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夏影涼し其晴れ

作者: 水瀬 月夜

外の風景を久しぶりに見た。扉を開けた私の体が予想以上に驚いていたのは、きっと私の体に残っていた最後の感覚が12月の寒さだったからだろう。

もちろんこれまでの間に外に全く出ていなかったわけではないのだけれど、こうしてゆっくりと外をのんびりと歩くのは随分久しい。

気づけば5月の初夏。影と陽の間で温度が違うのを感じる。ツツジの花が咲き街路樹は鮮やかな緑に輝く。

アスファルトに照りつける光は次第に強くなっていき額に汗が滲む感触がする。

夏独特のこの感触が、私は嫌いだ。夏は音にも困らないし描くには十分すぎるほどたくさんの材料が転がっている。

だけどこの暑さはダメだ、暑いだけで全てが無駄になる。

どれだけ周りに財宝の山が転がっていても暑さだけで集中力が削がれる。

何かを探しに外に出てみようと飛び出したは良いけれど早くも後悔した。

あぁ暑すぎる、首筋が気持ち悪い。眩しすぎて前を見れない。路面の石畳に反射する光も痛い。

うだうだ頭の中で愚痴と文句を垂れながら電車が来る12分前に駅に着いて、ベンチに背中が雪崩る。

今にも割れそうな木作りのベンチに背中を預け体を休めると体に溜まった熱を強く感じ、また額に汗が滲んだ。

まだ5月のはずなのに、こんなにも外は暑いのか。これじゃあ夏本番はどうなることやら。

いよいよどこの地域でも気温が40度を超えて道歩く人々の脳みそがどんどん溶けていくのではないか。

大きく息を吐く。とにかく体の中の体温を排熱したい。ぼんやりと上を見て熱から意識を遠退ける。

高架橋の下にある駅のベンチ、隙間から見える空の青さが映える。

夏顔負けの深い青とくっきりとした白い雲が眩しい。空気すら青く見える。

一つ一つをノートに描き込んでいく。忘れないように。きっとこの瞬間はこの瞬間でしかないから。

毎日歩いていれば昨日と似ているところも確かにある。だけれどそれは昨日と「同じ」ではないから。

一つでも取りこぼさないように。こうやって書き溜めていくのは私が作品に対して率直に貪欲だからだ。

高架橋の足場の上に何匹かの鳩が止まっていて時折その声を響かせる。

地面には青々と茂った草花があって稀に吹く涼しい風に撫でられていた。

その残り香と風が私の頬を撫でる。夏の香りがした。

ぼうとしていると駅のベルが流れ始めて電車が来ることを知らせる。

ベンチの上に溶けかけていた私の体の形をなんとか保ちながら立ち上がりホームに立つ。

ホームに停車した電車のドアが開くと中から鳥肌が立つほどの冷風が顔に当たる。

時間帯的に空いている電車に乗り込むとさっきまでの暑さが嘘のように汗が引いていく。むしろ寒いと感じるくらいだ。

不健康的な風に吹かれながら窓の外の風景を見過ごさないように目を凝らす。

電線に止まったカラスの大群。河川敷の広場で幸せそうに遊ぶ親子。悠々と泳ぐ鴨。空に線を引いたような飛行機雲。

夏風に花が揺れる。蝶が飛び舞う。目の中に入り込む景色全てに夏青のフィルターがかかっている。

元気に走り回る子供が見える。小さい子は元気で良いよな、私にも同じような時期があったはずなんだけどな、覚えてないや。

今を生きるのに精一杯。自分のことで精一杯。周りのことを考えることも過去の余韻に浸ることもできない。

考えれば考えるだけ私という存在が空っぽで虚しく思えた。

電車が道中の駅で何度も止まり、その度今後見ることがないであろう人たちが乗り込んでくる。

開いた扉から外の世界の暑苦しい空気が少し入ってくるたびに、私の心の内は穏やかになる。

もはや電車内の冷風は、私自身を死んでいると錯覚させるほどに冷たく心ないものだったのだ。

