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第3章

          3



 森の中の道だった。生い茂る草や張り出した梢がときおり視界を遮るものの、通る者を迷わせるほどではない。朝の柔らかな光が木々の間から差し込み、薄く(もや)の掛かった空気を照らしている。

 ベルナールが先頭を歩いていた。一人だったのは、ふだんならすぐ横を歩くクロウが、遅れをとっていたからだ。その理由は、予定外の同行者にあった。

「ねえ、見て、これ!」

 若い女の歓声があがった。トリーだった。

 出発してからというもの、ずっとこの調子だ。森のあちこちで何かを見出しては歓声を上げ、その都度足が止まってしまうのだ。

「素敵だわ! 鳥ってこんなに小さな体なのに、こんなに大きな声でさえずるのね。それに、いろんな声が混じってる」

 そう語る声そのものが、まるで鳥のさえずりのようだ。

 クロウはそんなトリーを見守るべく、少し後ろを馬とともに歩いている。軽くためいきをつきながら、たしなめた。

「トリー!」

「……あ、ごめんね。あんまり騒いじゃだめなのよね。でも、ほんとうに感激してるの。あたし、これまで街の外にほとんど出たことなかったから。この景色、リーゼにも見せてあげたいなあ……あ、リーゼっていうのは、あたしの妹分で、小間使いの女の子。それでね……」

 その会話と同じようになかなか真っ直ぐには進まないトリーの歩みのせいで、ベルナールは大きく先行してしまっている。振り返ると、クロウを手招きした。

 苦い表情を浮かべながら、小声で言った。

「どういうことだ、クロウ」

「どうって?」

「だから、あの娘だよ。なんでわざわざ家宰の箱入り娘なんか連れてくるんだ」

 クロウは、少し決まりの悪そうな表情を浮かべた。

「あの子、魔女になりたいって言ってるんだ」

「魔女になるだぁ? また、馬鹿なことを」

「だろ? でも、本人がそう思い込んでるんだよ。だったら、口で言うより、実物見せてやったほうが早いじゃないか」

 睨みつけるようにクロウを見つめていたベルナールが、ふっと息を吐いた。表情はまだ苦いままだ。ただ、いくぶん別の成分も滲んでいる。

「なるほど。で、おまえがそうしてナンパに勤しんでいる間、俺は一人で魔女と戦うってわけか」

「オレもちゃんと仕事するって」

「まあ追い返すわけにもいかんからな。ただ、連れてきた以上、ちゃんと面倒見るんだぞ」

「わかった」

 戻りかけてから、言った。

「そうだ、あとひとつ教えてよ」

「何だ?」

「さっき言ってた、“ナンパ”ってなんだ?」

 ベルナールはクロウの顔をじっと見て、言った。

「知らないってことは、知る必要がないってことだよ」


    ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・


 丘の上だった。多くの方向に視界が開けており、その一つ、指呼の距離に石造りの古い聖堂があった。大都市にそびえているものとは対照的に、素朴で無骨な造りをしている。とはいえ規模的には引けをとらないほどに大きい。そして、かなり傷みが進んでいることが、遠目にもわかった。

 一行は、実質的に休憩に入っていた。

 ベルナールはこの場所に到着したときから、一つの作業に没頭している。三脚架の上に載せた装置を操っては、羊皮紙にあれこれ書き込みをしていたのだ。装置というのは円盤の上に半円の板を垂直に取り付けたもので、それぞれに細かい目盛りが切ってある。ベルナールは、あちこちに角度を向けながら、同じ作業をずっと繰り返している。

 クロウにとっては見慣れた光景で、今さら注目するまでもない。だがトリーには違っていた。食い入るように、じっと見つめていたのだ。視線には、単なる好奇心とは異なるものが含まれていた。

