七
「約束が違います」
佳梨は、現れた男にそう言返した。
男ーーそれは皇帝の後宮の宦官だった。黎光への態度が酷かったあの者だ。
「謝礼はこれでいいだろう?青の族長の娘と一緒に吉報を待つがいい」
「そんなお金は受け取れません」
彼女は差し出された金子を払い除け、宦官の顔が曇ったのがわかる。
「佳梨。心配しないで。私はこの人を知ってるから」
彼女は本当に花芳に私を会わせたいだけだったのだろう。それでこの者の力を借りた。一介の宦官ができることはしれている。しかも金子はかなりの額に見えた。
彼は主犯じゃない。多分誰かの指示で動いている。
私に危害を加えるため。
このまま佳梨が抵抗すると、彼女の命が危ないかもしれない。
もしかしたらそもそもそのつもりだったかもしれない。
花芳を助けたいという、その気持ちを利用しただけ。
「だから行って」
私は黎光には相応しくない。私のために傷つく人を見たくない。
だから、桂梨にはこの男の要求通り、私を置いていくように伝えた。
☆
書庫から部屋に戻ると、私は文を残して佳梨と共に王宮を抜け出した。紫国にはさまざまな人種がいて、私のように黒髪に青い瞳を持つ者も存在していたので、女官の服を身につけ、化粧のやり方を変えれば、私が下賜された妃であることは誤魔化させる。けれども、それだけではまだ足りないらしく、この時間帯の警備は佳梨の知り合いの者ばかりで固めたようだった。
警備の武官の視線があまり好ましいものではなく、ますます自分が王妃には相応しくない存在であることを思い知らされる。
王宮を抜けて街に入ったところで、佳梨はある男に呼び止められた。
そうして今に至る。
「それでも、私はあなたを置いていくことができません。私は女官ですから」
「威勢がいいな。本当は消したくてたまらないくせに」
「そんなことはありません」
「嘘だな。お前は頭がいいはずだ。こういう事態も想定して俺たちの計画に乗った。今更偽善ぶるのはやめろ」
「私はあくまでも凛様を花芳に会わせるのが目的です。そのためにあなた方の力を借りた」
「まだいうか。力づくで黙らせるしかなさそうだな。それも面白いが」
「やめて。あなたの、あなた方の目的は私でしょう?佳梨、いいから。私だって何も考えていなかったわけじゃないわ。あなたはここまでいいから」
「凛様!」
「花芳に伝えて。会ったことないけれども、きっとあなたのほうが黎光には相応しいから。元気になって彼を支えてと」
「凛様!」
「ほら、そうだとよ。さっさと行きな。もし、俺のことをバラすようなことがあればお前も罪に問われる。もちろん、友達の青の族長の娘もだ。黙っていれば、王妃の座が転がり込んでくる。行きな」
「佳梨。そういうことよ。今までありがとう」
この先碌でもないことになりそうなことは予想できた。
けれども、私は王妃にふさわしくない。
花芳が私の代わりに黎光を支えてくれるだろう。
それがいい。
私はあの後宮から、旦那様の手から逃げられることができただけで十分だから。
「少し眠ってもらうぞ」
桂梨が心配そうに見ていたが、意を決したように踵を返した。それを見送ってから男が振り向く。薬を嗅がされ、私の意識は沈んでいった。




