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第7章

          7



 帰り道の足取りは、軽いというわけには行かなかった。

 この土地に巣食っていた魔女は一掃された。とはいえ、何かが新たにもたらされたわけではないのだ。逆に、失ったものは少なくない。

 半壊した城の中からは、多くの遺体が見つかった。あの不幸なイェーガーたちだけではない。異形の建物“神曲”を建造するために集められた職人たちも、口封じのために殺されていた。

 だが、夥しい死体の中には、デュランことダンテ・アリギエーリのものはなかった。


 崩れた城から外に出たとき、予想外のことがあった。一行以外の人間が待っていたのだ。

「クロウさん、それからみなさん。お疲れ様でした」

 そういって頭を下げたのは、昨日の午後、クロウのもとに訪れた青年、オットーだった。

「あんた、なんでここに?」

「クロウさんのことが気になって、宿舎に行ってみたんです。そうしたら、ベアトリクスさんの馬車が馬なしで置かれてるじゃないですか。これは何かあったんだと思いまして、馬のほうを探したんです。ほどなく戻ってきたので、この馬に道案内してもらうことにしたんです。

 さすがにベアトリクスさんの愛馬だけのことはありますね。ちゃんとご主人の居場所をつきとめてくれました」

 トリーは馬に近寄り、無言で顔を寄せた。

 最後の術の発動で体力を使いきったベルナールは、ほとんど動けない状態だった。トリーが動かす馬車の荷台に、ベルナールを載せていくことになった。

 肩を貸していたクロウが、ベルナールに言った。

「結局、うまいこと逃げちゃったみたいだね、家宰さん」

「このまま一市民として平凡な生涯を送ってくれればいいんだが、たぶんそうはならんだろうな。どこかで再起を図り、そしてまたいつか俺たちとぶつかるってわけだ」

 ベルナールは浮かない顔だ。結局、古代魔女の血は、アリギエーリの手元に残っている。

「まあ、ぼやいてもしょうがないが」

 そういうと、ベルナールは馬車の荷台に素直に横たわった。


 トリーは、ずっと無言のままだった。

 周りの人間も、あえて話しかけようとはしなかった。クロウにしても、言葉ではどうにもならない悲しさを、知らないわけではないのだ。

 ずいぶん進んだ時だった。トリーが、ベルナールの方に少し顔を向け、つぶやくように言った。

「修道士様。あたし、悔しいです。

 あの人の眼中にあったのは、結局母様だけだったんですよね。母様と魔女を一緒に復活しようとした。あたしを……ほんの小さな時から一緒に暮らしてきたあたしを、ただの材料としか、見ていなかった……。

 あの人のこと……父様のこと、ずっと大好きだったんです。尊敬していましたし、その娘であることに誇りを持っていました。愛され、期待されているって信じていましたから。だけど、結局必要だったのは、母様と同じ姿をしていた外観だけ……」

 ベルナールは手を伸ばし、トリーの肩をなでた。

「そればかりだったはずはないんだ。君は、彼から学問を教わったんだろう。その時の彼は、喜びと期待に満ちていたはずだ。私にはわかる。同類だからね。

 もし何かに凝り固まっていなかったら、君の才能もしっかり伸ばせてあげたはずなんだ。だが、そうはならなかった。信念は、不可能を可能にするが、時に人の目を曇らせる。

 ともあれ、君にはやることがいっぱい残っている。悲嘆にくれている暇はないはずだ」

 トリーは無言のままで小さくうなずいた。

 クロウの肩にいたトキコも、トリーの肩に飛び移った。

「のう、トリー。そもじの気持ち、マロも少しだけわかるぞ。

 女子(めのこ)として生まれたのに、親たちの都合で男子(おのこ)として育てられての、ずっと宮廷の奥に閉じ込められておった。やっと外に出られたと思ったら、戦場(いくさば)を連れまわされ、挙げ句の果ては海の底じゃ。

