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第2章

          2



 シェーンブルク―“美城”―、というのがその町だ。城というのは、誇大な表現といえるかもしれない。町の周りは石の壁で囲まれているものの、城壁というには少々頼りなかった。鹿や猪なら防げるだろうが……という程度である。

 一方、“美”の方は、まんざら嘘というわけでもなかった。こぶりながらも、調和と秩序を感じさせる、美しい町だった。街道からの枝道が到達したところに市門がある。そこを抜けるとまっすぐ伸びた通りがあり、町の中心にある広場へとつながっている。

 夕刻が近づいた今、人通りは多い。住人と旅人が入り混じり、それぞれの方向に向かって動いている。

 そんな人混みを、高いところからそっと見渡す目があった。広場に面した建物にそびえる鐘楼。その小さな窓から、小さな顔が二つ、外をうかがっていたのだ。

「すごい! ほら、町のあちこちが見渡せちゃう。思った通りね」

 大きな瞳を輝かせながら、少女が言った。鳶色の長い巻き毛を揺らしてはしゃいでいる。ちょうど大人になり出している年代で、娘らしさと少年っぽさが同居していた。

 隣には、別の少女がいる。

「ねえ、トリー姉様。こんなとこ昇ったら、領主様に叱られちゃうよ」

 こちらは、まだ子供だ。頭巾の下のあどけない顔に、不安げな表情を浮かべている。

「だいじょうぶだって、リーゼ。そのために、その子連れてきたんじゃない」

 いたずらっぽい顔で笑うと、リーゼと呼ばれた少女がうなずいた。

「うん、うちは猫を追っかけてて、そのうちを姉様が追っかけて、入り込んじゃったんだよね」

 傍らにいた猫がゴロゴロと喉を鳴らした。

 二人は、姉妹ぐらいの歳の差だ。ただ、そうでないことは、一見して明らかだった。何より、着ているものが違っていた。トリーがまとっているのは鮮やかな青の長衣。きめ細かな毛織物で、様々な装飾があしらわれている。長い巻き毛をとめる髪飾りも、細かな細工が施されたものだ。一方リーゼはというと、質素で実用的な仕事着姿で、前髪を短く切りそろえていた。主従に近い関係なのだろう。とはいえ、トリーには偉ぶったところは少しもなく、ごく親しくリーゼと接している。

