23話 李術の乱 後編
一体、どこで間違えたのか。
常に頭の中はそればかりで、言いようのない怒りだけが体の中で煮え滾る。
孫権なんぞ、まだ、子供も同然だろう。ろくに戦場を知らぬ赤子だ。
江東の猛虎であった「孫堅」、小覇王とまで呼ばれた天才「孫策」。
あの二人の姿を、俺は良く知っている。
だからこそ、孫権が気に入らない。戦ではなく、姑息な手ばかりを使う、あのガキが。
かつて、俺の血潮を滾らせてくれた先代達。
あれこそ乱世に相応しき、業火であった。なのに、どうして。
酒を煽るも、気は静まらない。
あの小僧に江東が任せられるか。
ならいっそ、俺がこの手で先代達の夢の続きを。
俺こそが、アイツよりも。
「李術様、伝令です」
「あぁ、何だ」
散々に物が乱れた一室に、従者の一人が入ってくる。
酒の濃い臭いに、従者は僅かに眉をひそめた。
「もう、兵達に分配可能な食料が底を尽き、一週間が経過。このままでは、明日にでも兵同士が互いを食らう状況に」
「案ずるな、曹操からの援軍が来る。それまで持ちこたえろと、各部隊にはそう伝えよ」
「……限界が御座います」
「合肥の城に『劉馥』が曹操から派遣されている。かの城は意気も盛んであると聞く。こちらが耐えれば、必ず、劉馥が動く」
「されど劉馥は、我らと同じく蜂起した、周囲の豪族や袁術残党を支援するわけでなく、懐柔して降伏させたとか。彼には、戦う意思は──」
「──劉馥は動く! 何度も言わせるな!!」
李術の投げた杯は、従者の額に投げられ、砕ける。
破片がその額に浅く傷をつけた。
「申し訳ございません」
「はぁ、はぁ……それで、孫権に動きは」
「軍は動いておりませんが、先日、援軍として千五百の兵が加わったそうです。将は、呂岱、魯粛」
「クソッ、城を囲んでおきながら、余裕の増援か。どこまでもいけすかねぇガキだ……」
「そしてもう一つご報告が」
「なんだ」
「おそらく、降伏を勧める目的であろう使者を、孫権が寄越してきました。その使者は、交州の領主、士燮が三男、士徽、と」
「今まで一切干渉してこなかったくせに、降伏勧告だぁ? しかも、交州の妖怪のガキだと? 何を考えてやがる……」
☆
孫権の「使者いびり」は、史実でも有名な話だ。
ただ逆を言えば、この逆境を乗り越えた使者を、孫権は自分の臣下よりも寵愛する傾向にある。
史実で言えば、「鄧芝」が最も有名だろう。
劉備亡き後の、蜀呉の外交を任せられた官僚で、孫権は晩年、この蜀の使者を大いに寵愛してる。
何度も何度も呉に仕えないかと誘い、鄧芝が来るたびに盛大なもてなしをして、別れの際には大量の贈り物をするという。
正直、やりすぎなほどの愛情表現だ。
ただ、この鄧芝が果たした役割はとてつもなく大きい。
というのも「夷陵の戦い」で最悪の関係になっていた二国間の同盟を復活させたのは、この鄧芝による働きであった。
孫権は使者として訪れた鄧芝を、武装兵と、煮えた油で脅し、挙句に話もあまり聞こうとはしなかった。
そこで鄧芝は堂々と利害を説きながら、油の中に身を投げようとして、文字通り、命を懸けて説得をしたのだ。
この行動に孫権は大きく心を動かされ、それ以来、鄧芝の虜になっている。
「さすがに、そこまでにはなりたくはないけど、失敗したら言いがかりも付けられ放題。困ったなぁ……」
孫権から付けられた複数人の従者、兼、監視役を引き連れ、僕は門の前に立つ。
今にも吐き出してしまいそうなほどの戦場の臭い。
幸い、最近に攻防が起こっていないのか、死体の姿はない。
でも城内にあったらどうしよう。すぐ倒れてしまうんだが?
重く大きな扉が僅かに開かれ、僕は「皖城」へと足を踏み入れた。
城の中は非常に綺麗に整えられており、兵の士気も盛ん、鎧や武器も潤沢。
まだ、これほどの余力があるのか。
僕の後ろに従う者達は、口々にそう囁いては、驚きを隠せていなかった。
(用兵の基本は、敵に見せたくないものを見せ、見られたくないものを隠す。つまり、李術は相当追い詰められてる)
本当にまだ余力があれば、油断を誘う為、弱兵を並べる。
まぁ、別にこいつらにそれを言う必要もないが。
「孫権が使者、シキと申します」
「使者殿、私が李術だ」
赤く充血した目、剛直そうな顔。
これが、李術。
さて、どう説得したものか。
「使者殿は私に、降伏を勧めに来たのであろう。されど、聞けぬ願いだ。お引き取り願おう」
「勝ち目があると?」
「……何が言いたい」
「私の役目は、これ以上の戦が果たして何になろうかと、それを説きに来たのです」
「ならばそちらが兵を引け。我らは四方を囲まれ、殺されようとしている最中。そこで矛を収めよとは、あまりに勝手な話だ」
「そうです。その通り。矛を収めるべきは、孫権様にあり。そして孫権様はそれを承知であられる。されど先に反旗を翻したのは李術様、それもまた事実」
「だから、戦いは終わらぬ」
「いいえ、終わります。その上げた反旗を下ろせばいいのです。それなら孫権様も戦う理由はなくなります。傷つき、殺し合い、飢えるのは終わりにしましょう。互いに同郷の、江東の民ではないですか」
「綺麗ごとばかりを並べおって! 反逆者は殺す、それが戦の常識だ! それに孫権が何だ! あの小僧如きに、この城が落とせるわけがあるまい!!」
「孫子曰く、敵を殺すものは怒なり、敵の貨を取るものは利なり。敵を殺せば怒りが満たされるのみ、殺さずに貨を取れば利益となる、といいます。孫家は、この孫子の末裔。きっと、孫権様は皆さまを生かします。ここまで城を守り抜くだけの力、まさしく江東に必要な力ではないですか!」
「えぇい! 黙れ! 誰か、こいつらをつまみ出せ!!」
☆
降伏の務めに失敗し、現在、シキは小さな幕舎で軟禁の状態であった。
もともと、無理難題な話だったのだ。
流石に大きな処罰は免れたものの、大きな失敗をした、という事実は変わらない。
降伏勧告で、相手を理詰めにしてどうする。
逃げ場を失った李術が、意固地になって抵抗するのは目に見えてるではないか。
孫権はそう怒りながらも、内心は、士家の人間もこの程度かと、鼻で笑っていた。
これが、あの妖怪の隠し玉だとするなら、交州も容易く手に入るだろう。
「孫権様っ!!」
「伝令か、どうした」
「皖城が開き、場内の者が降伏を願い出ております。代償として、李術の首を差し出す、と」
「なんだと!?」
シキが追い出されてから、三日後の出来事であった。
なんとか役目は果たせた(?)シキ様。
とはいえまだまだ、孫権の試練は続きます(ぇ
次回は、再びパッパ視点。
「妖怪」と「王佐の才」の探り合いです(笑)
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それではまた次回。




