第4章
4
傾き始めた日の中、騎乗の男が、シェーンブルクの市門へと入っていった。馬は葦毛で、ひときわ背が高い。男はつばの広い帽子を目深にかぶり、マントをまとっている。人通りが戻り始めた通りを抜けると、領主居館へと向かっていく。
裏門から敷地内に入ると、衛士が近寄ってきた。男は馬から下り、手綱を預けた。帽子の下から現れた顔は、この男爵家の家宰、デュランだった。
衛士と入れ替わりに、若い家士が一人、奥からやってきた。
「家宰様、お出かけでしたか」
「領内の巡察でね。それに、城の仕上がり具合も見ておきたかった」
マントを外し、軽くたたむ。帽子とともに受け取りながら、家士が言った。
「それにしても、護衛ぐらい付けていただかないと。
御身に何かあったら、この男爵領はどうなってしまいます?」
「その時は、閣下が直接統治されればいいだろう。案外いけるかも知れないよ」
家士は苦笑して頭をふった。
「ところで、客人が先程からお待ちです」
「イェーガーだね。どちらの?」
「両方とも。ただ、修道女の方は、食堂へ案内しましたので……」
「欲しいというものを好きなだけ、ふるまってやりなさい。特別のワイン倉を開けてもいい。たぶんもう一働きしてもらう事になりそうだからね」
「ベルナール修道士様は、大広間の方です」
デュランは軽く頷くと、歩き出した。そして、誰にも聞こえない声で、そっとつぶやいた。
「食えない方が待ってるってことだ」
男爵領の切り盛りを一手に担う、居館広間。その中にあって、デュランの執務席は、実質的な行政府と言える。今、ベルナールは、その客となっていた。
周囲の様子を眺めて歩くベルナールの足が、書棚の前で止まった。綴じた文書の類に混じって、いくつかの写本もある。装飾あるいは富の誇示のためにそうしている公職者も少なくないが、この場所のものは、装飾品としてはそぐわない。ベルナールは、背表紙をひとつひとつ読みとり、ときに感嘆の声を上げた。
一冊の本を見つけ、手を伸ばしたその時だった。
「修道士どの、お待たせいたしました」
デュランがやってきた。ベルナールはゆっくりと振り返ると、顔に笑みを浮かべながら言った。
「いえいえ、家宰殿。楽しく待たせていただきましたよ」
ベルナールは書棚を指しながら言った。
「今、拝見していたところです。ギリシャ語版の 『ニコマコス倫理学』とは、なかなか珍しい蔵書をお持ちだ。……共同することの出来ない者は野獣であり、共同することを必要としない者は神である。人は共同することによって人となる……政治家としてのあなたの指導書といったあたりですかな?」
本の一節を諳んじてみせるベルナール。デュランは首を振りながら行った。
「聖界ではそういうことになるのかもしれませんが、私どもの俗界では、そうは参りませんよ。一方的な支配や被支配も“共同”と呼ぶのであれば、話は別ですが」
デュランが進めた椅子に、ベルナールが腰掛けた。デュランは正面に座ると、言った。
「いや、鮮やかなお手並みでした。頭痛の種だった魔女の巣を、たった二日で残り一つにまで減らしていただけるとは、期待した以上の成果です。
コンスタンツァ修道女のことは、お詫びしなければ。僧籍にある方だったので、てっきりお仲間と思いましてね、あなた方が向かわれた場所へ案内したのです。教会への寄進も約束通り行いますので、その点はご心配なく」
ベルナールは笑いをひらめかせた。
「それはいい報せだ。財務卿が聞いたら、胸をなで下ろすことでしょう。しかし今の私の心配ごとは、そこではない」
口元には笑みを残したまま、鋭い視線になった。
「どこか、落ち着いて話せる場所は?」
「いいでしょう。こちらへ」
余裕を持って応える、デュラン。立ち上がり、ベルナールを誘導した。
案内した先は、中庭だった。
中央に、小さな池が設えられ、その周りに椅子が並んでている。周囲の壁には、古代の闘いの模様を描いたレリーフが飾られていた。
ふたりは椅子に腰掛けた。
切り出したのは、ベルナールだった。
「家宰殿、ひとつお伺いしたい。
回収された聖遺物は、どうなさっているのかな」
「もちろん、安全な場所に保管しております。そこがどこなのかは、申し上げられませんが」
ベルナールは大きくうなずく。続けて、デュランの眼をじっと見据えて言った。
「なぜなのです」
