お辞儀をしてから扉を開ける。
「そういえば…装備のこと、ありがとうございます。
大切します」
「ああ、頼んだよ」
扉が閉まる最後まで俺はアルゴさんにお辞儀をした。
扉が閉まる音が廊下に響き、俺は顔を上げ、来た道を戻っていく。
屋敷を出て、門を出て、家に向かって、目に映った中央広間に色々な記憶が溢れ出す。
この街で過ごした10年間、本当にあっという間の出来事だった。
リアと出会った路地に、レオと出会った森、露天商で賑わった大通り、母さんと歩いた買い物帰りの道、姉さんに追いかけられた公園、お爺ちゃんお婆ちゃんと座ったベンチ、この全てに誰かとの思い出が詰まっている。
これから始まる旅が苦しい時、きっと俺はこの街の風景を思い出すんだろう。
そして帰りたくなる…
この家に。
これまでを思い返しながら歩いた道をあっという間で、気づいたら家に着いていた。
自然と、扉を開ける手にも力が入ってしまう。
今日で…最後、今生の別ではないとしても悲しくなる。
俺は込み上げる気持ちを必死に抑えて扉を開けた。
「ただいま帰りました」
「おかえりシノン」
「おっ帰ったな。
今日はご馳走だぞ」
「シノン、おかえり」
「シノン、怪我はなかった?」
「シノンお姉ちゃんにただいまのキスは?」
暗い気持ちは家に入ってすぐに消え去った。
みんながこんなにも笑顔でいるのだ。
俺は悲しがってどうする。
そう思い玄関を上がった時、リビングから見覚えのある頭が飛び出してきた。
「よっシノン!」
「レオ…!?」
「明日お別れだろ?
今のうちに話せることを話しとこって思ってさ!」
そう言って、レオは俺の手を掴み庭まで連れていった。
こいつとリアにはちゃんと話したはずなんだけどな。
女子がいると話しにくい内容だったりするのか?
もしかして…リアが好きとか!?
ありえない妄想をしながら俺はレオに連れられた庭の芝生に座った。
「いつか言ったろ?
やることが決まらなかったら、お前の旅に着いて行くって」
「あー言ってたな」
確かに言っていた。
あの時は、確かレオを連れて行くことはないって思ってたんだよな。
ま、それは今のレオを見ても同じだが…
「俺、騎士団に入ることに決めた!」
「ほんとか?」
少し意外だな。
好奇心が強いレオのことだ、きっとツクモ之国にでも行って同族たちを見に行きたいとでもいうのかと思っていたのに、まさか騎士団とは…
「何かあったのか?」
「…シノンを見てたらさ、俺も人のためになりたいって思えたんだ。
シノンに出会ってからずっとシノンには感謝してる。
俺にいろんな世界を知識を見せてくれて、俺を助けてくれて、俺に夢をくれて、シノンが俺にくれた影響は、きっとシノンと別れた先の俺にも、しっかりあるものだと思ってる」
レオは俺の目を見つめ、愚直に思いを伝えてくれる。
その姿に、出会ったばかりの彼を想起した。
その無邪気さ、陽気さは変わらず最初は少し鬱陶しいとか思ったりしたけど、三人でいるうちにそんなこと考えなくなっていって、俺とリアの魔力の話だって難しいのに頑張って着いてこようとして、そんな姿にいつの間にか惹かれていた。
「俺もだよ。
俺もレオとの出会いがくれたものは、この先も俺の中であり続けると思ってる」
「シノン…」
元の世界では心の底から友だって言える人がいなかった。
友達は、いたんだろう。
無理して、合わせていた友達が…
でもレオは違った。
気を使わず、互いが互いを思いながらいれる。
本当の友達だった。
「明日でお別れ、悲しいな〜
でも、俺は頑張るぜ!
どんな困難でも乗り越えて、困ってる人を見逃さない。
そんな俺を助けてくれたシノンみたいになるために!
