下
翌朝、宦官が部屋を訪れ、紫国の王へ下賜されると知らせを持ってきた。
昨日の夜はあまりにも夢うつつで、よく考えられなかったけど、紫国について聞いた事があった。旦那様からは辺境の地で、蛮族の国だと教えられた。
住居は布でできた質素なもの、床で寝泊りをして、食事も床で行い、手で食べる。
確かにそれは野蛮かもしれない。でも、彼がいるならそんな国でもいいかと思った。
そんな淡い思いを抱きながらも、同時に旦那様のことが不安だった。
旦那様は私を許すだろうか。
そんな国へ、私が行くことになれば、旦那様はどう思うか。
でも、これは命令なので、逆らうことはできないはず。
私を陛下の側室にし、ゆくゆくは子を産ませ、次期皇帝の祖父となり、権力を握るつもりだった旦那様はさぞかし、お怒りになるだろう。
公明は大丈夫だといったけど、私は怖かった。
だから、紫国に行く前に、後宮を出され実家である角家に帰るのが恐ろしかった。下賜される私を殺しはしないだろう。けれども折檻をされるはずで、後宮を出る知らせを戦々恐々として待った。
しかし何日待っても、その知らせはなく、紫国に直接渡ることになった。
私を迎えにきた紫国の女性達。
動物の毛皮を使った服を着ていて、とても珍しかった。髪も黒色ではなく、白銀。それは公明と同じ髪色で、自然と好意を持った。
「やっと、我が王の念願が叶います」
「念願?」
その女性の言葉が気にかかり聞き返すと、悪戯が見つかった子供のように笑った。
「そのうち、おわかりになりますよ」
紫国から使いは一人ではなく、もう一人いた。真っ赤な髪の女性で、彼女は楽しそうに笑う。緊張していた私も思わず釣られて笑ってしまった。
「美凛もそのように笑うのだな」
「陛下!」
突然部屋に陛下が現れ、私は傅く。けれども二人の女性は頭を少し下げただけで、しかもなぜか私を守るように立っていた。
「そう警戒するではない。約束は約束だ」
陛下は、二人の態度に気を悪くすることもなく、私の前にいらっしゃった。
「美凛。私の元でもそのように笑ってくれたら。まあ、今更になるがな」
「陛下」
「顔を上げよ。美凛、もし紫国の王が無体な真似をするようであれば、余のところへいつでも戻って参れ。そなたの場所は残しておこう」
「お言葉ですが、皇帝陛下。我が王はそのようなことをされる方ではありません!」
「そうです!」
陛下に向かって二人はそう言い返して、私は目を丸くしたけど、側に控えていた宦官はまたかというような表情をしただけだった。
まるで私だけが事情は知らないようで、何かわからないまま、後宮の外へ連れて行かれる。
「凛!」
公明が馬車の近くで待っていた。
彼の視線が私を捉える。すると駆けてきて、抱きしめられた。
「紫国の王よ。ここはまだ皇帝領。ひかえていただけるか」
紫国の王。
そうだ、彼は王様だ。
宦官の言葉に、彼の立場を思い出し、力が弱まった隙に腰を落として頭を下げる。
「宦官殿。これはすまなかったな」
冷たい、私に呼びかけた声とはまったく違う底冷えする声で、紫国の王は宦官に告げた。
「お分かりいただければよいのです。それでは紫国の王。美凛をここに。それではよい旅を」
紫国の王からまだ顔を上げていいと返事を頂いておらず、私は地面に伏したまま二人の会話を聞くことになる。
この宦官、名前はなんと言っていたのか。
随分ふてぶてしい感じがする。
辺境といえ王には変わらないのに。
私の戸惑いは正しかったらしく、傍に控えていた白銀と赤色の髪の女性達が怒りに震えているのがわかった。
「凛。顔を上げて。君は私に仕えるものではないのだから」
宦官が去っていく足音がして、場の雰囲気が柔らかくなった。
すると彼から言葉がかかり、顔を上げる。
水色の瞳が私を見つめていて、息が止まるかと思った。
やはり彼は美しくて、見られるとどうしていいかわからない。
「陛下。凛様が困っていますよ。そんなに見つめて」
「そうか、凛。悪かった!さっ、国に戻ろう」
白銀の髪の女性は随分王と親しいようだった。彼女に言われて、王は私の腰に手を当て、馬車に乗るように誘導する。
「陛下。気が早いです」
腰に触ったことだろうか。
赤色の髪の女性が厳しい口調で咎め、王は苦笑していた。
随分、王と臣下の関係が親しい国のようだ。それとも、この二人の女性が特別なのか。戸惑いの中、馬車に乗り、私は紫国へ移動する。
馬車には二人の女性と王も同席し、にぎやかな旅となった。
