38話 天下のうねり
それから、数日の出来事であった。
蒼梧郡に赴任していた、呉巨、頼恭の二名は、シショウ政権へ降った。
領地に居る複数名の豪族の嘆願によって腰を上げた形だが、これも、非公式に訪れたシキの説得が功を奏したのは明らかであった。
武装を解き、多数の兵と従者を連れたまま、呉巨と頼恭は南海郡へ出仕。
事前にその報を聞いていた士燮は、着の身のまま、苦手な馬に跨ってまで南海郡へ向かったという話は広く伝わった。
「我ら一同、蒼梧郡、鬱林郡をシショウ様へ差し出し、降伏いたします」
「何をおっしゃられる、将軍、それに頼恭殿も、どうかお立ち下され。この老骨に、どうかお二人のお力をお貸しいただきたいと、こちらが希うほどです」
シショウはその顔のしわを歪め、涙を流しながら二人の手を取る。
すると周囲の兵士や民も含め、大いに歓声を上げ、一晩中のお祭り騒ぎであったという。
「呉巨殿、頼恭殿、申し訳ないのじゃが、鬱林郡と蒼梧郡は孫家へと引き渡すことになる」
「えぇ、存じております」
「本来ならば一郡をお任せしたいところなのじゃが、既に先任がある状態でそれも難しい。されど要地や要職をお任せしたいとは思っておる。まぁ、その任が決定するまで、この交州をごゆるりと楽しまれよ。十分にお持て成し致しますぞ」
「本来ならば捕虜として然るべき我らに斯様な待遇を、ただただそのご好意を裏切らぬようにと、恐縮するばかり」
呉巨は貼り付けたような笑顔を浮かべ、シショウは涙を拭いながら何度も頭を下げた。
心から感動の涙を流していたのは、この場では頼恭のみであっただろう。
☆
北方の冷え込んだ気候と、吹きすさぶ北風が肌を鋭く突きさす。
曹操はその小さな体に何重もの衣を羽織りながら、一人、河北平定の図を脳内に描いていた。
頭痛が激しい。眉をしかめる。
現在、とある人物の蜂起により、河北どころか西方の「関中」まで巻き込んだ大規模な反乱が起きている。
それが、頭痛のタネである。
「やはり動いたか。しかし、嫌な時に、周到に動くものよ。流石ともいうべきか」
余裕の笑みを浮かべながらも、実際の曹操軍は窮地であるともいえる。
その蜂起した人物は「高幹」。河北四州の一つ、并州を治めていた男で、袁紹の甥でもある。
一時は曹操に降った男であったが、今、追い詰めた「袁尚」の討伐を起こそうとした瞬間、曹操軍の後方で大規模な反旗を翻したのだ。
今でもはっきりと思い出せる。
あの野心に溢れた、不敵な鋭い瞳を。
一応後方には厚い備えを残しておいたが、高幹は予想以上の規模での反乱を起こした。
今は多方面に将軍を派遣しており、これ以上割ける余力は残っていない。
「失礼いたします」
「おぉ、郭嘉よ。良いところに来た」
冷えた目をした、まるで鋭すぎる刃を思わせる風貌。
荀彧に次ぐ軍師として、曹操の厚い信望を得ている男である。
戦の先々のみならず、天下の情勢まで見えているその瞳は、まるで天高く飛ぶ鷹のようだと曹操は思っていた。
「殿、やはり高幹の件ですか」
「そうだ。どうも困っていてな。今や四方を敵に囲まれておる。北方は袁尚と烏桓族が、西方は高幹と関中軍閥が、東方は徐州の者達や黄巾残党が、南方は劉備が。敵が多すぎる」
「どこか一つを突き崩せれば余力は出来ますが、敵にしてみればどこか一つを崩せばこちらの軍を瓦解できます」
「頭が痛くてたまらん」
「一番厄介なのは?」
「劉備だ」
忌々し気に、そう吐き捨てる。
官渡の戦いの時もそうだった。こちらの後方を散々にかき回し、兵を向ければ逃げた。
思い返すだけで腸が煮えくり返るような思いがした。
「では、これより殿の頭痛のタネを取り除いて見せましょう」
「何?」
「まず、その劉備ですが、動きません。絶対にです」
「ほう」
「蔡瑁はこちらに通じており、彼が断固反対すれば劉表が許可を出しません。それに劉表も重篤、劉備は中々荊州を離れることは出来ません」
「そうか、蔡瑁を動かすか。よし、荀彧に早速命を出そう」
「そして徐州の蜂起は、劉備の帰還を願う蜂起です。劉備が動かないと分かれば、それほど大きな動きにはなりません。于禁将軍に任せましょう」
「なるほど。では、次」
「青州の黄巾残党は、泰山太守の呂虔殿に。あの地の守備兵は精兵です。十分に対応可能かと」
「分かった、すぐに命じよう。次」
「高幹はそのまま、楽進将軍、李典将軍に引き続き抑えを任せ、耐えてもらいます。関中軍閥は、伝手の多い長安の鍾ヨウ殿に任せましょう」
「そして、袁尚か」
「はい、ここは我々の本軍で迅速に潰し、幽州を平定します。北方を破れば、全方位に援軍を向けることが可能。そしてそれは難しくないでしょう」
曹操はひとつ、ふたつ頷き、大きく伸びをした。
その顔つきはいくらかすっきりしており、晴れやかなものである。
「袁尚は難しくないのか。幽州は袁煕の土地だ。攻略に難儀すると思っていたが」
「その袁煕ですが、袁尚と行動を共にせず、後方へと退きました。何か仲違いがあったのか、よく分かりませんが、こうなれば袁尚は敵にあらず。袁煕は遼東の公孫康の下へ身を寄せて、こちらに恭順の意を見せています」
「……どういうことだ? 親の仇を、自分の妻を奪った相手を前にして、それほどの腰抜けなのか? 何か、臭うな」
「ただ、幽州を放棄し、遼東にまで後退してしまえば、独力での反乱は意味を成しません。行動に、敵意が見えないのが現状です」
「そうか、ならばすぐに袁尚を殺せ。そして高幹を討つ……劉備が、動かぬうちに」
今立てた算段も、結局は劉備が動けば全て崩壊する。
どうにかして蔡瑁に抑え込んでもらう他はない。
「片付き次第、すぐに南方を、いや、劉備を討たなければ」
天下が再び、大きくうねりだした。
今回は「曹操包囲網」に関するお話でした。
この時に劉備を動かせていれば、劉表にも天下取りの好機が巡ってきてたんじゃないかなぁ、なんて思いますね。
まぁ、そもそも劉表自身がそういった野心を持っていなかった、という話もありますし、劉備の増長を恐れたのかも、なんて。
うーむ、ただ、どうなんでしょう。劉備を恐れていたのか、信頼していたのか。
このどっちつかずな感じも、まさしく晩年の劉表らしいといえば、劉表らしい考えではありますが。
さて次回は、交州に降伏した呉巨と頼恭の処置についてのお話。
そろそろ第二章も佳境です。引き続きお付き合いの程、よろしくお願いします!
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皆様の応援が作者の活力です! もう少しで十万字を突破! 頑張るぞい!(ぁ
それではまた次回。




