塔の中の王子
ノートや本を読むのは後回しにして、今はこの部屋からどう脱出すればいいかを考えないと。外出を禁止されているから外から回ることはできない。結局前回のルートでバルコニーまでいき、そこから廊下の屋根をつたっていく方法しか望実には思い付かなかった。
ファンタジーっぽく魔法があればいいのにと思ってグルナードに尋ねてみたが「何度もいっておりますが、この国では魔法は使えません」との返された。そう言えばヒロインは聖女だけど別に魔法は使っていなかった。この国ではということは他の国にいければ魔法もあるのかもしれない。いつか他国にいけたい際に期待しよう。
まずは外に出れそうな場所を探し回ってみるが、トイレの小窓はさすがに身体が通らなかった。
次に行った衣装部屋の換気用の天窓は随分と高い場所にあった。あそこまでたどり着ければ今の体格なら通れそうだ。扉を少し開け、取っ手に足を乗せ勢いをつけて窓の取っ手をつかむ。ずるっと滑って窓は空いたがどすんと大きな音がしてお尻から落ちてしまう。
「姫様」
「らいほうぶ、ちょっと滑っただけ」
あまりに大きな音に侍女が扉をノックし、入室する。メガネさんではないようだ。栗色のカールがかわいらしい侍女なのでゆるふわさんと勝手心の中で望実はあだ名をつける。
「あの、そう、あの帯をとってほしいんだけど」
「かしこまりました」
隅の方に置いてあった小さな台を引っ張るとゆるふわさんは咄嗟に指差した帯を望実に渡してくれる。金色の刺繍が入った青い帯を手に取る。丈夫そうだし使えそうだ。
「そのように巻くものでは」
「ショールみたいに使ってもいいかと思って」
「ショールですか?」
「こうやって肩にかけたり、首に巻いたり」
「それでしたら、こちらの薄布がよろしいかと思われます。砂漠の国からの献上品です。リヤンでは使われておりませんがこのように顔を覆って使うそうです」
砂漠のハーレム物で見たことがある奴だと思いながら頷くが、これは縄には使えないだろう。ちょっと引っ張ると破れそうだ。一応頭に巻いてみるがこういうのはもっとセクシーなお色気むんむんの女性でないとなと望実は目の前のゆるふわさんを見つめる。
「ちょっといい?」
屈んでとジェスチャーするとゆるふわさんが戸惑いながら座ってくれる。頭にくるくると薄布を巻き付けて「貴女の方が似合うみたい」と笑うとゆるふわさんは恐縮そうに「そんなもったいない」と頭を下げてしまう。ここで気軽な友人を見つけるのは無理そうと望実は少ししょんぼりしながら布を外して衣装タンスの中にしまう。
「じゃあ帯をまいてくれる?」
「はい、かしこまりました」
にこにこと帯をまくゆるふわさんをみて、嫌われているのではなさそうとほっとする。すこしぎゅっと締め付ける帯に悲鳴をあげるとコルセットの悲劇を思い出したのか優しいゆるふわさんは帯を緩めてくれた。綺麗なリボン結びに不器用で何度やってもリボンが縦になる母を思い出してしまう。
「ありがとう。綺麗ね」
「姫様が愛らしいからです」
「…そ、そう」
貴方の方がよっぽど美人ですけどねと言いたくなったが、童顔だから子供みたいにかわいらしいという意味だと思う。いやみにとってはいけないだろう。あのグルナードではないのだし。
どうもあの冷鬼に感化されている気がする。
いけないいけないと望実は首を振った。
「苦しいですか?」
「ちがうちがう。大丈夫だから」
とりあえず部屋に戻ってまた作戦を考える。本をめくってほんと読めないなと思いながら夕食をとり早めに就寝する。
誰もいなくなったのを確認して持っていたジャージに着替える。タンスの中から更に丈夫そうな帯を何本か腕に巻き付けタンスの扉をつかみながら窓に手を伸ばす。取っ手に帯を巻き付け外に垂らす。心もとないがやらねばと勇気を出して窓から顔をだす。斜めになっている屋根に手をかけて紐を引っ張りながらこの前抜け出した部屋の屋根に飛び降りる。
「これじゃあバレバレか」
まあいい、今度こそ決行するのだとバルコニーまでひたすら屋根と屋根をうつりながら進んでいく。バルコニーで一息ついて汗を拭う。すこし肌寒いが冬でなくてよかったと帯をすべて外し今度は紐をバルコニーにの柵にくくりつける。
