58話 滅んだ血脈
どこで、気づかれた? いや、情報の秘匿は徹底していたはずだ。
しかも劉備陣営は、交州の情報をほとんど持っていなかった。それは麋竺さんを見ていれば分かる。
それなのに、どうして。
生唾を飲み込み、首を傾げて見せる。
「この、私の風貌についての話に御座いますか? 別にこれは仕事上の理由であり、生まれは雷家で御座います」
「いやいや、そうじゃない。別に誰もいないから隠すんじゃねぇよ。たかが商家の人間が、お前らみたいな顔になるわきゃねーだろ」
「……というと」
「人間ってのは、どう生きてきたかってのが顔に出るんだ。だから、相手がどんな人間か、それは顔を見りゃ分かる。生き方次第で、顔つきってのはいくらでも変わる」
当然だと言わんばかりに、劉備は呆れ顔でそう言う。
好き嫌いを別として、人材を見極めることに関して言えばきっと、この男は天下一だ。
どうやっても隠し通せない。そういった天性の勘というものをまざまざと見せつけられた。
「例えば雷豊、お前は商家の男にしちゃ目が座りすぎている。アレだな、曹操んとこの郭嘉、アイツに似てる。戦略、軍略、政治を肌身で感じてきてないと、その目の色にはならねぇ」
「確かに、目つきが悪いとは小さな頃からよく言われてますが……」
「目つきじゃない。目の色だ、色! んー、やっぱ分からねぇか。孔明にも適当言うなって毎回怒られるんだよなぁ。まぁ、似てるっつっても、お前は郭嘉ほど鋭くは無いがな。未熟だ」
「見当違いに御座います。私は、血を見るとすぐに倒れる気性。とても血なまぐさい環境になど」
「まぁ、そう言うしかねぇか。どんな事情があるにせよ、この劉備に嘘は通用しない。俺の軍に何か工作をしようってんなら、お前は殺してくれと泣き叫ぶことになる」
笑顔で、なんて脅しをかけるんだよ。
徐庶さんも含め、もう少しこう、穏健なタイプは居ないのだろうか。
「私は、私の守るものがあるだけです。その道の先に、ぶつかることもありましょう」
「良いね、嫌いじゃないぜ。今んとこはぶつかってないってことだな。じゃあそのまま泳がせといてやるよ。自由にしな」
「ありがとうございます」
「そうだなぁ……俺の配下になれ。そう言ったら、どうする?」
「私は、戦が苦手ですので。平穏な交州で、商人を続けさせていただきたく」
「ふっ、言ってみただけさ」
すると、出入り口の扉が開く。
入ってきたのは一人の軍人。身長は軍人にしては少し小柄である。
ただ、全身の筋肉の盛り上がり方は異様であり、そのせいか脇も閉じることが出来ないみたいだった。
「殿、お呼びでしょうか」
「あぁ、趙雲。少し近くに寄れ」
「ハッ」
僕らに一瞥もくれず、趙雲と呼ばれた小柄の豪傑は、劉備の側にピタリと付く。
彼が、五虎大将軍が一人。趙雲か。
まさに全身が肝っ玉と呼ばれるだけある、骨の髄まで「軍人」と言った風の男だった。
「まぁ、別に雷豊は今のところ、どうでもいいんだ。それよりも、後ろの、お前だ」
劉備は雷華を指さす。
「その顔を見て驚いた。その面影、俺が忘れるはずがねぇ。思わず、涙が出そうになったほどだ。おい、名は?」
「ら、雷華と申します」
「ふむぅ……いや、違うな。貴方の名は、雷華ではない。俺の記憶が正しければ、名は『公孫蘭』であるはずだ」
「……っ」
「殿、ま、まさか」
「趙雲。お前の方が長く兄貴の軍に居た。どうだ? 名残があるとは思わないか?」
目を白黒させる趙雲は、雷華に近づき、瞳を涙で揺らした。
そして再び劉備の方へ向き直る。
「蘭様との面識は御座いません。されど、その顔には確かに、公孫瓚様の、そして公孫越様の面影が」
「やはりな」
僕一人だけが、この状況を上手く呑み込めていない。
雷華の顔は暗く、沈んでいるように見える。こんな顔は未だかつて、見たことはない。
だからこそ、劉備の言葉に、強い真実味があった。
「り、劉備様」
「何だ」
「今日のところはこれで失礼させていただきたく。我が従弟は、気分が優れぬ様子」
「従弟? いや、女であろう」
「いえ、雷華は私の従弟に御座います。そのように、育ちました。そこを曲げることは出来ません」
「分かった、退出を許す。ただ、今夜、今回で少し言い足りなかったことを書簡に書き、それを届けよう。後日再び呼ぶ。それまでに、返事を考えていてくれ」
「承知いたしました」
「趙雲は、何度もすまないが張飛、関羽を呼べ。諸葛亮の報告を基に、軍議を開く」
「ハッ」
☆
屋敷に戻り、僕はそのまま雷華を問い詰めた。
言いたくないでは、済まされないところに来ている。
僕にだけはどうか、本当のことを教えてくれと、そう言った。
「私も、聞いた話でしかないの。自分でも、まだ信じ切れていないから」
雷華は、劉備の言っていた通り、本当の名を「公孫蘭」と言った。
幽州で強力な兵馬を率いていた猛将「公孫瓚」の、歴とした一族である。
父は、公孫瓚の従弟にあたる「公孫越」だとか。流石に、耳を疑った。
その昔、公孫越は同盟相手である袁術への使者として、現在の孫家が治める揚州へとやってきた。
しかし公孫越は客将として袁術の下で戦に出て、そのまま戦死。
その時はまだ記憶も曖昧なほどに小さかった雷華は、いや、公孫蘭は幽州で繋がりのあった商家である雷氏に預けられたのだ。
公孫瓚が滅んだ今、一族の人間はほとんど族滅され、自分を知る人間はいないと思っていたところ、劉備が見抜いてしまった。
「話に聞いただけだった。私はそれでも、お父さんの娘だって気持ちが強い。雷家の人間なんだって。公孫の一族とか、本当に、全く知らないのに、そんなこと言われても分からないよ……」
「そうか、ありがとう、話してくれて」
「……うん」
今まで誰にも明かしてこなかったことだ。
明かしてしまえば少なからず、公孫の血筋を担ぐ人間が出てきてしまう。
そして今、それが出てきてしまったと考えていい。
「なぁ、お前の意思を聞きたい。お前は公孫蘭なのか、雷華なのか、これから一生、どちらとして生きていきたい?」
「雷華、が良い。シキとの思い出がたくさん詰まった、雷華の名前のままで居たい」
「分かった。だったら僕も、今までどおりだ。これからも」
日が落ち、月が昇る。
劉備からの書簡が一つ、シキの手元に届いた。
──公孫蘭を、身請けしたい。側室として遇したい。
本人の意思に関わらず、時世の流れは大きくうねり、過ぎて行く。
今にも泣きだしそうなほど、不安に震える雷華を、大丈夫だと、胸の内に抱き寄せた。
次回は、舞台は交州に戻り、親父と魯陰についてのお話。
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それではまた次回。




