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第2章 被写体たち

「いやあ、(わり)ぃね、遅くなって。ちょっと、急な用事が出来ちゃったものだからさ」


 稲垣(いながき)(あずさ)は皆に向かって手刀を切った。


「用事って、何かあったんですか? 稲垣先輩」


 碧衣(あおい)に訊かれた梓は、


「うん、交渉をしててね、それで遅くなった」

「交渉?」

「そ。実はね……モデルがひとり増えることになりました」

「ええっ? 誰ですか?」


 答える代わりに梓は、自分の隣で呼吸を整えている唐橋(からはし)知亜子(ちあこ)を横目で見た。


「……知亜子?」


 碧衣の視線も新聞部所属の女子生徒を向いた。その知亜子は、眼鏡の奥で不服そうな目を見せている。


「そう、待ち合わせに来てた私服の知亜子を見たらさ、もう、ビビっときて。あ、これは撮影しなきゃダメだなって思った。いつもは制服姿しか見てなかったからさ、かわいい私服にノックアウトされちゃったわけ」


 嬉しそうな笑みを浮かべながら、梓は知亜子――紺色のキュロットスカートにゆったりとしたボーダーのシャツを着ている――の背中に回り込み両肩に手を置いた。


「それで……」と知亜子は背後に立つ梓を見上げながら、「私が水着を取りに家まで戻ることになって……本当なら三十分以上も前に着いていたはずだったんですよ」

「まあまあ、かわいいんだから、いいじゃん」

「な――何がですか! ちょっと! 頭を撫でないで下さい!」


 知亜子は眉根を寄せて顔を赤くしながら、梓の手を振り払った。そんな知亜子の反応も満足そうに眺めてから梓は、


「お、水泳部はすでに臨戦態勢だな。もう、いつでも来いって感じだな」


 素早く愛用のデジタル一眼レフを構えた。


「――稲垣先輩! まだダメです!」


 突然カメラを向けられた碧衣は、目の前に両手をかざしてレンズを覆う。


「あ、そっか」と梓はファインダーから顔を上げて、「レフ板がないとね」

「そういうことじゃありません! 心の準備が!」


 碧衣が突っ込んでいるうちに、知亜子は肩に提げていた大きめの鞄を開け、円盤状の物体を二つ取りだすと、(そう)尚紀(なおき)に向けて差し出す。


「……なにこれ?」


 受け取った宗が訊くと、


「折りたたみ式のレフ板。二人にはこれを持って撮影を手伝ってもらうからね」

「レフ板って、モデルに光を当てるやつか」

「そうそう、頼むわよ。稲垣先輩の指示どおりに、きびきび動いてね」

「よし、じゃあ、時間もないし、早速準備にかかるか」

「時間がないって?」


 稲垣梓の言葉尻を碧衣が捉えた。


「うん、私、夕方から急用が出来ちゃってね、撮影時間は三時までしか取れなくなっちゃったんだ」

「えっ」と宗は腕時計を見て、「もうあと一時間半くらいしかないじゃないですか」

「それなのに、わざわざ私に水着を取りに行かせたんですか?」


 知亜子が呆れた声を上げた。


「だって、どうしても撮りたかったんだもん。だから、短期決戦でいこう」梓は郁美(いくみ)を向いて、「郁美、ちゃんと水着持って来た?」

「も、持って来ましたっ!」


 郁美は鞄を抱きかかえる腕に力を込めた。


「それならよかったよ。郁美は忘れっぽいっ人だって、碧衣から聞いてたからね。体操着忘れてくるなんて、しょっちゅうなんだって?」

「しょっちゅうじゃないです! 五回だけです!」

「一学期で五回って、結構な頻度だよ」


 梓は呆れた顔をした。それに続けて碧衣が、


「そうそう、それに髪だって、切りたい、切りたいって言っておきながら、結局ひと月も放っておいたことあったしね。あのときの郁美、貞子(さだこ)みたいだったぞ」

「その話はやめて!」


 今は綺麗に切りそろえられた髪の郁美は、むう、と口を尖らせた。


「ささ、それはいいから、時間もないし、プールに行きましょ」


 梓に促されて、一行は撮影場所となるプールの脇に移動した。


「それじゃ、郁美と知亜子は水着に着替えてきてね」


 梓は、まだ私服のままのモデル二人を水着にさせようと急かす。碧衣が、遅れて来た知亜子にもプール脇の生け垣に囲まれたスペースで着替えが出来ることを教え、郁美と知亜子は鞄を手に指定された場所へ歩いていく。二人の姿がプールの角を曲がって見えなくなると、梓が、


