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GOD FESTIVAL   作者: ラクダ
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第0話 扉

 ただ暗いだけが闇ではないのだろう。


 そんな事を考えながら男は走っていた。息は荒く、先を照らす為に持っている松明の灯りは次に踏み出す足の確かな場所を映すだけだ。


「あともう少しのはずだ。頑張ってくれ」


 松明の照らす狭い空間にいるのは男だけではなかった。前を向いて走り続ける男の声に呼吸を整える為か一拍の間をおいて隙間風のようなか細い声が返ってくる。


「ええ。私は大丈夫よ。でも、この子が……」


 男の背中を追って同様に走る女の腕には産まれて間もない赤子の姿があった。声を上げる術も持たず、目を開けることすらままならない赤子は決して綺麗とは呼べない布地にただただ包まれて母親に抱かれている。


「その子にもお前にもすまないと思っている。分かってはいたことだが……名前を与える事もできなかった」


「名前も愛でる時間も命があって初めてもたらされるものよ。私達に出来るのはこの子の命と未来を繋ぐ事だけ」


 男は尚も前を向いて走り続ける。


「……せめて顔だけでもみせてやりたかった……本当にすまない」


 荒い呼吸から発せられた男の言葉は通り過ぎる風に流される。


 女は聞こえてたのか聞こえてないのか、返事はしなかった。



 それからどれほど走り続けたのか。


 なんの障害物もなく真っ直ぐと走り続けた二人の前に忽然と扉が現れた。松明の光がなければ足元さえ見えない暗闇。そんな中突然現れたとしか思えない程、その扉は唐突に二人の目に飛び込んできた。


 人の丈を優に超える高さを持つ二枚扉のそれは、自ら光を放つわけでもなく、確かにそこにあると感じさせる。


「見えた!あの扉だ!……本当に存在したとは」


 走る程にその巨大さの現実味が帯びていく。


 確かに近づいている証拠なのだろう。


 赤子を抱えたまま長い間走り続けた女の体力が程なくして限界を迎える事を男は分かっていた。


 濁音混じりの呼吸音を背に男は扉を見つめていた。

確かにそこにある扉。走る程にその存在感が肌にひりつくように伝わってくる。


 なのに、辿り着けない。


 男は焦っていた。


(扉が見えてから何時が経つ!?なぜ辿り着けない!?)


 苛立ちを覚えても尚、足は止められない。


 男は女に声は掛けなかった。案ずる言葉も、励ましの言葉も、何の意味もないことが分かっていたからだ。腕に抱えられている赤子の為ならば、どんな事があっても走り続ける事を男は分かっている。


 一呼吸置く間もない中、何の前触れも無く松明の炎が消えた。それはまるでか細いロウソクの火を一思いに吹き消すかのようだった。


 突如として二人を包む暗闇。元々頼るには心許ない灯りであったが、生物としての反射行動で足が止まった。研ぎ澄まされる二人の五感。暗闇に包まれていても激しく上がった呼吸が聞こえるおかげで側にお互いがいるのが認識できた。