 そんなトリーの様子に気づくと、クロウが言った。

「あんなの見てて、面白いのか?」

 そういわれても、トリーはなかなか視線を移そうとはしない。やがてぼそっと言った。

「クロウ、今退屈してるでしょ」

「いつものことだからな、旦那のヘンな儀式は。気にしてちゃ、きりがないさ」

 トリーはクロウをちらっと見ると、少し肩をすくめた。そして、荷物の中から一本の筒をとりだした。

「じゃあ、退屈しのぎにこんなのどう?」

 トリーが発明した遠眼鏡だった。クロウたちはシェーンブルクの街に最初に入ってきたときにこれで視られていたのだが、むろん知る由もない。トリーが言った。

「これを聖堂に向けて、覗き込んでみてよ」

 怪訝な顔で遠眼鏡を手にするクロウ。だが、覗き込んだ瞬間、表情が変わった。

「うわっ、何だこれ! 遠くのものが、すぐそこにある!」

 鋭く叫ぶ。心底驚いているようだ。筒の中と外に目を行き来させながら、自分の視界に映ったものを確認している。

 トリーが得意げに言った。

「ね、すごいでしょ。遠眼鏡って言うの。あたしが自分で作ったのよ」

 クロウはうなずくと、筒先をあちこちに向けはじめた。

「すっげー! こりゃいいや。こいつがあったら、偵察にだって行かずに済むし」

「……もうちょっとましな使い方とか、思いつかないの?」

 あきれたように言う、トリー。その場にちょうどベルナールがやってきた。

「どうした?」

「ベルナール、これ、これ! 聖堂に向けて、覗き込んでみなよ」

 遠眼鏡を手渡されたベルナールは、クロウのときと同じように(いぶか)しげな面持ちで覗き込んだ。直後、ベルナールの表情に、驚愕が走った。

「こ、これはッ!」

 叫んだりはしないものの、筒の中と外を交互に見て、その都度表情を変える様子は、クロウと同じだ。

「遠眼鏡って言うんだ。トリーが自分で作ったんだってさ」

 ベルナールは遠眼鏡から目を離し、トリーをじっと見つめて、言った。

お嬢さん(フロイライン)、君はこれをひとりで作りあげたのか?」

「あ、いえ、考えて組み立てただけなんですけど。レンズを作ってくれたのは、ガラス職人さんです。レンズって不思議だなって思って、ふたつ組み合わせたらどうなるか考えてみたんです」

「うん……確かに理にかなっている。第一のレンズで集めた光を、第二のレンズでまとめるということか。しかし、東方(オリエント)にだってこんなものはないはずだ……」

 そういってしゃがみ込むベルナール。かつて読んだ文献のことを思い出しているのだろうか、ぶつぶつ口の中で喋っては、一人うなずいたり頭を振ったりしている。

 そんなベルナールに向かって、トリーがおずおずと切り出した。

「あの、違ってたら恥ずかしいんですけど、先ほど修道士様がしてたことって、測地じゃありませんか?

 今いる場所がどこなのかを正確に調べるための技術ですよね。手にされている道具が、ディオプトラって言うんでしょう?」

 ベルナールは思わずトリーを見つめた。自分の行為を詮索する者は少なくないが、意味を説明しても、まず解ってもらえない。そのためベルナールは、適当にごまかすための口上を何通りか用意していた。だが、今目の前にいる少女は、一言も説明していないのに、それの正体を完全に理解していた。

「なんでそれがわかる?」

「本で読んだことがあるんです。父の蔵書の中にあったものですから……あ、でもあたし古い言葉はラテン語とギリシャ語しか読めないから、書いてある内容は父に教えてもらったんですけど。

 父はいろいろな国の言葉がわかるんですよ。アラム語やコプト語の本なんかも、書庫にはいっぱいあるんです」

 ベルナールは大きく頷くと、木の枝を拾い上げて言った。

「もし、“サモス島のピュタゴラス”という名前を見つけたら、読んでみるといいだろう。ギリシャ語で書かれているから、君にも読めるはずだ。三角形の性質について興味深い法則を打ち立てている。

 それに基づくと、ひとつの辺の長さがわかっていれば、角度を正確に測ることで他の辺の長さもわかるのだ」

 木の枝を使って地面に図を書きながら説明していく。ディオプトラの使い方だけではなく、それを成り立たせている原理や基盤となる知識についても合わせて解説していった。やがて、説明するベルナールの口調に熱がこもってきた。変化の理由は、トリーの反応だった。原理原則の部分を吸い込むように理解していくトリーに、ベルナールは率直に感心していたのだ。

 ひとしきり話し込んでから、おもむろに言った。

「いや、驚いたな。私もいろいろな土地を訪れているが、君のような令嬢には会ったことがない。ずっと話をしていたいぐらいだが、あいにくすべきことが他にある」

 立ち上がると、クロウの方を向いた。

「偵察に行ってくる。しばらく頼むぞ」

「えー、ここから見えるじゃん」

 ベルナールは苦い表情を浮かべる。

「やつらは中にいるんだぞ。そこまでは見えんだろ」


 しばらくの間、クロウは遠眼鏡をあちこちに向けていたが、やがて飽きてしまったのか、トリーに返すと、草の上に座り込んだ。

 トリーも隣に腰を下ろした。

「今日はトキコちゃん、剣のままなのね」

「寝てるんだろうな。まあ、見たとおりのお子様だから。

 実のところさ、なんでもないときって、だいたいこうなんだよ。変わったこととか危険な目にあうとか、そういうときだけ目が覚めるみたいだ」

 風が吹き、木々がざわめいた。トリーはクロウの方を向き直し、言った。

「あたし、外の世界がこんなに豊かだなんて知らなかった。それに、やっと魔女にも会えるのよね。今日は、連れて来てくれてありがとう」

 クロウは肩をすくめた。

「君があんなこと言うからな。いったい魔女について何を知ってるっていうんだ?」

 クロウは自分の意図について、まだ話していない。“魔女と会いたいなら、オレが実物のいるところまで連れてってやるよ”、そう言っただけだった。感謝を口にしたトリーだが、その前提になる“会わせる”の意味は、彼女が思っているのとはずいぶん違っているはずだ。