俺の」
最後の言葉は、謎の轟音によってかき消されて聴くことができなかった。
「なんだ!?」
俺とレオは立ち上がり音の出所を探すためにあたりを見渡す。
街中に響き渡る程の音、絶対に大規模な爆発のはずだ。
一体どこで!?
二人で庭から街を眺めていると家から父さんが慌てた様子で飛び出してきた。
「二人とも、大丈夫か!」
「父さん!」
「大丈夫です!」
屋根に登って街を見渡してもどこからも煙は上がっていない。
大きな音が出ただけだったのか?
他にありそうなことはなんだ?
生跡で起こしたのなら、無数に可能性は出てくる。
必死に頭を回しあり得る可能性を導き出している時、道で尻餅をつきひどく怯える顔で空を仰ぐ女性を見つけた。
彼女の怯え方に違和感を感じ、視線を彼女と同じ空に送る。
「…は?」
見上げた空は、割れていた。
まるで布を裂いたかのように破けた空から無数の星空が姿を覗かせている。
見ただけでわかる圧倒的な異質さ、不気味や悍ましいなどでは決してない。
これは、圧倒的な存在を前に脳が理解を拒んでいる感覚だ。
すると、裂けた空の中から大きな光り輝く槍が舞い降りてきた。
俺は本能のままに庭にいる二人の元へ駆け寄る。
「逃げろ…逃げろー!!」
二人が空の槍に気づいたのは、俺の呼び声に反応した時だ。
しかし、父さんは二人の手を持ち逃げようとする俺の手を掴み、覆い被さるように俺とレオを抱きしめた。
「父さん…!?」
何故父さんは俺と一緒に逃げないのか。
それは父さんに抱きしめられて理解した。
…逃げられない。
槍の降りてくる速度は早く、もう地表までの距離は少しだった。
耐え切るしかない。
父さんは、きっと自分を盾に俺たちを庇おうとしている。
そんなことさせない!
俺は地面に触れ、魔力が届く全ての地面を粒子に変え、槍の方向に盾のように構えた。
槍が地面に触れる一瞬、世界から音が消え、凄まじい音と光が街の中央から放たれた。
光は一瞬にして俺たちの元まで辿り着き、まるで何もないかのように俺の盾を粉砕した。
絶望の中、二人を庇おうとする俺の体を押さえて、レオが前に出た。
駆け出したレオの服を掴もうとした手は空を切りレオには届かなかった。
俺と父さんの前に出て、命を賭けて守ろうとしたレオの行いを無駄と言うようにレオは一瞬にして光に飲み込まれた。
目から血の涙が流れだす。
レオの元へ行こうとする俺を必死に抱きしめる父さんが止める。
数刹那の後、凄まじい魔力の衝撃と光に飲まれて、俺の意識は時の流れから引き剥がされた。
目を覚ました時、背中と頭に草の感触を感じた。
生きていることに驚きバッと急いで起き上がると、辺りの景色が違うことに気づいた。
夕焼けに照らされ、金色に照らされる麦畑の中で俺は目を覚ましていた。
視界に映るのは一本の木と、そこに座って眠っている金髪の少年しかない。
俺はここのことを聞こうと少年の方に向かうと目の前の景色に驚愕した。
木の下で眠っている少年の顔が俺と瓜二つだったのだ。
「俺?」
ーーー
空から降りてきた槍が起こした光は街中を飲み込み、飲み込まれたものは悉く壊滅させられていた。
生存者なんて指で数えられる程度、そんな絶望の地でタリアは、意識を取り戻した。
「シノン?…!、シノン!!」
意識を覚醒させ、息子を探しに行こうとする体を激痛がその場から離さない。
痛みのした下半身を見ると、両足がなくなっていた。
呼び起こされた痛みに歯を食いしばりながらシノンを探そうと腕で体を持ち上げシノンを探す。
