15話 天下と交州
僕は今、もう十四歳になっていた。
月日の流れは早いもので。
しかし、天下の中心地では、更なる激流が渦巻いていた。
天下に手をかけた英雄、覇者に届かなかった男──袁紹の死去。
その一報は、天下にあまねく伝わった。
中華の北部の出来事であり、南端の交州には関係ない。
曹操が袁紹に取って代わるだけで、我らは付く側を変えるだけだ。
そう思う人間は多く、この一件を真剣な面持ちで眺めていたのは、親父だけであったかもしれない。
朝早くから、僕は親父の屋敷を訪れていた。
今日、主だった一族の面々を招集し、今後の方針を告げる。
そういう話であったはずなのだが、ウチ以外の人間が来ている様子はない。
「僕らが一番乗りってこと?」
「私は、何も聞いておりませんが、恐らくは」
魯陰も不思議そうに首を傾げている。
まぁ、遅れるよりは早乗りしておいた方が良いよね。
「じゃあ、ちょっと早いだろうけど、僕は行ってくるよ」
「いってらっしゃいませ」
☆
僕が通されたのは、広間ではなく、親父の書室であった。
書室に居るのは、少しやつれた顔の、親父が一人のみ。
片付けが苦手なのは昔から変わらず、あちこちに書簡や地図が散乱していて、足をどこに運べばいいのやら。
「親父、他の面々は? 集まるのって今日であってるよね?」
「あぁ、まぁ、とりあえず適当に腰を下ろしといてくれ」
「んなこと言ったって……どこに」
足元の書簡を分けながら、近くの椅子に腰を下ろす。
墨の臭いが、こびりついてるような部屋だ。
「今日は、お前だけを先に呼んだ。他の者達は、明日に来る」
「なんでまた」
「これからの天下を論じる相手に、相応しいと思ったからだ。親バカの目線だったら困ると思って、雍闓殿にも判断を委ねたが、ヤツもお前を認めた」
親父は前歯の欠けた口を、ニヤリと横に広げる。
全く、何を考えているのか分からない人だ。
これが、三国志の片隅で、天下を航海した妖怪か。
「だが、己惚れるなよ。お前にも欠点がある。極端に、損を恐れるという欠点が。取り返しのつかない損害、お前はそれに囚われている。人間、完璧に生きることは出来ん。恐れても良いが、囚われるな」
「肝に銘じます」
「よし。では、天下を論じよう。中華の全体の地形は、頭に入っておるか?」
「はい、大丈夫です」
親父は、いや、交州の主たるシショウは、瞳を閉じて、言葉を宙に投げ始める。
脳内にある天下の地図に、丁寧に記しを付けていくように。
「袁紹が死に、案の定、袁家は後継者を巡って争いを始めた。長男、袁譚と、三男、袁尚でだ」
「存じています。袁譚には、郭図を始めとした官僚派閥が。袁尚には、次男の袁煕や審配を始めとした官僚派閥が支持をしていると」
「どちらが勝つ」
「衆目は袁譚を支持していると聞きますが、袁尚は本拠地の冀州で力を持つ官僚達に支持されています。冀州が本拠である限りは、袁尚に分がありましょう。と、言いましたが、結局は全てを曹操が飲み込むので、議論に意味は無いかと」
「その通りだ。河北平定にどれほど時がかかるかは分からんが、必ず、曹操が飲み込む。だからその次の話だ。残る群雄は、涼州の馬騰、韓遂、荊州の劉表、益州の劉璋、そして、江東の孫権」
「果たして彼らも、曹操が飲み込めるかどうか、ということですか」
「そうだ」
「親父は、どう見ますか」
「分かるか、そんなもん。ただ、曹操が河北を平定した時、対立の意思を見せる器は、孫権だけだろう。曹操には劣るが、間違いなく英雄の器だ」
そこまで見えているのかと、単純に驚いた。
三国志の歴史を知っていれば孫権が自立する事は、既に分かり切っていること。
しかしこの当時、孫権は僅か十七歳で、兄の孫策から君主の地位を譲り受けただけの若造としか見られていなかった。
それに、父の孫堅、兄の孫策が類稀な武将であっただけに、内政にばかり目を向ける孫権は頼りないとも言われていたほどだ。
現に、重臣であり孫権の叔父にもあたる「孫輔」程の大物が、密かに曹操と内応しているとの話もあったとか。
ただこの件に関しては、後見人であり内政を取り仕切る「張昭」がすぐに動き、孫輔の側近を処刑し、孫輔本人を幽閉させている。
この張昭、そして孫策の盟友であった「周瑜」。
彼らの協力でかろうじて、君主として立つことが出来ている。
現在の周囲の評価は、だいたいこんな感じだ。
だが、親父は見抜いていた。この孫権の器を。
「周瑜は、こう言っているらしい。天下二分の計、と。曹操と孫権で天下を二分し、覇権を争うのだと。確かに孫権が江東と、益州を飲み込めば可能な策だ」
「その場合、この交州はどう立つべきか、という話ですね」
「そうだ。そして案外、その策は成るやもしれん。そう思っている」
冗談なのか、真面目なのか。
しかし、この妖怪の目は本物だ。それだけは確か。
「交州を、広げるつもりはありますか? 江東を飲み込む、その未来を望みますか?」
とりあえず聞いてみた。もしこの人がそれを望むのなら、僕は全ての力を振り絞ろうとも思った。
しかし、親父は少し考え、吹きだすように笑う。
「いやいや、その器ではない。今のままで十分だ。ただ、今の交州を、守りたい。その為にはどうするべきか、お前はどう考える」
そう言うと思った。
ほっと胸を撫で下ろす。
「そうですね。交州は、辺境でこそあれ、多くの財と資源を産む土地。交易を武器として、外交で群雄の中立を保ち、勢力を維持します。戦わずして勝つ、その極意は外交にありますので」
「孫子の教えか。なるほど。うむ、概ね同じ意見だ。良かった良かった」
ゆっくりと腰を上げ、親父はバキバキと音を立てながら背筋を伸ばす。
「よし、決めたぞ、シキよ」
「何でしょう」
「俺は曹操に会いに行く。顔を合わせて、友好を結んでくる」
「え」
「お前は孫権に会いに行け。ちゃんと友好関係を結んで来い」
「ちょ、まっ」
「留守はシキン、シシ、シイツに任せる。これは決定事項だ。良いな?」
何も、良くは無い。
孫権は、史実で言えば、士一族の大敵であり、僕の人生最大の障壁。
この対面が、どう運命に作用するのか。
そんな、友達に会いに行くみたいに言わんでくださいよ。
コーエー三国志のさ「袁譚」の顔グラさ、なんであんなにネタ枠扱いなんでしょうね(笑)
記録では、袁譚ってそんなにダメダメな領主じゃないんすよねぇ。
むしろ、軍を良く扱うし、有能なまである。劉備とも仲良し。
袁譚を貶めてる文献って、一応残ってるけど、真偽の程が怪しいところが出所なんすよねぇ。
ちゃんと後継者さえ決めとけば、まだまだ挽回はあったのになぁ、袁紹パッパ……(笑)
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