基本設定を思いだそう
「失礼いたします。妃殿下」
ノックと声が聞こえる。望実はおそるおそる「どうぞ入ってください」と声をかけた。簡易の鎧を装備した短髪の真っ赤な髪とマントの青年が入ってくる。暗い部屋が一気に明るくなった気がして望実は瞬きした。
「すいません。お腹がすいてしまってちょっとでいいので食べるものありませんか?」
「それぐらいでここを抜け出したらまたこっぴどく冷鬼様に怒られますよ」
グルナードの事だろうなと思いながらもつい聞いてしまう。
「えっと……冷鬼?」
「グルナード様です。静かに淡々と怒り続けるのでこっそりそう呼ばれてるんですよ。体調が悪くなるぐらい怒られたって聞きましたので。そういえば姫様はオニって本人によく言ってらっしゃいましたけどすごい度胸ですね。さすが姫様です」
悪戯っ子のようなよく変わる青年の表情に思わず笑ってしまう。ポメロちゃんてばさすが怖いもの知らずのようだ。
赤髪のお兄さんは好青年に見える。少し厳ついが表情は豊かで威圧感はない。ぱっと見、二十歳前後かなと望実は思いながらどう呼べばいいのかわからず言葉につまる。
「そういえば、えっと、すいません」
護衛の名前がわからないなどと言っていいのだろうか?
しかし聞くにも聞けない状況だ。もうこれは記憶喪失で通した方がいいかもしれないと望実がため息をつくと「失礼します」とテーブルの上にあるベルを青年が鳴らす。
「ウェルテクス様、なにかご用でしょうか?」
「姫様のために軽食を頼む」
「気づかずに申し訳ありません。すぐにお持ちいたします」
きりっとした真面目そうなメガネの女性が一礼して部屋から出ていく。
ウェルテクス。その名前が引っ掛かって思わず「ウェルテクス」と望は呟く。
「はい、なんでしょうか?」
「セミノール・ウェルテクス。そう。セミノールだったと思うんだけど」
「ああ! もしかして姫様も親父殿に捕まったんですか? はあ。本当に申し訳ありません」
ポメロの周囲となるとよく考えれば、オランジュ達とは十年ほどずれることになる。セミノールがいたとしてもまだ幼い子供だろう。迂闊だったなと思いながら、げっそりという表情になった青年にとりあえず合わせて望実は頷く。
「ったく、いい年してはしゃぎすぎなんですよ。あの親父は。この年で弟ができるのはこっちとしては恥ずかしさもあるんです。ほら、上司同僚にもからかわれますし。その上、誰でもいいから捕まえては自慢するんですからたまったもんじゃない。孫の時も相当煩かったんですけどね」
愚痴をこぼす青年に、ポメロとは親しいのかもなと頷きながら青年の赤い髪を見つめる。
見事な赤髪は聖女ルートの攻略対象の一人、セミノールと同じ色だ。セミノールはゲームでは17才設定で自分より年上だったのを覚えている。
今はそうなると3才ぐらいだろうか?
病弱なため過保護な父親に閉じ込められて育ち、そのために人との付き合いがうまくできずにいた。そんなセミノールはペッシュと出会いその明るさに救われて一歩踏み出す。兄たちとは違う道を行き聖女と共に王子を支えていく決意を語るエンディングだったと思う。
ペッシュが彼に会いに行った時、屋敷に三人の兄がいたがそのうちの一人が彼なのだろう。
「ウェルテクス伯爵はやはり彼を溺愛しているんですか?」
「兄弟揃って武骨で父似なので、母と瓜二つの弟は目にいれても痛くない可愛がりようです。あれでウェルテクス家の男として強く育つのか心配ではあります」
ウェルテクスといえば名門の騎士の家系、伯爵でありながら代々王家の親衛隊も勤めている。確かセミノールの母も女騎士だったはず。母も強く逞しい一族にふさわしい女性だからとかなんとか言っていた気がする。
病弱で外に出たこともないセミノールはさぞ脳筋一族の中では浮いていただろう。ラストシーンに樽ごと酒を飲み干してセミノールとペッシュを号泣しながらお祝いする父親のシーンがあったはずだ。ペッシュに出会うまでは色々大変だったんだろうなと望実は心の中で頷く。
「私が言うのもなんなんですけど、たまには外に出した方がいいと伯爵に伝えれくれますか?」
「姫様……そのですね」