すると、少し離れたところにシノンを見つけた。
おそらく爆風で吹き飛ばされたのだろう。
痛みを堪えながら腕だけで体を運びながらシノンの元へ向かう。
「あぁ、シノン…よかった」
首元に手を当てると、脈拍を感じ取れた。
欠損している部分もなく、命がある息子に俺は心底安堵した。
しかし、脈がひどく弱い。
これじゃあ、後少しで…
進む命のカウントダウンの中、俺は破壊された家から転がってきた自分が騎士団で使っていた剣を見つけた。
俺は決心し剣を手に取り、自分の手首の血管を切った。
流れ出る血をシノンの口に垂れさせる。
「これで、大丈夫だ…」
自分の体から大量に血が抜かれていく感覚がすぐに視界をぼやけさせる。
これは、もう無理そうだな…
足もなくなってすでに出血多量な上に血管を切ったんだからそりゃこうなるか。
段々と無くなっていく体の感覚に抗いながらシノンに手を伸ばし頭を撫でる。
ゆっくりと優しく、残された時間を噛み締めるように俺はシノンの頭を撫でた。
「くっそ、もっと生きてやりたかったな。
お前の旅立ちを見て、お前の活躍を風の噂で聞いたりして、久しぶりに帰ってきたお前と軽く血飛ばし合って、いつの間にかこされた背丈にお前の成長を感じて、一緒に酒飲んで、お前の彼女の話とかして、いつ間にか結婚しちまって、ごほっごほ!…はぁ、はぁ…それで、お前の結婚式見て、子供が産まれて、その子子供抱いて泣いて…お前の子育ての苦労とか聞いて、それで…孫やお前らに囲まれて死んで…」
掠れ、震える声、肺に溜まった血液を吐き出す咳、荒くなる息、自分の命が後少しだと伝わってくる。
「死にたくねぇなぁ…まだ、何もできてないだろ。
まだ…何も…できて、な、ぃ」
シノン、俺の息子…
賢くて、大人びてて、出来が良すぎるぐらいの息子で…時々失敗もして悩んで…
ずっと見てきたのに、もう…
まだ、話したいことだって沢山ある。
教えたいことだって、もっとあるのに…
あぁシノン、俺の息子…
どうか、どんな苦難にも負けずに遙か未来の希望の光へ、駆け出してくれ…
ーーー
「俺?」
「ん…」
小さめの声で言ったはずなのだが、寝ている少年を起こしてしまった。
少年は目を擦ってから俺の方を見上げると、驚いた様子もなく背中を伸ばした。
眠気が覚めたのか彼は起き上がり、俺を見つめる。
「君は…意図せずここに来てしまったのか
ひどく困惑した顔をしている」
何を言っているのかわからない。
意図せず来た?
そんなこと当然だろう。
俺は目が覚めたらここにいたんだ。
「ここはどこなんだ。
俺の家族はどうなった?」
「僕は何もわからないよ
ここから外に干渉することはできないし、見ることもできない。
今わかるのは、君の体は瀕死の重症で魂が擦り減ってる状態ってことだよ。
だから今、僕と君が出会った」
外の世界ってことは、これは俺の精神の世界なのか?
つまりこの人は…本来この体に宿るはずだった魂?
それに魂がすり減ってるってことは俺の存在が弱ってるってことだ。
俺が消えれば当然この人が主人格としてシノンになる。
つまりこの状況で俺がこいつに存在を消されれば、俺は終わる。
言葉の意味を理解すると体全体に力が入る。
目の前の自分そっくりの少年が、敵であるかもしれないと考えてしまう。
「身構えないで、僕は君を消すつもりはないよ」
「!?何故だ…」
彼は木に背を掛け夕焼けを眺めながら言葉を溢す。
「志が同じ友として、君を応援したいんだ」
「志だと…?」
俺の志…英雄のになることだろうか?
彼も英雄になる夢を持っているのか?
