29話 覇王と妖怪
荀彧との交渉もひと段落が付き、互いに同じタイミングで息を吐く。
ひとまず、良いところに決着がついたといっていい。
交州と曹操政権が、直接的な対立関係になることはほぼありえない。
それはお互いに分かっていたことで、あとはどう協力していくか、そこが重要である。
曹操政権の当面の敵は、袁家の残存勢力、次いで劉表、孫権と言ったところだろう。
そして、交州に迫りつつある脅威は、孫権との折り合いである。
荀彧としては、これから先の戦になるであろう、劉表、孫権の力を削ぐ為に、交州を離しておきたい。
交州としては、豊富な経済力を武器に、直接、政権の主から自治を認める言質を取りたい。
互いの思惑を理解したうえで、決着を置いた形だ。
「最終的な判断は、殿に決めていただきますが、まぁ、概ねこれで良いでしょう。さて、と」
荀彧は膝を叩き、腰を上げる。
「先生、まだ荷解きも終わってない中、何かと不便でしょう。我が屋敷でささやかながら、宴をご用意しています。もしよろしければ如何でしょう?」
「ほぅ、よろしいのですかな?」
生来の遊び人気質である、シショウの目が子供のように輝く。
中華の都の、それも政権随一の実力を持つ男の屋敷で、宴。
心が躍らない訳がない。
「しかし、我が甥のシキョウが今、不在でしてなぁ。後学の為に少し、都を見学させておるのですが」
「では、私から使いを出しておきましょう。さすれば間もなく、屋敷へとお迎えできますよ」
「それは、何から何までお心遣い痛み入る。それでは、お言葉に甘えて」
曹操は今、河北に居て帰りがいつになるかも分からない。
長い滞在になるかもしれないのだ。だとすれば、荀彧と仲を深めておくのも重要だ。
とかなんとか自分に言い訳をしながら、老人に思えぬ弾んだ足取りで、荀彧の後についていく。
そして、促されるがまま、馬車に乗り込む。
馬はどうも苦手だが、この際は仕方ないだろう。
そうしてふと乗り込んだ馬車。違和感があった。
本能が何故か、ここは危険だと激しく訴えかけてくる。
しかし、おかしなところはない。荀彧は、前の別の馬車に乗り込む。
この不安は何だろうか。馬車はゆっくりと前に進み始める。
「貴殿が、交州の妖怪、士燮殿か。なるほど、老獪な顔をしておられる」
手綱を握る御者が、こちらを振り向いた。
小柄で髭が濃い。しかしその肌はよく日に焼けて、軍人の肌そのものであった。
「俺が、曹操だ」
呼吸をすることすら忘れ、シショウはたまらず、体をへし折るように頭を下げた。
☆
「別に気にするな。今の俺は、河北に居ることになってる」
「何故、ここに」
「決まってるではないか。貴殿に会う為だ」
曹操は気丈に笑い、馬を進ませていた。
天下を手にかける男に、馬を御させている。
シショウはまともに前を向くことが出来ず、嫌な汗が顔中に滲むのを感じた。
「しかし袁譚は流石、あの袁紹の長子である、といった男であった。戦の呼吸を知る、まさに君主の器だろう。ヤツに家督が渡っていれば、俺も危なかった」
「佞臣に耳を傾け、強情な性格であったと、聞き及んでおります」
「強情さは人の上に立つ上で必要な要素だ。佞臣が誰を指すかは知らんが、荒れに荒れていた青州をまとめた手腕は非凡だ。南皮で一度、我が軍を破るほどに」
「なんと」
「しかし、勝った。首も取った。ひと段落着いたところで、貴殿に会いに来た」
何と答えるべきか。シショウはただただ、深く頭を下げる。
「そういえば貴殿にも、息子が多くいたな。皆、優秀であると聞くが」
「一長一短です。それぞれが補い合ってくれれば、嬉しいのですが」
「俺も子が多い。やはり親というものは、皆、似たような悩みを抱えるものだな。袁紹がはっきりと後継を定めきれなかった、その思いも何となくだが分かってしまう」
「曹操様でも、悩みまするか」
「あぁ、悩む。俺は後継と思い定めていた長子を、失っているからな」
悲しげな声であった。
宛城の戦いにて、曹操は自らの過ちにより、長子の曹昂を亡くしている。
そしてそれがきっかけで、正妻であった「丁夫人」から離縁を叩きつけられてもいた。
「未だに、思い出すだけで胸が張り裂けそうだ。この傷はきっと、一生癒えることはない。士燮殿よ、子は大切になされよ。乱世と言えど、子は宝だ」
「左様ですな。交州は戦火に遠き地なれど、身を守る為にやるべきことは多い。その為にも、我が身を粉にするつもりです」
「交州の妖怪も、身を粉にするのか」
「えぇ、老い先短き命ですが、今まで怠けていたツケがどうやら、今頃になって押し寄せているようです」
再び、曹操は笑う。今度はシショウも笑った。
そうだ、今は非公式の会話。ここではただの親バカ二人が、会話をしてるだけに過ぎない。
「また再び、こうして共に馬車に乗る日が来ると良いな。共に、漢に仕える臣下として」
「有難きお言葉。私も、その日が来ることを楽しみに待ちましょう」
覇王と、妖怪。共に乱世を生きる二人は、怪しく微笑んだ。
曹操って優秀な軍事面や、戦い続けた生涯なんかの、為政者的な面に目を向けられがちですが、自分が好きな曹操像って、こういう情に厚いところなんですよね。
特に、離縁を叩きつけられた丁夫人のもとに直接訪れて「もう一度考え直してはくれないか?」とまで言ってるのなんて、滅茶苦茶にグッときます。
城や戦場にさっさと妻子を置いて逃げまくる劉備も、あれもあれで好きですよ(笑)
とことんライバル関係的な立ち位置にあるよなぁ、この二人。三国志面白いなぁ。
さて、次回は士家の四兄弟が集まって、今後について話し合います。
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それではまた次回。