「3年前、至福聖年祭のローマに大群で現れたんでしょ? 西方世界(エウロペ)中から集まった有力者の前で、“人間の時代はもう終わった。これから地上を支配するのは、より強き生き物である、魔女だ”……って宣言したのよね」

 そのあたりの事情は、クロウは知らない。人類の敵であることにも興味がない。ただ、自分の敵であることがわかっている。クロウにはそれで十分だった。

 返事をしないでいるクロウに、トリーが言った。

「もちろん、自分が見たわけことなんてないわ。飛べるとか、火を起こすとか電撃を放つとか、みんな司祭様のお説教で聞いただけだし。

 でもほんとはね、そんなことどうだっていいの。

 あたし、今みたいな世の中が嫌なの。壊れちゃえばいいって思ってるの」

 クロウは思わずトリーを見返した。まなざしは真剣だ。

「前にも話したけど、父様ってすごいのよ。広い男爵領を全て管理してる。どこにどんな領民がいて、どんな暮らしをしてるとか、飼ってる家畜の数とか作物の量とか、全部把握してるの。それだけじゃないよ。薬を作ったり領民を避難さたり、砦を築いたり。災害や外敵から領民たちを保護するのも、全部父様。それに、いろんな国の言葉がわかるの。サラセン人とかムーア人とか、異教徒たちとだって、通訳抜きで話せちゃう。

 この土地を治めてるのって、どう考えたって父様よね。でも、あくまでも男爵様の家臣。遊んでばっかりで、教養もなくて考えることも苦手で、おまけに優柔不断で女癖も悪くて、そんな人が、いつまでたっても上にいる。

 魔女の方が人間よりも強いんなら、魔女が世界を支配するのも当然よ。あたしは、そういう世界の方が正しいって思う」

 これまで見せたことのない険しい表情で、トリーはそういった。だが、クロウの反応は冷ややかだった。

「じゃあ、君が魔女になりたいってのは、世界の仕組みをぶっ壊す力が欲しいってことなのか?」

「そう言われると困るけど……」

 困惑するトリー。だが、すぐに顔を上げた。

「でも、あたし、間違ったことには使わない。そうね、父様と同じように領民を守るのに使うわ。魔女って、病気を起こしたり作物を不作にしたりできるんだから、その逆だってできるわけじゃない。あたし、魔女になったら、疫病や災害から領民を守る。戦う力だってあるんだから、それも使う。領民のみんながつらい思いをすることもなくて、安心して仕事ができるよう、守ってあげる」

「それじゃ、領民(かれら)は家畜と同じだな」

 トリーの表情が一変した。クロウは、気にせず話を続ける。

「ここにいるウスズミは馬だけど、自分の意志でオレについてきてくれてる。誰からも束縛されてないし、守られてるわけでもない。オレにとっては頼りになる相棒で、オレもこいつから頼られたいって思ってる。君が言う領民ってのは、そうじゃないよな。自分よりも劣っていて可哀想だから護ってやる、そういうことだ。それって、ニワトリやブタの扱いと変わらない」

「じゃ、クロウは今の世の中のままでいいって思うの?!」

 トリーが声を荒らげる。クロウの返事は対照的で、前にもまして冷めたものだ。

「世の中の仕組みか……。そういうのはどうだっていいな。オレにできるのは、自分の手が延びるところまでだ。旅してれば、範囲も広がる。でもそれより遠くにあることなんて、気にしたってしょうがない」

「それこそ、動物と同じじゃない!」

 刺々(とげとげ)しい語気で、叩きつけるように言った。

「自分の周りを変えようとしないで、自分自身も変わろうとしない。今できることだけにしか興味がなくて、どうなりたいとかどうしたいとかって気持ちもなくて!」

「それの何がいけないんだよ」

 それまでになく低い声だった。

「それに、動物と同じって決めつけ、罵倒してるつもりなんだろうけど、むしろオレそうありたいって思ってるから」

 クロウはもうトリーの方を見ていない。これ以上言葉のやり取りをするつもりがないようだ。

 トリーは何かを言おうとした。ただ、言葉になる前に、消えてしまう。そんなことが何度か続き、喋っていない状態が普通になった。黙ったまま、ふたりは森の中にいた。


 ベルナールが戻ってきた。

「おかえり、ベルナール。どう、魔女いた?」

 ベルナールは無言でうなずくと、クロウを物陰に連れて行った。

「いるにはいるんだが、一つ問題がある。そいつだけじゃないってことだ」

 いつになく険しい表情で続けた。

「先に入り込んでいるやつがいる。まだ靴跡が真新しい」

「それって、悪い知らせなの?」

 ベルナールは首をすくめた。

「蜂の巣をとるとしてだな、へっぽこな誰かが既に突付いた後と前、どっちがいいって思う?」

 クロウの表情が曇った。ベルナールが続ける。

「そんなわけで、前言撤回だ。クロウ、おまえもついて来い。知っての通り、俺の法術の多くは、仕込みを必要とする。こういう局面では、一人じゃ分が悪い」

「了解」

 クロウは短く答えると、手早く身支度を整え始めた。ベルナールは馬に近寄り、荷物の中から装備品を取り出しながら、トリーに声をかけた。

お嬢さん(フロイライン)!」

 トリーはすぐには動けなかった。先ほどのクロウとの言い合いが尾を引いていたのだ。しばらくしてから呼ばれたことに気づき、あわてて駆け寄って行く。だが、トリーは、そこにいたベルナールの姿を見て、思わず息を呑んだ。

