36話 退屈な劉
頬に少し肉を蓄えた大柄の武人は、城壁に腰掛け、くぁと大欠伸をかます。
荒野では自分の軍が激しくぶつかり合い、調練にもかかわらず、ちらほらと死人も出ているみたいだ。
「殿、調練で死人が出ております。戦ではなく、調練で死んでしまう兵が浮かばれません」
「まぁまぁ、軍師殿。あれがウチの調練なんだ。ここで死ぬ奴は、実戦では仲間の足を引っ張りながら死ぬ。それを避ける為の調練だ」
「はぁ……実戦に関しては、とやかく言うなと、そういうことですね。承知しましたよ」
「いやぁ、物分かりが良い軍師で助かる」
痛快なほどに、口を開けてケタケタと笑うのは、この戦乱で一気に天へ駆けあがった英雄「劉備」である。
彼の隣に立つのもまた大柄の武人ではあるが、格好は文官。名を「徐庶」といった。
城壁の下。騎兵と歩兵の混合の部隊が二つに分かれ、実戦さながらの動きを繰り返す。
ぶつかり、突き抜け、削り、揉み上げる。
どちらの部隊も恐ろしいほどの練度であり、何よりも先頭を駆ける武将が一際目立っている。
片方を指揮するのは「張飛」、もう片方は「趙雲」が指揮をしている。
優勢なのは、張飛であった。
最初のぶつかり合いで敵陣を大きく押し込み、一気に揉み上げて擦り潰す。
しかし趙雲は、ギリギリのところでその突撃をいなしながら、張飛の隙を見て、別動隊で痛撃を食らわせていた。
「どうだ、軍師殿」
「張飛殿の威圧は凄まじいですが、策を扱う身として、趙雲殿の様な正確無比の用兵が私は好みです」
「はははっ! 確かに俺や張飛は、策など無視して、好機を見れば一瞬で喰らいついてしまうからな」
劉備はその重たい腰を上げ、近くに立てていた一対の剣を腰に下げる。
今まさに調練は終わったようで、張飛の怒鳴り声がここまで響いてきた。
「張飛には損な役回りをさせてるよ。でも、これも兵を殺さない為の訓練だ。ほんとは優しいやつだからこそ、あの役を任せてる」
「殿が一言、兵達の前で張飛殿を叱ってくだされ」
「分かってるさ。俺は『徳の将軍』だもんな?」
城壁を下りて、劉備は首を鳴らす。
その鈍い音を聞きながら、後ろを歩く徐庶は、劉備に声をかける。
「現在、南方に不穏な動きがあります。蔡瑁と呉巨殿、頼恭殿が対立していると」
「蔡瑁は馬鹿なんか? 内輪揉めしてどーする。目の前に孫権の軍が迫ってるというのに。このままだと、今度こそ黄祖は討たれるぞ?」
「あの派閥は、自分の領地と一族を守ることが第一ですので」
「それで、何を揉めてるんだ?」
「蔡瑁は南方から兵を引き抜きたいと、しかし二人はそれを拒否。挙句に蔡瑁の使者が殺されるなど、対立は深刻です。これには劉表様も怒り心頭で」
「あのさぁ、呉巨は良く知ってるけどさ、デカい図体のくせして小狡い男だぞ? あの小悪党が感情のままに使者を殺すかね? どうも臭うなぁ」
「頼恭殿から、劉表様への執り成しをしてほしいと書状も来ておりますが。どうしますか?」
「軍師殿は、どう考える?」
「確かに裏で何か動いている気はしますが、基本、南方は放っておいても良いでしょう。そもそも交州への侵攻は現時点で不可能です。一応、仲介をしたという形をとって、交州から引き揚げてもこちらの傘下として安全は保障する、とするのが無難でしょうな」
「下手に動けば、蔡瑁にまたとやかく言われる、ということか」
「はい。劉備様はあくまで『徳の将軍』としての仮面を持ったまま、民の心を掴むことに専念しましょう。汚い政争は、伊籍殿にお任せを」
「やれやれ。早く曹操が攻めてこないかなー。退屈だぜ俺は。今度こそ勝てる気がするんだけどなぁ」
☆
劉備からの返書を受け、大きく肥った体の武人は、苛立たし気に頭を掻く。
対面するのは、極めて温厚そうな顔立ちの文官。しかしその凛とした佇まいは、彼の意志の強さを感じさせる。
「あの劉備め……肝心なとこで役に立たん!」
武人の「呉巨」は、書状を投げ捨てた。
書いてあった返事は、何とか劉表を説得して理解は得られたが、結局、蔡瑁の指示を中断させるまでには至らなかった、と。
それでも、一度直接申し開きをすれば許してもらえるから、一度こっちへ来られよ、という内容。
これには文官の「頼恭」も落胆の色を隠せない。
「すでに荊州では、交州は捨ておいた方が良い、という結論の様ですな」
「ここを捨てろというのか? そして荊州へ戻れと? 貴殿は名士としての地盤があるから気楽でいられるが、俺はやっと手にした領土だ。捨てるわけにはいかん!」
「呉巨殿、私とて同じです。荊州に戻ったとして、危険な立場なのは同じ。共に蔡瑁に睨まれてるのですから」
「クソッ! 小賢しい鼠め、自作自演で我らを陥れおって。劉表様も、どうして分ってくれないのだ」
「今は現実に向き合いましょう。今、我らだけで、荊州兵に抗えるか。背後を士家に突かれないか。孫家が漁夫の利を狙ってこないか」
そう言って、沈黙の空気が流れる。
どう考えてもすべてに対処できるわけがない。
劉備が頼りない今、荊州に戻っても、何らかの理由を付けられて処罰されるだろう。
「伝令です」
「今度は何だ?」
苛立ちながら、呉巨は兵を招く。
伝令兵は少し戸惑った様子のまま、頭を下げる。
「それが、その……士家の使者が来られております。使者は、シショウが三男、シキ」
「なんだと?」
呉巨は不思議そうに首を傾げながら、丁重に、賓客として迎えよと指示を下した。
まぁ、交州なんて天下の情勢にはあまり関係ないですからね。
劉備は、曹操戦、及び蔡瑁との政争に忙しく、荊州としても敵は孫家です。
史実では呉巨も、荊州からの影響力の低さを良いことに勝手に独立してますし。
すぐに歩隲将軍に斬られちゃいますが(
次回は、呉巨、頼恭へシキが交渉を持ち掛けます。
だんだんと親父に似てきたなコイツ、みたいな。
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それではまた次回。