「お兄さん達のように走ったり、鍛えたりの運動ではなくて。咳や熱がない時に散歩程度はした方がいいと聞いたことがあります。そうしないとどんどん筋肉が衰えて結局身体全体が弱くなってしまうんですって」
「分かります。俺もそう思います」
「なので最初は外に出たあとに疲れで風邪を引いたり軽い熱を出すかもしれません。でも外の空気に少しずつ慣らすことでだんだん丈夫になるとか。伯爵と一緒に庭を一周するだけでも違うと思います。お医者様に相談しながら、大きな病気にならないためにも是非貴方からも伝えてください」
望実がいたアパートの下の階に住んでいた男の子は喘息でよく咳をしていた。うちにも聞こえてくるぐらいの辛そうな咳だった。隣のおばあちゃんは音とか気にしなくていいから天気のいい日に少し外にでなさいと母親に言っていたのを聞いたことがある。貴女も気分転換しないとねとも。セミノールの両親もきっと咳や熱の度に苦しんでいると思う。
医師でもない小娘の意見を伯爵が聞くとは思えないが、動けない体を抱えて後々苦しみ続けるのはセミノールだ。そしてそれを見る伯爵夫妻も。
「弟の事を思って言ってくださった事、嬉しく思います。父にそれとなくいってみます。弟が落ち着いている時なら聞いてくれると思うので」
「優しい兄がいてセミノールも自慢ね」
兄も姉もいない望実からすれば兄弟がいるのは羨ましい。四人兄弟とかどんな感じなのだろう。いつか家族全員、一列に並べてみたい。
「どうですかね? 年も離れていますし、こっちは仕事もあるので。兄も弟も騎士寮にいますし行事や一族の集まりでもない限り全員と会うことも今ではないんですよ」
「勿体ない」
自分だったら絶対弟が出来たら可愛がるのになとキラキラの美少年を思い描きながら呟くと、えっという顔を向けられる。
とりあえず自分は一刻も早く息子と会って弟のように可愛がることこそ使命と心に決めて望実が頷くと、先程の女性がお粥をもってやってきた。
米料理だと驚きながら口に運ぶ。しかもリゾット的な物ではなく味付けが味噌だった。
「先代の王より姫様がお疲れの時はこちらをと」
「ありがとう! すごく美味しいです」
パンよりやっぱりお米だなとかきこむようにして食べる。二人は部屋を出ていってしまったので誰もいない部屋で一人で食事する。母親といろんな話をしながら食事をしていたので毎回こうでは寂しいだろうなと望実は思う。
ベルを鳴らして食器を下げてもらいもう一度ウェルテクスを呼ぶ。
「その、王子は…オランジュは、どこにいるか知ってますか?」
「いけません」
先程までの気軽な青年ではなく、騎士に相応しい威圧感を急に向けられ、望実はその場にペタンと座り込んだ。何で急に殺気立つんだろう。
「姫様が気になさることではございません」
「でも、会えるなら会っておきたくて」
「申し訳ありません。お知りになりたいことは話すことができません。お許しください」
「城にはいるのですね?」
「はい。王子は城内で健やかにお過ごしです。それ以外はお答えできません」
鋭い刃のような物言いで告げられ、望実はこくこくと頷くことしかできなかった。
ベッドに座ってとりあえず懸命にゲームの詳細を思い出す。ペッシュとオランジュの会話に鍵があるはずだ。
『俺は小さい頃しばらく北の塔に閉じ込められていた。食うや食わずの時もあった。だから食べ物がない国にはしたくないんだ』
『そうね。私もそう思う。食べるものがあるって思うと安心できるもの』
『本当は皆が美味しい食卓を満ち足りるだけ味わえるようにしたいんだがな』
なんて我が子はできる王子様なのだろうと思い出した台詞に感動する。ペッシュもいい子で嫁に相応しい。しかしできる息子と義理の娘を持ってしまったら自分の粗が余計に目立ちそうで怖いなと望実は窓に視線を向ける。
そういえばオランジュが言っていた北の塔はどこにあるのだろう。閉じたままでは見えないので窓を大きく開いて身を乗り出す。右端に小さな塔が見える。日が暮れて大分たっているのに灯りもついていない。
今は誰もいないか、もしくは……そういえばと鞄を探す。窓とは反対側のベッド脇においてあってほっとする。中身を見る暇もなく倒れていた自分の方に意識がいっていたのだろう。