 ベルナールは、トゥニカを脱いでいた。だが素肌ではなかった。僧侶にはおよそ似つかわしくない、いかつい装甲が着こまれていたのだ。装甲の下の肉体も、頑強だった。広い肩幅に分厚い胸板。今、この姿をみたら、誰もが彼を修道士だとは思わないだろう。

 だが、そんなトリーの困惑の視線に気づくこともなく、ベルナールは言った。

「クロウに君を護らせるつもりだったが、事情が変わった。君はここで私達の戻りを待っていなさい。もし危険を感じるようなら、この馬を頼るといいだろう。これは賢くて強い。君を安全なところまで連れて行ってくれるはずだ」

 ベルナールの装甲は、騎士や兵士のそれのような、ただの鎧ではなかった。銀色の輪を組み合わせた胴着で、ところどころが鱗状の金属片で補強されていた。話している間も、次々と装備品を装着していく。さらにメイスやダガーなどの武器、そしてトリーには理解できない様々な道具が、あちこちに取り付けられていった。

 ベルナールの手が止まった。トリーの視線にようやく気づいたようだ。

「そうか、君はまだ聞いていなかったんだな。私たちは、“魔女を狩る者(ヘクセンイェーガー)”。あの聖堂に住み着いている魔女たちを駆除するためにやってきている」

 まだ何が起こっているのか飲み込めていないようだ。

「え……駆除? だって父様は、“魔女の専門家”って……」

「父君は、殺伐としたことを君に話したくなかったのだろう。だが、私達の役割は、論じることでも書き留めることでもない。闘い、倒すことだ」

 手にしていたトゥニカを頭から被ると、ぱっと見は元の“旅の修道士”に戻った。

 クロウも近づいてきた。既に戦闘の準備を終えている。その事実が、彼もまたイェーガーであることを示していた。

「ごめん。君に魔女の実際の姿を見せてあげたかったんだけどな、中途半端になっちまった」


    ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・


「わ、何なの、ここ」

 間近で見た古い石造りの聖堂に、トリーは思わず声を上げた。

 待っていろという言いつけを最初から破るつもりだったわけではない。ただ、あまりに手持ちぶさただった。それに、魔女に会うという本来の目的が達成できないまま終わってしまいそうなことに、我慢できなかった。朝の日射しが次第に昼間のそれに変わり始めたとき、トリーは意を決して立ち上がったのだ。

 こうして近くで見てみると、見慣れた街の建物とはまるで違っている。石造りとはいえ、装飾は何もなく、分厚い石材が無骨に積み上げられているだけだ。相当に古い時代に造られたのだろう。石の間には風化して崩れてできた隙間があり、そこには草すら生えている。

 石積みそのものが崩れてしまっているところもある。入り口だったはずの場所もそうで、とても通れそうにない。

「クロウたち、どこから入ったのかしら?」

 見ると、上の方に、採光用の窓が開いている。ふつうの家の屋根ほどもの高さだ。

「あそこ?! ……無理よ、あんなとこ」

 だが周りを見ても、他に同じようなところしか見当たらない。

「でも……魔女がいるのは、この中なのよね……」

 言いつけを守って、馬と一緒に待つ……一瞬頭をよぎったそんな選択肢を、トリーはため息とともに消し去った。意を決して石の間に手をかけた。そして、手や足がかかりそうな場所を探りながら、昇りはじめた。

 苦労しながらもなんとか到着、首を中に突っ込んだトリー。そこは廊下だった。とはいえ、左右がどうなっているのかは、見てもわからない。昼間だというのに、ランプが欲しくなるほどに暗かったのだ。

「やだ、ここ……帰ろうかな」

 背丈ほど下に、床がある。降りたらまた昇るのに苦労しそうだ。

「でも、そうしちゃったら、魔女に会えないよね」

 突然、廊下の左手から閃光が走った。僅かに遅れて轟音が響く。

「え、何なの?」

 左手の廊下がぼんやりと明るく照らされている。

 この先で何かが起こっている……そう思うと、じっとなどしていられなかった。意を決して、トリーは床へと飛び降りた。


 排水口だった穴から潜入したベルナールとクロウは、穴蔵のような場所にいた。ここは、聖堂の中心となる大広間から、狭い通路を長く進んだところだ。中はかなり暗く、こういう場所に慣れている彼らでなければ、松明がなければ行動すらままならなかっただろう。

