消えない幻は真実となるのだろうか
謎の男を森の中で見かけるという噂を聞いた。
追いかけようとすると消えてしまい、見張っていても一瞬のうちに見えなくなってしまう。
村で見かけることはなく、どこから来たのかもわからない幽霊のような男。
そんな男が森に居るという噂だった。
私はよく森へと出かけていたけれど、その男に出会った事なんかないと思っていた。
そうじゃなかった。
私はとっくにその男と出会ってたんだ。
でもその謎の男が彼だと認めたくなかっただけなんだ。
彼を初めて見たのは数ヶ月ほど前の事。
森でよく見かける果実を取っていたら、不意に目の前に現れたんだ。
かっこよくて思わず見惚れてしまった私は、彼に話しかけることすらできなかった。
それから何度も彼を見かけた。
何度目かに彼に話しかけて、それから友達になった。
彼は博識で、私の知らない森の知恵をたくさん教えてくれた。
どこに住んでるのかも、どうして森でしか会えないのかも、どこから来たのかも、どれも教えてもらえなかった。
けれどそれに私は知らないふりをしていた。
彼が噂の男だと知ったのは偶然だった。
森の中にある小さな廃屋の前に佇む彼の姿が、不意にぶれて一瞬だけ別人の姿に変わったのを私が見てしまったから。
驚いて声を出してしまった私を、彼は見逃してはくれなかった。
いつもより眉を少し垂れ下げた彼はすうと横に向けて手を伸ばしながら口を開いた。
「僕は幻なんだ。森の意思が偶然形を成しただけの、曖昧な幻」
真横へと出した彼の手は、すぐ側にあったレンガの壁を突き抜けていた。
それを見て唖然とする私に向けて彼はそう言って笑みを零した。
「実体のないただの幻。君に触れることもできない嘘っこの幻だよ」
そっとこちらへと伸ばされた彼の手に触れようとする。
私の手は彼の手を通り抜けてそのまま空を切った。
そういえば今まで一度も彼に触れたことはなかったと思い出す。
動作が自然で気づかなかったけれど、彼は今まで何にも触れることはなかった。
「でも、君はここに居るじゃないか」
実体がなくても触れることすらできなくても、確かに存在はしているじゃないかと彼に言った。
君は嘘じゃない、確かにここに居るんだと。
「そうだね。でも幻には違いないよ」
くしゃりと泣きそうな顔で不器用に笑みを作った彼は、ただの人にしか見えなかった。
それなのにどうしようもなく彼は人とは違うと言い切ってしまう。
そんな自分の存在さえ曖昧な彼に私はもう何も言えなくなってしまったんだ。
消えない幻が真実だと、私には証明できなかった。
彼が、集団幻覚によって生み出された存在でないと誰が証明できるのでしょう。
彼が、私の幻覚によって見えているだけの存在でないと誰が証明できるのでしょう。
何も実態の痕跡を残すことができない彼が、確かにその場所に居たと誰が証明できるのでしょう。