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03.近世のシャーベット

 シャーベットに目を向けると、レシピを書いた最初の料理書としてマシアロが1692年版(※ラティーニの「現代の給仕長」の出版年と同じ)「ジャム、リキュール、そしてフルーツの新しい指南書」においてイチゴやサクランボ、チョコレートなどの果実や花を使う氷水について説明している。仕上げにローズウォーターを使うから疑いなく中東由来だろう。

 また前部分で触れたが二コラ・オードジェーは「邸宅の規則」で、イタリアで花や果物を使った凍らせた飲料と凍らさない飲料の作り方を学んだと記した。


 イタリアのかき氷はグラニタという。この名称はグラーノ(穀物および粉)から来た言葉で、氷を粉状にすることを示しているのだろう。19世紀半ばの料理人イッポリト・カヴァルカンティによる「理論的で実践的な料理」には、簡単なグラニタのポンチのレシピが紹介されている。

 一方、イタリアの氷菓を示すジェラートは凍るという意味であり、シャーベットを凍らせるという表現に用いられていたこの言葉は、少なくとも18世紀末にはジェラートという氷菓になっていた。フランチェスコ・レオナルディの「現代のアピキウス」にはシロップをかけた梨の冷凍ジェラートを確認できる。



 スペインのアルアンダルスは中世の間イスラム教圏であり、13世紀の匿名のレシピには当時のシャーベットのように作る飲料が見られる。もちろん冷やすことはない。しかしレコンキスタの後のレシピには見られなくなる。

 西欧では16世紀中ごろからシャーベットのことが知られるようになった。語源、そして当時の調理法から見て中東由来であるが、それは史料からも確認できる。

 16-17世紀にオスマン帝国を旅行した西洋人たちは現地で食べたシャーベットについて触れている。

 西洋におけるシャーベットの最初の記述は1553年で、博物学者ピエール・ベロンによる「ギリシャ、アジア、ユダヤ、エジプト、アラビア、その他の外国で発見された多くの物事と特質に関する観察」における言及が最初になる。彼はトルコの市街でシャーベットが気軽に買えることや、イチジクやプラムや梨でシャーベットを作ること、夏に飲むので必ず雪や氷を入れること、スペインやイタリアの諸地域の大使は雪を混ぜることを好まず水で冷やすなどと記録している。

 オージェ・ギスラン・ド・ブスベックは16世紀に「これは3,4日ほど雪で冷やしたワインであり、アラブ人の飲み物で、トルコの宗教法において非難されている飲み物」だという。

 16世紀末にはウェンセスラス・フォン・ミトロウィッツがイスタンブールに旅行し、シャーベットの作り方について「葡萄を潰して木の樽に果汁と共に注ぐ。それから温かいお湯を加えて混ぜ、二日間置く。最初のうちは酸っぱくて不味いが、その後で甘味と混ざった酸味は非常に快い。トルコ人はこれをアラブ人のシャーベットと言い、イスタンブールでは大抵は雪で冷やしている」と説明する。

 17世紀初頭にはオスマン帝国を旅行した旅行者オッタヴィアーノ・ボンがシャーベットについて「食事中に一度以上飲むことは滅多にない」とし、「夏に雪を混ぜて飲む」と記した。


 オスマン帝国におけるシャーベットのレシピは19世紀半ばの「コックの避難所Melceü't-abbahin」に登場する。これはいずれも果汁と砂糖のジュースに小さな氷の塊を幾つか入れるものである。一つ見てみると「イチジクのシャーベット」は「1,2ポンドのイチジクの茎を切り取り、木針で何度も刺してから、2,3パイントの冷水またはお湯の入った盥に入れて10~12時間置く。それから篩にかけてガラスのボウルの中に液体を注ぎ、オレンジの花の水数滴とイチジクを加えて、小さな氷の欠片をいくつか加えて完成」という。

 オスマン帝国では少なくとも16世紀から大規模な氷輸送が行われていたことから、それ以外の地域と比べてずっと氷は身近だった。


 インドでは15世紀の段階でシャーベットが登場した。当時のイスラム教国の影響を強く受けた料理書ニマッタナーマには、ライムの果汁にハーブと水を加えてローズウォーターをかけるものや、細かく刻んだココナッツに砂糖水を混ぜたものなど冷やさないシャーベットのレシピがいくつか確認できる。氷に硝酸カリウムをって冷やすのが提唱されたのもこの頃に書かれたアクバルの書が最初だった。

 16世紀のムガル帝国時代のフマーユーンの回想録には、雪と氷で冷やしたレモンシロップで作った薔薇のシャーベットが宮廷の饗宴で提供されたという。


 日本のかき氷の初出は11世紀で、清少納言の枕草子における「削り氷にあまづら入れて、新しき金まりに入れたる」が最初になる。平安時代には夏の時期の宮中の献立の一つだった。また鎌倉時代の「明月記」には「寒氷あり自刀を取り氷を削らる興に入る事甚し」とある。

 しかし些少の参考書を見ただけでは、現代との連続性は確認できなかった。

 かき氷が日本に再び見られるのは明治の頃にモースの記録したもので、ひっくり返しにした鉋で削って作る庶民向けの安い氷菓子としてだった。砂糖と粉茶をかけたという。またシドモアの人力車の日々でも「グラス一杯の氷を削って砂糖を振りかけた」かき氷について触れられている。

 伝統的な氷菓子はアメリカの氷貿易の発展と共に新しい形で復興したようである。



 ついでにトルコのアイスであるドンドルマについて書く。粘り気があって伸びるアイスで知られるやつだが、機会が無くて食べたことはない。

 ドンドルマは凍らせるという意味らしく、帝国時代のアイスクリームとして19世紀半ばに書かれたアリー・エシュレフ・デデの「食品論」に記されている。そのうちの一つのレシピは、ミルクと卵白、砂糖、そして魚のペーストを混ぜて、麝香やローズウォーターで香り付けして凍らせるという。

 粘り気に必要なサレップやマスチックが加えられたアイスクリームは19世紀には登場しない。そのレシピについて明示的なテキストは確認できないが、トルコのアイスクリームに関する論文の一つには、サレップ入りアイスクリームは1920年代に生まれたと書いてあるように見える。

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