 クロウが言った。

「ここって、でかいけど、古いね。大聖堂っていうよりは、むしろ遺跡みたいだ」

 ベルナールが答えた。

「俺は昔イタリアにいたことがある。あっちには、何百年も昔の建造物の残骸があちこちに残っててな。古代ローマ人ってのは、どでかい石造建築についちゃ、天才だった。

 この聖堂は、そういう古い時代の技術で作られている。おそらく本場ローマの建築を研究した石工が、それを再現するつもりで作ったんだろう。その後、教会として転用されたってわけだ。

 ただ、作ったやつのせいなのか、改造したやつが悪かったのか、今にも崩れそうだな。聖堂として放棄されたのも、それが原因だろう」

「崩れるのが今じゃなきゃ、それでいいよ。

 でも、そんな古い造りじゃ、あんたにも構造わからないんじゃないの?」

「だいじょうぶ。古くても、教会建築だ。そのぐらい、手に取るようにわかる」

 ベルナールは、目の前の通路をあごで指した。

「この通路をずっと行ったところが、広間になっている。高いドーム天井を持った、広大な空間だ。そして、大小様々な通路や部屋がその空間へと繋がっている。

 本来は扉があったんだが、それはもう朽ち果てている。つまり、広間の方から見れば、あちこちに穴があいてるようなものさ。さっきは蜂の巣なんて言ったが、まさにそんな状態だ。

 おまえはまだ見ていなかったな。ちょっと魔女の様子を偵察してこい。いいか、ここから先は絶対音を立てるなよ」

「了解」

 いろいろなものが転がっていて身の隠し場所には事欠かない狭い通路を、慎重に進む。やがて、広間に接した場所までやってきた。

「あわわ、あれがこたびの敵か! 飛んでおる、飛んでおるぞ!」

 ―静かにしろ! といいそうになって、クロウは慌てて自分の口を塞いだ。トキコの言葉であれば、無理してとめる必要もない。ただ、純真な魔女でもいれば、話は別だが。

 とはいえ、トキコの驚愕は、クロウにとっても同様だった。今回の魔女は、空を舞っていた。浮遊する魔女は少なくないが、そうではなく飛翔していたのだ。使い魔は、猛禽類のように見える。天井の高い空間の中を、所狭しと飛び回っていた。

 来た道を慎重に引き返すクロウ。戻ると、ベルナールがきいてきた。

「どうだった?」

「飛び回ってた。かなり上の方。使い魔も一緒だ」

「よし、ちょうどいい頃合いだな。作戦を開始しよう」

 そういうとベルナールは、奥の床にある扉を開けた。そこには、無数の穴が穿たれている。ベルナールはその一つに顔を密着させると、大声で言った。

「おーい、聞こえてるかぁー」

 唖然として見守るクロウ。だがベルナールはやめない。

「おまえだ、薄汚い魔女ぉー。おまえに話しかけているぅー」

 大声をはりあげている。まるで演説のような口調だ。

「私は“魔女を狩る者(ヘクセンイェーガー)”。私が来た以上、おまえの命脈はもうどれほどもないぞぉー」

 われに返ったクロウは、ベルナールに詰め寄った。

「おい、なにやってんだよ!」

「挑発だよ、挑発」

「なんでそれをこんなとこでするんだよ!」

「ここは排水施設だ。部屋から出た下水が、全てここに集まるんだ。逆に言えば、この管は、別々の部屋へと繋がっている」

 爆発音がして、さっきのパイプから噴煙があがった。

「ほらな。今、魔女は攻撃したんだ。この穴が通じているどこかの穴蔵に向かってな。じゃ、続きをやるとするか」

 ベルナールは別の穴に顔を近づけ、再度声を張り上げた。

「どこを狙ってるぅー。やはりおまえは私の敵ではないようだなぁー。悪いことはいわん、退散しろぉー。すぐに出て行けば、特別に見逃してやるぅー」

 クロウは頭を振った。今、ベルナールが何をしたのかは、理解できた。だが、作戦全体の姿が、さっぱりわからないのだ。

 ベルナールは、そんなクロウの様子は気にしていなかった。立ち上がると、言った。

「さて、そろそろご対面といくか」


 トリーにとって、今回の聖堂潜入は、まさに大冒険だった。何度引き返そうと思ったかわからない。だが、好奇心の方が常に上回っていた。

 長く伸びた廊下は、頼りない梯子段に続いていた。長く続くそれを登ると、今度は一段と狭い廊下が現れた。さらに先へと進んだところに、小さな窓があった。不規則な灯りが、そこからこぼれている。

