63話 膨らむ影
銅の鏡に映る自分は、髪を下ろし、慣れない化粧を施していた。
少しでも気を緩めれば頬が緩み、だらしなく気持ちの悪い顔が目の前に映ってしまう。
「しっかりしろ、俺……いや、私、か」
雷華は頬をペチペチと叩き、気合を入れる。
どうしてだろうか。昔からそうだが、今はもっとだ。
あの目つきの悪い、幼馴染の顔を頭に浮かべると、自然と頬が緩んでしまう。
数日前の不安に押し潰されそうだった日々が嘘だったかのように、今は幸せを感じていた。
劉備からの書簡が届き、自分ではどうしようもなく、不安に陥ることしかできなかった。
しかしシキは下を向くことなく、あちこちを歩き回り、自分の為に多くの人を説得して回っていたのだ。
それを聞いたとき、胸が熱くなり、この有様だ。
嬉しかった。もう、誤魔化すことは出来なかった。
「でも、アイツはどう思ってるんだろう……」
色んな群雄達の心中を推し量り、あの親父さんと色々悪だくみをしている奴だというのに、肝心の身近な友の性別にも、秘めた思いにも気づかない。
何というか、道のりが遠いことは分かる。思わず溜息を吐いた。
「おはよう、雷華……って、おぉぅふ。どうしたんだ、その格好」
「き、今日は外に出る用事もないしね。少しずつさ、お互いに慣れておこうよ」
「あぁ、なるほどな」
ギクシャクとぎこちない。それが何とも面白い。
女性慣れをしていないというか何というか。
そういえば今まで、女性と夜遊び的なことをやったとかいう話も聞いたことがない。
うん。そういった面での心配はいらないのかもしれないな。
「ほら、今日はお互いに用事もないしさ、久しぶりに一緒に遊ぼうよ! 色々、聞きたい話もあるしさ! あ、美味しい茶葉とかも最近仕入れててね!」
「あ、いや、すまん。本当に急用で、徐庶さんに呼び出されてるんだ。もしかしたら今日は帰りも遅くなるかもしれん」
「ふぇ?」
「蝉! 雷華を頼む! じゃあ、行ってくるから! 埋め合わせはまた今度な!」
元気よく蝉の返事が響き、シキは慌ただしく外へ出ていった。
ぽつりと残された、雷華が部屋に一人。
「あー! シキの馬鹿ぁああ! もう知らないんだからぁああ!!」
「ら、雷華の姉御!? どうしたんですかぃ!?」
☆
また、あの書物が溢れる雑多な一室に足を踏み入れる。
そこには徐庶が多くの報告書に囲まれながら、地形図を恐ろしい形相で睨みつけていた。
よほど集中しているのか僕の気配にもどうやら気づいていないみたいだ。
「徐庶様、雷豊が参上しました」
「ん? あぁ、お前か。急に呼んですまなかった。急ぎの報告が入ってな、お前の意見が聞きたくなった」
ちょいちょいと手招きされ、僕もまたその地図を覗き込む。
あちこちが墨で色々と書きこまれており、正直、なんて書いてあるかは分からない。
「まず朗報だが、涼州と遼東の動きが怪しい。曹操の下に、河北や許都からひっきりなしに伝令が飛んでいると聞く」
恐らく、親父が何か謀略を施したのだろう。
今の劉備や孫権陣営の劣勢を見て、曹操の懸念点を前に報告させていた。
袁煕とは繋がりがある。そこを辿れば動かすことも難しくはないはずだ。
「おめでとうございます」
「以前話した、殿を度々前線に出すという作戦も効果があったのか、曹操軍は持久戦でなく、決戦に動き始めた。そして、周瑜もそれを見て軍を前線に動かすとの話だ」
「ついに、動きますか。決戦の地はやはり」
「あぁ、烏林だ」
背後への対処よりも、前面の壁を破る。曹操らしい道の開き方だと言えるだろう。
ただ、これでこちらも戦える。あまりに細いが、それでも希望の糸を手繰り寄せる所まで来たのだ。
「では、夏口の軍も烏林の南岸へと?」
「そうすべきだと軍議でも話が進んでいる。周瑜からは、北岸の後方、湿地から離れた個所に待機し曹操の陸軍を牽制しろとの要請が来ている」
「周瑜は、自分の力だけで曹操を破る自信があるのでしょうか」
「無謀だとは思うが、諸葛亮が言うには、周瑜はそれが出来る才気があると。しかし、俺は一つの懸念がある」
「それは?」
「襄陽の軍だ。つまり、後方で待機している、曹操軍」
現在、曹操軍の二十万が満ちている江陵の後方。
荊州北部の要である襄陽。徐庶はここを指さして、苦く眉を歪める。
「どうしてもここが気になる。待機している軍は三万程だが、諸将の顔ぶれが、不自然なのだ」
「というと」
「于禁、張遼、楽進、朱霊など。いずれも曹操配下において第一線級の名将揃い。なのに何故、後方で船作りや木材の採集ばかりを。解せぬ」
「荊州の船は夏口に集まっているので、その不足を補おうとしているのでは?」
「それはそうだが、ならばなぜ于禁らにそれをやらせる。別の文官で事足りるであろう」
「言われてみれば、確かに」
「そして何より、郭嘉だ。病に伏していると言えど、奴が一人いるだけで襄陽の行動が一気に読めなくなる」
史実でも曹操は、こういった名将らを後方に留め、赤壁の前線では一族の将軍達を使っている。
天下統一の総仕上げだから、一族の勢力を強める為にこういう人事にしたと見ることも出来るだろう。
恐らく、今回もそれに似た考えかもしれない。
しかし、郭嘉が居る。
その一つの事実が、大きく徐庶の計算を狂わせる。
「どのような策を立てても、この後方が動けば、崩れかねない。決定打を加えることが出来ない」
「襄陽から夏口にも河が通じているので、直接攻められる可能性もあります。曹操との合流も防がないといけないので、ここは遮断すべきかと」
「……そうだな。いや、それでいこう。周瑜を信じなければ、どのみち負ける。ならば我が軍の主力を、襄陽への抑えに割くべきだ。烏林は、見せかけの軍だけを置く」
「出来るだけ、隠密に、ですね」
「そうだ」
曹操は、周瑜に任せる。
劉備軍は、襄陽の精鋭を警戒し、合流を断つ。
今打てる、博打ギリギリの最善策はこれだろう。
ただでさえ兵力に大きな差がある。
郭嘉の影が、大きく膨らんでいくのを感じた。
史実でもこの名将達、後ろで待機してるんですよね。
特に于禁なんて、曹操配下の中では最も実力のある将軍です。
やっぱり、天下統一の為の総仕上げとして、一族の人間を使いたかったんでしょうか?
うーむ、ここらへんは色んな人の話を聞いてみたいところ。
次回は、ついに動き出した両軍。
戦の前に、周瑜が自らの思いを魯粛に打ち明けます。
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誤字報告も本当に助かっています!
それではまた次回。




