第6話 放たれたメギドの火
それから3日と経たぬうちに、国境近くにある獣人の町や村々で、次々と火事が巻き起こった。
さらに金や物も盗まれた。獣人たちは、きっとアルムガント王国のしわざに違いない、と叫んだ。
あるときなど、火事で燃え尽きた家屋の跡地に、アルムガント王国の兵士が使う短剣が転がっていたものだから、
「いよいよ疑うべくもない、これは人間どものしわざだ!」
獣人たちは誰もが思った。
ちょうどそのころ、ベールベール王国の新聞に『放火魔がアルムガント人である10の証拠』なんて手紙が投稿され、その手紙に一定の説得力があったことも、ベールベール王国の世論をおおいに煽った。
アルムガント王国はもちろん、反論した。
すべて事実無根である。これはベールベール王国の言いがかりだ、と述べたのだ。
すると今度はアルムガント王国の村々に放火事件が巻き起こり、その焼け跡からは獣人の毛が見つかった。
アルムガント王国の民は思った。
「獣人どもめ、報復に来やがった! 言いがかりだけでなく、こんなこともするなんて! 許せん!! 獣人たちを皆殺しにしてやる!!」
もともと仲の悪かった両国の関係は、1か月足らずでさらに急速に悪化した。
信頼を築くのは時間がかかる、だが失うのは一瞬、なんて言葉もあるが、もとより信頼関係の薄い者同士なら、もはや争うのには一瞬の時間さえ要らないのかもしれない。
なにもかも、オレの仕業なのは言うまでもない。
火をつけたのも物を盗んだのも、短剣を現場にわざと残したのも、新聞に投稿したのも、
――そしてアルムガント王国の村に火を放った上で獣人の体毛を置いたのも。全部、このオレがやったのだ。
冒険者時代、隣国ベールベールの洞窟にはよく潜っていたから、隣国の地理や情勢や国民の習性についてはよく分かっていた。【黒の牙】としての最後の冒険はベールベール王国だったしな。人生、どんなところで経験が活きてくるか分かったもんじゃねえな。……オレはひとりでニヤニヤ笑っていた。
戦争が始まったのは、オレが工作を開始して75日目のことだった。想定よりもずっと早かった。
ベールベール王国は、軍事訓練と称して1500人の兵を動員。アルムガント王国との国境に進軍して、実戦さながらの訓練を開始。
アルムガント王国も、訓練と称して2000人の兵を動かして国境に進出。激しい声を出して訓練を開始。その声はもちろん、ベールベール王国側に届いていた。両国の軍勢は、まるで怒鳴り合うかのように声を張り合った。もはや一触即発の空気があたりに広まったが――
そこで奇妙なことが起こった。
ベールベール王国側の森林の中から、突如、一本の火矢がアルムガント王国側に放たれたのだ。
アルムガント王国側の兵は、もうそれだけで血気盛んになり――
「獣人どもめ! そこまで我々と争いたいか! ならばアルムガント兵の強さ、見せてやる!」
わっと、ベールベール王国軍に攻めかかったのだ。
アルムガント王国の兵を率いている将軍は、さすがにまずいと思い兵を制止したのだが、しかし兵士たちは止まらなかった。――醜い獣人どもめ、人間様に対してよくも無礼の数々。200年前からの恨み、今日こそ晴らしてやる!!
