21話 李術の乱 前編
ずりずりと呂岱に引っ張られながら、魯粛は機嫌良さげにニヤついていた。
対する呂岱はどこか不機嫌であり、気に食わないといった様子。
「なぁ、将軍よ。あの小僧をどう感じた? 趙括か、それとも章邯か」
「交友の証に堂々と金品を差し出すような真似をする。気に食わん。才だけで実のない、まだ趙括の方が良いわい」
「そうかそうか、まぁ、軍人のあんたからすりゃそうだろうなぁ」
「ふん、それにあの凡庸で怪しげな目つきがいかん。まだあの従者の方が良い器をしとる。それともお前は、あれが章邯に並ぶと?」
「いやいや、章邯じゃない。かといって趙括でもない。あれは、間違いなく妖怪の息子だ」
「は?」
「士燮がどうしてあの三男坊を寄越したのか、なんとなく分かったってことさ」
☆
僕らが連れられた先には、数千の武装兵が地を埋め尽くしていた。
たなびく旗には「孫」と「呂」の文字。護送にしちゃ、あまりにも物々し過ぎる。
まるで、これから戦にでも向かうような。
「あの、魯粛様。これは、一体」
「ハッハッハ! 孫家が誇る精兵ですよ。その数は総勢で千五百! 呂岱将軍の直属にあたる兵ですな」
「いや、そういうことを聞いているのではなく」
僕らの馬車に並ぶように、馬に乗った魯粛は軽快に笑う。
だいぶ酒を飲んでいるようだが、しっかりと馬を御していた。
「これほどの兵が必要なのですか? その、呉郡へ向かうには」
江東という土地は、そこらかしこで山越族の反乱がおきる土地である。
だからといって、この武装兵の数はいささか多すぎた。
ちなみに、三国志の時代、孫呉が天下統一に積極的に動かなかったのは、この土地柄に原因があった。
広大な土地ではあるが、そのほとんどが孫権に従わない山越族ばかり。
呉の歴史は、そんな異民族との闘いの歴史である。
外に目を向ける余力がなかった、ともいえる。
「ん? あぁ、そうか、言っておりませんでしたな」
「なにを、ですか?」
「まず今、孫権様が呉郡におられないことは昨晩に話したな」
「はい。そうお聞きしております」
「現在、孫権様は自ら李術の討伐を行っておられ、この兵はその増援も兼ねているのだ」
「えっと、それは、つまり」
「我々の行く先は呉郡にあらず。盧江郡へ向かう。雍闓殿、シキ殿には、そちらで孫権様に会見していただく」
うっそやん。えー、ちょ、嘘やん。
これから僕らが向かう先は、争い真っただ中の戦場だと、そういうことか。
この待遇で、孫権が此度の会見をどう感じているのかを、暗に伝えているといってもよかった。
危険な戦場で、しかも戦の片手間に会見をするということ。
要するに、こちらを冷遇していると、そう見てもいい。
「そう苦い顔をされるな、シキ殿。まぁ、言いたいことは分かるが、我が君は南蛮と交州の重要さは十二分に理解しておられる」
「それは、大変ありがたいことです」
「しかし孫家の臣下は、誰もが交州を苦々しく思っておる。その手前、孫権様もこうするしかなかったのだ」
出発。呂岱の指示一つで、大軍は一糸乱れることなく進む。
目的地は、戦地「盧江郡」であった。
☆
李術の乱。これがどのように起きたかの背景を、まずは語っておかねばなるまい。
さて、盧江郡という土地は、建業の西側に位置する江東の要所である。
江東の前の主である孫策は、この地に李術を置いて、統治を任せた。
この李術は曹操寄りの人物であったことから、この人事には曹操への配慮があったとも考えられる。
袁術のもとから独立して地盤を広げている最中であった孫策が、急速に勢力を伸ばす曹操に配慮したか、それとも油断させようとしたのか、そこまでは分からない。
そしてこの広大な南方の「江東」という土地は「揚州」と定められており、この地を治める刺史は「厳象」といった。
つまり、実質的な支配者こそ孫家であるが、名目上の主は「厳象」であり、彼は曹操によって赴任された者である。
厳象の役目は、孫家を懐柔すること。
曹操は積極的に孫家と婚姻を結び、厳象もまた孫権らと親しくし、官職を与える為に推挙を行っている。
そんな最中のこと、孫策が暗殺されるという事件が起きた。
跡を継いだのは、まだ二十歳にも満たない、十代の「孫権」であった。
これを面白く思わなかったのが、李術であった。
彼からしてみれば、孫権なんぞに江東は治められないというところだろう。
李術がまず行ったのは、厳象を殺すことであった。
曹操から赴任されたとはいえ、厳象は孫権と親しい関係であり、彼が孫権を認めてしまうと曹操もそれを良しとしてしまう。
それを防ぐために真っ先に厳象を殺害し、曹操に支援を求め、周辺の豪族と共に反乱を起こしたと考えられる。
「俺を支援してくれ。そうすれば、孫家を潰して、俺が江東を治める。貴方もその方が都合が良いだろ?」
曹操に対する李術の言い分は、きっと、こういうことであっただろう。
しかし、孫権の方が一枚も二枚も上手であった。
厳象が殺されるとすぐに曹操へ使者を送り、その非を訴えた。
自分で揚州刺史に厳象を据えた手前、曹操はそれに反論することが出来ず、李術への支援を打ち切った。
こうして孤立無援になった李術の衣を一枚一枚剥がすように、孫権は彼を攻め滅ぼしたのだ。
以上が、李術の乱の背景とも言えるだろう。
いやぁ、同じ三国志作品の方が、日間で4000ptぐらい取ってて驚きっぱなしだった一日です(笑)
歴史ジャンルで、同じ三国志を書く身として、なんとも嬉しくありますね。
これでどんどん三国志が盛り上がってくれれば、僕もその恩恵にあずかれるという。
僕の前世はハイエナかな?(
三国志といいながら、交州は実質ベトナム史なのでは? とかいうアレはもう、やめて(
さて次回は、孫権様が登場。
得意の「使者をネチネチいじめる」やつを見ることが……(笑)
面白かったら、ブクマ・評価・コメント、どうぞよろしくお願いします!!
ほんとによろしくお願いしまs(
ではでは、また次回!