「じゃ、ちょっと私、トイレ行ってくるね」


 大鳥高校には、運動部が練習中に校内に戻らずともトイレに行けるよう、グラウンド脇に屋外トイレが設置されている。梓がその場を離れ、プール脇には宗、尚紀、碧衣、皆本(みなもと)の四人が残された。


「俺も、トイレ済ませてこようかな」


 と皆本が体を震わせると、碧衣が


「皆本くん、さっき行ってきたばかりじゃん」

「いざ撮影が始まると思うと、少し緊張してきたんだよ」

「だったら、私もついてく」

「さすがの翠川さんも緊張してるのか?」

「違うよ、皆本くんがトイレに行く振りをして、郁美と知亜子の着替えを覗きに行くと悪いから、見張りに」

「そんなことするわけないだろ!」

「いや、わかんない」


 碧衣は目を細めて腕を組んだ。


「だったら」と皆本は宗と尚紀を指さして、「俺たちがいない間に、こいつらが覗きに行くかもしれないだろ」

「あっ! お前! 何を言うんだ!」


 レフ板を持ちながら宗が眉を釣り上げる。


「それもそうか……」と顎に手を当てた碧衣は、「だったら全員で行こう」

「唐橋と間島さんが着替えから戻って、ここに誰もいなかったら不安になるんじゃないか?」

「それも一理ある」


 宗の言葉を聞いて、再び考え込んだ碧衣は、


「……この場を空にしないで、男子だけを別行動させずに、かつ、皆本くんも用足しを出来る、たったひとつのやり方を思いついた」

「そ、それは?」

「皆本くんがこの場で用足しをするの」

「できるか!」

「なるべく生け垣の近くの端っこでしてね」

「しねえよ!」

「大丈夫、私は向こう向いててあげるから」

「全然大丈夫じゃねえし!」


 皆本がさらなる突っ込みを入れたところに、


「あ、あの……」

「ん?」


 碧衣を始め全員が声がした方向に目をやると、間島郁美が立っていた、しかも、


「どうしたの? 郁美、まだ着替えてなかったの?」


 碧衣が言ったように、郁美は私服姿のままだった。郁美はそれには答えず、碧衣たちを見回して、


「い、稲垣先輩は?」

「先輩ならトイレだけど、どうかしたの?」

「……ううん、それなら、いい」


 それだけ言い残すと郁美は(きびす)を返し、元の着替え場所に向かって走って行った。


「あ! ちょっと、郁美! ……何なの?」


 碧衣は宗たちの顔を見回したが、誰もが首を横に振るだけだった。そこに、


「お待たせ」梓が戻ってきて、「……あれ? あの二人、まだ着替え終わってないの?」

「はい……」


 碧衣は、たった今郁美が戻っていったばかりの方向を見やった。


「ちょっと、様子を見てきます」


 碧衣は着替え場所に向かって走りかけたが、すぐに立ち止まると振り向いて、


「あ、稲垣先輩、そこの三人がどさくさに紛れて着替えを覗きにいかないよう、よく見張っていて下さい」

「おい!」


 宗たちの突っ込みをよそに、稲垣梓は片手の指で輪っかを作るとともに「オーケー」とウインクをし、碧衣は今度こそ走っていった。

 碧衣の姿がプールの角に消えてから、少しすると、


「な、なんだってー!」


 叫び声が響いた。碧衣のものだった。残された四人は顔を見合わせてると一斉に駆け出した。

 四人は、そこを曲がれば着替え場所となるプールの角まで辿り着くと、一旦立ち止まって、


「碧衣! 何かあったの?」


 梓が声を掛けた。


「ちょっと待って下さい」すぐにその碧衣の声が返ってきて、「……知亜子、とにかく……いい? そのままで? うん、わかった。みんな、来て」