 トリーは、持っていた袋の中から一本の筒を取り出し、外に向けて覗き込んだ。

「姉様、何なの、それ?」

「ちょっと待ってて……」

 伸ばしたり縮めたりしながら、やがて大きな声で叫んだ。

「思った通りだわ! あはっ、大成功! ほら、リーゼも見てごらん」

「え、これ、どうするの?」

「見ればすぐわかるからっ。あの小っちゃく見えるとこに向けて、覗いてごらん」

 手渡された筒を恐る恐る覗き込む。次の瞬間、大きな声があがった。

「わ、な…何、これっ!!」

 リーゼは自分の目を疑った。遠くを歩いている町の人が、すぐ目の前にいるかのように、大きく見えたからだ。

「ね、すごいでしょ」

 リーゼは筒から目を離し、トリーの顔を見つめた。

「なんなの、姉様? これって、魔法か何か……トリー姉様、ついに魔法使えるようになっちゃったの?」

 少し首をすくめながら、トリーが答えた。

「ううん、残念だけど、そうじゃないのよね。ちょっと工夫してみたの。リーゼは、眼鏡(めがね)って知ってるよね」

「司祭様がご本読むときに使ってる、ガラスの玉のこと?」

「そうそう。あれって、物が大きく見えたりするじゃない。だったら、二つ組み合わせたらどうなるのかなって思って、大きさとか位置とかあれこれ変えて、やってみたの」

「なんて言うの、これ?」

「あたしが自分で考えたんだから名前なんてないけど…そうねえ、遠眼鏡(とおめがね)なんて、どうかな」

「うち、もっとかわいい名前の方がいい」

 そういわれて、トリーは膨れてみせる。とはいえ、その目は笑っている。

「でも、トリー姉様ってすごいよ。こんなの、自分で発明しちゃうなんて。何の取り柄のないうちなんかとは大違い」

「リーゼもすぐに追いつけるって。あたしだって、リーゼと同じ歳の頃は、何にも知らなかったんだもの。父様の本が読めるようになれば、きっとできるよ」

「家宰様のご本かぁ」

 トリーは小首を傾げる。

「家宰様ってとっても優しいから、お願いしたら許してくれそうだけど、うちなんかに読めるようになるのかなぁ」

「あたしが教えてあげるから。そしたら、ふたりで一緒に読めるじゃない」

 トリーは小さく頷くと、再び遠眼鏡を外に向けた。

「あ、なんかおかしな人たちが来たよ」

「え、どれ? …あ、あの人たちね。ちょっと貸して」

 遠眼鏡が映しだしたのは、二人連れの旅人だった。周りから浮き立った出で立ちで、馬を連れている。

「背の高い方の人はね、修道士っていう、修行中のお坊さん。あの服装だと、ドミニコ会ね」

「ちっちゃいお兄ちゃんは?」

「お稚児さんなのかな。何か背中に背負ってるみたいだけど」

「お馬がいっしょに歩いてるね」

 荷物を背負った馬は、二人の少し後ろを付いて歩いている。鞍と(あぶみ)が取り付けられているが、手綱は付いていない。

 トリーは遠眼鏡から目を離した。ぱちぱちっと瞬きすると、笑みを浮かべる。また違う種類の好奇心が沸き起こってきたようだ。

「たぶん、あの人達、父様のお客様よ。あたし、見てくる」

 長い巻き毛を揺らしながら、梯子段へと向かった。

「あーん、姉様、待ってよ!」

 リーゼも猫を抱え、あわててその後を追った。


    ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・


 クロウとベルナールは、初めて足を踏み入れたシェーンブルクの街を、ゆっくりと歩いていた。当然ながら観られていることなど知るよしもない。

 沿道には、商館など、まずまずの大きさの建物が立ち並ぶ。また、大通りからはいくつもの道が別れ出ていて、人々の生活空間へも続いている。

 行き交う人々を眺めながら、クロウが言った。

「けっこうにぎやかだね」

「ああ。魔女に怯えてすっかり暗くなってる町も多いが、ここはそんなこともないようだな。ほんの目と鼻の先のところに住み着いていたなんて、みんな思いもよらんのだろう」

 ベルナールの視線は、路地を向いていた。時間はまだ早いが、にぎわいが始まりだしている。

「こういう町は悪くない。メシも酒も旨いし、女は綺麗だ。まあ今回は招請されて来ているから、あまり羽目もはずせんが」

「で、これから行くのはどっちなのさ」

「おまえ、俺がそこまで節操ないって思うのか?」

 クロウがこくっと頷くのを苦い顔で見てから、ベルナールは前方をあごで示した。

「正面にでかい鐘楼が見えてるだろ。たぶんあれだ。シュテルンブルン男爵、この土地の領主としては、二代目だったかな。まずはその居館に行こう」

 広場に面したその建物は、町と調和しつつも、独自の存在感を持っていた。石造りで、華美な装飾などはないものの、細部まで丁寧に作りこまれている。入口は広く、さまざまな身分の者が盛んに出入りしていた。

 後ろから馬が鼻を鳴らした。

「ウスズミが腹減ったって言ってる」

「じゃあ自由にしてやるか」

 ふたりは馬に近寄り、荷を下ろした。馬が自分で歩いて行くのを見送ると、それぞれの荷物を担ぎ、再び歩き出した。


 中に入った二人は、繁華街以上の活気に圧倒された。

 居館といっても、単なる家ではない。領主にとっては生活の場だが、同時に領地の行政を司る場でもある。入ってすぐの大広間は、もっぱら後者の役割を担う空間だった。そして、想像以上に多くの人が立ち働いていたのだ。

