44話 戦場の生き方
その報は、すぐに交州にも届いた。
孫権率いる江東の軍勢が、ついに長年の仇敵であった、黄祖を討った、と。
届けられる戦況報告は、孫権軍の鮮やかすぎる戦運びを知らせるものばかり。
黄祖配下の水軍都督「陳就」は、孫権軍の水軍先鋒であった「呂蒙」に斬られるという大敗北。
直接、黄祖が守っていた江夏城も、陸軍先鋒であった「淩統」の猛攻で、一瞬にして落ちた。
水陸で大敗を喫した黄祖は身一つで落ち延びたが、やがて追っ手に捕まり、その場で斬られたらしい。
黄祖と言えば、荊州軍閥の中でも最も実力の高い将であった。決して、弱い将ではなかった。
つまり、孫権軍があまりにも強かったのだ。孫策亡き今でも、烈火の如く江東を飲み込んだ精兵の命脈は、確実に引き継がれている。
劉表はその一報に恐れおののき、劉備の進言に従い、自分の長子である「劉琦」を「夏口」に派遣。
江夏郡を奪い返すことは諦め、放棄。夏口を固め、これ以上の進行を防ぐという策を取った。
孫権もまた黄祖を討つという名分を果たしたので、そのまま呉郡へと帰還し、鮮やかなまでの戦は終結する。
「曹操の動きは?」
「特に、戦に関する動きはありません。河北の平定も落ち着き、曹操は丞相の位に任命されました。ただ、荊州は大きく揺れています」
「大きく? 詳しく聞かせてくれ」
魯陰は報告書を一枚懐から取り出し、僕に差し出す。
それは、現在の荊州内部の対立抗争についての内容が記されていた。
「地元勢力と、外部勢力の対立の激化です。そしてこれは言わば、曹操に恭順するか、否かといった構図になっています」
外部勢力は言わば、曹操に追われて荊州に来たものが多い。劉備のように。
だからこそ曹操に従うのを良しとしない。それに、劉表の意思もどちらかと言えばそちらにあるらしい。
まぁ、劉表も朝廷から荊州に派遣された人間なだけに、自立の意志が強いのだろう。
ただ、今の天下の趨勢を見れば曹操の天下であるも同然。
孫権に土地を奪われるくらいなら、曹操に庇護を求めた方が良いとするのが地元勢力だ。
守るべきものがある勢力なだけに、不要で勝ち目の薄い戦を嫌うのは当然だろう。
「恐らく、曹操が積極的に工作を仕掛け、蔡瑁を援護しています。戦わずして利を得る、そういう段階なのでしょう」
「劉表はもう抑えきれないか」
「いよいよ病が篤い為、曹操の工作に気づいていてもそれに対処できる力はなく、いっそ劉備に軍事権を委ねようかと小言を漏らした、とまで」
軍を動かさず、謀略を徹底する。恐らく、いざという時の、劉備の逃げ道を消す為だ。
しかし劉備もそれが分かっているのか、政争に加わらず、徳の将軍を演じ、確たる地盤を形成しつつあった。
特に劉琦などは劉備を父のように慕っているらしく、これに関しては劉備の方が一枚上手と言ったところか。
それにしても、まだ進軍の準備もしていない、という曹操の動きも不気味だ。
これは恐らく、郭嘉を生かす方向に進んだせい、というのもあるだろう。
「分かった、ありがとう。引き続きよろしく」
「承知しました」
天下分け目の合戦は、果たして。
僕の予想もつかない所に、時代が流れて行っているような気がした。
☆
目の前には、少し不機嫌な親父。
僕は固い床の上で正座をさせられていた。足が痛い。
親父が言うのは、呉巨の件であった。
「結果としては良かった。だが、一歩間違えば死んでいた。呉巨ごときに命を張るな。あいつ一人で交州が保てるなら、差し出せばよかったのだ」
「しかし……」
「黙っとれい。おかげで歩隲に警戒されておるわ。全く、孫権の小僧め、憎い人事をする。はぁ……お前はこういうところが危うい。切れ味の鋭い剣を使うくせ、その切れ味の危うさをまるで分かっとらん」
「申し訳、ありません」
「若いから分からんだろうな。良いか? 正論だけで人は動かん。正論を振りかざすな。愚を演じよ。あの場で呉巨を助けたくば、みっともなく泣いておけばよかったのだ。それで斬られればそれまでよ」
この説教は、流石に身に染みた。
交州を保ってきた親父だからこそ、言える言葉だろう。
孫子にもある。自分の真意を明かさず、敵に悟られてはならない、と。
まさに「虚実」の心得である。敵を欺けば、こちらのペースで戦いを進めることが出来る。
戦いだけでない、外交、さらには対人においてもまさにそうだ。
「年端のいかぬ小僧が出過ぎた真似をして功績を上げたという話は、未だかつて聞いたことがない。とにかく、勉学に励み、経験を積むのだ。交州を担える人材となれ、お前にはその義務がある」
「承知しました」
「ふむ、そうじゃな……これも良い機会やもしれん。うんうん」
親父は何やら、名案だとでも言わんばかりに、何度も頷いている。
大体こういう時は、あまりいいことは起きない。それは知ってる。
「そういえば今度、劉備配下の麋竺の使者がここに来る」
「はい、兄上から聞きました」
「お前はそれについていき、劉備という男がどんな男か見てくると良い」
「……へ?」
「勿論、身分を偽ってだぞ。そうだな、あぁ、雷氏の商家は北方と繋がりを持ってる。麋竺も知ってるだろう。お前は雷氏の人間として、劉備に会ってこい」
「し、しかし今、荊州の情勢は極めて不安定で」
「知っとる。だからこそ行くんじゃないか。交州は平和であり過ぎた。戦を知らん。だからこそ、戦場で生き抜いてきたあの男に会う、それに大きな意味がある」
「えぇ……」
えぇ……?
平和に慣れた小僧が、乱世の申し子たる英傑に会いに行く。
そんな妖怪の突拍子のない提案に、シキはただ戸惑うばかり。
はてさて、この出会いが天下にどう関わっていくのか。
では次回は、お世話になる雷氏との会話、及び妖怪の企みについてです。
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それではまた次回。




