二 赤族の娘
「こんにちは。王妃候補様」
「夢蝶、どうしてここにいるの?」
赤毛の可愛らしい女性が急に庭に現れたかと思うと、翠の知り合いみたいだった。
同じ赤毛だし、よく見れば、目元が少し似ている。
もしかして妹かな?
「翠。そんな怖い顔しないでよ。挨拶しただけじゃないの」
「挨拶って」
なぜか翠が慌てていて、不思議だった。
紫国の王宮に入ってから、三週間後、庭を散歩しているとその人は現れた。
癖のある赤毛を結わずにそのまま垂らしていて、動くたびに跳ねる。可愛らしい女性だった。
その人の名前は夢蝶、翠の従姉妹だった。
「お父様が王宮に参上するって聞いたから着いてきたの。随分陛下にも会ってなかったし」
夢蝶は赤毛の髪を指先で弄びながら、翠に応える。
後宮にいたとして、多分色褪せないくらい可愛らしい。
陛下……、黎光の知り合いよね?まあ、王様なんだからみんなと知り合いなんだろうけど。
親しいのかしら
「会わなくていいでしょう?叔父上の用事が済んだらとっとを帰ってちょうだい。凛様は忙しいのだから」
「冷たいわね。凛様。私が邪魔?」
夢蝶は愛くるしい微笑みを浮かべて私を窺う。
「そ、そんなことはないわ。翠の従姉妹だし、二人で話すこともあるでしょう。お茶でも一緒にいかが?」
「凛様!」
「嬉しい」
なんてこと。
気がついたらそう誘っていて、翠が驚いた顔をしていた。
夢蝶は可愛らしい微笑みを浮かべている。
今更誘いを撤回などありえない。
「翠。お茶の準備をお願いね」
「……かしこまりました」
珍しく不服そうに答え、彼女は他の女官に指示を飛ばす。
紫国が、輝火帝国に下ってから五十年近く。
王宮も帝国の影響が大きくて、庭の構造もよく似ていた。
大きな池があって、そこに建てられた六角形の水亭ーー水榭に、お茶とお菓子が準備され、翠は私たちをそこに案内する。
女官である翠は共に食事をしない。
なので、側に立ったままだ。
従姉妹である夢蝶は赤族の族長の娘でもあるので、丁重に扱われる。そもそも翠も族長の親戚あるから女官などしなくてもいいのだけど。
紫国の始まりは、遊牧民族の集合体だった。
紫、赤、青、緑、黄族の五つの族がそれぞれバラバラに小さな領地でお互いに牽制しあっていたのだけど、輝光帝国に対抗するために、一つにまとまった。
紫族が他の族を従えたため、それを表すため国の名前を紫国にした。
紫族の家長が王になるが、その妻は他の部族から選ぶことが多い。
官職も紫族が中心になっているけれど、他の部族を尊重して高い地位に任命する。
四年前の王位継承の時は、紫族が王位を巡って争い、部族も立ち上がり国が割れる争いになりそうだった。しかし帝国の介入もあり、黎光が王になり治まった。
今では平和で穏やかだけど、その当時は混乱が酷かったと教えてもらった。
黎光は国を平定して、帝国がこの機に完全に支配しようとしていたのを跳ね除けたと、国民に尊敬されている。
彼は本当にすごい。
四年前に拾ったときは、あんなに頼りなさげだったのに。
「凛様、このお茶は我が赤族の領地のものなの」
夢蝶が愛らしく微笑む。
翠と目元は似ているけど、印象は全く違う。翠はすらっとした美人、夢蝶は華やかだけれども、翠と同じで清廉な印象を持つ女性だ。
「夢蝶。凛様は時期に王妃になられる方。口の聞き方に気をつけて」
「翠。構わないわ」
「いいえ。王妃と同列に並ぶ女性があってはなりません」
なぜか翠は少し怖い顔をして答え、夢蝶は肩をすくめている。
どうしてそんなに厳しいのだろう。
……そういえば、皇后様に対して妃であっても、砕けた口調で話しかけるものはいなかった。そういうことなの。
だけど……。
「わかってるわ。翠。あなたの言いたいことも。凛様。あなたの心根が優しいことは存じ上げています。けれども、王妃として威厳のある態度は必要です。私のように無粋な真似をするものには、この翠のようにピシャリと言わなければなりませんよ」
「夢蝶。あなたはわかっていて」
「だって、凛様はあまりにも甘いもの。あの後宮の妃であったなら、わかるものでしょう?」
「夢蝶!」
翠が珍しく声を上げ、夢蝶が私へ微笑む。
「厳しいことを言ってごめんなさい。私はあなたの味方です。陛下のことは好きだけれども、見込みはなさそうなので諦めることにしました。けれど、私のように物分かりがいいものばかりではないことを知ったほうがいいですわ」
「夢蝶!」
翠は本当に怒ったらしく、赤毛が逆立っているようにも見えた。
「翠。怒らないで。夢蝶の言うことは最もだわ。忠告をありがとう。本当ね。後宮であれば当然のことよね」
「凛様。紫国には後宮はございません。陛下もそのような予定はありません」
「……わかってるわ。安心して」
黎光はきっと後宮など作ることはないだろう。けれども、妃を他に置くかもしれない。だって、私は後宮に入ってから何度も皇帝陛下と褥を共にした。それにもかかわらず孕むことはなかったのだから。