75話 劉備の器
曹操軍は江東の進出を諦め、撤退を始めた。
本軍はそのまま許都へと帰還。曹操自身は涼州への対応の為に先行して戻ったとのこと。
涼州軍閥を率いる馬騰、韓遂は曹操の帰還、及び前線に出てきた楽進を見てそのまま撤退した。
遼東で兵を集めていた袁煕、公孫康は、その名目通りに異民族の討伐を行ったのみで、そのまま軍を解散。
少しでも攻めてくれば討伐の名目が立ったのだが、袁煕の側もそれを分かったうえで上手く立ち回っていた。
そして、合肥へ大軍を動かしていた孫権だが、郭嘉よりの偽の報告書を見て進軍を止めてしまう。
その内容は、張遼を主将とした十万の軍が合肥へ駆けつけているというもの。
実際に張遼が連れていたのは五千の軍であったが、孫権はまんまと騙され、攻め手の機会を失ってしまった。
江陵に残ったのは、曹操軍の名将、野戦においての実力は頂点にある「曹仁」であった。
その補佐として無敗の勇将「徐晃」を据え、周瑜・劉備連合への万全の備えとした。
このまま急に攻めても江陵は落とせないとして、現在は赤壁の勝利を祝いながら、次の戦略を両陣営が編んでいる最中である。
「いやぁ、よくやってくれた。お前の話は、麋竺、糜芳、他にも劉埼殿や徐庶からも聞いている。斯様な賢人が身近にいたとは思いもよらなんだ」
大手を広げて喜びの表情を見せる劉備。
少し酔っているのか、その広い耳が高揚していた。
通されたのは小さな一室。
そこには麋竺さんと、徐庶さんだけが並んでいる。
「お前の風貌と、商人の身分を考えて、あまり人に見られない部屋を選んだ。別に軽んじているわけではないから、気にするな」
「え、あ、はい」
にしても以前は、この劉備に僕、殺されそうになってたんだよなぁ。
それが今や、直接呼び出されて称賛の嵐だ。
戦は人の評価を大きく変えるというが、まさにその通りだろう。
「聞けば戦いの前から、徐庶と戦略を練っていたとか。本当か?」
「いえ、私は徐庶様の言われた通りに動き、見聞し、その結果を報告してたのみ。戦略など、とても」
「謙遜せずとも良い。現に、夏口では張遼を退けた。糜芳は優秀な男だが、張遼は度を越した相手だ。お前の功は大きい。徐庶、諸葛亮に並ぶであろう」
「私は、戦に際して我が身惜しさに金を撒いたのみ。全ては、麋竺様、糜芳様、劉琦様の力で御座います」
「うーん、ここまで卑屈なのも珍しいな。別に欲しいものを要求しても良いんだぞ? 女とか、酒とか、金とか、領土とか」
んなこといわれましても。
「今回の戦に使った雷家の資金を、補填していただければ十分です。それに、我々の商売はもう終えましたので、交州に戻りたく存じます」
「いやいや、それは駄目だ。他はともかく、お前は特に。これからは俺の軍師として、文官として働いてもらう」
「この際ですから申し上げますと、私は、老子の思想家に御座います。官は求めません」
「ならば仕えずとも良い。簡雍を見たであろう? あいつは俺に仕えず、俺の友としてふらふらとしておる。ああいう生き方も認める。だから、側にいてくれ」
確かに、大器だ。英雄だ。
三国志を代表する男と、呼ばれるだけの事はある。
曹操の対極に立つに、相応しいだろう。
簡雍さんは確かに、酒だけをもとめて、金が足りなくなったら劉備を頼り、ふらふらと歩きまわる変人であった。
とても下に仕える人間という訳ではなく、ただの友人。そういう不思議な関係。
これを認めているというのが、劉備の「人徳」の所以だろうと思う。
情に厚すぎて、曹操からすれば甘いと言わざるを得ない劉備。
しかしそれもあってか、曹操の対極を生きる人間として、こうして中華に立っている。
「左様に言って頂けるのは、この雷豊、感謝の極みに御座います。されど、私の故郷はやはり交州。そこを曲げることは出来ません」
「どうしてもか」
「どうしてもです。ただ、これより先、私は孫権にも、曹操にも仕える意思はありません。なにとぞ、ご容赦を」
「わかった」
劉備の一言に、徐庶さんも麋竺さんも、大きく目を剥いて驚いていた。
逃がすとすれば斬るべきだ、そう言いたいのだろう。
劉備はそうやって曹操の下から逃げ、今や牙を剥いている。それと嫌でも重なるらしい。
僕も正直、驚いていた。
驚いたんだが、この人ならそう言うだろうなという予感も、どこかにあった。
「だが、雷豊。ひとつ献策を残し、去ってほしい。勿論、金の補填と、此度の戦の褒賞は与える。だがここを去るには、俺を納得させるだけの策を残せ。それ次第でお前を逃がそう」
「かしこまりました。どのような、策でしょうか」
「江陵を落とす策だ。それも、周瑜より先に」
「……かしこまりました。では、地図と、現在置かれている戦況をお教えください」
「話が早いのは助かる! 徐庶! 地図を出して、説明してくれ。実のところ俺にもよく分からん!」
何とも言えない苦い顔を浮かべて、徐庶さんは地図を懐から取り出し、そのシワを伸ばし始めた。
次回は、江陵争奪戦に関する戦略を献策。
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それではまた次回。