なら尚更自分自身がなりたいものだろう。
俺に譲る理由がわからない…
「僕のことはまだわからないでいいんだ。
今はただ…目覚めの世界に帰るといい」
彼の言葉が離れていき、反響して聞こえる。
草むらを揺らす風が強くなり俺の顔を撫でた時、俺を目を覚ました。
目覚めた瞬間に体に駆け巡る激痛に血を吐き出した。
仰向けで気絶していたのか、見える空は既に裂け目が消え、夕焼けの空に暗雲が満ちていた。
腕と肋の骨が折れ、呼吸のたびに激痛が走る。
なんとか意識を保ち、体の負傷箇所を魔力で補強する。
仰向けで点を仰いだままの体を痛みに耐えながら起こす。
「っがぁあああ!」
なんとか起こした体に迸る激痛を堪え辺りを見渡す。
辺りの景色は本当に同じ場所なのか疑う程の光景が広がっていた。
壁も屋根も吹き飛ばされ、原型を止めていない家の数々、火の手が広がり燃え盛る庭、そこら中に転がる、人の死体、まさに地獄絵図の光景を前に言葉を失い腕をつきながら、上体を引きずるように退くと手に生暖かい感触を感じた。
瞬間、背筋がこれまでにない程冷え、体が振り向くことを拒んだ。
それでも、見なくてはならないと思った。
向き合わなきゃならない。
呼吸は荒くなり、体は震えだす。
俺は拒む体を無理やり「それ」の方向に向けた。
「ぁ…」
全身の力が一瞬で奪われた。
荒かった呼吸がさらに早くなる。
心臓がうるさい。
正常に意識を保てない。
気がどうにかなりそうだ。
「父、さん…なんで…」
そこには、父さんの死体が転がっていた。
両足を失い、爛れた肌に無数の切り傷を受けて尚、幸せそうな笑顔で死んでいる父さんがいた。
死んでいるとわかっていても、俺は父さんの肩を揺らしてしまう。
「父さん、起きてよ父さん…お願い…起きてよ……」
何度揺らしても決して父さんが起きることはない。
何度も父さんを揺らす内に、父さんの頬に涙が垂れた。
涙を堪えることができず、父さんを抱きしめて俺は泣いた。
暗雲の元、生命が消えた街の中で、少年の号哭だけが響き渡った。
しばらくした後、俺の涙は枯れ街は再び静まり返った。
静かに父さんの顔に落ちた涙を拭き取り、俺は立ち上がった。
死んだのか、乗り越えたのか、俺の心は落ち着いていた。
冷え切った心のまま足を運び黒焦げになって地面の転がる死体の元で止まった。
髪も、服も消えた死体には額に角が生えていた。
「レオ…ごめんな。
俺が前に出てれば、お前は死ななかったのに…」
もう動かないレオの腕を一度握って、俺は家の方へ向かった。
本来の役目を果たせないほどに壊れた扉を開け、家に入る。
少し前まで、日常を過ごしていた場所は、跡形もなく消えていた。
机のあった場所の近くに転がる二つの死体、階段で小さな死体に覆い被さる大きな死体…四人の最後が、容易に想像できる。
何故、自分だけが生きているんだろうか。
何故、俺を助けたんだろうか。
わからない。
なんで、なんで…
再び呼吸が荒くなる中、俺はいつかの会話を思い出した。
いつかの鍛錬の終わり、二人で庭に座って休んでいる時だった。
『この前さ、橋の近くで橋から落ちそうになった子供を庇って落ちた親がいたんだよ』
『いい親じゃないか』
『うちの家族にはなさそうな光景だと思ったよ』
『うちはお前らがしっかりしてるからな〜』
父さんは、俺の出番がないよと内心嬉しそうにしながらも少ししょんぼりしていた。
そんな父さんを見てふと俺は父さんに聞いた。
『父さんは、俺たちがしっかりしてない方が良かったこととかある?』
『ないよ、一回も』
即答だった。
なんの迷いもなく、父さんは答えた。
『ま、いくらしっかりしてても、お前たちは子供で俺は親だ
いつか、お前たちじゃどうにもならない時が来たら俺が守るよ』
『…どうして?』
俺の返答にふっと笑い父さんは俺の頭をわしゃわしゃと撫でて言った。
『そりゃ、それが親ってもんだからだ』
そう聞いた時はまだピンときていなかった。
でも今、やっと理解した。
俺じゃどうにもならない事態、自分でもどうにもできない状況、だから父さんは身を挺して俺を庇った。
それが、父さんの言う親だから…
俺は家を出て、街の中央へと向かった。燃える街の中で、何を考えて中央に行こうと思ったのかはわからなかった。
同期も何も自分でさえわからないまま俺の足は広間へと向かっていた。
何度も三人で歩いた道が見る影もない。
爆心地である中央広間に近づくほど、被害は大きく、建物の崩壊は激しくなっていた。
到着した中央広間は、跡形もなく消し飛ばされていて、抉れた地面が広がっていた。
絶望しかないこの光景を眺めながら、俺は懐かしさを覚えた。
自分でも理解できず胸を掴む。
どうしてこんな酷い光景に懐かしさなんて覚えようか。
俺が過去にこんな経験をしたって言うのか?
