22話 李術の乱 中編
「おいおい、大丈夫かよ、シキ」
「……あぁ、すまない。すぐに慣れるから。臭いなら、慣れる」
雷華に背を撫でてもらいながら、僕は胃の中にあるものを麻袋に吐き出す。
だんだんと濃くなっていく、血と、人が焼ける臭い。戦場の風。
「シキ様、濡らした布です。こちらで顔を拭いてください。せめて目的地に着くまで、横になっていてください」
「助かるよ」
目的地に着いて、気分悪くて会えませんなんて、面目丸潰しだ。
相手は、あの孫権。少しだって、気は抜けないのだから。
☆
通されたのは簡易的に設けられた幕営。
李術が籠っているとされる「皖城」を良く見通せる位置にある。
普段は軍議で使われるような場なのか、中は案外広く、多くの諸将が左右に侍っていた。
どの将も、こちらを忌々し気に睨んでいる。
それもそうだろう。今は攻城戦の最中で、誰もが忙しい。
そんな中、辺境の者達が挨拶に来ましたよーなんて、後にしろって話だ。
でも、連れて来られたのはこっちだからね? 怒られる筋合いはないからね?
こんな状況でも、まるで孫との対面を待つかのように朗らかな雍闓さんがあまりにも心強い。
「──顔を上げよ」
響く、気だるげな、幼さの残る高い声。
上座に腰を掛け、赤い鎧に身を包んだ青年。
髪は赤みがかっており、瞳はうっすらと碧の色を帯びている。
しかし、その気迫はあまりにも重い。
対面しているだけで臓腑が押し潰されそうであり、思わず息をすることも忘れてしまっていた。
これが「孫権」。三国志を代表する、英雄が一人。
父や兄と同じく、猛虎の血潮を間違いなく受け継いでいる、孫家の主。
「雍闓、シキであったな。長旅、ご苦労であった」
「恐縮で御座います。私、雍闓、ならびに我が盟友の士燮が代理のシキ、面会していただけましたこと、大変感謝いたしております」
「あぁ、南蛮、交州と誼を結ぶ点においては、こちらとしても有意義だと思っている。なれば、雍闓と士燮は孫家に仕えよ。代わりの地方官はこちらで用意する故にな」
顔は笑っているが、声は冷えていた。
本当に二十歳前の人間かよ、と疑わずにはいられないほどの重圧。
真っ先に、こちらの喉元に牙を突き立ててきやがった。
南蛮も交州も、求めるのは自治権である。従属までは許すが、自治権は譲らない。それが共通している。
しかし孫権は真っ先に、その要求に先手を打ってきた。
「なに、悪くはしない。それが筋というものだ、というだけの話。それに私はいまだ若輩の身、江東を治めてゆくには、高名な領主であられる二方の力が必要だ」
「我らとて微細を尽くし、漢室の威光でもって、その恩恵を預かっているに過ぎぬ老骨です。ただただ民の前で己の不徳を恥じ入るのみです。自分の事で手一杯なのです」
しかし、雍闓も譲らない。やはり年季が違うのだろう。
孫権はそれを見て、鼻でかすかに笑った。
「孫家に仕えぬ、と申すか? では、敵という意味か?」
「滅相もない。我らは、南蛮と交州の地より、孫家の力添えとなりたい、それだけに御座います」
「で、あれば、シキよ。何故、交州は貴殿の父が面会に来ないのだ? 雍闓の言葉には筋がある、しかし、交州は孫家を軽んじているように思えてならぬ」
やはり、そう来たか。
本当の理由である「孫家と曹操、同時期に面通しを願い出ているから」と答えれば間違いなく僕はここで処刑だ。
どうやったって、名目上の理由で押し通すしかない。
「南蛮と交州、同時期に領主が不在となれば、有事の際の対処に困ります。それに、我が父は老いており、病がちの為に長旅は出来ません。なにとぞご容赦を」
「老いているのに、後を任せる者の育成を怠っている為、離れられないと聞こえるな。士家の子は皆、優秀であると聞くが、偽りだと?」
「父の背中はあまりに大きいのです。それに、領主の不在や代替わりで起きる有事については、孫権様も十二分に分かっておられるかと」
どうにかして、僕からボロを引き出したいらしい。
孫権は史実でもそうだが、些か、策を弄しすぎる性格がある。
だとすればこれ以上、無意味な問答をする前に、こちらから気を逆撫でてみようじゃないか。
大丈夫。交州の重要さが分かっていれば、下手に手出しは出来ない。はず。
李術の乱を前にした皮肉。これ以上、突っ込んではこれまい。
ふと、隣を見てみた。
魯粛さんが何やら頭を抱え、あっちゃーみたいな顔を浮かべている。
空気が、張り詰めた。
孫権を見ると、その赤髪が逆立っているように感じられる。
表情は変わらず穏やかなままなのに、はっきりと、僕が悪手を打ったのだ、ということは分かった。
「確かにシキの言うとおりだ、統治というものはこの上なく難しい。現に私はこうして、江東の要所にて反乱が起きてしまった。これは私の反省すべき点だ」
顔が笑うが、目が笑っていない。
蛇に睨まれた蛙。虎に捕まった兎。逃げることすら許されない。
「さて、ではどうだろうか。かの高名な士燮が三男であるシキに、教えを請いたい。少し、手伝ってはくれまいか?」
「な、なんでしょう」
「李術は未だ抵抗を辞めず、我らは皖城を攻めあぐねておる。この城をいかに落とすか、是非とも、御高説を賜りたい。よろしければ、降伏勧告の使者となってはくれまいか?」
おいおい、無茶苦茶言いやがるやん……。
次回は、シキが無茶ぶりに応えようと頑張ります。
思えば江東を引き継いだ孫権って、年齢で言うと高校二年生くらいってことっすよね。
高校二年生の総理大臣とは。
しかも幼少の頃に、劉表のとこに乗り込んで、親父の遺体を返してもらったという話もありますし。
壮絶な人生っすよねぇ。。。
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明日を生きる僕の活力!!
それでは、また次回。