 なれど、生きていればよいこともある。マロも、思ってもいなかった遠い土地まで、こうして旅をすることができたしの」

「ってか、おまえ生きてねーじゃんか」

 クロウの言葉に、ベルナールがくすっと笑った。

「……おい、ベルナール。なんで今のツッコミが分かった……あんた、まさか」

「ん、何の話だ? いつものおまえの独り言が面白かっただけだが」


 オットーは、少し後ろを歩いている。

「オットーとやら。ちょっとよいか」

 クロウの背中から、トキコが手招きした。

「さきほどのそもじの説明じゃが、マロの見立てでは、ちょっと違っておるように思うがのぅ」

「え、何ですか?」

「クロウのことが気になって、トリーの馬車を見つけた、そう申しておったの。気になってたのは、クロウのことではあるまい。ずっとずっと、トリーのことを……」

「わ、な、何を言うんですかっ!」

「ほほほ、齢百二十年じゃぞ。隠し立ては無用じゃ。クロウの周りにおると、そういう艶めいた話が何一つなくての、実に退屈なのじゃ」

 オットーは肩をすくめると、落ち着いた口調で話しはじめた。

「ぼくは、ある事情から、幼い頃からベアトリクスさんのことを知っていました。たぶん親同士の話し合いで、結ばれることになるのではないかと言われていたからです。

 ただ、最近になって、ベアトリクスさんがとても魅力的なことに気づいて、そうなったら、逆にぼくはこのままじゃいけないって思えたんです。

 自分自身の力で、ベアトリクスさんに認めてもらえるような男になりたいと思って、背伸びしてしまいました」

「やはりの。実はマロは、やんごとなき血筋のお子様での、同類であればピンとくる。そもじ……であろう?」

「……それ、内緒ですよ」

「むろんじゃ」

「父上には、困ったものです。でも、たぶんぼくもまだ同じぐらいの困り者なんです。だから、焦っていました。

 父上は、家宰に頼りきっていた。全てを彼がやってくれたからです。ぼくも、それが普通だと思ってしまっていた」

 オットーは歩みを速め、馬車に近寄った。

「クロウさん、それにベルナール修道士さん」

 大きく頭を下げた。

「ぼく、実は、みなさんの戦いを影から見ていました。はじめは、加勢するつもりで、城に入ったんです。でも、実際の戦いを前にしてやめました。以前のぼくなら、賭けだとばかりに飛び込んでいたでしょう。でも、クロウさんに会って、役割をはたすことの大事さを教えてもらっていたから、踏みとどまることができたんです。

 ぼくは、自分の役割を果たします。ここで何がおこったのかを、男爵家の皆に、きちんと伝えます」


 シェーンブルクの市門が見えてきた時だった。

「姉様!」

 駆け寄ってきた少女がいた。リーゼだった。ずっとここでトリーの戻りを待っていたのだ。

「良かった、トリー姉様が、戻ってきてくれた」

「ごめんね、リーゼ。心配かけちゃったのね」

 トリーは馬車から降り、トリーに寄り添った。顔を上げると、ベルナールの方を向いた。ベルナールが頷く。トリーもまた、頷き返した。

「そうだ、姉様にこれ」

 美しい花束だった。

「これをとりに行ってたの?」

「うん。こんなことになるなんて思ってなかった。ほんとうにごめんなさい」

 涙をためながら謝るリーゼ。トリーはそんなリーゼを固く抱きしめた。

「いいのよ、謝らなくたって」


 ベルナールも馬車から降りた。なんとか歩ける程度には回復している。トリーと一緒に、歩き始めた。

 領主居館前の広場まで行くと、もうずいぶん大勢の民衆が集まっていた。話を伝え聞いたのだろう、どんどん人が増えてくる。

「お嬢様、良かった、ご無事だったんですね」

「トリー姉様、もうどこにもいかないで!」

 駆け寄っては、口々にそういう。トリーもひとりひとりの手を取り、感謝の言葉を口にしている。そうしている間にも人はどんどん増え、トリーの周りに幾層にも重なる円ができていた。

