第20話 黒の牙、ふたたび
ずっと黙っていた国王は、大臣に話をふられるとわずかに片眉を上げた。
そして、きっかり5秒間沈黙を保ったうえで――とんでもない私見を述べた。
「美女の意見にはいつだって理がある」
「…………は?」
「リッテンマイヤーほどの美人が、出兵に反対するのであれば、余も反対としておこう。これでどうだ、リッテンマイヤー。……ん?」
国王は、ニッタラニッタラと好色な笑みを浮かべて、白い肌の公爵代行を舐めるように上から下まで眺めまわした。――あまりといえばあまりな決断に、フェルト大臣も貴族ロボスもガルガンティア将軍も、肝心のリッテンマイヤー公爵代行も呆然とし、そしてカノアも、
(大馬鹿者!!!!!!!)
その場で父親を魔術で焼き尽くしたい衝動にかられながら、しかしどうにか理性を総動員して無表情を保っていた。
怒りをこらえていた。だが内心では父親に呆れ果てていた。――この馬鹿、よりにもよって最後の最後で女のために反戦論だなんて!
死ね!
死んでしまえ!!
好色な父親も、自分を見下す将軍も!
――しかしカノアは憤怒を我慢しながら、心の中では冷静に別のことを考えていた。
国王はリッテンマイヤー公爵代行の意見に従う。ならばリッテンマイヤーを開戦論に傾けさせれば戦争はなお続くわけだ。
そしてリッテンマイヤーが戦争に反対しているのは、どれもちゃんとした理由がある。
すなわち、財政難、敵国の情報、確固たる戦争目的――
これらの諸問題を解決さえすれば、彼女は戦争に賛成するわけだ。
ならば、必ずリッテンマイヤーの言うみっつの課題を解決してみせる。必ず戦争に持ち込んでみせる。
戦争を利用して、父親を殺すのがいまの自分の望みなのだから。
「――と、そういうわけで、どいつもこいつも馬鹿ばかりだったわ」
「何千何万もの人間の運命を決める国家間戦争をやるかやらぬか。それを決めるのが馬鹿と助平とは、ありがたくて涙が出るな」
アルムガント王国とベールベール王国の間に戦争を巻き起こしたのは、言わずもがなオレだが、しかしそんなオレでさえ呆れるほど、王宮の軍議は愚か者ばかりが揃っているらしい。戦争以外の件でも、いわゆるこの国の政治を、彼らがふだん行っているのかと思うとぞっとした。庶民の運命は、馬鹿に握られているのだ。
「まともそうなのは、お人よし貴族のロボスとリッテンマイヤー公爵代行くらいか。しかしそのリッテンマイヤーって女は、なかなか知恵が回るようだな」
「私はあの女と初めて顔を合わせたけれど、利発そうな顔をしていたわ。いまのアルムガントにはもったいないくらい」
「つまりオレたちにとって、強敵になる可能性があるわけだな」
オレは何気なく言葉を発する――
するとカノアは一瞬絶句し、少し間を置いてから、「そうね」と大きくうなずいた。
「……その点、ガルガンティアとその賛同者なんかは、心底下衆だったわ。あの呆け猪、二言目には戦争戦争、それも下っ端の兵士みたいに、自分が戦場でじかに剣を振るうつもりで――馬鹿丸出しね。その上、この私を愚弄して……ふたりきりだったら、確実にあいつをチリにしていたわ」
「短気を起こすなよ、カノア。人殺しだと世に知られては、父殺しもやりにくくなるぞ」
「分かっているわよ……」
カノアは苛立ちを隠せないようだったが、彼女の気持ちは分かる。
いまからでもガルガンティア将軍の屋敷に潜り込んで、毒でも持ってやろうかと思った。
しかし、それはやめておこう。いまやつを毒殺したら、このタイミングだとカノアにも疑いが来る。
カノアが国王になるためには、彼女の経歴に薄汚い部分が見え隠れしてはまずい。
カノアには綺麗な身体のままで国王となり、そしてリーネ姫を俺の妻にする手配してもらわねばならないのだ。
ガルガンティアは、もっと別に殺すタイミングがあるはずだ。それを待つのだ。
「それにしても、あのガルガンティアって男、普段から私のことを『妾腹』だからって馬鹿にしてはいたけれど、今日は特に刺々《とげとげ》しかったわね。なにかあったのかしら」
「いや、それについては、当然のことだろう」
「? ……どういうことよ」
カノアが、心底分からないといった顔をしたので、オレは思わず笑った。
「だって先日、この国がベールベール王国に攻め込まれたとき、そのガルガンティア将軍はなんの役にも立てなくて、けっきょく、日ごろ馬鹿にしているカノアの魔術に助けられたんだろ? そりゃ、プライド傷付くさ。『妾腹の王女』の、それも王族とはいえ17歳の女の子に助けられるなんて、この上なき屈辱だ――誰だってそう思うだろう」
「……ああ、なるほど、そういうこと!」
カノアは、ようやく合点がいったよばかりに手を叩いた。
「言われてみればそうね。……考えもしていなかったわ。……そうかあ……」
何度も何度もうなずくカノアを見て、オレは苦笑した。
間違いなく天才で、頭も切れる彼女だが、人間心理の話題になると突然子供のように物の見方が単純になるときがある。