「集めることが、ですか?」
小首を傾げ、応えるデュラン。疑問に思うというよりは、とぼけるという言葉が似合いそうだ。
「なぜと言われましても、信徒であれば当然のことではありませんか」
ベルナールは軽く頷く。こちらも、決して納得したという意味ではない。
「ご令嬢から伺ったところによると、あなたは豊富な外交経験もお持ちのようだ。異教徒たちと直接交渉もしていたとか」
「ベアトリクスがそんなことを申しておりましたか。これは驚きましたな。そういうことをしていたのはこの地に来る前、あの子はまだほんの幼児だった頃でしたが、ちゃんと覚えているとは。子供の記憶というのは、興味深いものですね」
「私はあなたの思い出話を聞くために来ているのではない」
「ならば申し上げましょう。
私が求めているもの、それは平穏と豊かさです。シェーンブルクの住民たちは、今、たまたま手にしている。これを確固たるものにすることです。そして、領地のみならず西方世界の全てにあまねくもたらし得れば、これにまさる喜びはありません。そのための現実的な行動をしようと思っているのですよ。
別の言い方をしましょう。私が目指していることは一つ。魔女に怯えることのない暮らし、ですよ。そう、魔女との宥和です」
「馬鹿なことを!」
強い口調で、ベルナールが言った。
「家宰殿、あなたは知らなすぎる。魔女は人間ではない。話し合いのできるような相手ではないのですぞ」
ベルナールの言葉に、デュランは口の端で笑った。
「教会の方は、いつもそうだ。自分だけが真実を知っていると思って、何でも決めつける。そしてその結論は、常に血と炎だ」
デュランは、レリーフの前に立った。
「二世紀前に始められた十字軍、あの馬鹿げた試みこそが、教会の罪深さを象徴している。闘いなど望んでいなかったサラセン人を一方的に攻め立て、行く先々で老若男女を問わず、死体の山を築いた。全て教皇の命令で行われたことです。
キリストの名を冠した軍隊は、エルサレムを占領したとき、殺した異教徒の数を神に向けて誇ったと聞いています。しかし、私にはその戦士たちが天国に召されたとは、とうてい思えないのですよ」
「十字軍は、確かに愚行だった」
東方にあった十字軍国家が全て滅んでから、十年余りがたっていた。一方的な侵略によって建国された四つの国はすぐに守勢に立たされるようになった。以後援軍として大小様々な十字軍が派遣されたものの、弱さと堕落を示すだけの結果に終わっている。
「私の家系は、しばしば皇帝の宮廷に仕えておりました。祖父は、フリートリヒ2世陛下の側近です。
あなたたち教会の人間は、異教徒といえば殺すものと決めつけていた。でも、フリートリヒ陛下は違っていた。教皇グレゴリウス9世の命で赴いた一二二八年の十字軍では、イスラムの皇帝と親しく会談し、聖地エルサレムの奪還すら話し合いで実現したのですよ。だが、あなたたち教会は、そんな陛下にどう報いましたか? 破門、でしたね。異教徒の血を流させないなど、もってのほかだと。
至福聖年祭がフリートリヒ陛下のような方によって主催されていたのなら、西方世界の置かれている状況も、今とはずいぶん違ったものとなったことでしょう」
ベルナールはいらだちを隠そうともせず、言った。
「異教徒との交流についてのあなたの経験と見識はわかった。だが、言わせていただこう。それこそが、誤謬の元なのだ。
私は実際に魔女たちと幾度となく接している。あなたの思っているような存在でないことは、肌身でわかっているのだ」
「それは十字軍の場合と同じでしょう。最初から戦うつもりでいる、これでは友好的な話し合いなどできるはずがない」
鋭い指摘を受け、言葉に詰まるベルナール。デュランはすかさず続けた。
「加えて言えば、相手もそうだということですよ。あなたたちイェーガーが戦っている相手、これはいわば兵士だ。当家の騎士セバスチャンのような、無教養で野蛮な輩です。確かにそういう手合と交渉をしても無駄でしょう。しかし、もっと上位の魔女となれば、話は違う」
「上位の魔女ね……そんなものが現れるのを待つおつもりか」
「それもひとつの手かもしれませんが、積極策がとれるのならば、そうしたほうがいいでしょうな。そもそも、聖遺物のことを私に尋ねるという時点で、もう大凡の答えはわかっているのでしょう?