 整然と柱が並ぶ広間の中、歩き回っている者もいれば、じっと佇んでいる者もいる。そして、あちこちに人の輪もできている。その中で、ひときわ目を引く男がいた。男が歩くと、人は回りに集まる。男爵家の役人、家士たちだ。男の判断を仰ぎ、指示を受けるためにそうしているのだ。やがて目的を達すると集まりは解け、再び男は歩き出す。同じように人を集めることもあるし、自ら人の集まりの中に入っても行く。開墾地の作付け、辺境の防衛、冬への備え……断片的に聞こえてくる声からは、領地のさまざまな政務をこなしていることがわかる。指示を受け、自分の仕事に取りかかるべく走り去っていく者と、次の指示を得るべく近寄っていく者。そんな合間をぬって、商人や農民が歩み寄り、何かを話したり手渡したりしている。

「まるで舞踏劇だな……」

 ベルナールの口から漏れたその言葉には、感嘆の響きがこもっていた。役人の仕事ぶりはよく知っていたが、ここのように活発に動いているところは、これまでも見たことがなかったのだ。経験の浅いクロウですら、その手際の良さに見惚れている。

 男はふと足を止め、視線をベルナールたちの方に向けた。ようやく来訪に気づいたようだ。周りを軽く制すると足早に近寄り、声を掛けた。

「申し訳ない、客人。すぐに終わりますから、お待ちいただけますかな」

 元の人垣に戻ると、さらにいくつかの指示を飛ばしてから、ようやくベルナールたちの前に戻ってきた。

「よく来てくださいました、修道士どの。あなたが、教皇庁から派遣されたイェーガーですね」

「いかにも。こちらがシュテルンベルク男爵閣下の居館ですな」

「あるじは、まもなく参ります。私はデュラン・フローレンツ、当男爵家の家宰です」

「ドミニコ会士、アヴィニョンのベルナール。あなたに主のご加護があらんことを」

 ふだんとは全く違う洗練された物腰のベルナールをいくぶん皮肉な目で見ていたクロウだったが、そのやりとりに小声でたずねた。

「家宰ってなんだ?」

「領主の代理人だよ。家や領地のこといっさいを取り仕切っている」

「ってことは、領主ってのはもっと立派なのか?」

 ベルナールは答えず、顔の片側でにやりと笑ってみせた。

 デュランがクロウに気づき、尋ねた。

「こちらの少年は?」

「クロウだよ」

「旅の道連れです。こう見えて彼もイェーガーなのです。まだ若いが、腕は立つ」

「弟子とか、そういうんじゃないからな、デュランさん」

 そういうと、人懐っこい笑顔を見せる。闘いのさなかとは対照的ながら、真っ直ぐさは同じだ。

「君、いくつですか?」

「十五だよ」

「もう一人前に活躍しているんですね。うちにも同じくらいの娘がいますが、まだまだ遊んでばかりですよ」

 穏やかに微笑みながらそう言った。持ち前の節度なのだろう。デュランの態度は、大人に接する時と変わらない。

 そのとき、やにわに銅鑼が鳴り響いた。忙しく立ち働いていた人々がいっせいに黙り、立ち止まる。

 しんと静まった大広間に、典礼の声が朗々と響き渡った。

「男爵様、おなり!」

 奥の扉が開くと、人が現れた。派手な服に身を包んだ小柄な男だ。役人たちは、皆直立不動になった。居合わせた市民たちも畏まり、こうべを垂れた。そんな人の森の中を、小男はきょろきょろと見渡しながら、供を従えて歩いてくる。

 クロウがベルナールをつついて、小声で言った。

(あれ、道化師じゃねーの?)