そんなことあるはずない。
俺は、俺は、俺は…
「とてつもない魔力と光がしてきてみたけど…生きてるのは君だけか?」
「!?」
いきなり現れた人の気配に俺はすぐさま振り向く。
後ろに立っていたのは、近色に近い茶髪に、緑の目、灰色のローブを身につけフードを被った好青年だった。
彼の体に外傷はなく、服に汚れもない。
明らかに被爆地外にいた風貌だ。
あの槍が放った魔力からして半径1500kmは吹き飛ばしたはず…何故、無傷なんだ。
「僕のこと、気になる?」
「突然現れて、目立った傷もない、怪しい以外の何者でもねぇよ!」
溜まりに溜まった怒りが吐き口を見つけたように垂れ流される。
「ここまで来れたのは僕の生跡のおかげだよ。
事前にマーキングしたところに飛べるからね」
「それがなんだ…怪しいことに変わりはない!」
ここまできた原理が分かったとしてもこいつは怪しい。
人の死体がこんなに転がっているのにこの平然とした態度…常人の神経じゃない。
俺は警戒心を高め生跡を発動し周囲に粒子を生み出す。
「俺に構うな!」
「構わなかったら、君ここで死ぬ気だろ」
「は?」
俺が、ここで、死ぬ?
なんでそんなこと…
「自分でも理解できてないのか…
全てを奪われて虚無になった今、君は希望を失った。
そんな状況の人間がすることなんて自暴自棄になって自殺くらいしかないだろう」
「何、言って…」
俺が自殺する理由も意味も…あれ?
今の俺って、何があるんだ?
家族も、友達も、故郷もなくなった今の俺は…一体何が…
何も残ってない俺なんて、なんの価値も…
「悪いことは言わない。
辞めるんだ。
そんなことをして、誰が喜ぶ」
誰が?
それを今の俺に言うのか?
死を悼んでくれる人なんて、全員死んだってて言うのに!
「もう、誰もいねぇよ!
喜ぶ人も悲しむ人も、俺には誰もいねぇ!
みんな、俺を庇って死んでった!