ひとつだけ、言わせていただきましょう。なぜ自分たちだけが知っていると思いたがるのですか? 魔女にまつわる肝心なことはどれも秘密になっていて、世の中に広まっているのは、ばかげたお伽話ばかりだ。だが、古文書を読み解く力は、教会だけが独占しているわけではありませんよ」
デュランの口調は穏やかだ。だが、言葉の端々に、刺々しい響きが潜んでいる。これから始まる攻勢の前触れのようだ。今、潮目が変わろうとしていた。デュランが続けた。
「そう、教会の方というのは、情報を自分たちだけのものだと信じて疑わないようだ。全てのことは隠し通せると思っている。しかし真実がひとつだとすれば、それは誰にとっても共通です。
そうではありませんか、異端審問官ベルナルドゥス・グィドーニス殿。いや、“枢機卿猊下”とお呼びしたほうがよろしかったかな」
睨みつけるようにしてベルナールに向かうデュラン。しかしベルナールは対照的に、視線を交えることなく、無言で正面を見据えている。その事実が、デュランの一撃が決して小さなものではないことを物語っていた。
無言のまま、凍りついたような時が流れた。そして、先に口を開いたのも、デュランの方だった。
「私はむしろあなたのような方にこそ、その交渉役をやっていただきたいのですよ。今や本当はどこにあるのかもわからない教皇庁に、忠誠など誓う必要がありますか? もうよそうではありませんか、至福聖年祭以来姿を消し、どこかの穴蔵から命令だけを出しているような卑劣な老人を“教皇”などと呼んで崇めるのは。ボニファティウス8世など、権勢欲にとりつかれたあわれな小人物に過ぎない。
今、この西方世界を率いていくのは、名ばかりの教皇などであるべきはずがない。もちろん、皇帝や諸侯でもありません。彼らには、民衆を護ることなどできないからです。連中に変わって世界を率いていく新しい指導者が必要だ。深い智慧と正しい判断力を持ち、しかし同時に身分を隠して第一線の現場に立つことも厭わない、知と勇を兼ね備えた者……つまり、あなたのような人ですよ」
ふたりとも表情の変化は一切ない。その変化の無さ自体が、この場に流れる闘気の激しさを物語っていた。ベルナールは、今はじっとデュランを見ている。デュランもまたベルナールを見つめている。
さきほど以上に長い沈黙が流れた。口を開いたのは、今度はベルナールの方だった。
「…なるほど。宣戦布告、しかと受け取りましたよ。では、失敬」
踵を返し去っていくベルナール。その後姿を見ながら、デュランは軽く首をすくめた。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
裏通りに面した窓に小石をぶつけると、小さな顔が出てきた。領主の居館だ。しばらくして通用口が開いた。
「トリー姉様! おかえりなさい」
「ただいま、リーゼ」
そういうとトリーはリーゼを固く抱きしめた。
トリーは困惑した表情で言った。
「姉様、どうしたの?」
「あ、ごめんね。ちょっとヘンだったね……」
自分でもわからなかったが、リーゼの姿を見ると、そうせずにはいられなくなってしまったのだ。
クロウはすぐ横に立っている。
「この子がリーゼちゃんか。オレ、クロウ。よろしくな」
スカートをつまんで、ちょこんと挨拶をするリーゼ。改めてクロウの顔をじっと見た。
「あ、この人って、昨日街に入ってきた人でしょ? 遠眼鏡で見たのとおんなじ!」
思わずトリーを見るクロウ。トリーは慌てて視線をそらす。
リーゼが言った。
「ねえ、お兄ちゃんって、修道士さんのお稚児さんなんでしょ。ふだんどんなことして遊んでるの?」
「はあ!?」
「トリー姉様が教えてくれたよ。偉い人の遊びの相手をする子だって」
「……あのな、トリー」
クロウの表情に、怒気が浮かぶ。