(おまえ、たぶん揉め事の元になるから、しばらく黙ってろ)

 やがてベルナールたちの前までやってきて、言った。

「この者か」

 デュランが進み出て答えた。

「教皇庁より派遣されました、“魔女を狩る者(ヘクセンイェーガー)”です。閣下の名のもと要請しておりましたが、今しがた到着されたのです」

 ベルナールは軽く頭を下げ、名乗った。

「シュテルンブルン男爵閣下とお見受けします。ドミニコ会士ベルナール、教皇聖下(せいか)の命により参上いたしました」

 男爵は、ベルナールの全身をじろじろと眺めた。

「その方、ローマより参ったのか?」

「ローマにいたこともありましたが、今は諸国を巡っております」

「さようか……」

 何かを言おうと口を開いたが、そのまま黙ってしまった。やがて不機嫌そうに首を振るとベルナールから離れ、周りを見渡しながら言った。

「それにしても、この館は騒々しくていかん。デュランよ、城はまだできぬのか?」

「恐れいります。今少し……」

 頭を下げるデュランに鷹揚にうなずくと、ベルナールの方を見て言った。

「余はいささか疲れておる。歓迎の宴はまた後日としようぞ。デュラン、そちに任せる」

 そのまま背を向けると、奥へと戻っていった。扉が閉まると、周囲からいっせいに息をつく音がした。

 クロウが小声で言った。

「道化師のほうが、まだましだった」

「そんなこと言うんじゃない。みんなが思っていながら口にしないことを言ってもいいのは、それこそ道化師だけだからな」

 ベルナールもまた人の悪い笑顔で答えた。

 徐々に喧噪が戻る中、ベルナールはデュランに向かって言った。

「では、本題の方を伺いましょうか」


    ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・


 広間の一角に設けられたここは、おそらくデュランの執務場所なのだろう。大ぶりな机があり、石板や羊皮紙の束が筆記具とともにやや乱雑に載っている。周囲には、書棚やチェスト、そして大きな円卓があった。

 壁面には、地図が掲げられていた。森や川などの地勢や道路、特徴的な形の山などが描かれたそれは、領地全体をまとめたもののようだ。様々な場所にピンが刺してある。

 ベルナールたちを円卓に誘導すると、デュランが言った。

「修道士どの。この町、シェーンブルクをごらんになって、どう思われました?」

「いい町ですな。平和で明るい。こんな時代だというのに、誰も魔女のことなど気にしていないようです。すっかり荒れ果てた土地をいくつも見てきたが、この町の人に伝えても、たぶん信じてもらえないでしょう」

 ベルナールの言葉には、いくぶん皮肉な響きが混じっていた。それに気づいてか、デュランは苦笑を浮かべて応じる。

「そう、この町は平和なのです。高い城壁もなければ兵士の数だって至って少ないものだというのに、です。魔女はもとより、その配下の眷属どもの侵入も許しておりません。男爵領の中でも、ここだけが特別です」

 デュランは机の上から、一枚の羊皮紙を抜き取った。

「修道士どのなら、お分かりいただけるでしょう。こちらを、ごらんください」

 円卓の上に拡げられたそれは、地図だった。壁に掛けられているものよりは小さく、範囲も狭い。中央には、壁で囲まれた都市が描かれている。この町、シェーンブルクなのだろう。そしてその周囲には四カ所、十字の印の付けられている建物があった。

 ベルナールが言った。

聖十字架(サンクタ・クルックス)、ですな」

「二つの修道院と聖堂、そして廟所。これら聖別された場所が、ここシェーンブルクを中心に聖十字架を描くように配置されているのです」

 クロウも地図を覗き込んだ。四つの施設が、都市を中心に、正確に十字に配置されている。

「これって、何か意味あるのか?」

 ベルナールが地図を見たまま答えた。

「形象には、常に意味がある。これは、魔法陣の大規模なものと考えればいい。聖別された場所というのはそれ自体霊力を持つが、独自の配置を与えることでその力を増大させることも可能だ。

 とはいえ、一つの町を守護するほどの力となれば、ただ並べただけでは無理だろう。ならば可能性はひとつ、聖遺物……ということになるが」

 そういうと、ベルナールは視線をデュランの方に向けた。

 デュランはうなずいた。

「これらの聖域は、ずいぶん前から無人でした。私が当地に参ったのは十年余り前のことですが、既に遺棄されていたのです。それだけに、古い記録を調べてみたときは、驚きましたよ。第一級の聖遺物の名が記されていたのですから。