こんなアクション映画のような事をするなんて思いもしなかったとふうと息を吐き廊下に続く屋根まで降りていく。手汗がびっしょりだが、金糸の刺繍がうまく滑らずに止まってくれてなんとか下までくる事ができた。
廊下の屋根に足を伸ばす。ガタッと音がして今度こそ全身が汗でびっしょりになる。見張りは少しだけ上を見て風だと思ったのか正面に視線を戻した。
慎重に廊下の屋根を降りていきほっとしながらわたっていく。つま先立ちをした場所に窓があるのが見えた。ゆっくり押すと窓が開く。鍵がついていなくてよかったと思いながら助走をつけて縁をつかみ懸命に体を持ち上げ滑り込ませた。
運動はそうできるわけではないが木登りは得意だ。握力も女子にしてはある方でよかった。塔の真ん中にある小さな小窓に体をいれると下に降りるには距離があった。ベッドの屋根は不味いだろうかと思いながら体をゆすって小窓から身を乗り出して、手を伸ばす。
「くっ、う、あと少し」
天蓋付きベッドの柱に指が触れるしっかりと握って身体を部屋の中にいれる。するすると棒から降りると全身ぐっしょり汗で濡れているのがわかる。ジャージを着ていてよかったと望は気を抜いて手が滑り転んでしまった。
「ひ、きゃあああああああ」
何かを踏みつけた。嫌な感触になんだろうと振り返った望実は咄嗟に顔をそむけ叫んでしまう。必死に口を自分で塞いで涙が出るのを我慢する。叫び声が漏れていたら外から人が入ってきてしまうだろう。すいませんと心の中で頭を下げて辺りを見渡す。
おそらく今、思いっきり踏んでしまった女性は既になくなっている。吐き気と恐怖が込み上げるがそれはきっと幼いオランジュも一緒だと気を持ち直す。ともかくこの塔の中にいるオランジュに会わなければ、どこにいるのだろう。
「…ははうえ?」
とんとんと扉が叩かれた。
幼い声にはっとして望実はシーツをひっぱり見ないように目をそらしながらかけ、外からかけられたドアの鍵をはずした。
「ははうえ」
小さな部屋に2、3才の可愛らしい巻き毛の男の子が座っている。真っ赤な顔をして息が辛そうだ。熱がある。望実は口を帯でおおうと少年に手を伸ばす。
「は、はうえ、りりー」
抱き締めるとずしりと重い。男の子は重くてね、と子守りを手伝った時の言葉を思い出す。重かろうとこれは命の重みだ。絶対に助けられる命なのだ。ポケットにはいっていたハンカチで今度は子供の口元を覆い「来なさい」と小声で望はいった。
「母上と父上のために生きたいのなら私と来るのよ」
涙でいっぱいの瞳が大きく見開きそして幼児は頷いた。力強く頷くのをみて望は部屋にある窓や扉を押していくがひとつも開かない。子供がいた部屋には簡易の食料が散らばっているのが見える。あの窓からでないといけないのかとため息を付きながら椅子やテーブルを動かす。暴れても人が来ないのはここにいた世話係が逃げ出そうとあらゆる手を尽くした後なのかもしれない。オランジュの母親がどこにいるかはわからないがまずはこの子をつれていかねばと手を引いて窓をも見上げる。
「登って」
「…こわい」
「のぼらないともっと怖い目にあうんだよ。早く」
涙目になる幼児のおしりを持ち上げテーブルから棚へぐらぐらと揺れる棚から窓の枠へと上がっていく。
窓枠にのせると身体を捩じ込んでとりあえず足だけで固定し子供を下ろしていく。最後は転がしてしまったが許してほしい。高校生の並みの体力だ。既にここにくるまでにかなりの体力を消費している。騎士のような救出はできない。幼児もわかっているのか痛かっただろうになぜか泣くこともせずじっとこちらを見ている。窓枠を握って勇気をだし転がる。どしっと腰を打って痛みに呻いたが今は自分も痛がっている暇はない。
屋根を走って人がいないのを確認しバルコニーへ上るのは諦めて降りる。そのまま無我夢中に子供だいて走った。階段を上がりたどり着いた王の寝室は今日も空いていてほっとして座り込む。バルコニーの柵に結びつけてあった帯を手繰り寄せ子供をおぶって帯で結ぶ。
「あとすこしだから頑張るのよ」
自分にも言い聞かせて屋根をつたっていく。最後の力を振り絞ってタンスにくくりつけた帯までたどりつき、上っていく。途中ひやっとする場面があったが小窓からまずオランジュに帯をくくりつけ下に下ろし、もういいとタンスに手を伸ばして飛び降りる。
