76話 江陵と周瑜
荊州という土地は、天下の中心に位置し、民も豊かな土地であった。
ただ、その富の大半は平原である北部に集中し、南部は広いと言えど山岳が大半を占めている。
北部の要は「襄陽」であり、この地は完全に曹操の手中に収まっていた。
ここを奪い返すとすれば、曹操と本気の決戦を行わねばならないだろう。
しかし、南部の要である「江陵」は現在、ポツリと突出した形となっていた。
というのも赤壁の戦いによって、曹操が荊州南部へ手を伸ばすことが出来なかった為だ。
荊州の南部は周瑜、劉備連合の影響下に置かれている今、「江陵」は一つ、南部に残されている。
このまま考えれば、江陵は連合に収まるのが自然な形だが、江陵は地形上、曹操陣営にとっても重要な地でもある。
江陵は、益州へ繋がる「夷道」に通じており、ここを抑えた陣営が益州の劉璋への影響を強くすることが出来るのだ。
統一を考える曹操は江陵を抑え、孫・劉の増長を抑え、劉璋を圧迫したいという狙いがあった。
しかし連合の方も曹操と抗するのには、益州の土地は必要不可欠。
誰が江陵を取るか。
その結果次第で、今後の天下の動きはガラリと変わってくるだろう。
「以上が、江陵の現状です」
「兵力はどうだ?」
「周瑜軍が三万、こちらは二万。江陵の曹仁の軍は三万です。まともに戦えば、落とせません」
やはり、史実より曹操軍の被害は少ないのかもしれない。
ただ、疫病の蔓延はある。士気は低いと見て良いだろう。
あともう一つ、江陵攻めで兵力以外に決定打を出せない要因があるとすれば、孫権の動きだな。
赤壁の勝利に乗じて、合肥と徐州に進軍しているのだ。
確かに防備は薄いものの、合肥は劉馥の備えが万全であり、徐州には天下に呼び名の高い陳登が居る。
史実でもそうであったように、容易に落とせる地ではないに関わらず、孫権は兵力を分散して攻撃を行っていた。
この兵力を集中させるか、江陵に増援として向ければ、いくらかこの戦いも楽になっただろう。
「雷豊、どうすれば江陵を落とせる」
「まず、江陵を攻める前に抑えるべき道が三つ。襄陽を結ぶ道、江夏を結ぶ道、そして夷道。ここを抑えなければ、城攻めは出来ません」
「確かにな。支援が届くとすればその三つだろう。劉璋は曹操に靡いていると聞くし、特に夷道を警戒せねば」
「この三つを抑えた後に包囲が可能ですが、曹仁は名将。兵力差もほとんどない中、攻城戦は厳しい。ならば、城で戦わなければいい」
「どういうことだ?」
「曹仁は名将ですが、気性が荒いと聞きますし、自分の腕に自信もあるでしょう。必ず野戦を仕掛けてきます。ここを叩けば、城を奪える」
「うーん」
眉をひそめ、劉備は唸る。
口で言うのは簡単だが、曹仁の精兵は野戦で無類の強さを誇ることで有名だった。
叩くどころか、潰されてしまうかもしれない。それを懸念しているのだろう。
「とまぁ、ここまで申し上げましたが、これくらいの話は徐庶様も、そして周瑜も百も承知でしょうし、更に良い戦術を編み出すことでしょう」
「ん? まぁ、確かに。正当な策だ。俺がお前に求めるのは、もっと奇抜なものだぞ」
「劉備様、敢えて申し上げますが、周瑜より先に江陵を取るのは不可能です。こちら側が出来るのは、通路の封鎖くらいでしょう」
「それを何とかしろっつってんだ」
「前提を、変えていただくことは出来ますか?」
「前提を?」
「周瑜より先に、ではなく、結果として江陵を手に入れる、という長期的な『戦略』の話へ変えていただきたいのです」
どうやったって、兵力、戦力的に、劉備軍が江陵を奪取することは不可能だ。
それに周瑜の赤壁の功績はあまりに大きい。劉備に江陵を譲るなんてことをする理由は無い。
「聞くだけ聞こう」
「あくまでこちらは周瑜の援護に回ります。主に戦うのは周瑜と曹仁。大いに互いが疲弊しながら戦う事でしょう。しかしこれは『点』の話。ならばこちらは『面』を取るのです」
「面だと?」
「江陵が今、争奪の最中にあるのは、曹操が南部に手を伸ばせなかった故です。江陵を治めた方が南部を支配するのか、南部を支配した方が江陵を取るのか。前者を点とするなら、後者が面です」
「つまり、お前が言いたいのは、江陵は周瑜に譲り、俺は荊州南部を取るべきだと」
「劉備様は未だ、基盤を持ちません。面を取り、体制を整えるべきかと存じます。周瑜と曹仁が力を落とす間に、こちらは伸ばすのです」
正論である。しかし劉備は不満げに唸る。
僕が言うことは分かるのだろうが、どうしても益州が気になるのだろう。
「やはり、周瑜が益州に手を伸ばすのが気になりますか」
「そうだ。そうなれば、俺は孫家の将軍になるしかなくなる。劉璋は暗愚だ。周瑜に抗し得るとは思えん」
これが一番の本音だろう。
徳の将軍として、胸に秘していた本心。
益州へ手を伸ばしたいという天下への野心。
史実では、周瑜は益州に手を伸ばす前に亡くなっている。
しかし、その運命が今どうなるのかは、分からない。
「確かに、周瑜は稀代の名将です。しかし、益州には星の如く優秀な臣下があり、要害に囲まれた天険の地。簡単には落ちません。とにかく、待つのです。孫子でも、戦わずに勝つのが最上と言います。ここからは戦ではなく、外交で機を窺うのです」
「外交、ねぇ……うーん、外交、謀略、よく分からんなぁ。徐庶、お前はどう思う」
「戦略で言えば、これが最も順当でしょう。諸葛亮が立てた戦略も同様でした。ただ、周瑜が益州を取るか否かまでは、分かりかねます」
「これしか手立ては無いという事か」
「全ては周瑜次第です。烏林の勝利は、それだけの流れを生み出すに値する勝利でした」
まぁ、結局はそうなる。今最も、天下の行く末を握っているのは、周瑜だ。
それを認めざるを得ないという現状に、劉備は悔し気に唸るばかりであった。
次回予告はありません。
通常通り、20時に更新します。タイトルは「交州の妖怪」です。
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それではまた次回。