 私は、少なくともどれかには、本物の力があるのではないかと考えています。ただ、調べようにも……」

「今、それぞれの聖域には、魔女が使い魔たちとともにとりついている」

 デュランがうなずく。

「聖遺物の収まっている部屋には入っていません。しかし、そこに通じる場所は、どこも忌まわしきものどもの巣窟。いわば、魔女たちが守っているような状態です」

「妙な話ですな」

「そう、私には、そこにこそ、ことを急ぐ意味があると思われるのです。今、各地を占拠しているのは力も限られている下級魔女で、聖櫃(せいひつ)の封印を破ることなどできません。しかし、それらが、強い力を持った上級魔女の支配下にあったとしたら……。となれば、こうも考えられるでしょう。魔女どもは、私たち人間から実際に“守って”いるのだと。今はまだ他の土地にいる自分たちの首魁がこの地にやってきて封印を解くまで……。もしそうであったなら、このシェーンブルクの美しさと繁栄も、遠からず過去形になってしまうでしょう」

「なるほど、残り三つの聖域からの魔女の排除、それが私たちへの依頼内容ということですな」

「聖遺物への処置の方は、私どもが行います。それと、今では二つです。一つは、我々で既に解放しました」

「ほう、男爵家の方々で。それは頼もしい限りだ」

 感心するベルナール。だがデュランの表情に、苦笑が浮かんだ。

「そのときまで、私たちは見くびっていたのです、魔女や使い魔の力というものを。

 実は当初はそう考えておりました。騎士や兵士を派遣して、確保しようとしたのです。ところが、全く歯がたちませんでした。もちろん魔女の力のことは伝え聞いておりましたが、どうせ伝説の類だろうとたかをくくっていたのです」

「それでどうなされのです?」

「イェーガーの募集です。領内はもとより、街道の宿場にも触書をだして、流れ者のイェーガーを募りました。集まった者の数、およそ三十というところでしょうか。目的は果たしたものの、代償が大きかった。やはり公認された本当の専門家の力が必要だと痛感したのです」

「今回、あなた方はたいそうな額の寄進を約束されておりますな。その者たちにも、同じ額を支払ったのですか?」

「約束しました。しかし、払う必要はなくなってしまいました。その分、立派な葬儀は挙げてやりましたが。

 今でも賞金の噂を聞きつけてこの地にやってくる流れ者のイェーガーはおりますが、真実を知ると皆帰って行ってしまう有様です」

 並の者なら怖じ気づいてしまうような話だ。だが、ベルナールは軽くうなずくだけだった。クロウも特に様子を変えることなく、地図を見ている。

「印がついてるのが、もう終わってる場所ってことだよね。こっちが、今日やったとこ?」

 クロウは、尖塔の描かれた箇所を指さした。まだ真新しい印が付いている。

「私もさきほど報告を受け、驚いているところですよ。当家に仕える騎士セバスチャンどのが、お役に立てたようですな」

「は、あいつか!」

 吐き捨てるように言うクロウをベルナールが制止した。

 デュランがふたりをむき直し、言った。

「どうです、お引き受けいただけますか」

「御心のままに」

 ベルナールは床においていた荷物を持ち上げた。その様子を見て、デュランが言った。

「館の中に部屋を用意しております。食事もそちらに届けさせましょう」

「せっかくですが」

 ベルナールは手を振った。

「これでも修道士、宿も食事も自分で選ぶことにしているのです。お気を悪くなさらないでいただきたい。修道士の戒律というのは、世俗の生活習慣とは、どうも合わないものなのですよ」