 覗き込んだ時、トリーは息を呑んだ。

「……何、ここ。こんなの、初めて」

 聖堂の広い空間が、目の前に広がっていたのだ。天井はドームになっていて、これまでトリーが見たどんな建物よりも高い。領主居館の鐘楼など、縦に二つも収まりそうだ。

 広間は薄暗く、ときおり噴き上げる炎によって、橙色に照らされている。ひときわ強く拭きあげた炎に、宙を舞う存在が照らしだされ、トリーは今この空間を支配している主をようやく見出した。初めてその目で見る、魔女だった。

 その姿に、トリーは釘付けになった。これまで人から聞かされていたのとは、全く違っていたのだ。箒に跨がってなどいなかったし、老婆でもなかった。

「きれい……」

 トリーは思わずつぶやいた。魔女は、密着する黒褐色の服で全身を包んでいる。浮かび上がった体の線は、凹凸のはっきりした大人の女のそれだ。

 魔女は空中を舞っている。猛禽類を思わせる、力強い飛翔だった。そして魔女の周囲には、鷲によく似た使い魔たちが飛び交っていた。

 広間には、たくさんの出入り口が開いていた。いわば、穴のような状態だ。魔女は、空中で力を貯めると急降下、その穴に向けてひとつひとつ、火球を投げ込んでいく。そして、噴き上がる炎が、また一つ増えていく。


 クロウとベルナールの二人は、まさにそんな穴の一つに潜んでいるところだった。まだここには、火球は投じられていない。だが、このままでは、時間の問題だった。

 クロウの背中には、クサナギ=トキコがいる。

「これ、クロウ! 今度ばかりはまずいのではないか?」

 おろおろと動転するトキコ。ふだんなら適当にあしらうクロウだが、今度は違っていた。

「オレも同感だよ。ヤバ過ぎる気がする。だいたいあいつのいるとこって、高すぎるよな。“ハッソートビ”使ったって、届きやしねえ」

 とはいえ、トキコの姿が見えないベルナールからは、クロウの独り言としか見えない。

「ん、なにか言ったか?」

「ベルナール、さっきの挑発ってさ、逆効果だったんじゃねーの? 今オレたち追いつめられてるとしか思えねーんだけど」

「なんでそう思う」

「だいたい、あいつヤバいじゃん。

 これまで会ってきた魔女ってさ、飛べるっていっても、ふわふわ浮かんでるだけだったろ。だけど、あいつ違うし。ぎゅんぎゅん飛び回ってるんだぞ。で、そいつが、片っ端から火の球投げ込んでるんだぞ」

「当事者のおまえですらそう思うか。そいつはいい。追い詰めてる側の魔女にとっちゃ、なおさらだろうな。

 よし、もう十分だろう。クロウ、次に炎が来たら、ここから外に出るぞ」

「何言ってんのか、わかんねーんだけどッ!」

 ベルナールは不敵な笑みを浮かべた。

「戦いの場所を自分で選べるとしたら、おまえならどうする?」

「そりゃ、相手の嫌がる場所だろ」

「そう。逆に言えば、自分にとって有利な場所だな。高い飛翔能力を持つやつにとって、それは広い空間だ。だから、穴蔵にこもっている俺たちを燻り出そうとしているわけだ。そして、これから俺たちは、その広い空間に“燻り出される”ことになる」

 魔女の放った炎がすぐ隣の穴に炸裂した。

「まさかそれが罠だとは思わんだろうからな」

 広間へと歩いて行く。頭を振りながら、クロウも従った。


「え、誰か出てきた!」

 トリーは目を見開いた。すぐに遠眼鏡を取り出して、観察する。

「……うそ、あれってクロウたちじゃない!?」

 胸が早鐘のように打つのを、トリーは感じた。鋭く舞い、激しく炎を投げつけていた魔女。その面前に、少し前まで自分自身と会話を交わしていた人たちが立ちはだかっている。どこか劇場にいるような気持ちでいたトリーは、現実の世界へと引き戻された感じがした。


 広間の中程まで進んだ時だった。

「オレは、ここで詠唱するふりをする。護りを頼んだぞ。後、適当に挑発しといてくれ」

「もう、このおっさん訳わかんねーし」

「おっさんじゃないッ!」

 クロウが左腕の刀を振り出した。宙を舞う使い魔の方に向かって、大きく手を振る。

「おーい、こっちだ。いい加減に気づけよっ!」

 舞っていた使い魔の一羽が、たちまち襲いかかってきた。左腕の刀を構えるクロウ。

 “ギャアァァァァッ!”

