第4章 その下に
唐橋知亜子は表情を変えなかった。バスタオルを巻いた体の前で腕を組み、じっと宗を見返している。
「なに……?」翠川碧衣が沈黙を破り、「知亜子が郁美の水着を盗んだ? どうして?」
「待て、安堂くん」今度は稲垣梓が口を挟み、「さっき私は知亜子の鞄を探ったけれど、郁美の水着なんてなかったぞ」
「知亜子はトイレにも行っていない。どこに水着を隠したっていうの?」
碧衣が続けると、宗は、
「水着の隠し場所は……そこです」
知亜子自身を指さした。皆の視線も一斉に向いて、
「そこ……って?」
梓は宗を見る。宗は一度頷いてから、
「その、唐橋が巻いているバスタオル、あの下は裸なんかじゃありません。唐橋自身の水着と、そして間島さんのビキニのボトムをその上から履いているんです」
「えっ?」
梓は視線の先を知亜子に戻すと、
「どういうこと?」
「経緯はこうです。間島さんと唐橋は、ここに来て着替えを始めます。ですが、どういうわけだか間島さんは着替えをせずにこの場を出て行きました」
「私たちのところに戻ってきて、稲垣先輩を捜してた、あれだね」
碧衣の言葉に宗は頷いて、
「はい。その間、当然ここは唐橋ひとりだけになります。その隙を突いて、唐橋は急いで自分の水着を着ると、その上から間島さんの水着のボトムを重ね履きして、バスタオルを体に巻いたんです」
「どうして、ボトムだけを?」
皆本が疑問を投げると、宗は、
「本来であれば、上下ともに重ね着して、間島さんの水着を完全に盗んでしまうのがベストだったけれど、そうは出来ない事情があったんだ。稲垣先輩、もう一度間島さんのトップスを出してみてくれませんか」
言われて梓は、郁美の鞄から残されていたトップスを引き出す。中央に大きなリボンが付いた際どいビキニトップス。それを見て宗は、
「唐橋がトップスを身につけられなかった理由がこれです。このトップスを着て、さらにその上からバスタオルを巻いたのでは、この大きなリボンが必ず浮き出てしまうからです。すなわち、バスタオルの下にビキニを着ていることが一発でばれてしまう」
ああっ! と声が上がったが、知亜子ひとりだけが無言のままだった。
「どうだ? 唐橋」
宗に視線を突き刺された知亜子は、ふう、と深い息をつくと、
「お見事」
体に巻いていたバスタオルを外した。はらりと地面にバスタオルが落ち、その下からはビキニ姿の知亜子の体が現れた。トップスの肩紐は外されており、ボトムは本来のものの上に、白の別のボトムが重ね履きされていた。明らかに郁美のトップスとセットになっているものと分かる色とデザインだった。
「ち、知亜子……」場の沈黙を破ったのは、今度も碧衣だった。「どうして、こんなこと……」
知亜子は、ふっと笑みを浮かべて、
「ちょっと、からかってみただけよ」
「からかっただけって、知亜子……」
「ふふ、みんなが狼狽えてるのを見て、面白かったわ」
「知亜子、あんた――」
「待って!」
さらなる碧衣の追求の言葉は、郁美の声によって掻き消された。
「私なの。私が悪いの。私が知亜子に頼んだの。みんなを驚かせてやろうって……」
「そんなわけないでしょ!」碧衣の矛先は郁美に向き、「郁美、あんた、私がここに駆けつけたとき、水着がなくなったことに本気で動揺してたじゃない。あれは演技じゃないでしょ。私は長い付き合いだから分かるよ」
「えっ? そっそれは……」
郁美は碧衣から目を逸らした。
「宗」
尚紀が向くと、他の全員の視線も同方向に移動した。
「確かに」と皆の注目を集めた宗は、「俺の目にも、間島さんは本気で動揺しているように見えました。でも、同時に、それほど困っているようには思えないとも感じました。不測の事態が起きてしまったけれど、これならこれでいいか、みたいな心境とでも言いましょうか」
「どういう意味?」
碧衣が怪訝な顔をする。
「これは完全に俺の推測でしかありませんが」と前置きして宗は、「今回の事件は、動機を持つ人間と実行犯が別々だったんです。一種の共犯関係と捉えることも出来ますが、両者が同じ意思、情報を共有していたわけではない。実行犯側からの一方通行な、献身的な共犯だったと言えます」
「……よく分からないけど」
「今回の、この水着盗難事件が起きて、真っ先に影響を受けるのは何でしょう」
「それは……何を置いても稲垣先輩の撮影だよ」
「そう!」梓は素早く腕時計を見て、「ああ! もうこんな時間! 準備も考えたら、とても撮影は無理!」
「それが動機だったんです」
宗の言葉に、えっ? と皆――知亜子と郁美以外――は声を上げた。
「覚悟を決めてきたつもりでも、いざ撮影のために水着に着替えるという段になって、間島さんはやっぱり恥ずかしくなってしまったんじゃないでしょうか。自分をモデルから外してもらえないか、間島さんはそのことを言いに、一度俺たちのところに戻ってきたんです」
「あ、だから稲垣先輩のことを捜していたのか」
碧衣が納得した声を出した。
「はい。こんなこと、人づてに申し出るわけにはいきませんからね。もしくは間島さんの性格からして、稲垣先輩本人を前にしても言い出せなかった可能性が高いですが、それはともかく、その間島さんの気持ちに、一緒に着替えをしていた唐橋が感づいた。でも唐橋も、間島さんが稲垣先輩にそれを伝えることは出来ないと踏んでいたんでしょう。そこで一計を案じることにした。つまり、間島さんが撮影に参加できなくても仕方のない理由を作ってやればいい。その手段が……」
