状況把握は大事です
「いるのはわかっています。妃殿下」
静かな声が部屋に響き望実は息をのむ。
「何度いってもここに戻ってこられるのですね。貴女は」
「…オランジュは?」
「妃殿下は、王たる自覚がおありか?」
ベッドの隅からゆっくりと立ち上がり銀髪の青年を見つめる。首を降る望実を見て無表情から悔しそうに顔を歪めるグルナードをどこかで見た気がした。
「誰がなんといっても妃殿下こそがあの方の唯一の後継者なのです。我々はこの国のためにも貴女を守らなければいけない」
「私は」
「幼い思慕はお捨てください。妃殿下、あの男は王ではない。繋ぎにすぎないただの男だったのです」
一瞬、まるで憎んでいるかのような激しい感情を表に出したグルナードを見上げ望実は「幼い思慕とか言わないで」と呟いた。
「失礼致しました」
この部屋が王の寝室ならあの塔を見ていたかったからにちがいない。なぜオランジュと母親があの場所に閉じ込められているのかはわからないが、王が認め、見守ることしかできないような状況に今はあるのだ。けれどそれはどこかの誰かさんよりずっと父親らしい行いだと思う。見たこともない王様が優しい理想の父に重なってみえてくる。
お父さんってどんな感じ?
煩くてもいい。叱ってくれていい。時々頭を撫でて、そうたまにだっこしてくれて、そんな感情を王様に向けていいものかはわからないがこんな場所に突然連れてこられたのだ。一回ぐらい味わってもいいじゃないんだろうか。
望実は青年に尋ねる。
「王様はどこに?話がしたいの」
「…まさか、ポメロ様」
真っ青になったグルナードはがくっと膝を震わせてそっと望実の額に手をあて、ほっとする。
「熱はないようですね」
「ええ、少し眠いけど。熱はないわ」
「寝ぼけていらしたのですね。仕方のない方だ」
ほっとしたように膝をつくグルナードには、そうあってほしいという願望が滲んで見える。
「そう、ね。夢遊病かも。寂しいし恋しいから」
ポメロがどうかはわからないが、アパートの一室が恋しいし、母に二度と会えないかも知れないと思うと寂しい。そんな本心だからこそ伝わるものがあったのかもしれない。
「王は、もう、おりません。あの男は…国より愛する女性しか見えていなかったのです。医師の制止を振り切って会いに行き彼女より早く逝ってしまった。ですから、お忘れください。先代の王が残した貴方こそ贈り人の最後の贈り物。私にとっては王よりも王子よりも大切な方なのです」
乙女ゲームも真っ青な口説き言葉に顔が真っ赤になる。恋愛に夢は山ほど持っているが、まだしたことがない望実としては刺激が強すぎた。ゲームの登場人物のような美青年がうっとりするような声でいっていい言葉ではない。
「…くらくらする」
「そんな、ポメロ様っ!」
細いが鍛えているのがわかる胸板に乱暴に抱き締められて、意識が遠く。綺麗な男性はいい匂いもするものなのね。なんてのんきなことを考えながら望実は目を閉じた。
『私は王子も貴女も認めない。妃殿下こそが私の仕えるべき方です。協力は致しません』
ここに来てから何度気絶すればいいんだろう。まるでお姫様だ。いやそこじゃない。
望実は首を振って頬を叩き、思い出した一場面を反芻する。
王子がパートナーを選び個別ルートに入るイベントがおきる。そこで現れる最初のボスがティエラ卿だ。社交性や政治力、貴族力をあげておくと楽なので悪役令嬢ルートの方がかなり有利だったと思う。ただ宰相はあの青年の年齢を考えると素敵なおじさますぎる。彼の父親か親族だと思う。そう考えるとティエラ侯爵家はポメロ派なのだろう。
歴史ファンタジーが好きなのでそういった派閥争いが、大きな火種になるのは色んな小説で読んできた。このゲームだって王子派とポメロ派に別れていてどちらの派閥とも社交力を育成しながら主人公はうまくやっていかねばいけない。主人公も大変だけど、ポメロはもっと大変だ。
なぜなら現在進行形で知識ゼロの人間がやっているから。
「あー教室内の誰々ちゃんに投票するよねとか、リーダーは丸々くんだよね的なもんですら面倒な私に派閥の制御とか無理だよ。そんなもんいらん……ともいかないよね。はあ、ポメロちゃんはどこにいるんだろう。影武者の仕事なら喜んでするから、王妃ととかマジ無理、ほんと無理っ」
望実は唸りながらとりあえず起きて顔を洗い窓を開けようと押す。が昨夜は簡単に空いた窓がうんともすんとも言わない。よく見ると窓は釘で打ち付けられて固定されていた。