「え? あたしそんなこと言ったっけ? ……あははは」
「オレ、そういうんじゃねーから!」
クロウはリーゼの方を向き直した。
「いいか、リーゼちゃん。隣りにいた坊さんとは主従でもなきゃ、師弟でもない。対等な立場の……んーとな、なんだ、その……」
子供に向かって得意げに語るには、“魔女を狩る者”の名は血なまぐさすぎたのだ。結局出てきた言葉は、デュランと同じだった。
「魔女の専門家だ」
すると、リーゼの表情がぱっと明るくなった。
「え、じゃあトリー姉様、やっと魔女に会えたんだね! どうなの、魔女になる方法、教えてもらえた?」
あわててトリーが口を抑える。クロウが呆れたように言った。
「こんな小さな子にまで、魔女になりたいとか言ってるのか?」
「小さな子だから言えるんじゃない。他の人には内緒よ。火炙りにされたくないもの」
クロウが言った。
「じゃ、オレ宿舎に戻ってるから」
「ばいばい、クロウお兄ちゃん」
居館に入ったトリーたちは、狭い階段をいくつも登った。そして、誰もいないことを確認してから屋根裏部屋に籠もった。
トリーはその日の出来事を熱く語った。森の中の道や丘からの風景、そして古い聖堂の佇まい。やがて、聖堂の中の話題になっていった。
「魔女ってね、司祭様が言ってたのと全然違ってた。すっごくかっこいいの。綺麗で、強くて、凛々しくて。鷹みたいな鳥をお供に引き連れててね、それに自分も鷹のように自由に翔べるの。飛びながら、火の玉を作って、投げつけちゃえるの」
「そうなんだ」
リーゼは目を輝かせて聞いている。あるいは、トリーの話から、鷹のように飛んでいる自分を想像しているのかもしれない。
「でも、お話することはできなかったの。
リーゼは“魔女を狩る者”って知ってるよね」
たちまちリーゼの表情が曇った。
「前にいっぱい来た、怖い人たちだよね」
その時の光景は、トリーも覚えている。デュランが街道沿いに出した触書に応じて、大勢のイェーガーが集まってきた時のことだ。野蛮な武器を隠そうともせず、派手な衣装で自らを飾り立てる彼らの姿は、守護者というよりはむしろならず者に近かった。小間使いのリーゼは、滞在中もずっと世話をすることが多く、ずいぶん怖い思いをしたそうだ。出撃した彼らが全員死んだと聞かされた時、ほっとした市民は、決して少なくなかっただろう。
その先を話そうとして、さっきクロウが自分を「魔女の専門家」と名乗っていたことを思い出した。やはり、リーゼには隠しておいたほうがいいのかもしれない。あえてクロウたちの名を出さず、トリーは続きを話した。
「魔女はね、二人のイェーガーと対決してたの。イェーガーを追い詰めて、攻撃に出ようとしたんだ。でもその時天井が崩れてきて、魔女も使い魔も、みんな下敷きになっちゃったの。最後に修道女みたいな女イェーガーが現れて、魔女は殺されちゃった」
「そうなんだ……かわいそう」
そう言ってから、リーゼははっと気づいた。
「でも姉様、元々魔女の巣は、四カ所なんだよね。これで三つがなくなっちゃったってこと?」
「そうなのよ!」
羊皮紙を取り出した。父様の執務席にあった地図を書き写したものだった。既に二箇所に×印が付けられている。
「今日行った場所がここでしょ? ってことは、最後の場所ってここになるのね」
「そこ、知ってる」
「行ったことあるの?」
「近くまでだよ。薬草採りのお手伝いでね。すごく怖い感じの森だよ。森の真ん中にお墓があるんだけど、そこまではおとなもぜったい近寄らないんだって」
トリーの表情に困惑が浮かんだ。
「もし殺されちゃったら、あたしもう魔女とはぜったい会えなくなっちゃう。でもクロウたちも今度は連れてってくれないだろうし、あの女イェーガーだって狙ってるはずだし。ああ、もう、どうしよう……」