「郁美の水着を盗むこと」
「そうです。でも、思い出してもらいたいのは、当初、唐橋はあくまで『二人とも水着を忘れた』という話を通そうとしていたということです」
「確かにそうだった、何で?」
「事件を大事にしたくなかったんでしょう。盗難の可能性が出てきては、誰かがすぐに警察に通報しよう、などと言い出しかねませんから」
「うん、通報が頭にちらついたのは、事実」
「唐橋も、間島さんが忘れっぽい人だということは、稲垣先輩や翠川さんからの話で聞いていたし――体操着を一学期中に五回も忘れたという話をみんなも聞いていましたよね――引っ込み思案な性格から、自分からわざわざ水着をみせびらかすようなこともしていないと踏んでいたんでしょう。だから『忘れてきた』という理由を提示したら、間島さんは何も言わずに自分の計画に乗ってくると確信していた」
「あ! なのに、私が郁美のビキニが上下とも持ってきてあることを、こっそりと確認したことが分かったから……」
「そうです。唐橋は内心焦っただろうな。結果、間島さんの水着が盗難に遭ったのではないかという可能性が出てきてしまい、さらにはその嫌疑が皆本にかけられそうになった」
「あれは参ったよ」
皆本は嘆息した。災難だったな、と宗は労ってから、
「水着を忘れた説が破綻して、さらには無実の皆本に疑惑の目が向けられてしまい、これはまずいと判断した唐橋は、急遽外部犯による可能性を提唱してきた」
「そういえば、一番最初に外部犯行説を持ち出してきたのは唐橋だったな」
尚紀の言葉に、宗は、ああ、と答えた。
「で、でも」さらに碧衣が、「どうして知亜子は自分の水着も盗まれた――最初は忘れてきた、か――なんて嘘を?」
「それはもう、間島さんの水着の隠し場所を作るためですよ。自分の鞄に隠したのでは、盗難の可能性が浮上するなどして――実際そうなったわけですが――持ち物検査が行われた場合に見つかってしまいます。生け垣の中などの屋外に隠すのもリスクが高い。間島さんの水着は白で目立ちますからね。今身につけている状態とは逆に、間島さんのボトムを下にして、上から自分のボトムで覆い隠す手も考えられたでしょうが、見たところ唐橋のボトムも間島さんのものと大差ない布面積のため、動いているうちに重ね履きしていることがばれてしまう可能性が非常に高い。裸に思わせてバスタオルの下に自分の水着ごと隠す。これが最善の方法だったということです。ビキニのボトムさえ隠してしまえば、まさかトップスだけを着て撮影に参加しろとは言われるはずがありませんから」
「私はそれでも全然構わないぞ」
「稲垣先輩っ!」
しれっと言う梓に郁美が激しく突っ込んだ。
「付け加えると」と、さらに宗は、「間島さんの水着だけを着て、その上にバスタオルを巻くという手も使えません。唐橋自身の水着が残っていたら、それを着て撮影に臨まないわけにはいきませんからね。結局ボトムを二枚重ね履きしなければならなくなりますから。この計画を成功させるには、間島さんと唐橋自身の水着がどちらもなくなっているという状況を作り出すことが必須だったんです」
「それにしたって……」碧衣はボトムだけ重ね履きをしたままの知亜子を見て、「いくらこれが最善の方法だったっていっても、そう長くは保たないでしょ。いつまでも素っ裸――本当はそうじゃなかったわけだけど――にバスタオルを巻いたままの格好でいられるわけないし」
「そうです。唐橋にしてみれば、ある間、一時間程度の時間稼ぎが出来ればそれでよかったんです。稲垣先輩は最初に、今日の撮影は午後三時までしか時間が取れないと宣言していて、唐橋もそれは聞いていました。現に、その目論見は成功しています」
先ほど梓自身から、今日の撮影は断念せざるを得ない、という言葉が聞かれていた。
「あー、なんてこった」その梓は大きく伸びをして、「知亜子、まんまとしてやられたね」
「すみませんでした、稲垣先輩」
知亜子が申し訳なさそうに詫びると、梓は微笑みを浮かべ、知亜子の頭を撫でて、
「今回はお前の機転と」ここで宗を向き、「少年探偵の名推理に免じて許す」宗にも笑みを投げてから、知亜子に向き直り、「でも、この埋め合わせはしてもらうからな」
「……はい」
「今度はヌード撮影だぞ」
「ちょ――それは!」
「あはは、冗談」
梓は、呵呵と笑うと、
「それと、郁美」
「は、はいっ!」
一転、厳しくした顔を向けられて、郁美は背筋を伸ばした。
「水着モデルが嫌なら嫌って、はっきり伝えること。曖昧な態度は誰のためにもならないよ」
「ごっごめんなさい!」
郁美は深々と頭を下げた。
「知亜子にも謝らないとでしょ」
梓に促されて、郁美は、
「知亜子ぉ……本当に、ごめんね。それに……ありがとう」
「いいって」
知亜子が微笑みを返すと、郁美の目に涙が浮かんだ。
「あっあの……」郁美は涙を拭い、梓を見て、「わっ私、水着は無理かもですけど、普通の撮影なら……こんなこと言える立場じゃないですけど……」
「うんうん」梓は笑って、「もちろん、郁美にも埋め合わせはして貰うよ。安心して、郁美は服を着た撮影をするから」
「ちょっと! 稲垣先輩! 郁美は、ってどういうことですか!」
すかさず知亜子が噛みついた。