 上がった息の隙間を縫うように言葉が発せられた。


「来たか……まさか、こんな近くに来ているとは」


「ええ……あなた、扉は……」


「灯りが消えても扉があるのがわかる。確かに存在はしているが……どうしても辿り着けない」


「見えているのなら条件は整っているはず。あとはきっかけだけ……」


「とにかく進み続けるしかない……すまないが俺がお前達に触れる訳にはいかない」


「分かってるわ、私の前を進んでくれるあなたが道標になる」


「……行こう」


 止まっていた二人の足が再び動き出した瞬間、暗闇に溶け入りそうな程重く、暗い声が響いた。


「その赤子をよこせ」


 一気に粟立つ二人の五感。炎が消えた時とはまるで違う理由で足が止まった。それは硬直。驚き、警戒、恐怖、それらからなる急激な身体の反応がそれの理由だった。


「急げ!」


 ほとんど悲鳴に近い声と同時に走り出す男の背中を女は必死に追いかけた。


「無駄だ。扉は開かない」


 暗い声は尚もその存在感を増していく。


「とにかく走り続けるんだ!」


「あなた!後ろじゃない!」


 走る男に女が矢継ぎ早に叫んだ。



「前にいる!!!」



 三度足が止まる二人。止めた足の先には確かな闇がいた。幻にさえ思える程不明瞭に映る扉と同様に、認識しきれないほど【黒く暗い者】がそこにいた。


「扉は開かない。さぁ、我が子をよこせ」


 黒い者が蠢くのを五感が教えてくれる。後ずさろうとする足を無理やり抑えて男が叫ぶ。


「ふざけるな!貴様などに我が子をくれてやるか」


 守るべき者の存在を確かに感じながら【黒く暗い者】と対峙する男。


 その瞬間、今まで自分たちが居た暗い空間が闇と化していくのを二人は確かに肌で感じた。それは目の前の存在から放たれていた。


「よかろう。ならばどうしてくれようか……お前の首を刎ね」


 言葉が一つ重なる度に闇が濃くなっていく。


「女の足を削ぎ」


 無限さえも思わせるほど黒を重ね続ける闇。その闇は確かな存在さえも飲みこんでしまいそうな程だ。


「横たわるお前達の側で無く我が子を優しく抱き上げてやろうではないか」


【黒く暗い者】が笑った。


「逃げろっ!!!!その子を守るんだ!!!」


 男は叫びながらそれに向かっていったもはや女の存在すらも感じ取れない程濃い闇の中。男は真っ直ぐとそれに向かっていく。


 闇に向けた腕が迸る雷を纏う。纏った雷は地に降り注ぐ雷鳴かのように男の怒号をかき消しながら【黒く暗い者】にむかっていく。


 男はその瞬間気付いた。どんな暗闇も照らす雷が何も照らさない。否、照らす物が何もないことに。雷が放つ光を包むのはただただ闇。


「お前達は既に闇の中だ……闇には何も無いよ、何もな」


「なっ!?」


 放たれた雷は雷鳴と共に闇に消えた。今まで立っていた地面の感触が無くなる。手を動かしても空気の感触もない。まるで自分の身体が無くなったかのような感覚。確かに後ろにいたはずの女の存在は既に消えていた。


(なんでだ!?)


 男は尚も疑問を持っていた、それは闇や女の存在がないことにではない。


(何故扉は消えない!?しかもこんなに近くに!?)


 どれほど走っても辿り着けなかった扉が手を伸ばせば届く程に目の前にあった。


(頼む!開いてくれ!あの子を導いてくれ!神よ!)


 僅かに残った自我でとうに捨て去った祈りを唱えたその瞬間。もはや存在すら消えかかっていた男を光が包む。


(こ、この光は?)


「この光は加護の光!?何故だ!?貴様らは堕ちた存在のはず!!」


 光に包まれた男に確かな存在が戻り、辺りを漂っていた闇が晴れていく。


「扉が開くだと!?」


 その光は僅かに開き始めていた扉から発せられているものだった。


「あなた!この子を!」


 不意に呼びかける声に目を向ける。そこには先程まで見失っていた我が子と女の姿があった。


「早く!」


「お前……目が……まさか、この光が?」


 時を刻むほどに眩さを増していく光が【黒く暗い者】を後退りさせる。


「この光はやはり神の加護!何故だ!?この世界に神は居ないはず!」


 禍々しい空気は光が強くなる度に薄れていき、【黒く暗い者】もまた、その存在を失っていく。


「まさか!?伝説は本当だったのか!?この世界とは別の…………」


 音も無く、まるで最初から無かった出来事のように、そこから闇は消えていた。


 完全に開き切ろうとしている扉の前には我が子を見つめる二人がいた。


「もっと一緒に居たかった……短すぎた時間だった」


「ええ……でも、言ったでしょ。名前も、愛でる時間も、命がなければなし得ない」


 女は男の手を取る。男は驚きの表情を浮かべた。


「な、何を!?今の俺はお前達に触れることなど」


「大丈夫よ。この光が私達を赦してくれている。今ならあなたもこの子を抱けるはず」


 女の言葉に声を詰まらせながらも、男はゆっくりと我が子に両腕を伸ばす。眠るように息をする我が子をその胸に抱いた時、男の眼からは自然と涙が溢れていた。


「あまりにも小さい……こんな小さい身体を今から手放す俺達を許してくれ……これが最後なのに……すまない……最後にまともに顔も見れそうにない……」


「祈りましょうあなた……私達がこの子の為に出来る最後の事は祈ることだけ」


「あぁ……そうだな」


 我が子を女の腕に戻し、自分の溢れる涙を拭った男は、我が子に落ちた自分の涙を優しく拭う。


「……そろそろ時間だ」


 扉は完全に開いていた。光溢れる扉の向こう側に我が子を送る。一人でに浮く赤子を手を繋いで見送る二人。また会える奇跡など無いと分かっている二人の眼からは涙が流れている。ただその眼は真っ直ぐと我が子を見つめている。


 これから激動の人生を送るであろう赤子の最後の姿を一刻でも長く見ている為に。




 扉が完全に閉まった時、辺りは再び暗い空間となった。扉の存在は徐々に薄れていき、闇と同様に初めから何も無かったかのようにその姿を消した。


 二人は既にここから居なくなっていた。否、この世界からは居なくなっていた。二人もまたこの世に存在しないものとなっていた。繋がったままの手はやがて冷たさを帯び、その繋がりを硬く、強くしていく。




 誰も知らない物語。


 それぞれの命が織りなす神話が今始まる。



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