74話 最後の策
気づいたときには、空が白み始めていた。
必死だった。それが故気づかなかった。
自ら駆け回ってそれぞれの地区の民兵の編成や配置を指示し続ける。
交州にいた頃にやっていた内政が意外と、こういうところで役立つとは思わなんだ。
蝉は戦に出たがったが、それは止めた。
城が落ちた時、どうにかここから逃げる為の戦力として温存しておきたかった。
雷華の方も上手くやっているらしい。
医者達には治療に当たらせる傍ら、従者に記録を取らせ、今後の医療に役立てる様にも指示。
戦争は、医療技術のレベルを向上させる。この機は活かしておきたかった。
「軍師殿、張遼軍が、撤退しました! 城の陥落を乗り切ったのです!」
「そうか……そりゃあ、良かった」
今までにない程の疲労。そして、安堵。
張遼が退いたという事は、史実通り、周瑜が曹操を破ったのだ。
これで親父との約束が果たせた。ただひたすら、ほっとしている。
じゃあそろそろ屋敷に戻ろうかと思ったときであった。
多くの荊州兵が僕の下に駆け寄って、ぐるりと囲んでしまう。
武器は持っていなかったが、通してくれそうもない。
「麋竺様の命に御座います。雷豊様、ご同行をお願いします」
「これは、断れる雰囲気じゃあないな」
連行されているというより、なんというかVIP待遇って感じ。
お足元を御気をつけください、なんて初めて言われたぞ。
交州ではむしろ親父がなんか変な悪戯しかけてきて、転ばそうとしてくるのに。
「おぉ、雷豊殿!」
「麋竺様、ご無事で何よりに御座います」
「弟より話は聞いた。貴殿のお陰で、この城を守ることが出来たと。礼を言わねばならん」
「いえ、全ては麋竺様と糜芳様の武勇、劉琦様の人徳の賜物です。私など」
「貴殿の尽力が無ければ、この城は初動で落とされていた。民を集め、兵の士気を上げ、そして劉琦様を奮起させた。更には雷家の医者の動員により、多くの者が救われた」
顔には疲労の色が濃い麋竺だが、弾けんばかりの喜色に溢れている。
曹操軍の撤退の報告が、届いているのだろうか? だとすればこの喜び様も納得だ。
「一介の商人にしておくには、あまりに惜しい。このような人材を逃したとあれば、私が殿に叱られる」
「え、いや……その、ちょっと」
「私が推薦しよう。諸葛亮殿、徐庶殿と並ぶ地位に付けるやもしれん。それに、何よりも若い。今後、殿の覇道を大いに支えてはくれまいか?」
「あー……」
また、親父に叱られる。
無能を演じよと、あれほど言われていたのに。
困ったことになった。
こんな嬉しそうな麋竺さんを前に、嫌だと言えば、それこそ殺されちゃうんじゃない?
士氏政権との関わりがあるって言っても、それはそれでスパイを疑われるし、うぐぎぎ。
「大丈夫、心配するな。左様に困った顔をして。言いたいことは分かっておる」
お、流石、天下の麋竺さん。
ちゃんと僕の心情をくみ取ってくれたのか!
「以前、殿に叱責されたのが気になるのだろう。殿は器の広いお方、寝て起きればすぐに忘れられる。それに私の推薦であれば何も問題は無い!」
おぅふ、分かってなかった。
というかそれは器が大きいってより、単純にばk……
「わ、私は、戦場には向きません。戦の無き土地で、静かに暮らしたく」
「ならば後方の文官として推挙しよう」
「うーん……」
どうしよ。マジで。
☆
その顔には、はっきりと死相が浮かんでいた。
もう、助からない。曹操はそれを感じ、思わず目頭を押さえる。
「郭嘉、お前の、お前の言う通りにしていればこうはならなかった」
「殿、これも天命です。お気になされますな。なるべくしてなったのです。大切なのは、今後の事。幸い、将兵も多くが帰還し、被害は少ない」
曹丕と郭嘉が迅速に対応したおかげで被害は大きくならず、多くの将兵も無事に戻ってきている。
それに聞いたところによると、敵将の黄蓋は戦死したらしく、何とかこちらが一矢報いた形だった。
確かに天下統一の機会は逃したが、こちらは大きな傷を負ってはいない。
「殿はこれより三つの戦線を意識せねばなりません」
「聞こう」
「一つは涼州です。殿の敗走を聞き軍を動かしました。なので殿は急ぎお戻りください。殿が戻れば、奴らはすぐに引き返します。一応、楽進将軍を先に戻らせているので大事には至らないでしょう」
「分かった。二つ目は」
「合肥です。孫権が北上、合肥を攻めるために進軍中です。あそこは江東の攻略及び孫家への防波堤、落としてはなりません」
「では、張遼に向かわせよう。やつなら問題あるまい」
「ただ、敵は大軍。故に現在、偽の報告を流し、孫権の足止めをしています。その隙に張遼将軍が守りを固めれば、問題はありません」
「早いな、お前は。そして、三つめは」
「周瑜です。劉備と手を組まれれば、江陵は落とされるでしょう。南郡が治まっていない今、江陵を維持するのは困難です」
しかし、江陵は要所であり、重要な拠点だ。落としたくはなかった。
ここを落とせば、周瑜や劉備は益州に手を伸ばすだろう。そうなれば何よりも厄介だ。
「とりあえず、頼れる将に守備をお任せください。しかし、固執してはなりません。何事も長い視野で、見定めてください」
「江陵は要所だが、今、絶対に必要な拠点でもない。ということか」
「はい、荊州の北部は抑えていますので、大勢はこちらが有利。更には孫劉の同盟は長く続きません。勿論、江陵を守れればそれに越したことはありませんが」
「曹仁と、徐晃に任せる」
「ならば安心です。それと、私もここに残ることをお許しください。これ以上の旅路は、どうも体が持ちません」
「華佗は……」
「華佗殿のおかげで、ここまで生き永らえました。いくら礼を言っても、足りません」
「そうか。そうか……」
曹操は、もう声を漏らしながら涙を流していた。
今は、この涙を見ているのは郭嘉のみ。
郭嘉も同じく、涙を流す。
「殿、実に、惜しい戦でした。本当に、惜しかった。されど依然として、天下の大半は殿の手にあります。急ぐことはありません」
「統一をこの目にすることは、無いのだな」
「それは天のみが知るところです。されど私は、殿が統一すると信じております」
☆
曹操のいなくなった、一人の空間。
郭嘉は血を吐きながら、不敵に笑っていた。
「涼州に、遼東……確信はない。だが、何者かの手は伸びていた。闇に紛れる様に、密かに」
この手を断ち切らなければ、きっと、近い将来大きな障害となる。
最後の、策だ。未来に残す、郭嘉の一手。
「あぁ、殿。どうか天下を、手になさってくだされ」
郭嘉は大量の血を吐き、そのまま、静かに倒れた。
次回は、再び士徽が劉備の前に引き出されます。
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それではまた次回。