鞄をベッドに放る。入っているのは財布と、母親へのプレゼントのリュックサック、社会と理科の学校の教科書と資料。筆記用具。宿題のノート。洗濯のために持って帰ってきたジャージと靴。夜食用のガムとキャンディーとクッキー。部活用に用意したスポーツドリンクの粉。
どれぐらい時間がたっているのかわからないがどれも開いていないし大丈夫そうだとほっとする。寝巻きがどうにも落ち着かないのでジャージを着てベッドに寝転がる。
とにかく今はじっとしていると日本のこと、母親のこと、学校のこと等色々考えてしまって落ち着かない。
「どうすれば塔の中を覗けるんだろ? オランジュがいないなら城内探検でいいし、いるなら絶対に助け出したい」
今までのやり取りを考えるとグルナードもウェルテクスも言っても許してくれないだろう。とりあえず塔までいけばいい。どんな理由かは書かれていないが、オランジュには閉じ込められていた時がある。それが今この時なら何とかしてあげたいと思う。
一刻も早く助ければ自分の人生も少し変わるかもしれないなんて打算もある。このままじっとしていてもなにも起きないのは望実だって分かる。
それなら、そう思った望実は窓の屋根を身を乗り出して叩いてみる。ここから向かいの屋根に飛びうつるには距離がありすぎるが隣を伝って端の部屋までは行けそうだ。角の向こう側に塔が見えるのできっと屋根か廊下であの塔まで繋がっていると思う。
今、望実がいるの部屋は三階の左端で中央からは少し離れている。マップ移動の時にみた赤の絨毯がひかれた豪華絢爛な大広間も、王の執務室もここからはかなり離れている。
「正妃だけど大事にされてなかったのかな。可哀想なポメロ」
恋愛感情はない結婚だったようだし、仕方ないのかな。なんて考えながら望実は運動靴を履く。
あの護衛の様子だと定期的に部屋から抜け出していた可能性もありそうだ。そう思うと中央にある部屋よりも飛び出しやすいし見つかりにくい部屋だし、案外本人の希望な気もしてきた。
ゆっくりと窓に足を下ろす。みしっとかめりっという音は聞こえないので丈夫そうでほっとする。
今度は隣の窓へとおそるおそる足を伸ばし移動する。風が吹いて身体が揺れる。足の裏がじわっと汗をかきだした。
住んでいたアパートの窓よりかなり高い位置にある今の自分に、下を見るな。落ち着け。そう何度も繰り返し望実は自分に言い聞かせる。
屋根から屋根へと移動し続けようやく端の屋根まで来ることができた。角の部屋にはバルコニーがあり、勢いをつけて降りてみる。灯りはついていないので使われていない部屋なのだろう。のりがいい友達がふざけて「ロミオさま」と言い出すのが浮かんで全身の力が抜ける。なんで夜中に忍者みたいな真似をしてるんだろう。
これもそれもポメロもオランジュも閉じ込めるような真似をするこの国がいけないのだ。
そうだそうだ。
沢山の脳内援護を得て望実は勢いよく来た方向と反対側の壁を覗き込む。四階ぐらいの少し高い塔が見える。おそらくあれが北の塔だ。こちら側の二階の廊下から石造りの橋がかかり、北の塔の中央に繋がっていた。下は川が流れていて危険度がここまでよりぐっと上がった気がする。
跳ね上げ橋のように完全に離れていないのだけは救いだ。屋根をつたっていけばなんとか塔の中央にあるあの小窓まで行けそうだとルートを確認する。
橋の両端には兵士達が立っていて「こんにちは、ポメロです。中にいれてください」なんていったらとんでもないことになりそうな雰囲気だ。どこかピリピリしている雰囲気を感じながらバルコニーの窓を押してみる。
鍵がかかっているが留め金を下ろすだけの簡易な鍵だ。
「必殺、ヘアピン」
前髪を止めていたヘアピンを外して伸ばしゆっくりと窓の隙間に突っ込んで持ち上げる。留め金が持ち上がり窓が開く。ポメロがいる場所よりさらに広いがらんとした部屋に豪奢なベッドが置いてある。
王族、もしかしたらオランジュの母の部屋かもしれない。使われていない事がわかる部屋を見渡していると大きな音をたて人が入ってきた。とっさにベッドの影に望実は隠れた。