最終話 三国志の陰より
「陛下、本当によろしかったのですか? 臣としては、正直、あまり納得は出来ません」
「良いのだ、これは父帝との約束でもある。義母上は、今まで父帝と朕を支えてくれた。父帝が亡くなった折も、三年の喪に服してくれた。報いねばなるまいよ」
「されど、後宮の主は今や。簡単に離れられては困るのです。陛下の、後ろ盾でもあるのですぞ」
「諸葛丞相。言いたいことは分かる。されど、これは約束だ。朕は義母上との、ひいては父帝との約束を破る不孝者にはなりとうない」
「そこまで陛下が仰るのであれば、承知致しました。では、公孫蘭様の喪を国内外に発表いたします」
「ありがとう」
☆
果たして、幾日の月日が経ったであろうか。
水辺に垂らした糸。ゆっくりと、落ち葉が川を流れていく。
「士徽様、また釣りですか? それで、何か釣れましたか?」
「釣れるわけがないだろう。何も餌を付けてないんだから」
「はぁ? また、変なことを……」
屋敷の侍女として働く彼女は、不可思議そうに眉を歪めて溜息を吐く。
彼女は名を「陸鬱」といった。もうちょっと、良い名前あったんじゃないかい?
まぁ、あの親友は博学でありながら、どこか抜けてるところがあるからな。
ちなみに名前の由来は、鬱林郡で生まれたから「陸鬱」だと。
そんな、ペットじゃないんだからアンタ。
「それで、何の用だ?」
「御屋形様から早く嫁と子を作れという命令書が多数届いております」
「兄上はまだ言ってるのか。懲りないなぁ」
「そりゃあ言いたくもなりますよ! 今や士徽様はこの交州の柱たる御人。誰に家督を継がせるのですか!?」
「老いた後に、兄上から養子を貰う。それで良いだろう。皆、賢い甥達だ」
「そういう事じゃなくてですね……はぁ、もう。それほど、お好きなのですか? あの御人が」
呆れる陸鬱の声。
思わず、笑みがこぼれる。
「あぁ、人の気持ちは容易く遷ろうというが、自分でも驚くぐらいに好いている」
「自分で、公孫蘭様の運命を乱してしまったという、その贖いの気持ちもあるのでは?」
風が凪ぐ。遠くに、潮の匂いを感じた。
交州は中華の南端の辺境という、不毛の流刑地。
ただ、豊かであった。
豊かであれば、戦は起きない。
「悪いとは思うが、後悔はしていない。後悔すれば、彼女の決意を踏みにじることになる」
「いつもそうやって、まるで青年の様な目をなさいますね。公孫蘭様の話をされるとき『だけ』は」
「さっきから何を怒っておるのだお前は」
「ふんだ! 人の気持ちに気づかずに、死の際に私に求婚を迫ったって遅いんですからね!」
「なーにが求婚だアホめ。お前が、しょんべんを父にひっかけておった頃からお前の事を知っておるのだぞ?」
「そ、その話はするなっていつも言ってるでしょー! もうこの馬鹿爺ぃー! 痴呆になっても世話してあげないんだからー!」
陸鬱は顔を真っ赤にして走り去っていく。
これでいいのだ。
彼女の気持ちは知っているが、歳が離れすぎていた。
こんなジジイに目を向けない方が、彼女の幸せの為になる。
「交州も、もう手を離しても良い頃合いやもしれんな」
特に重大な件でない限り、今や交州は、自分が手を加えずともちゃんと運営されるほどに整いつつあった。
貿易で稼いだ金は、ほとんどを産業の発展の為に回して、技術力でもって稼げるようにした。
これで貿易に頼らずとも金は稼げる。まぁ、食料面では自給自足が無理なので、この辺りは上手く外交をするしかない。
国造りをするにあたって、モデルにしたのは「シンガポール」だった。
貧しく、狭い土地だが、交通の要所という立地を生かして、一気に経済競争力を上げた国家。
まだ民主主義の根付いていないこの時代、独裁国家の体裁を取るシンガポールは参考にしやすかったように思う。
何より境遇が似ている。世襲による独裁政権、貧しき土地、そして交通の要所。
他にも、魏、呉、蜀への影響力が大きくなったことも、この平穏の一因だろう。
呉では、長く孫権から冷遇されていた士キン兄上だが、今は家の復興を許され、孫呉の士家として小さいながらも存続している。
というのも皇太子である孫登が、「武昌」の地を治めた際、兄上の治政を大いに評価したのだ。
恐らく孫権の死後は、士家の影響力は大きいものになっていくだろう。
医術の向上で孫登の早世は避けられそうだし、「二宮の変」も起きないと思うしな。
魏では、曹丕に重く用いられ、北西地方で蜀軍の攻勢を司馬懿と共に退け続けた士幹も、武門の家を建てることを許されていた。
さらに行政面では士匡従兄が、各所の調整役として重宝されており、士家の勢力を盤石のものとしていた。
蜀は、南蛮地方との結びつきが強い交州を無視できないという立ち位置だ。
他には雷華に養育された劉禅が、交州とは融和的な立場を取っているのも大きい。
今や蜀は交州の最たるお得意様だ。