「なによ、これ、ウェルテクス!どういうことなの?」
「失礼します」
「いいから」
ドアが開くとため息と共にウェルテクスが入ってくる。
「酷い顔ね」
「聡明にして偉大なる妃殿下のおかげで冷鬼からの説教とお叱りを賜った上での徹夜なのです。お見苦しいのはご容赦を」
「なによ。おまえのせいで面倒だと言えばいいじゃない。遠回しにネチネチ責めるのはグルナードで手一杯」
「なら部屋からポメロ様がでなければいいだけです。なにも言わずに出ていくのが悪い」
「なにも教えてくれないからでしょ」
「俺は、おまえが一人であの部屋にいくぐらいなら目をつぶっていたんだ。それはグルナード様も一緒だ」
そうかと望実は俯く。王妃であるポメロがあの部屋に夜いくのはお目こぼしがあったからだ。まさか二人とも窓から抜け出して部屋にたどり着くとは思っても見なかったんだろう。
「あんな男よりいい男はいっぱいいます」
「はあ?」
「変わらないな、うん。よかった。昨日はそれこそ王宮内が大混乱だったし、あったときもしおらしいから。ポメロ様はそれぐらいでいいんです」
頭を乱暴に撫でられる。王妃に対してするには気軽すぎると思うが、こんな距離の相手がいてきっとポメロは嬉しかったのではと思う。ゲームでポメロの周囲に出てきた記憶がないのが気になるが、騎士なので他国の外交の護衛をしていたり、他の土地へ見回りにいっていたりしたのかもしれない。四人兄弟のたぶん、長男が騎士団の隊長だったと思う。
そうなるとティエラの方も気になってくる。
「話かわるけれどティエラの親族にミネオラって子いる?」
「ミネオラ?ちょっとお待ちください。俺、人の名前覚えるの苦手で」
頭をがしがしとかきむしる姿に、ああと望実は手を叩く。彼はネビル・ウェルテクスだ。王子の護衛をしていて、弟のルートでは彼に一人前と認められることでハッピーエンドにつながるのだ。
「ネビル?」
「はい。申し訳ありません。すぐ戻ってきます」
「ええ、どうぞ」
そうか、あのネビルの若い頃がこれか。渋くてちょっと強面で優しいお兄さんとして一部に人気が出そうなキャラだったなと思い出す。母親へのレポートにはママが好きそうなキャラと書いたはずだ。
ポメロとこんな仲がいいのになぜ護衛は変わったのだろう?
そこら辺はゲームでは語られていなかったし、主人公には関係のない話なので仕方ないのだけれど。
「次期宰相殿の待望の第一子がミネオラ様だとか」
「ノック、あと声かけ。気安いからって省略してると鬼に氷付けにされるぞ」
「すいません。妃殿下、失礼します」
隣にいた護衛に叱られるネビルを見て思わず笑ってしまう。どじっ子筋肉とかほんと母親のストライクに近い。でも母親は黒髪が好きだからなと望実はネビルの分厚い身体から廊下を覗き込む。
ミネオラは悪役令嬢ルートの攻略対象だ。冷静沈着、宰相の跡継ぎとして厳しく育てられている。彼女とは幼馴染みだが王子への思いを知っているので一歩下がって見守っている。不器用で偏屈で分かりにくい優しさで彼女を思っているツンデレ担当。同年代からみれば少し頼りなく、もっと年上のお姉さま方が可愛がりたく思うキャラクターと言えばいいだろうか。
「御前、失礼致します」
「ポメロ様、それはまずいです」
「あら」
真っ赤になった青年は金髪のこれまた美形で、世の女性が王子さまと浮かべるよう容姿をしていた。柔らかい笑顔と青い瞳、完璧だと思っていると扉が閉じる。
「寝巻きで俺を呼ぶのは構いません。いつもですから。他の騎士の前では少しは繕わないとダメです」
完全にお兄ちゃんモードに入ってるなとポメロとの仲の良さをからかいたくなったが、はっとして胸を隠す。
「遅い」
「……いや、その……なんでもない。なんでもないわ。すぐ着替えるから食事を頼める?」
「だから、侍女を呼んでください。そもそも普通の貴族は着替えも風呂も侍女を呼ぶものなんですよ」
「いいの、ほらでていって、もしかして見たいの?」
「見せてくださるのですか?」
「バカっ」
本当に仲良しだったんだ思いながら扉を閉めて望実は手早く制服に着替える。ドレスの着方なんてわからないし、手伝ってもらうのも気が引ける。誰かに会うなら別だが、軟禁状態のようだし、着なれたものの方がいい。
「ウェルテクス」
「はいはい…って、おまえは見るな」
王子様も一緒にとは言えずに扉が音をたてて閉まる。
「そんな短いスカートをはいたら風邪を引いてしまうでしょうが」