 ベルナールは次第に押しのけられ、いつしか円の外に追いやられていた。

「修道士様、お待ちしておりました」

 男爵家の家士たちだった。彼らもまた、集まってきていたのだ。

「何があったのか、教えてください」

「家宰様に何があったのですか。どこに行かれたのですか」

 取り囲まれて、ベルナールは言った。

「話せば長くなる。そして、君たちにとっては辛い話ばかりだ。

 ただ、それを話すのは、私の役割ではない。それを果たす人は二人いる。その一人が、そちらのお嬢さん(フロイライン)だ。彼女が話すことは、にわかには信じがたいことかもしれない。だが、全て真実であることは、この私が神かけて保証する。君たちも、信じ受け入れ、正しく対処してほしい」

「もう一人は誰なのです?」

「時が来れば、本人が名乗り出る。私の方からは名は控えさせていただこう」

 少し離れたところに、修道服の女がいた。コンスタンツァだった。不機嫌そうな顔で、頭を振っている。

「最後の魔女を自分たちだけで倒したそうですわね。わたくしが動けないのをいいことに……まるで泥棒猫のようですわ」

「また、おまえはいつになく仏頂面だな。動けないって、何かあったのか」

 コンスタンツァは顔をしかめ、頭を押さえながら言った。

「昨日の夕餉の後でした。神の血がわたくしの中に流れ込んできたのです。そしてわたくしを内側から歓喜で満たしたのですわ」

 ベルナールは、傍らにいた若い家士の顔を見た。家士は、困った顔で頭を振った。

修道女(シュベスター)が召し上がったのは、ワインですよ。家宰様の許しがあって、極上のワイン蔵を開けたら、それはもう飛び上がって喜ばれて……」

「ってことは、わかりやすく言えば、二日酔いだな」

 ベルナールは手で十字を切り、神への贖罪を口にした。そして、家士に小声で言った。

「酒はまだ残ってるな。後で、宿舎まで持って来てくれ」

 騒ぎは収まることなく、むしろ次第に大きくなっていく。その中心にいたベルナールは、苦労して抜け出した。

 そこには、クロウとウスズミがいた。

「ベルナール、待ってたぜ」

 そう言うと、左手を突き出す。

「ふん、ごくろうなことだ」

 ベルナールも右手を突き出し、軽く合わせた。


 二人は歩き出した。クロウが言った。

「一応、ここは成功したってことでいいんだよな」

「まあ、住み着いてた魔女は全て排除できたからな。駆け出しのおまえにとっては、大成功と言っていいだろう。

 俺はだめだ。上位魔女は混じってなかったし、予想外の金星も手からすり抜けていった。

 ところで、男爵がいたのに気づいたか?」

「ほんと?」

「役人たちの間に、こっそり紛れ込んでいたよ。目立たない格好をしてな。案外、見どころがあるかもしれん」

 ベルナールは、群衆をちらっと振り返った。

「さあ、宿舎に戻らせてもらおうか。せっかくいい宿出してもらったのに、俺はまだまともに泊まってないんだ」

「しばらくここに住み着いても、いいんじゃないの? 酒もメシも旨いんだろ」

 ベルナールは、頭を振った。

「あいにくだが、もう次の指令が届いている。今度は、北部だ。おまえはどうするんだ?」

「ウスズミが、あんたのことけっこう気に入ってるようだからな。しかたねえから、一緒に行ってやるよ」

 そういうと、クロウは、にっと笑った。


    ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・


 西暦1301年。魔女と人間の戦いは、3年目となっていた。

 人間は、各地に散発する魔女たちに対して、まずまず優位な戦いを展開していた。だがそれは、魔女たちがまだ本格的な攻勢に出ていないことの裏返しでもあったのだ。

 彼らヘクセンイェーガーたちの戦いが熾烈なものとなっていくのは、まだこれからだった。

(了)


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