52話 葡萄酒
すっかり日も落ち、あちこちの篝火が夜道を照らしている。
こういう光景、結構好きなんだよね。
男の子ってやっぱり、キャンプファイヤーしかり、火を見るとワクワクしてしまう。
歩いて向かう先は、麋竺さんが居を構えている屋敷。
今宵、宴を開くからどうだと誘われ、こうして訪れた次第だ。
門番に剣を渡し、出迎えに来てくれる従者の案内のままに、僕は屋敷へと入っていく。
ささやかな宴とは聞いていたが、なかなか立派な食事や、管楽者達が並んでいる。
用意されている席は十数席と言ったところか。
促されるまま、僕は末席に腰を下ろす。
一番の上座に座るのは麋竺さん。その隣にも一人、男性が腰を下ろしている。
まるで武人のようにいかつく、逞しい体をしているが、身なりは文官というなんとも珍しい見た目だった。
「戦時といえど、緊張しっぱなしでは疲れるだろう。今宵は殿からの酒宴の許可も下りた。細やかながら、楽しんでいただきたい」
麋竺の和やかな挨拶から始まり、宴が開かれた。
並ぶ食事のうち、目を引くものが一つ。
透き通った紫色に染まった酒。皆も不思議な面持ちでそれを眺めている。
「麋竺殿、これは?」
あの大柄の男が首を傾げると、麋竺は微笑み、僕の方へ目を向ける。
「これは私から説明するより、彼より聞いた方がよろしいでしょう。雷豊殿、近くに来られよ」
「ハッ」
身をかがめ、速足で麋竺のそばに進む。
皆、僕の風貌にギョッとした目を向けていた。
「こちら、交州からの商人である雷豊殿です」
「雷豊と申します。こちらの酒は、交州から持って参りました『葡萄酒』に御座います」
「……葡萄酒? そういえば聞いたことがあるな。確か、はるか西方の国から持ち込まれるとかいう、果実酒であるとか」
「はい。交州は交易が盛んなので、希少ではありますが手に入るのです。本来ならば王侯といった身の上の御方にしか御売りしていない品に御座います」
「なんと」
周囲がざわざわと揺れだすのを見て、麋竺は楽しそうに笑った。
「希少故、今席にあるものが全てだ。後は皆、殿が持っていかれた。将軍達に振舞うのだそうだ。何とか私が無理を言って、殿から頂いてきた。まことに、文官の肩身が狭き事よ」
しかし、そう言いながらも麋竺は一つも嫌な顔をしない。
周囲の文官達も同じだ。皆が「あの殿だから仕方ない」と、まるで子供の悪戯を見るかのような笑顔である。
まだ、劉備を直接目にしたわけではない。
しかし、この座を見るだけで、劉備がどのような器なのかが分かるような気がした。
「これは旨い。果実の甘さの中に、酒の香りを感じる。殿が一人占めしたくなる気も分かるな」
大柄の男はそう言って、疲れの残る顔を綻ばせた。
「あぁ、申し遅れた。私は『徐庶』と申す。殿の下で軍師として仕える身だ」
「これは……そうとも知らず、品の宣伝をしてしまいました。申し訳ありません」
「はははっ! 面白いな、君は。そういえば、交州と言えば『士燮殿』の名をよく聞く。どういう人だ?」
「民は皆、大王様と呼んで慕っております。士燮様のおかげで、民は仕事を守り、平穏な生活を送れるのだと。戦火に怯えることなく、安心して眠ることが出来ます」
「戦火の無き世、か。それは、私が憧れて止まぬ世だ。まさに、英傑であるな、交州の領主殿は」
徐庶。瞳には常に、何か物憂げな思いを秘めた男である。
史実では、曹操に降った後はあまり表舞台に出てくることなく、平穏な暮らしを望んだという。
この戦乱の世に辟易とした思いを抱えている。そんな思いが透けて見えた気がした。
その後は宴も和やかに盛り上がり、あまり遅くにならないうちに解散となった。
ただ僕はそのまま、少し残っていてくれと麋竺さんに言われ、屋敷の別室にて白湯を啜っている。
ここは書室だろうか?
あまり広くはないが、書物が多く並んでいる。親父の部屋と違って隅々まで掃除も行き届いていた。
「待たせたな」
「これは、麋竺様、徐庶様」
入ってきたのは、今回の宴のもっとも上座に座っていた二人。
僕は慌ててその場で腰を折り、頭を下げる。
「ここでは他人の目はない、気にするな。それよりも貴殿に、相談があっての事だった」
正面に、いかつい顔の徐庶さんが座る。
そういえば相当な剣の使い手だとか聞いたことがあったな。確か。
「私に出来る事でしたら、なんなりと」
「武具を売ってはくれないか? それも、鉄製の、質の良いものを。金ならいくらでも出すつもりだ」
真剣な面持ちである。
ただ、これは困った。武具の販売は親父から禁止されている。
こういう戦争に直結するものを流せば、曹操や孫権にすぐにバレてしまうからだ。
「戦が、近いのですね」
「遅かれ早かれぶつかるのは確かだと思っている。我が殿が長年率いておられる私兵達は万全の装備があるが、荊州兵は調練も浅く、装備もまばら。兵力で勝てない今、その戦力差を少しでも埋める為には、より良い装備が必要なのだ」
「徐庶殿、斯様な軍事情報を、外部の者に……」
「分かってる。しかし麋竺殿、これは差し迫った問題なのだ。交州は鉱石の産地でもある、無理な話ではないはずだ……もはや、頼み事ではない。雷豊殿、これは命令だと思ってくれ」
徐庶は懐から短刀を抜き、床板にドスンと突き立てた。
殺される。今の彼に、躊躇などというものは感じられない。
僕は身を震わせ、頭を地に付ける。
「恐れながら、武具の取引は全て上を通すようにと定められています。即ち、士燮様の許可無くば、武具や鉄を御売りすることが出来ないのです」
「密かに入れよ」
「家が、潰れます。我が一存ではとても」
「ならば、死を選ぶか」
顔を上げる。
睨みつける徐庶の顔が眼前に迫っていた。
考えろ。何か、考えろ。
逆にここで徐庶に取り入れば、深い情報まで知ることが出来るかもしれない。
そうすれば親父の、謀略の助けとなる。
これは、いや、これが、交州と一族の命運をかけた「戦」だと思い定めろ。
「これよりこの雷豊、死の覚悟を持って、一介の商人なれど献策をさせていただきます」
「何?」
「我が言が、数百、数千の武具にも勝るものとなれば、それを買って頂きたく」
「面白い、聞かせてくれ。出来ねば、死だ」
深く突き立った短刀を挟み、滲む汗を拭った。
スイーツ大好き皇帝の「曹丕」さんを思い浮かべてしまうようなタイトルだなぁ、なんて思いました(ぇ
孫権に引き続き、またもや命を狙われるシキの運命や如何に。
次回へ続くッ!(笑)
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それではまた次回。