 了承を得て、四人は角を曲がった。そこには、翠川碧衣、間島(まじま)郁美、唐橋知亜子の三人が立っていて、


「どうしたの――って、知亜子!」


 梓が頓狂な声を張り上げた。碧衣は水着姿、郁美は未だ私服のまま、そして知亜子は、


「お前……何だよ、その格好……」


 宗が目を丸くしたのも無理はなかった。唐橋知亜子は、体にバスタオルを巻いた姿で立っていた。知亜子は、ふん、と顔を赤らめて視線を逸らすと、


「水着、忘れちゃったの」

「忘れたぁ?」

「そう」と知亜子は、宗とも誰とも視線を合わせないまま、「下着を脱いで、いざ水着を着ようと思って鞄を探したんだけど、なかったの。忘れてきたみたい」


 深いため息を吐いた。


「忘れたって、知亜子! あなた、確かに持って来たって……」


 梓は地面に置いてある知亜子の鞄に目を向ける。


「思い返せば、水着を入れた袋を出して、他にも忘れものがないか確認してて、そっちに気を取られて、そのまま置いてきちゃったみたいなんです」

「本当に? ねえ、私が探してもいい?」


 知亜子が頷いたのを見ると、梓は鞄に手を突っ込んで漁り始めたが、


「……ない。衣類は下着しか入ってない」その場にぺたりと尻をつくと、「ん? 下着がここに入ってるってことは……」


 バスタオルを巻いた知亜子の体を眺め回す。知亜子は顔を真っ赤にして、


「だっ、だから、下着を脱いで水着を着ようと思ったら、そこで忘れたことに気付いたんです!」


 とバスタオルの裾を掴む。


「つ、つまり、その下は……」

「ちょっと! 稲垣先輩!」


 極端な煽り視点で知亜子を見ようとする梓の頭を、知亜子は押さえつけた。


「そ、それに……」梓の暴挙を止めた知亜子は、「水着を忘れたのは私だけじゃないんですよ、郁美もです」

「なんだと?」


 梓は、くるりと郁美を向くと、すっくと立ち上がって、


「本当か? 郁美?」


 郁美の両肩を掴んで、いや、鷲掴みにして、鬼気迫る顔を郁美に近づけた。


「――きゃあっ!」郁美は一瞬恐怖に表情を強ばらせたが、「は、はい……」


 伏せ目がちに答えた。


「私が確認しても、いいか?」


 郁美は頷き、梓は知亜子のときと同様、郁美の鞄に襲いかかった。


「――あっ! あるじゃないか!」


 すぐに梓は鞄から一枚の白い布地を引き抜いた。それは、中央に大きなリボンの飾りが付いたビキニのトップスだった。それを見た男性陣から、おお、と声が上がる。


「リボンのかわいさに誤魔化されがちだが、ビキニだけで見ると結構際どいデザインだな」

「あ、ああ、あのトップスとのバランスを取るとするなら、ボトムのデザインも推して知れるな」

「間島さんのイメージにはないものだな、これは革命だぞ」


 皆本、宗、尚紀はそれぞれ感想を口にした。それを耳にした郁美は真っ赤になって俯く。


「変態!」


 腕を組んで知亜子が一喝する。男子三人に向けて放たれた言葉だったが、視線は宗だけを向いていた。


「な、何だよ唐橋! バスタオル一枚で仁王立ちしてるお前に言われたくないわ!」

「なにおう!」


 一歩踏み出しかけた知亜子だったが、その拍子にバスタオルの裾がめくれ上がりそうになり、


「おっと」足を止めた知亜子はバスタオルを押さえて、「見たら殺す」


 宗をじっとりとした目で睨み付けた。

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