一人の俺を思う人間なんてもう誰も!」
「なら、君を庇って死んだ人間の命を無駄にする気か?」
「!?」
「自身の命を捧げてまで助けた人の命を無駄で終わらせる気か?」
「…」
何も言えなかった。
彼の言うことを正しく感じてしまったから。
彼の言う言葉が、彼の本心で本気の言葉だと伝わってくるから。
「死ぬことなんて許されない、生きるしかないんだ。
君ができることは、それだけだろう」
彼はただ全力で、俺の目を見つめ、生きろと言ってきた。
死ぬ権利はなく、ただ命を捧げた者の分も生きるしかないのだと。
その言葉を聞いて俺の心を覆う暗雲は晴らされた。
空を覆う雲も晴れ俺と彼を照らす。
「俺はきっと、自分を許せないしずっと背負い続けると思う。
自分の罪として抱いて、呪い続ける。
どんな励ましを受けても、自分のことは許せない。
…でも、俺は、生きるよ。
父さんの分、レオの分、俺は生きる。
生きて英雄になる」
俺のために命を捧げた二人の行いが無駄にならないように、俺は歩き続ける。
いつかまた会えた時に、胸を張ってありがとうって言えるように、俺は生きるよ。
「決意はできたようだね」
「ああ、ありがとう…えっと」
俺がオドオドしていると察した彼がフードを取り、手を差し伸べた。
フードでよく見えなかった綺麗な髪が中から現れる。
顔も鮮明に見えるようになり、空から刺す光が彼をより美しく見せる。
「僕はジオ、しがない冒険者だよ」
「俺はシノン・ウィットミア、いつか、英雄になる男だ」
自分でも、でかい啖呵を切ったと思った。
こんなこと言って笑われると思ったが、彼は少し驚いた様子をしてから笑顔で俺の手をとった。
「さて、これからどうする?」
「まずは、旅に行くための準備だ。
家に道具があるから、生き残ってさえいれば持っていけるけどどの前に、一つやらせて欲しいことがある」
「うん、いいよ」
一応ジオに許可をもらってから、俺はリアの屋敷があった辺りまで歩いていく。
この距離で被爆したリアはおそらく、死体すら残っていないだろう。
せめて、私を悼むくらいしなければ…
記憶で覚えている屋敷の位置で足を止め掌を合わせる。
「リア…助けることができなくてごめん。
君を助けられない自分が死ぬほど憎い。
でも、生きるよ。
君の分も、みんなの分も生きる。
だから、見てて、そしてまたいつか夢の果てで会おう」
リアの元を離れ俺はジオの元に戻っていく。
リアとの別れを終え俺とジオはまず、家に向かうことにした。
家の自室にある、街を出る時のために準備をした道具の数々、少しでも生き残っていればこれからの助けになるはずだ。
家に戻り、ジオには外で待っていてもらい階段にある母さんと姉さんの死体を避けながら二階の自室へ向かう。
当然屋根と廊下は壊れていて、俺の部屋も半壊状態になっていた。
「あった」
見つけた木箱の中を覗くと、奇跡的に中の物は何も壊れていなかった。
水を飲むための吸筒、これまでに読んだ本の内容をまとめた小さな本、母さんがくれた指輪にリアにもらった装備、父さんからもらった剣の全てが無事だった。
よく見ると、装備には少し擦った痕があった。
装備を上に置いたことで盾になってくれたのか。
「ありがとう、リア」
俺はズボンのベルトに吸筒を付け懐に本を入れてから、逆サイドにある剣を通すための穴に剣を通して指輪を左手の人差し指にはめ、ガントレットとグリーヴの大きさを調整し腕と足に嵌める。
剣を携えても動きに支障がないこと、装備の調整が合っていることを確認し、俺は自室を離れた。
自室に振り返り少し部屋を眺めた後、階段を降り、玄関の扉を開ける。
玄関を閉めようとしたところで、俺は手を止めた。
もう、返事は返ってこないけど、これが最後、そう思ったら言わなきゃならないと思った。
ずっと言ってきた、旅立ちの言葉を俺は巡るこの家の記憶を思い出しながら言った。
「行ってきます!」
誰の返答もなく、俺の言葉は消えていった。
頬を伝う一雫の別れの涙を手で拭い、家に背を向けジオに向き合う。
「準備は済ませたかな?」
「ああ、行こう」
俺はジオの横に並び街の崩れた門まで歩いていく。
日常は、いつ終わるかわからない。
突然、理不尽に終わりを告げられるかもしれない。
だからこそ、平和を味わえるその一瞬を噛み締めて生きて欲しい。
それが、俺が今、この世の全ての人々に抱く願い。
平和を守りたい人のために、平和を手に入れたい人のために俺は歩き出す。
何が起こるかわからない未来を、先の見えない、遙か未来を。