「こうなっては、もはや獣人どもと戦うしかない。――しかしあの一本の火矢。あれはベールベール王国の森の中から放たれたが、どうもくさい。あの火矢は本当に獣人が放ったものだったのか……?」
アルムガント王国の将軍は、戦いが始まった直後、そうつぶやいたらしいのだが。
その火矢を放ったのは、むろんオレである。
戦いが始まると、アルムガント王国は意気盛んなわりにはだらしなく、連戦連敗した。
これは元よりベールベール王国の獣人たちのほうが強いという理由もあったが、しかし、
「ゆっ、弓の弦が切れた! こんなときに!」
「お、俺の弓もだ、くそう!」
アルムガント王国の兵が使っている弓の弦が、戦闘中、次々と切れまくっていったのも理由のひとつだった。
飛び道具が使えないのは戦争において致命的だ。まして人間側の取り柄と言えばそれくらいしかないのに。
そう、人間は獣人と比べて腕力や脚力は劣っていたが、手先の器用さに置いて勝る。
武器や防具を作ったり、また弓の使い方においては獣人よりも人間のほうが達者だった。
しかしその弓の多くが、今回の戦争では使用不能になったのだ。
やったぜ、と、オレはひとりでほくそ笑んだ。
弦を切ったのは、もちろんオレだったのだ。
夜の間、兵士の服を着こんでアルムガント王国軍に忍び込んだオレは、弓の弦にすべて、切れ目をわずかに入れていたのだ。
戦争はいよいよ、アルムガント王国側に不利になった。
アルムガント王国はすぐさま、援軍を矢継ぎ早に前線へと送り込んだが、一度崩れかけた軍はなかなか立ち直らず、さらにオレという獅子身中の虫が動き回ったせいで、いくさには一度も勝てず。――ベールベール王国軍は逆に連戦連勝を繰り返し、ついにアルムガント王国の城にまで攻め寄せたのだ。
「ギャハハハッ! うまくいった、うまくいったッ!!」
ベールベール王国の軍に攻められ、アルムガントの王宮は大混乱の中にあった。
オレはそんな城内を、跳ねるようにして駆け回っていた。
「なにもかもうまくいった。ここまでうまくいくとは思わなんだ。アルムガントもベールベールも両方の国民はみぃんな馬鹿だ! デクの坊だ! うすのろどもだッ!! ざまぁみやがれ!!」
もちろんこのセリフは声には出さず、笑顔も内心だけのものだ。
城の兵士の服装をしているこのオレは、さも防戦のために努力しているフリをして、王宮内を走りまくっている。
城の兵士たちは決死の抵抗を続けていた。
だが、弓が使えない以上、不利は決定的だった。
アルムガント城は、先の戦いで弓の弦が何者かに切られていたことを察知して、武器庫に入る兵士はすべて刃物を没収されてから入室することになっていたが――
オレにはそんなもの関係ない。
オレは弓の弦を、自慢の犬歯でさんざん引きちぎったのだ。
浮浪児時代、なんでも歯で噛み砕き、缶詰さえも歯で開けていたオレだ。弓の弦くらい容易にちぎれる。
ともかく弓が使えなくなっているアルムガント王国は、弓が使えないなら石を投げろ、とばかりに、城に攻め寄せてくるベールベール王国軍に投石攻撃を続けていた。
王宮はさすがに、王国の本城だけあってなかなか落ちる気配を見せなかったが――
「どうでもいいッ! 姫様だ、姫様をこのスキにかっさらうんだ!!」
なお、駆ける。
リーネ姫がいるという、王宮の西の塔の最上階へ――
走りまくっていると、途中、死体を見つけた。
敵から放たれた投斧に命中したらしいその遺体。
よくよく見るとそれは、あの日、リーネ姫といっしょにいた女どものうちのひとりだった。
オレのことを、特に醜いだの気持ち悪いだの言いまくってくれたクソ女!
眉間のど真ん中を綺麗にカチ割られ、白目を剥き、開きっぱなしの口からは、血液と唾液と吐しゃ物を、見るも無残に吐き散らかしている。
「残念だ」
オレは心からそう思った。
「お前はオレの手で、この機会にぶち殺してやりたかったものを」
舌打ちした。
この女、けっこう楽に死んだのではないか。
惜しいことだ。もっと苦しめて殺してやりたかった。オレは女の遺体にツバを吐きかけた。
しかしまあ、些事だ。
こんな女の死など。そんなことよりこのオレは、リーネ姫の身体と心のすべてが欲しいッ!
オレは改めて、西の塔に向けて走り出し、そして塔を発見すると、
その扉をブチ破って侵入し、螺旋階段を駆け上って、ついに塔の中腹にある姫様の部屋に突入した。
「姫様、リーネ姫様! かつて毒からお助けした、レンジャーのザムザです! お迎えに上がりました! この城はもう危険です! オレといっしょに脱出しましょう――」