どすんと音がしたがオランジュを抱き抱えそのまま寝室に走った。
とりあえず着ているものを脱ぎ、子供の服を脱がせて暖炉に放り込む。ぱちぱちと燃えていくのを見つめながら洗面台にあったタオルで身体を拭き、ベット横に置いてあった寝巻きに着替えさせた。望実自身は置いてあった体操着に着替える。そしてバックからマスクを取り出してつける。今週は給食当番でよかった。テーブルに置いてあった水差しをコップにいれスポーツドリンクをつくり、子供に持たせる。
「飲んで」
ごくっと子供はコップの中身を口にいれる。
「甘い」
「もう一杯のんで、飲んだらここで寝て」
熱を出したら、脱水状態に気をつけて温かくして寝る。何度か換気し、湿度をたもつ。お隣のおばあちゃんに言われた言葉だ。
「苦しいだろうけど、飲んで、トイレはいきたいときにいって、喉が渇いたら私を呼べばいいから」
こくっと頷く子供を寝かせてまだ残っている服を燃やしきる。ジャージがないのは辛いが、体操着もあってよかった。こういうときお姫様の部屋でよかったと思う。ナイトガウンもあるし、部屋は温かくしてある。共同でないトイレもあるし、洗面台も用意されている。手を洗いすぐにうがいをする。
冷やしたタオルを頭にのせると少しだけ呼吸がおさまる。
「頑張るのよ。オランジュ」
スポーツドリンクを何度か飲ませ、トイレに座らせて、抱き上げ身体を拭いて絞ったタオルをおく。
咳が苦しそうなオランジュの背中をさすり頭を冷やす。
「は、はうえ」
「…そう、今日から私が貴女のお母さん」
オランジュが眩しい笑顔で笑った気がした。あのまま放っておいたらいったいどうなっていたのだろう。恐怖に拳を握りしめる。
「ポメロ様」
「…いるな」
「大きな音が、なにか」
「入るな!」
そういって扉を開け、ネビルに「医師を」と望実はマスクをとって頼む。
「…今すぐに医師をつれてきて、早く」
「かしこまりました」
すっと頭を下げてネビルが部屋をでる。真夜中の城がざわめきだす。扉を叩いて入ってきたのはネビルではなくグルナードだった。
「医者をお呼びとか、どうなさいましたか?」
「グルナード、今は下がっていて」
「そうはいきません。なにかありましたか?」
「ね、熱があるの。それだけ」
「妃殿下」
入ってきたグルナードが額に手を当てほっとしたように息をはく。
「これぐらいなら医師はいらないでしょう」
「いるの。早く」
「何をお聞きなさったのかはわかりかねますが心配なさらないでください。これぐらいの熱では」
「ど、したの?」
「来たらダメ」
「…な、んだと」
今まで聞いたことがないほど冷たい声が上から降ってくる。望実はオランジュを抱き抱え「あのままあそこに閉じ込めておいたら死んでいた」と叫ぶ。
「それならそれが運命です。先王の派閥がそろそろきて助け出そうとしておりました。それに任せればよかったのです」
「こんな小さい子に派閥とか関係ないでしょ?侍女が死んでいたのよ。何を考えて放っておいたの?」
「貴女こそ何をお考えなのです」
「…痛っ、やめて」
肩を力をいれて捕まれ望実は顔をしかめる。
「貴女は、私たちの努力を無駄にした。これからずっと命を狙われるかもしれないというのに」
「王様が」
図書室と同じように誰かが内から自分を突き動かして話し出す。望実はオランジュをしっかりと抱き締め、グルナードの手を払う。
「王が私にオランジュを頼むといったのです。王の遺言をなきものにしようとは、貴方にどんな権限があるのですか?この子が次の王です」
「いいえ、王は貴女」
「オランジュこそ次の王です。控えなさい。早く医師を。侍女たちが病を怖がるのなら私が見ます。そう決めたのです。ポメロ・リヤンが命令します。グルナード、医師をつれてきなさい」
「…か、しこまりました」
複雑な感情を抱え潤んだ瞳でこちらを見つめるグルナードに疑問はあったがそれどころではない。オランジュを抱き抱え、医師がくるのを待つ。
「失礼致します」
「入って」
先程のは誰だったのだろう。あんな言葉すらすらと自分では言えるはずがない。自分ならどうしていいか分からなかっただろう。
診察をする医師の緑色の髪を見つめる。望実は彼もどこかで見たことがあると思いながら目を閉じた。