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02.冷たいお菓子の発祥

 中国では宋代から氷を用いたお菓子が作られるようになったかもしれない。

 繁勝録には乳糖真雪、東京夢華録には沙糖冰雪冷団子と甘草冰雪涼水と冰雪と雪檻冰盤、市肆紀には雪泡縮皮飲と雪糕が見られる。また武林旧事には避暑の手段として口当たりの良い冰雪が挙げられている。

 いずれもレシピが無いため実態は不明である。

 白い外見に対して雪と表現するのは昔からある。似た名前の白雪糕は氷菓ではないから、当時の雪糕はその類だろう。

 冰盘という食べ物を載せて氷の塊を散らした盆は唐代でも採用されていたから、雪檻冰盤はそれに関連するものだろうか。

 冰雪については、角砂糖(冰糖)と雪梨のことを合わせて冰雪と呼ぶこともあるため、これが氷菓であるという確証はないが、中国の雪梨は冬に採れるというから武林旧事の記述とは合わない。

 また本草綱目には宋の徽宗が氷を食べ過ぎて脾臓の病になり当時の名医楊介の治療を受けたとあり、宋史には大中祥符五年の夏の最も暑い時期に蜜沙冰が高位高官に振舞われたと言う。


 中国では夏場に冷たいものを食すことは身体によくないと考えられていた。

 元代の飲食須知には、氷は暑いときに食べると暫く爽快であるが、後々に調子が悪くなるといい、飲膳正要には妊娠中に食すと晩産になるという。また摂生消息論には必ず嘔吐や下痢を起こすとしている。

 にもかかわらず不健康な食べ物は相変わらず人々を魅了していた。

 明代の小説「金瓶梅」の第二十七回では氷の鉢に李を浸し、第三十回では桃を氷に浸している。

 清代の文化に記す「清俗紀聞」には「暑い中氷を売る者あり。これを整え魚や果物を冷やし、あるいは盆に盛って見ものにする。遠路魚を運ぶ際は氷を以て損なうことの無いようにする」という。

 当時も氷室が利用されていて同書には「山中寒冷な場所に2,3丈、広さ3,4丈の穴を掘って、内に火を焚き、地を突き固め、数万斤の氷を入れて石で覆い、土を詰めて、上に藁葺きの仮小屋を建てる」

という。

 果物を氷に浸す習慣は小説「紅楼夢」にも見られる。また「證俗文」には「最近では梅湯に砂糖を入れて飲む。都では氷水と梅湯を混ぜるが、これはとても美味しくて清涼感がある」という。

 それとは対照的に1917年出版の清稗類鈔では、下流の人々が猛暑の中で氷の塊を食すのに対して、中流以上は氷を食すことを忌むという伝統的価値観が示されている。


 清末の洋食料理書「造洋飯書」でカスタードアイスクリームや冷凍フルーツが紹介されているし、1912年出版の「食譜大全」にはオレンジジュースやレモンジュースを凍らせた飲料のレシピが紹介されている。クリーム的なものは中国にも前からあったが、昔からそれを凍らせていたのはか分からない。



 俗説において西洋初めてのアイスクリームはカトリーヌ・メディシスと結び付けられる。確かに冷凍保存用の設備はビザンツ帝国にだけ引き継がれていてゲオポニカなど初期中世の複数の史料に確認できるが、西ヨーロッパでは16世紀になってから採用された。

 16世紀の学者ジャンバッティスタ・デッラ・ポルタは、マギアナチュラリスで雪を使ったワインの冷やし方について説明している。ここでは雪で満たした木製容器にワインの瓶を入れるだけでなく、温度を下げるため容器に塩を混ぜ加えている。

 しかし当時の英国やフランスのレシピでクリームに卵白と砂糖を加えて作るデザートに雪の皿という名前を使ったり、バルトロメオ・スカッピのように泡立てたクリームをミルクの雪(neve di latte)と表現することはあったが、クリームを冷やすレシピは見当たらない。17世紀半ばにおいてもヴァレンヌの「フランスのパティシエ職人」には雪砂糖ビスケットは100グラム超の砂糖、ローズウォーター、卵黄を混ぜてオーブンで焼く菓子だった。


 凍らせるアイスクリームのレシピが最初に登場するのは1665年で、イングランドの女料理人アン・ファンショーの料理書であるという。

 これは「3パイントのクリームをメースリーフと共に煮て、オレンジの花の水かアンバーグリスで香りづけする。砂糖で甘くしてから、とても冷たくなるまで置く。それからクリームを銀か錫の箱に入れ、細かく砕いた氷を桶に入れて箱を上に置き、氷で覆う。2時間ほどで箱の中でクリームが凍るので、同じ味付けのクリーム幾つかと共にテーブルに並べる。」

 アン・ファンショーが知られるまで最初のアイスクリームのレシピは1711年の「メアリ―・イールズのレシピ集」と考えられていた。

 こちらは「錫製のアイスポットに細かく砕いた氷、任意で甘くしたり好きな果物を加えたクリームを入れる。藁を敷いたバケツに氷を置いて塩を加え、錫のポットをその上に置く。ポットの周りと上部に氷を配し、バケツを藁で覆って貯蔵庫に置くと、4時間ほどで凍る」という。


 フランスにおいては二コラ・オードジェーの1692年版「邸宅の規則」にてシャーベットの作り方に触れる一方、クレームグラッセという文字通りアイスクリームという菓子のレシピも書いたが、これは冷やしていない。

 1733年に出されたヴァンサン・ラ・シャペルの「現代料理」3巻にあるクレームヴルーテには、クリームを凍らせるとき錫の型に入れて上下と周りに氷を詰めるようにと書かれている。こちらにはチョコレートアイスクリームやコーヒーアイスクリームも見える。

 またマシアロの1740年版「ジャム、リキュール、そしてフルーツの新しい指南書」では凍らせるフロマージュグラッセがある一方で、クリームグラッセは冷やさない。

 1746年にムノンが出版した「ブルジョワの料理人」にも氷を使って凍らせるフロマージュグラッセの方は確認できる。

 その後、1751年にはジョゼフ・ジリエが「フランスの砂糖菓子」で、1768年にはムッシュ・エミュの「氷菓子の適切な作り方」でアイスクリームの作り方について触れている。

 現代に通じるアイスクリームは18世紀においてポピュラーになったお菓子だった。


 イタリアの最初のものは1692年、アントニオ・ラティーニのレシピブック「現代の給仕長」に書かれたミルクシャーベットであるが、その辺りの西洋事情はアイスクリームの歴史物語が詳しく、ミルクシャーベットのレシピも書かれている。これによれば砂糖漬けのカボチャまたはシトロンに、砂糖とミルクと水を混ぜて、塩の混ざった雪に沈めるという。

 しかし一般的に17世紀スペインやイタリア、つまり当時のスペイン統治下であり且つ中東に近い地域が西洋におけるアイスクリームの発祥とされる。アン・ファンショーは著作を書いた頃にスペインで、二コラ・オードジェーは出版の30年前にイタリアで働いていたという。

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