 だが、刀の届く距離に入る前に、ひらりと反転していく。牽制のようだ。やがて、魔女自身もゆっくりと近づいてきた。

 肩越しに闘いの様子を見ていたトキコも叫んだ。

「クロウ、集まっておるぞ! あやつら、本気じゃ!」

 今魔女は、クロウたちの正面上方の空中に静止している。上下左右には手下の使い魔が配置され、堅い布陣を敷いている。

「あのさ、オレ、クロウってんだ。挑発しろっておっさんにいわれたけどさ、化け物と喋るのって苦手なんだよな。できればそのまま攻撃してきて欲しいんだけどさ」

 魔女が何かを叫んだ。そして一斉に動き出した。

「あ、わかってくれた。ありがてぇ……って、これ、いいのかよ!」

 魔女が急降下してくる。その時だった。

「よしッ!」

 ベルナールが叫んだ。そして同時に、床に隠してあった紐を引いた。

 上から爆音が響いた。魔女たちの動きが止まる。次の瞬間、まばゆい光が聖堂の中に差し込んだ。天井だった。

「戻るぞ!」

 ベルナールはクロウの襟首を掴むと、乱暴に引きずり寄せる。だが、その必要性は、クロウにもはっきりとわかった。ドーム屋根を形造る大小さまざまの石材が、轟音とともに、雨のように降り注ぎはじめていたのだ。

 高いところにいた使い魔が、まず犠牲になった。低いところにいた仲間を、石とともに押しつぶしていった。石どうしがぶつかる轟音の中に、使い魔たちの哀れな断末魔が混じった。そして、魔女自身も体勢を崩した。そこに新たな石がぶつかり、もろともに床へと落ちていった。

 土煙が立ち込め、聖堂の中はほとんど何も見えなくなった。そこに穴の空いた天井からの日差しが注ぎ、まばゆく輝く。唖然と見守るクロウに、ベルナールが言った。

「今回は時間がほとんど取れなかった。仕込みができたのはあの一箇所。だが、それだけでじゅうぶんだ」

 やがて、土煙がゆっくりと収まっていった。と同時に、思いも寄らないことが起こった。さっきまで天井だった瓦礫の山。その上に、ひとりの影が浮かび上がってきたのだ。

 思わずクロウが叫ぶ。

「ベルナール、人影だ! まだ生きてるぞ」

「……違うな。あれは魔女じゃない」

 薄らいでいく土煙の中、人影がはっきりと見えてきた。

 確かに、魔女ではない。十字があしらわれた錫杖を持ち、頭は黒い布で覆っている。首周りには大きな白い丸襟、他は黒一色の長衣だ。女だった。そしてその足下に、半分以上がれきの中に埋もれた状態で、魔女がいた。

「おのれ、人間め……」

 魔女はまだ背後の女に気づいていないようだ。

 女は、魔女を見下ろしながら、言った。

「まだ生きているとは、しぶといですわね。

 このわたくしが、息の根を止めて差し上げますわ!」

 そう言うと、錫杖を頭上にかざし、ぐるぐると回し始めた。回転速度が一瞬加速、次の瞬間掛け声もろとも振り下ろされた。

「はーッ!」

 声に振り返った魔女。錫杖はその脳天を正確に撃ち抜いた。骨の砕ける音とともに血しぶきが上がった。

 ベルナールがため息をついた。

 クロウが言った。

「やっちゃったね。行ってみる?」

「ああ……」

 ふたりは大きな石を避けながら瓦礫を歩き、女のいる場所に近づいていった。

 近くまで来た時、ベルナールが言った。

「……やっぱりな」

 その声に、女も頭をこちらに向けた。ベルナールが続ける。

「嫌な予感はしていたんだ。流れ者のイェーガーが今でもやってくるとは聞いていたが、よりによっておまえとはな」

 女が頭を覆う布を上げた。真っ直ぐな長い金髪がふわっと広がった。鋭い目つきをした、若い女だ。

「は、ずいぶん手際の悪いイェーガーがいると思ったら、あなたでしたとはね」

「手際が悪いだぁ?」

「わたくし、ずっと観てましたもの。

 使い魔どもにいいように追い立てられ、最後にはこの魔女の思うがままの場所におびき寄せられていたではありませんか。

 たまたま屋根が崩れたから助かったようなものの、もしあの偶然がなかったら、このわたくしがいても、どうにもならないところでしたわ」

 髪をかきあげるその手は、手甲で覆われていた。長衣の切れ込みからのぞく足にも、鈍い銀色の装甲が装着されている。

 ベルナールは一瞬何かを言おうとしたが、やめた。思わずクロウの方を見る。クロウも首をすくめている。

「そうそう、魔女にとどめをさしたのはわたくしですからね。賞金は1ドゥカートたりとも分けるつもりはありませんから、そこのところ、お間違えなきよう」

 女は、そう言うと軽やかな足取りで瓦礫の上を歩いて行った。

 クロウが言った。

「今のおばさん、知り合い?」

「腐れ縁ってやつでな。

 名前はコンスタンツァ。イェーガーとしては流れ者だが、修道女で、僧籍にある」

「ふーん、あれでも尼さんなんだ。らしくなさでは、あんたといい勝負だね」

「ま、しょせんは末端の(ヒラ)修道女だ。法力はないし、特別な知識も持っていない。

 だが膂力(りょりょく)だけは超人的でな、それが原因で、所属していた修道会を追い出され、ああして賞金稼ぎで糊口をしのいでいるわけだ」

 そこまで言うとベルナールは、軽く咳払いをした。

「それから、おばさん呼ばわりはやめとけ。まだ二十五ぐらいのはずだ」

 クロウはきょとんとした顔でベルナールを見返した。

「さて、ここにはもう用はないが、一応確認しておくか」

 ベルナールは、聖堂の奥へと足を進めていく。クロウもその後を追いかけた。


 物々しい装飾の扉を抜けた先に、もっと物々しい装飾の箱が安置してあった。長身のベルナールの背丈よりもさらに大きい。表面には銀の帯が十字状に配置され、四つの錠前によって固定されている。