経済的な結びつきも深いし、影響はまだまだ大きいものになっていくだろう。
また他にも、交州は山越族との関係も上手く保っていた。
山越族の意見を尊重し、土地を奪うことはせず、鉱山から得た鉱物と、食料や加工した武具を主に取引したのだ。
更に戦があれば、彼らを傭兵として金で雇い、それを軍事力とするという条約も交わした。
これなら呉から「徴兵した」と睨まれることはない。
山越族は鉱物や傭兵として大いに金を稼ぎ、商家が貿易や産業でさらに儲ける。
これも、中華が分裂しているからこそ成り立っている事業体制だと言えるだろう。
この辺りの事業の考案は自分だが、これを実行に移し、結果を出す兄上の手腕にも凄まじいものがあると言える。
「飲み込もうと思えば、きっと、呉は飲み込める。ゆくゆくは天下すら。だが、人は多くのものを望み過ぎてはならない……人の為に生きる、それこそが人生の意味だ」
昔、友人の虞翻に言われた言葉だ。
人は多くを望んではいけない。そして、人の為に生きるべきだと。
こうやって餌をかけずに、釣り糸を垂らすだけでも十分に楽しい。
腹も減っていないのに、更に魚を望もうなんてのは、やはり傲慢だろう。
そういう生き方が、人間、丁度いいのだ。
「──何か、釣れましたか?」
ふと背後より声が聞こえる。
通りすがりであろうか。
「いえ、ご婦人。この釣り糸には餌を付けてないので、何も釣れませんよ」
「ふふっ、相変わらずですね。おかしなことをしていらっしゃる」
「ん?」
そういえば、懐かしい声であった。
ふと、振り返る。
そこには気品の溢れる、自分と同じくらいの、老いた女性が立っていた。
ただ、一目で彼女が誰かが分かった。その面影が、はっきりと、心に焼き付いている。
「雷華、か?」
「そう呼ばれるのは、久しぶりな気がします。でも、とても懐かしく、愛おしい名に御座います」
「この日を……ずっと待っていた。そんな気がする」
「私も、ずっと、夢見続けておりました」
☆
中華は、長く続いた漢王朝の崩壊後、三つの王朝に分裂し、何代にも渡って存続し続けた。
この長き時代を「三国時代」と呼び、再び統一王朝が出現するまで、数百年という歳月が必要となった。
三国時代に異民族からの侵攻以外、大きな戦はほとんどなかったという。
どこか助け合っている様な、奇妙な関係性が根付いてもいたとか。
中華の内部で起きた最後の大戦は、蜀の初代皇帝「劉備」と、魏の初代皇帝「曹丕」が直々にぶつかり合った、国家の総力を挙げた「北伐大戦」である。
この戦で蜀は、魏の涼州を奪い、一大軍事拠点の「長安」を奪う寸前にまで達した。
しかしここを守る、司馬懿や士幹を筆頭とした魏軍の激しい抵抗で蜀軍は疲弊し、撤退。
魏は軍事において大きく疲弊し、蜀もこの戦の後、劉備を始めとした多くの英雄が没することで外に目を向けることが出来なくなった。
特に蜀漢は、劉禅と劉封の跡目争いが勃発。
劉備は劉禅を後継に据えていたが、劉封は北伐で大いに功を立てたことで、この争いが尾を引く形となったのだ。
結果として、皇太后を始めとした後宮勢力の仲裁で、劉封は実権を奪われ、平穏が訪れたという。
そこから劉禅は、諸葛亮や徐庶といった能吏を大いに用い、長きに渡る平穏を形作ることとなる。
呉も、漁夫の利を得る形で、約定通りに荊州を蜀から返還させ、大きな戦も無く、経済力で三国の中から頭一つ抜きんでた。
その成長ぶりの背景に、交州の恩恵があったことは言うまでもない。
この歴史書、よくよくみていると、どうも「士家」や「交州」の影響が大きいことが分かる。
確かに交州は豊かで産業に優れた、天下でも有数の平穏な土地であった。
しかしその分、三国時代の表舞台に出てくることはない。
出てくることは無いが、その影響力は長きに渡って、歴史の裏に屹立しているように思える。
士徽
記述は多くない。いつ死んだのかも分からない。
そんな男が、この時代の中心となっている。
あえて自分の名を、歴史から隠している。
そんな風にも思える。
まるで、闇に紛れる妖怪の様に。
<終わり>
ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
自分の中でも課題が多く見つかった作品であったように思います。
それでも、ここまで多くの方々に読んでいただき、感謝以外の言葉では言い表せない思いで一杯です。
もっともっと勉強を続け、自己研鑽を積み、更に皆様にお楽しみいただける作品をこれからも書き続けていこうと考えております。
よろしければ、再びお目見えすることがありましたら、ちらりと覗いていただけますと幸いです。
本当に、最後までお付き合いいただきありがとうございました。
これを本作における、最後の挨拶とさせていただきたく思います。
失礼しました。
では、また。
 




