40話 稀代の謀略家
交州のシショウ政権は、争いを起こすことなく、謀略によって蒼梧郡と鬱林郡を手に入れた。
その手並みは孫権でも唸るほどの鮮やかさであり、損というものが全くない、そういう謀略であった。
証拠はないが、蔡瑁と呉巨らの確執はシショウが煽ったものだろう。
その推測に至ったのも、つい先日、張昭と言葉を交わしている時の事である。
孫権は今日も文武百官の前に姿を現し、上座に腰を下ろす。
隣に侍るのは、いつものように、文官の長「張昭」である。
軍人を隣に置かないのは、議会の場では武官より文官の意見を重んじる、そういった意味を暗に伝える為だった。
「先日、周瑜が山越の賊を下し、千余りの捕虜を得た。程普よ、今の我が軍の士気はどれほどだ」
武官のもっとも上座に腰を据えるのは、父以来の宿将「程普」である。
軍人としての位は周瑜よりも上で、周瑜が前線指揮官だとすれば、程普は全軍の長であった。
老いてなお盛んな闘志を胸に秘める猛将であり、張昭と同じく、父のように慕っていた。
「申し上げます。孫家の兵は皆、天を貫かんばかりに士気を上げ、黄祖の首を取らんと燃えております」
「勝てるか?」
「勿論。今度こそ、必ず首級を上げることが叶いましょう」
「分かった。周瑜からも同じ進言が届いている。ならば、いましばらく待て。兵の士気を抑え、静かに、凛として戦に備えよ。時機を見て私自身で進軍を命じる。それを待て」
「御意」
「魯粛!」
「ハッ」
「お前は前線へ向かい、周瑜の指揮下に入れ。曹操の動向も見極めろ。お前の言で進軍の時期を測る」
「承知しました」
皆、仇敵である黄祖を討つことに燃えている。
いつもは戦時を嫌がる文官ですら、血が滾っていた。
これならば成功するだろう。孫権は確信に近い思いを抱き、息を吐く。
思考が切り替わる。次の議題だ。
「交州の報告を聞いているな? シショウが二郡を取り、約束通りこちらへと献上した。まだ、あの政権を心から信用したわけではない。その為、その二郡に抑えを置きたい」
一同が一瞬、視線を下におろす。
まぁ、それはそうだろう。交州は平和といえ、辺境だ。
異民族が入り交ざり、独特の文化を形成する、いわば異国にも近い。
「歩隲!」
「ここに」
歩み出たのは、武官の中でも末の方に並んでいた将であった。
体は細く、長い。しかしその体から放つ重厚な威圧は、まさしく武官に相応しいといえるだろう。
戦乱から逃れて江東へ移り住み、貧しい家の為、瓜を売った僅かな金で生計を立てていた過去を持つ。
しかしその苦境にめげることなく、夜は勉学に励み、一角の人間としての才覚を現し始めた。
その後、孫権に見いだされ、山越族の討伐や統治を任され結果を出してきた男である。
「お前を、交州刺史に任じる。蒼梧郡に赴き、交州を治めよ。シショウが刺史の印綬を渡さなければ、有無を言わさず斬り捨てよ」
「承知しました」
周囲がどよめく。抜擢といっていい。
しかし、この男なら可能だろう。誰もがそう思ったのか、異論は一つも出なかった。
「あとは、鬱林郡、か……」
交州の中でも最も辺境だと言っていい。土地のほとんどが山岳であり、領民のほとんどが少数部族。
あのシショウも、呉巨も、半ば統治を放棄していた土地だ。
「陸績、前に」
鋭く、輝くような才気を放つ、青年が前に進み出る。
杖をついているからか、どこかその足取りは重い。
「鬱林の太守に加えて、偏将軍に任じる。歩隲を補佐せよ」
「恐れながら、私は文官です。兵を率いたことなどありません。私にはその任は重いと考えます」
「分かっている。別に戦場に出ろというわけではない。治めよ、といっている」
陸績は救いの目を張昭に向けるが、張昭は苦く眉を歪め、首を振る。
役職だけ見れば大きな昇進だが、言ってみれば体の良い左遷であった。
それも、孫権の皮肉が存分に込められた。
名門「陸」氏の本拠である呉郡から離れ、学者であり文官である自分に兵を率いろと言う。
加えて歩隲という成り上がりの武官の下に付けと。そこまでして自分が憎いのか。
震える拳を必死に抑え、陸績は絞り出すように「承知しました」と答えた。
「報告! 交州より、シショウ殿、シキン殿がお見えになられました!」
「わかった。ここに通せ」
「はっ!」
伝令兵と共に、将軍府へと足を踏み入れるのは、背の低い老人だった。
その後ろに、彼の長子であるシキンが並ぶ。
「シショウ、並びに我が長子であるシキンが、孫権将軍へ拝謁いたします」
孫権は椅子を立ち上がり、自らの手でシショウの体を起こす。
「貴殿を待っていた。先日の届けられた、兵糧、財宝、そして何よりも駿馬の数々。私はいたく感動した。貴殿を陣営に招けたことは、孫家の何よりの誉れだ」
「勿体なきお言葉。駿馬は、南蛮の地方から密かに取り寄せました」
「ほぅ、南海貿易だけでなく、西南にも貿易の道を持つのか。流石だな。あぁ、そうだ、此度新たに交州刺史に任じた歩隲だ、お見知りおきを」
長身の武人は、浅く礼をする。
シショウはにこやかに笑い、歩隲の目の前で地に膝をつき頭を下げて見せる。
「歩隲殿、これより交州を御頼み申す」
何の惜しげもなく手渡されたのは、交州刺史の印綬である。
これには群臣も、歩隲も、孫権でさえ驚き、誰もすぐには言葉を出せないでいた。
ただ、にこやかにシショウと、シキンが微笑むのみ。
「い、いや、これはめでたい! シショウ殿、これより我らが孫家をどうか支えてくだされ! 酒宴を開くぞ! 皆、用意せよ!」
孫権はシショウの手を取り、大げさに歓迎の意を示す。
握手を交わした、稀代の謀略家である二人の手のひらは、ひどく乾ききっていた。
始まりました、第三章。
黄祖の討伐から、この章はスタートします。
そして、孫権と士燮。怪しきこの二人がついに、相対しましたね。
さてさて、この面会が交州にどのように働きかけるのか。
次回は、変わりつつある歴史に、シキが頭を悩ませます。
あと、他の事にも少し、頭を悩ませます。うーん、ヒロインの予感?(笑)
明日から再び、一日一話更新となります!
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それではまた次回。