 クロウが言った。

「なあ、ベルナール。今さら聞くんだけどさ、聖遺物ってなんだ?」

「救世主イエスやその高弟に由来する遺品だ。

 イエスは十字架にかけられて殺されたし、直弟子の多くも殉教している。その処刑の時に使った刑具とか、流れ出た血を受け止めた盃とか、そういったものが聖遺物だ。

 とりわけ救世主に由来する品物だと、価値が高い。例えば、架刑に使われた十字架とかな」

 クロウは感心したような顔で、箱を見る。

「千年以上も前のできごとなんだろ? よく残ってるね」

「俺は教皇庁にいたからな、各地の聖遺物は一通り把握している。

 聖十字架だけで百カ所以上にあるんだ。もし全部本物だったら、架けられた当人は屋根よりもでかい巨人ってことになるだろうな」

 ベルナールの言葉に、クロウは少し頭を振った。

「なんだ、やっぱりそんなことか。

 それって、教会が騙されたってことなんだよね」

 だが、ベルナールはにやりと笑った。

「そんなことはない。教会だって、承知の上さ。

 聖遺物がある教会は、格が上がるんだ。方々から巡礼客もやってきて、寄進をしていく。早い話が、儲かるのさ。そういうものを専門で扱っている商人もいる。東方からそれっぽいものを仕入れて、高値で売りつけるってわけだ」

「そういうことして、バチが当たるとか思わないわけ?」

「神の怒りってことか? そいつはだいじょうぶだ。

 教会の人間は、こう解釈してる―もしそれがニセモノなら、神は罰を与えられるだろう。罰がないということは本物の証である―。

 さらにいえばな、盗んだり奪ったりもしょっちゅうだ。この場合の解釈はこうなる―その聖遺物は、置かれていた教会での扱いに不満があったのだ。満足していたなら、盗もうとする者に罰を下すであろうから―」

 クロウは、肩をすくめた。

「で、この中に何が入ってるのさ」

「箱の形から言って、おそらく聖槍(せいそう)だろう。十字架から下ろされたイエスを、生死確認のために突いたものだ。

 刑吏の名前から、ロンギヌスの槍とも呼ばれている。数ある聖遺物の中でも、最高位の品物だ」

「それもいっぱいあるわけ?」

 ベルナールの片頬に、苦笑が浮かんだ。

「教皇庁では、十二本を把握している。俺自身が接したことがあるのは、そのうちの七本だ。これで八本目ってことになるな」

「つまりほとんどがニセモノってことだな」

「聖槍は一本だろう。だが、誰かの血を吸ったって意味では、こいつだって本物だ」

 そういうと、ベルナールは大きく息をついた。

「さあ、帰るぞ。あの聡明なお嬢さんをいつまでも待たせといちゃ悪いからな」


    ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・


 ベルナールたちが聖堂の奥へと姿を消した時、トリーは、自分の身体が震えていることに気がついた。

 戦闘の全てを観たわけではない。また、彼らが何を話していたのかも、遠すぎて聞こえなかった。だが、それでも十分すぎた。今、この時代が闘いに明け暮れていることは知っていたし、時として熾烈なものとなることもわかっているつもりだった。だが、目の前で行われた本当の闘いは、どんな想像をも超えていたのだ。

 とはいえ、クロウたちの姿は、あまり印象にない。強く印象づけられたのは、魔女の方だった。……美しく、凛々しく、両手から火球を放つ。そして大きな鳥たちを従え、力強く宙を舞う……これまで聞かされてきた魔女とはあまりに違っていたのだ。

 だが、そんな魔女は、崩れてきた天井の下敷きになった。そして、突如物陰から現われた武装修道女によって、あっけなくとどめを刺された。

 そんな余韻も収まらない中、クロウたちは奥へと進んでいく。

「いけない、帰らなくちゃ!」

 ようやくトリーは我に返った。

 無我夢中で聖堂から抜け出し、丘の上に戻ると、同じように馬が待っていた。引き綱があるわけではない。クロウの言うとおり、自分自身の意思でここに留まっていたのだ。

 馬はトリーをじっと見つめた。まるで見とがめているようだ。トリーが馬に向かって言った。

「あなた、ウスズミっていったわね。お願い、ウスズミ。ここを離れたこと、クロウたちには内緒にしておいてね」

 話がわかっているのかいないのか、馬は両耳をくるっと回して答えた。


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