 クロウのなにか言いたげな視線を制しながら、澄ました顔でベルナールが言った。

「そうですか。では、お役に立てそうな者に案内させましょう」

 周りを見回したデュランの視線が止まった。少し離れた柱の下に、鳶色の長い巻き毛を持った少女がいた。しばらく前からそこにいたのだろう。

「ベアトリクス!」

 デュランの呼びかけに、弾かれたように立ち上がる。

「ご令嬢ですかな」

「娘は街のことに詳しいのです。きっと宿探しのお役に立てるでしょう」

 軽やかに駆け寄って来たベアトリクスことトリーに、デュランが言った。

「こちらは、ベルナール修道士どの、魔女の専門家だ」

 その言葉に、大きな目を瞬いた。スカートをつまんで礼をとる。

「ごきげん麗しゅう、修道士様」

「お初におめにかかる。あなたに主のご加護があらんことを、お嬢さん(フロイライン)

 優雅に右手を差し出しながら返礼するその様子を、クロウは無言で見守っていた。表情には、半ば呆れ、半ば感心が浮かんでいる。さっきの領主との会見もそうだが、こうして形式張った動きをするとき、ベルナールは実に格調高く聖職者を演じるのだ。

 トリーは、クロウの視線に気づくと、小首をかしげて言った。

「あなた、従者さん?」

 クロウは一瞬睨みつけたものの、すぐに視線を外した。そして、斜め上の天井を見上げながら、吐き捨てるように言った。

「力の限り違うしッ!」

 ベルナールが取りなすように言った。

「これなる者はクロウ、旅の道連れです。若輩ですが、こう見えても十五。みかけほどではない」

「まあ、そうでしたの」

 驚いたように、いっそう目を見開く。

 デュランが言った。

「ベアトリクス、お二人は宿をお探しとのことだ。一緒に行って、案内して差し上げなさい」

「わかりましたわ、お父様」


    ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・


 一頭立ての簡素な馬車だった。居館の通用口から外へ出ると、下町へと入っていく。

 馬車を走らせているのは、トリー自身だった。隣には、クロウ。そして今乗っているのは、この二人だけだ。

お嬢さん(フロイライン)、実は私には、宿探し以外にもすることがあってね。ここで失礼するよ。父君のもとには、また明日参上する」

 外へ出てすぐ、ベルナールはそういって、一人で人混みの中へと消えていったのだ。

 背中を見送りながら、トリーがたずねた。

「ねえ、あの修道士様って、いつもあんな感じなの?  この街にいる司祭様と、ぜんぜん違うんだけど」

「いや、オレも知り合ってからそんなに経ってないから」

 ―ふだんはあんなんじゃないって。酒と食い物と女が大好きでさ―なんて本音を飲み込みながら、クロウは答えた。

「えーと、ベアトリクスさん、だっけ…」

「トリーでいいわ。だって長いんだもの。敬称(フロイライン)もいらない。だからあたしもあなたのこと、クロウって呼ぶね」

 クロウがうなずいた。

 話している間にも、馬車は進んでいく。しばらく行くと、市場に出た。

「あ、トリー姉様だ!」

 遊んでいた幼い子供が手をふる。トリーは馬車を止め、降り立った。たちまち子供が集まってきて、トリーを取り囲む。

「姉様、遊んでくれないの?」

「ごめんね。今、お客様をご案内しているの」

 やがて後ろから大人たちも、にこやかに微笑みかけてきた。

「お嬢様、ごきげんよう」

「今度うちの店にも寄ってってくださいよ」

 回りを取り囲んだ人々にも、にこやかに応じるトリー。集まってきたのを見ると、用件を切り出していく。

「ねえ、ひとつお願いできないかしら」

 そんな様子を、クロウは馬車の上から見ていた。笑いの渦がときおり起こり、その都度取り囲む人々が増えていく。露店の売り子は、果物や野菜をどんどん手渡している。誰からも好かれているようだ。

 ふと、子供のひとりが輪から離れ、馬車にいるクロウに近づいてきた。他の子も、同じように近づき、じっと見つめてくる。クロウが視線を返すと、あわてて物陰に隠れる。でありながら、興味津々のようで、離れようとしない。