そんなトリーを、リーゼはじっと見つめた。やがて、無言でうなずいた。心のなかで何かを決めたようだった。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
トリーを送っていったクロウは、人通りの少ない裏通りを一人宿舎へと歩いて行った。
その後姿を追っている者がいた。
ある意味、これほど楽な尾行もないだろう。長い黒髪の少年など、このあたりには誰もいない。ましてや、戦闘帰りの今日のクロウは、緋色の鎧を着ている。
だが、角を曲がったところで、まるでかき消されるかのように消えてしまったのだ。
あわてて小走りした直後、男の喉元に冷たいものが押し付けられた。
「おい、何のつもりだ?」
男の額に、冷や汗が流れた。
「も、申し訳ない。あなたに危害を加えるつもりはなかったのです。
あの、クロウさんですよね、“魔女を狩る者”の」
クロウは手をゆるめた。
「ぼく、オットーっていいます。シュテルンベルン男爵家に仕えてます。
実はクロウさんにお願いがあって、話しかける機会をうかがっていたんです」
クロウは手を話した。武器は持っていない。さきほど喉に押し当てられていたのは、金属製の二本指だった。
正面に向き直したオットーは、クロウに言った。
「単刀直入に言います。ぼくを魔女狩りに連れて行って欲しいんです」
「はぁ!?」
クロウは思わず聞き返した。
「それって、“魔女を狩る者”になりたいってこと?」
「いえ、必ずしもそういう仕事につきたいわけでは……」
「でも、魔女狩りには参加したいんだ。だけど、あんたまだ大人じゃないよね」
「こう見えても、ぼくは十七歳です。元服も済ませました。自分のことを自分で決められる年齢です」
クロウはあらためてオットーを観察した。身なりのいい若者で、高価そうな剣を着けている。体格的にも、そんなに悪くない。ただ、全体としてどうにも鍛えている感じがない。
「あんた、戦闘力は?」
「一通りの武術は心得ています。あたっ!」
試しに軽く繰り出してみた拳を、全く避けることなく決められてしまう。
クロウが呆れていった。
「全然だめじゃん」
「いきなりなんて、ひどすぎます」
「じゃあ、いきなりじゃなく、せーのでやろうか」
「望むところです」
「3つ数えたら、始めるぜ。1、2、3!」
次の瞬間、オットーは組み伏せられている。
「いてててて、痛い痛い!」
手を離して、クロウは立ち上がった。オットーは顔をしかめたまま、うずくまっている。
「んー、なんていうか、すがすがしいぐらいに弱いね。何かオレに勝てそうなの、ないの?」
「あの、騎馬での槍試合なら、なんとか……」
「オレにできるわけないだろ!」
それでも、オットーの表情は真剣だ。クロウはたずねた。
「魔女狩りに参加して、どうするつもりなのさ」
「それはもちろん、魔女と戦います」
「たぶん、死ぬぜ」
「これは、賭けです。
ぼくは確かに弱いみたいです。でも、生きるか死ぬかの淵まで追い込まれたら、隠された能力が発動するかもしれない。つまり、賭けなんです」
どっと力が抜けたような気がした。こうまで言われてしまうと、返す言葉が思いつかない。
そのとき、トキコが眼をさました。ふいにクロウの肩の上に現れると、あたりをきょろきょろと見回す。
「ん、なんじゃ。なにかあったのか?」
すると、オットーは、驚愕の表情でトキコを見つめた。
「え、あの、今クロウさんの肩に、異国情緒にあふれた小さな子がしがみついていますけど……いつの間に?」
「ほう、そもじマロが見えるのか」
「わ、喋った!」
クロウが言った。
「こいつはトキコって言う。まあ、あんまり詳しいことは話せないけどな、誰にでも見えるわけじゃないんだ」
「そうなんですか」
「あんたが怪しいやつじゃないことは、これでわかったよ。でも、それだけじゃ、仲間にはできない」
