9話 モモ「悪役令嬢は貴様か」
壁にめり込んだ男が、ぐらりとそのまま前に倒れた。
トンデモな光景に、さっきまでガヤガヤと賑やかだった酒場はシンと沈黙に包まれる。
「あっ……」
「あ」
アンとモモは2人で呟いた。
そして多分同時に思った。
やってしまった。
アンが何かを言おうと口を開きかけた瞬間、
「……な、なんだ今の! スッゲェー!!」
髭の生えた男が大きな声を出した。そして続くように
「何だ今の!」「すげぇっ、お嬢ちゃん……すげぇよ!」「人間かほんとに!」「何のスキルだよ今の!」
酒を片手に、客という客が声を上げる。なんかめちゃくちゃ盛り上がり始めた。アンはポカンとして立ち尽くす。
「お嬢ちゃんならAランクモンスターぐらい一撃でいけるんじゃねえのか!」
「いやいや、Sランクドラゴンもワンチャンぶちのめせそうだ!」
「だって、ちょっと叩いただけで吹っ飛んだもんなぁ!」
がしっ! と肩を組まれて、アンはオロオロ「え? あ、えへ? そ、そうですわよ、そうですわよね」と早口で言う。死ぬほど焦っている。
ふと視線を向ければ、倒れていた被害者の男はむくりと身体を起こし、
「死んだばあちゃんが手招きしてた……」
と、うわ言を呟いていた。
アンはかけよって、「ごごご、ごめんなさいほんとうに!」と謝りに謝る。
モモはホッとしたようにその光景を眺めていた。
なんとかなってよかった。
(これなら、しばらくは放っておいて大丈夫そうね)
気づかれないようにそっと酒場から出たモモは、夜道を静かに歩きだした。
☆ ☆ ☆
【――侵入成功、間もなく王子の元に到着予定。誰かといるようです】
モモの体内から発信されるのは、男爵に向けた魔波メッセージ。目には暗視機能が起動し、コソコソと場内を探っていく。
屋根裏に忍んだモモは、王子がいる客間の上へとたどり着いた。盗聴を起動させる。
「ーー・ーーーーまさか、アンがーー・」
(聞こえづらいわね)
しかし、アンの名が聞こえた。
もう少し注意して聞く。
「あの方は恐ろしい方……今まで、だれも逆らえなかったですもの」
(誰かといるわね……女の声)
まさか本当に裏で手を引いていた女がいたとは。
モモは若干ショックだ。
「みんな、王子には黙っていたんです。彼女の恐ろしさを。今回のことはーー王子には災難でしたが、良かったのかもしれないですわ……」
「……アンは僕のことを、本当は嫌いだったのか……」
「ええ……だって、もう王子には関わってこないじゃないですか。そして学園も退学されて……」
「君から話を聞くたびに信じられない……でも、この目で見てしまったから……」
【旦那様、死ぬほど怪しい女が王子といます。データ参照…………でました。お嬢さまのご友人……間違えた、取り巻きだった女の一人、シフォン・ラビロースト令嬢です】
聞こえないようにため息を吐いたモモは、そのあと小さく舌打ちした。
ぴぴっと脳内にメッセージが届く。
【あーあー、聞こえるかモモ。盗聴を続けろ。明らかに怪しくて、男爵笑いが止まらんナウ】
【承知しました】
会話を聞きながら、モモは右手で魔法を起動し、データベースにアクセスする。ブレッドスター家のデータ群にアクセスしながら、至る所に仕掛けてあるスパイデータと統合を始めた。
「ーー・ーーーアンは本当に敵国と通じているのか」
「じゃないと、お忍びデートの場所がバレるはずがないじゃないですか……」
「なんてことだ……」
疑心暗鬼にどんどんはまっていく王子を見て、
シフォンは一瞬だけ邪悪に微笑んだ。
モモはそれを見逃さなかった。
「わたくしは王子を裏切りません」
シフォンは、立ち上がると王子の隣に座り、白い指を王子の肩に添わせる。
「シフォン、」
「もう誰にも、貴方を裏切らせない」
シフォンの瞳がうっとりとし、王子にささやく。
王子も、シフォンの両肩を抱いた。
二人の身体が触れ合う。
ゆっくりと、シフォンの唇は王子に触れようとする。
【ーーーーイラッ】
ドカンッッッ!!!
「きゃああああ!」
「……な、なんだ! 何者だ!!」
突然の魔法炎弾の攻撃に、ふたりは身体を離して狼狽する。
ギリギリの理性で壁に打ち込んだが、
穴の空いた壁からはモクモクと煙が上がっていた。
(まずい、殺す気でやってしまった)
無意識でだ。
王子と令嬢が慌てふためき、城の兵が何事かと部屋になだれ込んでくるのを見ながら、モモは落ち着き払ってその場をあとにした。