「ずるずる裾引きずったらまともに歩けないじゃない」
「ほう」
良いことを聞いたと笑顔を浮かべるとネビルがベルをならす。
「ポメロ様、何度言ったら姫様の寝室に忍び込むのをお止めになるんですか」
「いや、でも今更なにも」
「王が許しても私どもが真実を知っていても、噂として流れて姫様の不利益に繋がるなら」
「いや、俺もわかっては」
「私もわかっております」
なんだかいい雰囲気の二人を見ておおっと望実が思っていると二人はこそこそ話を始める。メガネをあげて侍女さんがこちらをみると「それは大変よいことを伺いました。早速」と彼女は退出する。
「ちょっと、ネビル。なにをいったの?」
「それでは妃殿下、ごきげんよう。ごゆるりと朝食をお楽しみください」
「ネビル!待ちなさい。ネビル・ウェルテクスっ!!!」
はははと通る笑い声が遠くなり共に女性陣に取り囲まれる。昨夜も部屋に来たメガネの侍女がた三人の侍女と共にドレスをいくつか望実にあわせていく。
「一番しっかりしたものにしましょう」
「簡易のいいです」
「たまには姫様もきちんとした格好をなさって鬼の顔を赤面させるぐらいなさってくださいませ」
くすくすと笑う侍女達は優雅だが、気合いが入っていることがわかる眼をしている。嫌な予感がして後ずさりすると生まれてはじめて下着姿を他人に見られた。叫ぶ間もなくコルセットを装着させられたと思えばぎゅうぎゅうと侍女たちに紐を締め付けられた。適当に結わえていた髪も引っ張られ丸められ香油をつけられアップに、真っ赤なドレスに決まるまで着せ替え人形になったあげく、生まれてはじめての完璧な化粧までしてもらってしまった。これはしてみたかったので嬉しかったのだけれど。
大きな鏡を向けられ、眉をもっと細くしてきつめにあげ、目の端に付け睫をしてアイラインを濃くしたら意地の悪いお妃そのものだなと望実はため息をつく。クラスメイトに化粧映えしそうなんて言われた事があるが、ようは平凡なので作れるのだ。綺麗な侍女に囲まれていると余計に気になってしまう。
ポメロはコンプレックスはなかったのだろうか?
美の基準なんて時代と国によって違うとは言うが、こうも美形ばかり見ていると鬱屈としたものがたまりそうだ。普通が一番である。
お隣のおばあちゃんに会いたいと叫びたくなる。明美ママでもいい。いや、アパートに帰りたい。綺麗なものばかり見ていると壊しそうで怖いし、不釣り合いでいたたまれない。
どうせなら転移じゃなくて転生がよかった。金髪碧眼の絵に描いたようなお姫様でも、銀髪紫眼の分かりやすい悪役令嬢でもいい。黒髪で焦げ茶色の瞳なんて平凡すぎる。なにも周囲が突っ込んでこないということはポメロは同じ色の髪と瞳だったはず、こんな派手な衣装よく着ていたなとため息がでた。
しかしこのコルセットとやらは地獄ではないだろうか?
息ができないしお腹も苦しい。近代までこんなものが流行っていたなんて、まずは下着革命をしてやりたいと叫びそうになる。
そもそも慎ましいというかないというか、ささやかな膨らみを大きく見せてくれる下着ならまだしも健康的な体格の望実を締め付ける必要はないはずだ。舞踏会でもないのに。
座るのも一苦労だったがせっかくの朝食もうまく食べれない。サンドイッチとスープだけなのに随分時間がかかってしまっている。一人の食事は寂しいといったがじっと見られている食事はそれはそれで辛い。
「まあ、もっと早くこうするのでした。確かに姫様にはぴったりの罰…こほん。いえ、高貴な女性にふさわしい装いをなさっていただけて私どもも嬉しく思います」
満足げなメガネさんが罰といったのがはっきり聞こえて思わず力が入り持っていたスプーンを曲げそうになる。スープを飲むのも苦しい。せっかく飲み込んだのに締め付けで戻しそうだ。
「なんで、こんな目に」
「これを機におとなしく刺繍や音楽を足しなんでお過ごしくださいませ。読書もよろしいかと。明日はどんなドレスを用意しましょうかね。裾が長く動きづらいものを選ばせて頂きますわ。」
「ネリー様、姫様が真っ青です」
「姫様っ。危ない」
「姫様っ、ネビル。ネビル。早く来てください」
「姫様、気をしっかり」
「呼吸は大丈夫のようです。コルセットではないでしょうか?」
「コルセットをはずすのなら殿方は」
「これはいったいなんの騒ぎだ!」
賑やかな雰囲気が一気に氷りつく。さすが冷鬼だ。鬼だ。
望実はテーブルから転がり落ちて「もう、だめ」と呟いた。