2062 ミサンドリストによる圧政下の少年
八月の太陽が照りつく暑い日だった。橘雄《たちばなゆう》は森の中に小屋を見つけて、真上で照りつく太陽から逃げるべく、その小屋に向かって走って飛び込んだ。
小屋の中は埃だらけで橘雄は思わずせき込んだ。小屋の中には今にも崩れそうな机と椅子、本の題名すら見ることができないほどに埃が溜まった本棚があった。
橘はこの小屋が2035年に若くして事故死した母方の祖父のものであることを思い出した。2047年に生まれて今年で中学三年生になる彼はその祖父に会ったことはなかったが、彼がフェミニズムを大切にしていた素晴らしい日本人だということは母と祖母から耳にタコができるほど聞かされていた。祖父の遺言がこの小屋に入らないでほしいということだったというのも含めて。
彼は暑さを避けたいという思いでこの小屋に入ったが、この小屋の現状を知った今は掃除してやろうという気分になった。祖父の大切な遺品があるかもしれないと思ったのだ。その思い付きの前に遺言のことなどすっかり忘れ去られていた。
彼は本棚の埃を手で払った。その行為で分かったのは本の全てにカバーがつけられていたということだ。彼が本の一冊を手に取り、カバーを外した。その本の題名はとても読み上げられないような卑猥なものであり、橘は思わず投げ捨てた。
だが、それでフェミニズムが浸透していない時代に女尊男卑的だったという祖父の性格に合点がついた。
「マゾヒストッ」
彼は漫画本を手に取ったのは初めてだった。かつて少年漫画を出版していた出版社は、女性からの素晴らしい提案という体を取った誹謗中傷に悩まされ、言われるがまま変化するも売り上げがなくなり倒産していった。他の出版業界も同じように廃れていき、美しい女性の描かれた表紙の本はコミックマーケットなどの同人誌を残して手に入れることはできなくなっていた。
「でも初めて見たな。こんな絵。書いてある人は綺麗だ」
彼は再び本を手に取った。2020年代の人間が1980年代の作品を見ても可愛らしく感じるように、彼もまた、四十年近く昔の絵に、綺麗さを感じていた。
「でもこれって性的搾取だよな」
性的搾取とは、女性を性的に描くことである。最も、この本が作られた頃には、性的搾取とは相手の立場を利用して性的な行為をするという意味に留まっていたが。
「でもたぶんこういうのしかないしな」
少年の心は踊っていた。自分が生まれる前に描かれ、現代よりも素晴らしく、尚且つ認められないであろうものを見つけたのだ。まるで自身が、圧政に対抗する格好の良いレジスタンスにでもなった気分になったのだろう。
「家に帰って模写してみようかな」
彼は、その本を持ち、埃を払い、数秒間考えた。もし自分が何かを描いたとしても何かの法律に罰せられることはない。最も彼が恐れるべきなのは家族からのひんしゅくを買うことであったが、本を少し隠せもしないようでは、彼は思春期の男ではない。
「よっしゃやってみるか」
彼は本を持ち、小屋の外へと走り出した。