「だめですか……」
「自分の問題に置き換えて考えてみるといい。
一緒に行動するってことは、自分にとって足し算にならないと意味ないよな。つまり、何か役割を果たせるってことが必要なんだ。
オレはたいていベルナールの旦那とふたりで仕事をする。もしもう一人加わるんなら、オレとベルナールの二人ではできない何かがないとね。
あんたの場合、そういうのがなさそうなんだよ」
オットーがみるみる落ち込んでいくのが、みてわかった。トキコが言う。
「のう、そもじなんで魔女狩りなんかに参加したいのじゃ? マロはよんどころなき事情で何度もつきあわされておるが、あれは決して楽しいものではないぞ」
「はあ、理由ですか。それはちょっと……」
クロウは首をすくめた。もうこれ以上関わっている意味はないだろう……。
「オレに関しちゃ今行ったとおりだけどさ、イェーガーなんてのは卑しい仕事だから、探せばいるんじゃないかな、金で話のつくやつ。
賞金と同じ額払うから現場に連れてけって言ったら、断らないやつもけっこういると思うよ」
クロウは軽く手をふって、背中を向けた。トキコは小さくなっていくオットーをじっと見た。悲しそうな姿が、印象的だった。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
宿舎に戻ったクロウは、床に敷かれた大きな敷物の上でくつろいでいた。
脱いだ甲冑は、きちんと組み上げて、部屋の片面に置かれている。あたかもそこに武将が座っているかのようだ。義手も外され、一緒に置かれている。ただ、本来そこに立てかけてあるはずの剣クサナギは、今はトキコになっていた。
「昼間会ったあの青年、なんと言ったかのう」
「オットーとかってやつか」
「そうじゃそうじゃ。あの歳でマロが見えるとは、奇特なことじゃ」
「でも、戦いの場では全然役に立たなさそうだぞ。純真な心なんかなくたって、頼りになるやつの方がいいよ」
典型例がベルナールだなと、言いながらクロウは思った。
「そうそう、戦いじゃ。いや、今日という今日は、もうだめかと思ったぞ」
トキコは横になったクロウに馬乗りになっている。
「それでも、マロに手を伸ばそうとしなかったのは、良い子じゃった。
よいか、くれぐれも言っておくぞ。どんなに追い詰められようとも、マロを抜くことだけはならぬからな」
まるで保護者のような言い方に、クロウは思わず苦笑する。
「おまえって、なんでそんなにオレを子供扱いするんだよ。昼間会ったリーゼって子よりもチビのくせに」
「失敬な! マロは齢百二十歳じゃ。そもじなど、子供も子供、危なっかしくて見ておれぬわ!」
「そんなこと言ったって、オレが抜くまでずっと眠ってたんだろ? 起きてる時間足したって、やっぱりチビじゃないか」
扉が開く音がした。ベルナールだった。
「おかえり、ベルナール。家宰さん、どうだった?」
「どうもこうも」
不機嫌そうな顔でそう言うと、クロウの横に座った。
「まあ、あいつが額面通りの人間だとは、ハナから思ってなかったがな。田舎貴族の家臣にしちゃ、できすぎてると思ってたんだ。
クロウ、地図を出せ」
床の上に地図を広げると、手元の羊皮紙と見比べている。
「やはりな……これは最初から一つずつ調べていくしかなさそうだ」
「今日やったのは、ここだよね」
「残りは一つ、ここだ。昔の領主の墓だが、深い森になっているようだな」
ベルナールが指し示した場所には、見慣れない記号があった。
「じゃあ、明日の仕事はこいつだな」
だがベルナールは首を振った。
「その前に、もう終わってる二つの聖域を調べてみたい。
ただ、あまり時間もない。そろそろ本部からの回答も来る頃だしな。
クロウ、明日朝イチで馬を貸してくれ」
「ウスズミ自身がいいって言ったらね」