白銀の髪の女性は揚で、赤色の髪の女性は翠と名乗った。王と二人は紫国の様子などを話してくれて 私は聞くだけだったけど、蛮族の国として伝えられていたことがほとんど偽の情報であることがわかった。
寝台がないこと、食事は手で行うことは、聞いていた通りだったけど、住いは今では布ではなく、木製や石製になっていること。動物は狩っても、人を食べることはないこと。
人を食べるくだりでは、王が面白おかしく話をしてくれて、かなり緊張をほぐしてくれた。
☆
紫国までは馬車で一ヶ月の旅。
まずは皇帝領を抜けるのに一日かかる。
日が暮れ始めて、私達は皇帝領の端で宿をとる事になった。
私は一人部屋を与えられ緊張していたけど、慣れない馬車の旅ですぐに眠りについた。
肌を撫で回される感触で目を覚ますと、そこには旦那様がいた。
声を出しそうになる私の口を押さえつけ、右手には鞭を持っていた。
「凛。これでぶたれたいか?おとなしくすれば、ぶつことはしない」
鞭を見ると体はすくみ上がり、何も考えられなくなる。
そんな私の口に布を詰め込み、旦那様は着物に手をかけた。
「蛮族の王にやるくらいであれば、最初から私の玩具にしておけばよかった。無駄な時間をかけさせた上、あのような金子で話がつくと思って。まあ、陛下の命令だ。聞いてやる。だが、一度くらいは楽しませてもらう。ずっと、お前を抱きたかった。陛下に献上するため、我慢していたが、もういいだろう。散々陛下を楽しませてきた体なのだから」
聞きたくない言葉が耳に飛び込んでくる。
このまま気を失ってしまいたい、そんなことを考えていたら、急に視界から旦那様が消えた。
「この外道が!」
「陛下。殺すのはおやめください」
赤色の髪の翠が私の傍にきて、着物を直してくれた。白銀の髪の揚はなにやら勇ましい格好していて。王を止めていた。
騒ぎを駆けつけて、女将が街の役人を連れてやってきた。旦那様は処罰されると、王が言っていた。
「凛。大丈夫かい?」
「はい」
王は心配そうに見ていた。
これは私のせい。旦那様の期待を裏切ったから。
「凛。私のせいだ。金を握らせれば納得すると簡単に考えていた。いやな思いをさせてごめん」
「そんなこと。王様。謝らないでください」
「王、様?」
王に嫌そうな顔をされた。
「何か聞き捨てならない言葉を聞いた。凛、君は私のことを王様と呼ぶのか?」
「はい。いけませんか?それでは私も陛下と、」
「凛。私の本当の名は黎光という。君が名づけた名前の公明でもいい。王様と呼ぶのはやめてくれないか?」
そんなこと。
王様は王でしかありえないのに。
「凛様。名前で呼んであげてください。私も普段は、黎光と呼んでますから」
白銀の髪の揚は、随分低くなった声でそう言った。
よく見ると、格好だけじゃなく、なぜか、とても男らしい。
「私は、実は男なのです。翠だけじゃ心配なので、変装して後宮に入ったのです」
「揚。お前の話はどうでもいい。凛。君も私のことを黎光と呼んでくれないか?」
王、黎光はなぜか切なげに私を見ていて、その後ろの揚もお願いというような表情をしていた。
「……黎光?」
「凛!やっぱり本当の名前で呼ばれるのはうれしいな。公明が嫌いとかじゃないよ。あの名前も君がつけてくれたから、大事に思っているんだ」
黎光は子供みたいなはしゃいでいて、私は四年前の彼の姿に今の彼を重ねる。
そしてやっと同じ人物だと、納得できた。
大人なのに、とても子供みたいな人で、守ってあげないとと思わせた人。
彼はやっぱり彼で私は安心した。
「凛!やっと私に笑顔を見せてくれた。その笑顔、ずっと見たかったんだ。私はね。十二歳の君に一目ぼれをしたんだ。だから、国に帰ってからずっと君のことを考えていた」
「黎光。告白はちょっと早すぎます。ごらんなさい。凛が引いてらっしゃいます。時間をかけてと言ったのに」
熱い視線を送る黎光の隣で、呆れたように揚がぼやく。
黎光の思いは嬉しいけど、私はまだちょっとわからない。
だけど、彼の傍で、生きていくのは幸せなことかもしれないと思った。
「凛。引かないでくださいね。陛下はずっとあなたを探していて、まだ誰とも情を交わしたことがないのですよ」
「翠!何でそんなことを言うんだ!」
「陛下の純愛を証明しようと思いまして」
だけど……黎光の思いはちょっと重いかもしれない。
そんなことを思ったのは秘密だ。
私は賑やかな二人と、王と新しい土地へ向かう。
旦那様に養われた三年、後宮での一年。
私にとっての四年間はとても楽しいものじゃなかった。
でも、これから黎光の土地で、新しく生まれ変わることができるかもしれない。