第13話 たったひとつの弱点
「ゲホッ! ぐ、ぇホッ! あ、ボァッ……!!」
「…………」
板張りの床にひざを突き、全身を貫く毒の苦痛に、顔立ちを歪めるカノア・アルムガントを見下ろしながら、オレは――
口の中が、砂塵でも詰まったみたいにカラカラになっていた。
心臓がバクバクと高鳴った。どうしてだ。……オレはなぜだか心が痛んだ。
いままでさんざん人を殺め、苦しめ、戦い抜いてきたこのオレだ。
ひとを殺したことなど何度もあるし、自分のために誰かが死んでも、いまさら屁とも思わない。
が、なぜだかオレは、この銀髪女に限って、こんな気持ちを――
「……くそっ!」
オレは部屋の片隅に置いてあった小ビンを手に取った。
中にはドロリとした解毒薬が入っている。その薬を、口にふくんだ。
そして――正直顔が赤くなるが――オレはカノア・アルムガントのくちびるに自分のくちびるを重ねた。
接吻をした。
そして口移しで、彼女に薬を飲ませたのだ。
「あ……ンンッ……!?」
カノア・アルムガントは、その細い身体をくねらせる。
「ん……ンンッ……」
眉間にしわを寄せ、頬を紅潮させながら。
しかし美少女の白いノドは、確かに妖しく蠢く。
――やがて、
「……お……お前……」
カノア・アルムガントからくちびるを離すと、彼女は解毒による快感か、わずかに恍惚とした表情で、なおかつ、その口元から一筋の、蜘蛛の糸のような唾液を垂らしながら、語る。
「どうして、私を助けたの……?」
「やめろ」
「え……」
「頼むから、リーネ姫みたいな声を出すのはやめてくれ!」
オレは激しくかぶりを振った。
情けなくて、涙が出そうだった。
――そうだ。オレは、このオレは、苦悶するカノア・アルムガントの姿に、声に、リーネ姫の面影を見てしまった。リーネ姫が、オレがただひとり愛する女性が、悶え苦しんでいるように見えてしまったのだ。母親違いとはいえさすがは姉妹だった。目元も声もよく似ている。そんな彼女は見ていられない。……オレに彼女は殺せない!
なんてざまだ。このオレともあろうものが、これですべてはおしまいだ。
オレはカノア・アルムガントに殺される。あるいは逮捕される。野望は潰えた。
オレの人生はここで完全に終わってしまった。オレはその場にうずくまって震えた。
しかし、何十秒か経って――
カノア・アルムガントは毒から回復してもなお、オレを攻撃しようとしない。……なぜだ?
「お前、もしかしてリーネが好きなの?」
彼女は、そんなことを問うてきた。
オレは、顔を上げ、相手を睨んだ。
そんなことを聞いてどうする、早く殺せ、と言わんばかりに。
しかし、ああ……ダメだった。
カノア・アルムガントの美しい瞳は、あまりにもリーネ姫に似ている!
「好きだ。どうしようもないくらい、好きだ」
「あの子はまだ10歳よ」
「それがどうした!!」
年齢なんかクソ食らえだった。
いやむしろ、まだ10歳の女の子だからこそ、世間を知らない少女だからこそオレは惚れた。
これが大人の女だったら、ちょっとやそっとの優しさを見せてくれたところで、どうせこいつも他の女と同じだろう、と思ってしまったに違いない。しかし、10歳の少女なら――
「10歳でも、いいんだ。むしろ10歳だからこそ、いいんだ。……オレは、オレは、リーネ姫のことが――」
「…………」
「好きだ」
オレは、打ち明けてしまっていた。……ダメだ。ダメだダメだ。こんなことを言ってはダメだと思いながらもどうしようもないほど、俺はすべてを語ってしまっていた。すなわち冒険者仲間から冷遇されたことも、リーネ姫に一目惚れしたことも、隣国に工作を仕掛けて戦争を巻き起こしたことも、弓の弦を切断したことも!
思えば最初に出会ったときからそうだった。アルムガント王宮の中でカノア・アルムガントに遭遇したときも、さっさと逃げ出せばいいのに、オレは彼女についていってしまった。そして顔と名前を覚えられ――なにもかも、この女がリーネ姫に似ているからだ。似たような瞳、似たような声。リーネ姫の姉の彼女に、オレは逆らえない……。
オレは、オレは、リーネ姫に関することになるとバカになる。
自分で自分が制御できなくなる。オレの最大の弱点だ。……こんちくしょう!!
「……信じられない」
オレの告白を聞いたカノア・アルムガントはさすがに首を振って、目を見開いた。
「まさか、そこまでする者がいるなんて。戦争まで巻き起こして、どさくさにまぎれて誘拐、ですって? お前はいったい正気なの?」
「狂っているかもしれん。いや、狂っているさ。もう最初の狂気がどこなのか、自分でも分からんが」
「そう――そうね、狂気。お前は狂っているわ。そこまで……リーネを手に入れるために、そこまでするなんて……」
「やるしかないだろうが……」
全身を震わせながら、吐き捨てるようにして言った。
「生まれてこの方、与えられたことなど1度もなかった。欲しいものはすべて、力づくで手に入れてきた。そうしなければ生きてさえいけなかった。あんたとは違う。多少、不遇の身分だとしても、けっきょくは第一王女で、衣食住にまるで困らず、欲しいものはなんだって手に入れてきたあんたとは――」
「欲しいもの……? ……私の欲しいものが、なんでも手に入れてきた、ですって? ……私の……!?」
そこまで言った瞬間、 カノア・アルムガントは、その眉間に――
思い切りしわを寄せ、修羅のごとき形相で吼えていたのだ。
「冗談じゃないわ! 私だって――私だって! 本当に欲しいものはなにひとつ手に入れていない!」
次は27日・金曜日に投稿します。