生きている心地がしない。実は私は他の乗客には見えてないのではないか?自分自身の体温も鼓動も感じられない。

ただ冷たい。気持ちの悪い冷たさだけがこの空間を満たしている。

ただその感覚も悪くはなかった。慣れてくれば死んだような感覚はむしろ本当になってくれさえと思った。

ただ目に見えるものに想いを馳せて消えて逝けるのならそれもまた悪くない。そんな気がした。

そんな風に電車に揺られてしばらくすると終点。感覚のしない体を無理やり起こしホームを歩き改札に向かった。

駅の外に出るまでもなく体に温度が戻ってくる。温まった血液が指先に巡る感覚も分かりそうだ。

街の道沿いに並ぶ街路樹が強い日差しに照らされ緑が透けている。

石畳が薄緑に輝き暑さ対策に水が撒かれた道がその光を乱反射する。

夏の青いフィルターに緑が混ざり合い視界が鮮やかだ。

やっぱり夏だと見紛う。まだ蝉の声が聞こえないことが救いだ。

通りの隅に公園を見つけて寄り道。

なんの花かは知らないけれど色鮮やかな花が花壇から触れんばかりに咲き誇っている。

緑に背中を抱き抱えられたベンチに腰かけ空を見る。

もう入道雲が空を泳いでいる。青と白の境界線がくっきりと示されていた。

容赦無く照りつける日差しから逃げるようにこのベンチがある。

光に照らされた葉の間から差す木漏れ日がベンチと私に降り注ぐ。

まだら模様のようになった地面をぼうと眺めた。

身体中の暑さが冷え、私は公園を後にする。

それからはただ歩き続けては何かあるたび写真を撮り手帳に書き記した。

用水路で鳴く蛙。川の流れの中心に陣取る白鳥。路地裏に隠れる猫。

電車や車の音が聞こえなくなるほどの町外れ。夏虫の声だけが響く街並み。

夕暮れの中の静けさ。

満足だった。一日だけでこれだけのものを収集できた。これでしばらくは困らない。

そう思いながらだらだらと歩き続けて、気がつけば最初の公園に戻ってきていた。

帰りにここに寄る予定も無かったし、なんなら来る気すらなかったのだけど。

長い時間歩き続けた自分の足を鑑みて木の下にあるベンチに腰掛ける。

昼前に葉の間から熱い日差しが指していたところから夕日の程良い明かりが差す。

ベンチの周りは暗くて夕日の赤に染まった地面に影で境界線が描かれていた。

空を見てなんとなく思う。世の中綺麗な物ばかりじゃない。

道路に落ちたゴミだって、路地裏でカツアゲする猿もいる。汚い現実ばかりが目に刺さることも多い。

だけど私が今日見てきた物、書き記してきたものはどれも綺麗だった。

綺麗なものだけを取捨選択して、自分の中に取り入れる力が私たちにはある。

ずっと胸の中で支えていたものがなくなった気がしてひどく安堵した。

身体中の重さを乗せた背中がベンチの背もたれに沈み木が軋む音がする。

軋む音が頭の中で反響する。

夕日の暖かさ。木の乾いた匂い。落ちていく日を薄目で見送った。


いつの間にか眠ってしまっていた私が、どうしようと慌てふためいたのはまた別のお話。

ここまで私の短編を読んでいただいた方ありがとうございます!

初めまして、水瀬月夜です。今回初投稿させていただきました。

この話はしっかりとした設定もストーリーもなく、読み手の自由がある程度利くようになっています。

私たちの日常にある、何気なく見逃していることを少しでも皆さんに見て欲しいと言う思いから執筆しました。

身の回りには目を凝らせば凝らすほど美しいものがたくさん転がっていると思うのです。

私は普通に生活していると気付きにくいそれを、分かりやすく希釈して届けられたらと思います。

今後も恐らく不定期的に描いた作品を投稿していこうと思っていますので、是非今後もよろしくお願いします!

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