41話 多き悩み
「どうだ? 魯陰。シカンとシキョウ従兄から何か、変わった様子などは聞いているか?」
魯陰は、首を振った。
息を吐き、地図に目を落とす。
少しずつだが、やはり歴史が変わり始めている。
孫権はついに、黄祖打倒の為に兵を挙げた。
史実通りであれば、この戦で黄祖は討たれる。そして、劉琦が黄祖の後任に就き、実質、荊州の跡継ぎは劉琮になるはずだ。
あと少しで劉表は没し、時を同じくして、曹操は自ら荊州攻略の兵を率いるはず。
「しかし……曹操に、兵を挙げる気配がない。やはり北方の袁煕が気がかりになってるんだろうな。そうなると、赤壁は、どうなる?」
曹操は河北を平定した後、すぐに荊州攻略を行うはずであった。
しかし、動かない。袁煕への抑えには、夏侯惇を残しているとか。
連戦の疲れを癒すように。今まで戦い続けてきた覇王が、不気味に腰を据えている。
「聞けば、重用している軍師の郭嘉が病であり、それを深く案じていると」
確かに、曹操は郭嘉を重用している。
河北平定の最中に倒れた郭嘉の墓前で、曹操が嘆き悲しんだという逸話は有名だ。
「いや、いくら重用していようと天下統一を目前に、一人の臣下の為に時勢を見誤る男じゃないはずだ」
このまま膠着してくれれば、赤壁を経る間もなく天下の情勢に動きは無くなる。
そうなれば、交州としては嬉しい。士家一族の価値をまだまだ活かすことが出来るからだ。
「時間がかかるなら……その間に、異民族の懐柔、孫家の名士との交流、朝廷との関係強化、色々と出来ることは増える」
「シキ様は、他の群雄と同じように、天下を、治めるおつもりで?」
「ん?」
魯陰が僕を見つめるその瞳は、いつものように感情が読めない。
でも、まぁ、いっか。だからこそこうして、色んな相談が出来るんだから。
「まさか。僕は、人の血を見ることが出来ない。この中華の片隅で、何とか一族を守っていく方法を、暗中模索するだけさ」
「すいません。おかしなことをお聞きしました」
「ただ、天下を統一するよりも、交州と一族を守り続ける事の方が案外難しいかもね。親父は、本当に凄い人だよ」
☆
慌ただしく、シキン兄上と親父を見送ったシシ兄上。
これからシシ兄は、交州を治める中心の郡「南海郡」を治めることとなる。
というのになぜか、今、シシ兄はこの交趾郡へと訪れていた。
「急にどうなされたのですか?」
湯気の立つお茶を入れ、シシ兄の前に差し出す。
兄上は、その丸々とした顔を綻ばせ、ゆっくりと啜った。
「いや、なに。父上には言っておいたのだが、お前にも伝えておこうと思ってな。というのも、近いうちにとある客人が来る」
「客人? 確かに、聞いてない話ですが」
聞いていない、というよりは、貿易に関する商家の客人なら毎日のようにひっきりなしに訪れる。
だからこうして意識することもないんだけど、兄上が直々に口に出すということは、商家、というわけでもなさそうだ。
「話すと少し回りくどいのだが、とにかく、来るのは徐州の麋家、といえば分かるか?」
「……まさか、あの、麋竺ですか?」
「そうだ。そこの一族の手の者が来る」
徐州で莫大な資産を持っていたとされる豪族「麋」氏。現在の当主「麋竺」。
何を隠そう、あの劉備の第一の配下として有名だ。文官筆頭と言っていい。
劉備が徐州を陶謙から継いだのも、この豪族の後押しが大きかったとされる。
それに、劉備が曹操や呂布に追われた時も資財を投げ売って助け、彼の協力がなければ劉備は今頃、山賊に成り果てるしかなかっただろう。
何故、この劉備配下第一の使いが、交州に訪れるのか。
少し話すと複雑になるが、劉備はもともと、荊州において曹操との決戦に敗れた際、交州の呉巨の下へ身を寄せようと考えていた。
しかし今、呉巨は親父に降伏。その地盤を失った。
だからこそ、万が一の為に誼を通じておこうと、使いの者を送ってきた、という流れらしい。
「親父は、使者を出迎えるくらいなら別に構わないと言ってた。ただ、その真意が俺には読めん。あまり、好ましく思ってはいないのだろうか?」
「まぁ、今この交州は、曹操と孫権に従属している形です。劉備といえば、曹操の最も憎む相手であり、劉表の勢力下の将なので、孫権にも睨まれるでしょう。それを危惧してるんじゃないかな、と」
「なるほど、それなら合点がいった。では、追い返した方が良いか?」
「いや、従属したとはいえ自治権は親父にあるから、そこまで気を使う必要もないでしょう。多少の交流ならば大丈夫、しかし、受け入れとなると話は別、と考えてると思いますよ」
「度々、この交州が天下の辺境で、小さな勢力に過ぎないのだと、忘れそうになる。財だけでなく、兵も人も土地も合わせ、勢力か」
胸のつかえがとれたように、兄上は笑う。
シカン兄上が居ない今、交州の代表は今やこの人だ。
まだまだ、僕らは長兄の様なバランス感覚は持ち合わせていない。悩むことも、多い。
「そういえばシキ、最近はあの商家のヤツと一緒に居ないんだな」
「あぁ、雷華ですか。度々来てはくれますが、生憎、僕が忙しいので、以前の様には会えていませんね」
「しかし不思議だよな、あの家には別に美形の人間はいない。ヤツだけがあまりにも美形すぎる。養子なのか? 聞いてはないのか?」
「いや、そういう話は、とくに」
「そうか、少し興味があるな。あの人相だと、どこかの高貴な令嬢に違いないのだが」
兄上はそういって、重い腰を上げた。
すでに器の茶は飲み干しているようだ。
「馳走になった。じゃあ、俺はこれで」
「お気をつけて」
……あれ?
なにか、さっき、兄上、結構重要なこと言ってなかったか?
雷華が、令嬢?
「聞き間違いかな?」
実際、赤壁で劉備が負けて曹操に追われて交州に入っていたら、どうなってたんでしょう。
まぁ、呉巨の客とはいえ、士家に十中八九捕らえられて曹操に送られてたでしょうね。
士家もそれで、曹操に恩を売ることできますし(笑)
次回は、ついに歩隲と陸績が交州に赴任。
史実では呉巨は歩隲に斬られているが、はたして、どうなることやら。
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それではまた次回。