まあ、あまり人と関わってこなかったカノアだし、この手の話題になると鈍くなるのも当然か。先日なんか『男と女のことさえよく知らない』なんて言ってたし――と、そこでオレは、思わずカノアの全裸をまた思い出しそうになったので、慌てて首を振り、別の話題を口にした。
「それより、このままじゃ戦争が続かないな」
照れ隠しではあったが、しかしその話題は真剣だった。
「そうなのよ。あの父親がリッテンマイヤー公爵代行に助平根性を発揮したばかりに……」
「しかも公爵代行の意見は正論だ。これを打ち破るのは容易じゃないぞ」
財政難。
敵についての情報不足。
戦争目的の欠如。
これらの問題を解決しなければ、リッテンマイヤー公爵代行は戦争に賛成しない。
すなわちアルムガント王国は戦争を継続しないのだ。
「特に、金と情報の問題は難しいな。一朝一夕でどうにかできる問題じゃない」
「それなんだけどね、ザムザ。……考えてみたのだけど、ひとつ、案がなくもないわ」
「案? どんな案だ」
「お前の過去と繋がる案」
「なに?」
「冒険者を使うのよ。――冒険者は、地図業者に頼まれて地理や地形を調査することもあるそうね。それならば、冒険者に依頼してベールベール王国を調べさせるのはどうかしら」
「それは――それは確かに冒険者はそういう仕事もするが……。しかし調査任務は、依頼するとけっこう金がかかるぞ。それも外国の調査となると、ベテラン冒険者じゃないと無理だ。そうなると依頼料は、兵士の年収十年分にもなるぜ? いかにあんたが姫様といっても、それだけの金をいきなり用意するのは――」
「いるじゃない。ベテランで、かつ、格安で依頼できそうな冒険者が」
「なんだと? ……そんなもん、どこに――」
と言いかけて、オレはハッと気が付いた。
確かにいた。経験豊富で、ベールベール王国にも足を運んだ経歴があり。
なおかつ、いまは生活が苦しく、格安の報酬でも仕事を受けそうな冒険者パーティー。
その名は、言うまでもなく――
翌日の、昼下がり。
アルムガント王国の外れにある、安酒場の薄暗い片隅にて、痩せぎすの顔をした男女が3人、死んだような瞳をしていた。
働けど働けど、我が暮らし楽にならず。
ああ、いつから自分たちはこんなに人生がうまくいかなくなったのか。
これでも数か月前までは、ベテラン冒険者パーティーとして、ギルドではちょっとした顔だったし、生活だって楽しかった。それなのに。
【黒の牙】の連中だった。
戦士サバト、魔術師パール、武闘家ファントム。
かつては繁華街の中心で高級酒を煽っていた彼らは、しかしある日、泊っていた宿が火事にあい、すべてを失ってしまった。
持っていた武器や道具、さらに現金までも焼失し、その上、火事の原因がどうやら仲間のひとりのタバコの不始末だと分かったので、宿から賠償金まで請求されて、生活は、一気に苦しくなったのだ。
いまや彼らは冒険者ではなく、借金を抱えた日雇い労働者だった。
酒場の片隅でなんとか日銭を稼いで生きている。打開の策は見つからなかった。
武器も道具もないものだから、冒険もできないし、先日、獣人国が攻めてきた戦いでも手柄は立てられなかった。
ギルドに仕事を求めても、タバコの不始末ですべてを失った、馬鹿で不名誉な連中として、わりのいい仕事はろくに回ってこず、冒険者仲間から大いに笑われる始末である。
まったく世界は絶望的だった。笑い上戸で冗談が好きだった戦士サバト、しかしその顔にはもう光はない。出てくるのは笑顔ではなくため息だけだった。
――そんなとき、酒場に入ってきた男女がいる。
サバトは思わず目を見張った。
いや彼らだけでなく、酒場の客たちは、思わずヒュウと口笛を吹いたものだ。
なぜなら入ってきた男女のうち、女は、すさまじい美人だったからだ。――麗しい銀髪に整った顔立ち、赤い衣服の下に息吹いているたわわな胸元、しかし色気と同時に全身から漂う気品はどうだろうか。とてもこんな安酒場に来るような女性ではなさそうだが――
と同時に。……女の横にいる男に目がいくが、みずぼらしいことこの上ない、貧相な体格。そして醜悪な面構えと汚いヤケド。衣服だけはそこそこ上等なものを着ているが、しかしなぜ、こんな男が銀髪の美人といっしょにいるのか分からない――と、そこでサバトはハッと気付いた。
「ざ、ザムザ!?」
「よう、サバト! パールにファントムも。懐かしいなあ、4ヶ月……いやもっとぶりだっけか!? もう10年も会っていなかったようだ、とにかく懐かしい!」
やたら快活に、ニコニコ顔を送ってくる元仲間のザムザを見て、サバト、パール、ファントムの3人は、しばし呆然としたものだった。
――あまり良い思い出のない、かつての仲間たち。【黒の牙】の連中。しかし確かに、こいつらには利用価値がある……。
別れたときより、ずっと貧弱な面立ちになったサバトたちを見て、オレは内心、ずいぶんニタニタと笑っていたが、しかし顔だけは意識して、さわやかなものを保っていた。