 クロウにとっては、もう慣れた反応だった。旅を始めたばかりの頃は気がつかなかったが、自分の姿はこの西方世界では、かなり異質だったのだ。

 ひとりの子の視線が、金属で覆われた左腕に釘付けになっているのに、クロウは気がついた。ちょっとしたいたずら心が出てきた。

 軽くかざしてやる。すると、すうっと近づいてくる。視線を合わせると、びくっとして立ち止まる。また視線をそらせてから、軽くかざす……そんなことを繰り返しているうちに、子供の数も増えてきた。おもむろにクロウは、先端に付いている二本の指を、カチャカチャ鳴らしてみせた。子供たちは小さく叫んで走って行き、それと入れ違いにトリーが戻ってきた。

 手を振る人々を後ろに、馬車が再び走り出した。

「人望あるんだな。こんな姫様、初めてだ」

「やだ、そんなのじゃないって。親しくしてもらってるだけ。それに姫様なんて呼ばないで。男爵様の家臣の娘なんだから」

 少し怒ったようなそぶりでそう言うと、表情を一転させた。

「それよりね、いい場所が見つかったの」

 馬車がしばらく進むと、少し開けた場所に出た。街の喧騒も消えたそこは、家の建ち方もまばらになり、樹木もわずかばかり並んでいる。やがて小さな一軒家の前で、馬車が停まった。

「ついたわ、ここ。ね、なかなか素敵でしょ」

 クロウはその家を見上げた。有力者の別宅なのだろうか、郊外の民家を模して建てられた、まずまず洒落た家だった。

「市場の名主さんが貸してくれたの。賓客が長期滞在するための家なんだけど、当分予定がないから使ってもいいって。よかったね」

「ありがてえ。オレたちの宿舎って、下手したら納屋とか馬小屋だったりするからな」

「この場所、修道士様にも伝えないといけないのよね」

「あ、ベルナールのおっさんなら放っといてもだいじょうぶだから」

 ―どうせ朝帰りだろうしさ、なんて本音はやはり飲み込んだまま、クロウは荷物を持ち、家へ向かった。

「あたしも手伝うわ」

 トリーも手近な荷物を持って、馬車から降りた。


 一通り荷物を運びこんだところで、トリーが言った。

「ねえ、ちょっと聞かせてもらってもいい?」

 クロウの正面に座ると、顔をじっと見て、続けた。

「あなた、いったいどこの人なの?」

「ワジンの郷……ってもわかんないよな。東の方だよ」

 もとより、その言葉だけで納得できるわけがない。トリーは少しためらいがちに、おずおずと聞いてくる。

「みんなあなたみたいなわけ? その、顔つきとか、体格とか。あたしより1つ上なんて、信じられない」

 これまでの旅でも何度も子供と間違えられてきたクロウは、特に不愉快にも感じなかった。とはいえ、どうにも答えようがない。笑みを浮かべながら答えた。

「世界は広いんだよ」

「ねえ、クロウ。他にもいくつもききたいことがあるの。あなたって、謎のかたまりみたいなんだもの」

 クロウは軽くため息をついて、言った。

「オレ、君がどんなこときいてくるのか、だいたいわかるぜ。だから、先に答えちまおうか。

 まず左腕だけど、肘から先は義手だ。ベルナールのおっさんからもらった。先っぽにくっついてる二本指は、自分の意思で動かせる。サラセン人の細工なんだってさ。他にも仕掛けがあるから、下手に触るとケガするぜ。甲冑は、先祖から受け継いだ。オレもヘンな形だって思うけど、手放す気はない。

 あと何だっけ。身長の話してたよな。オレのいた村はみんなそんなにでかくないけど、オレの家系はとりわけチビなんだ。それと、平らな顔つきとか黒い髪とかはみんなこうだ。オレのひいひい爺さんの頃に、もっともっと東の方から移り住んで来たんだとさ。

 そんなとこだったよな」

「もうひとつ、教えてよ。あなたの背中にしがみついてる、8の字髪の女の子。何でそんなちっちゃな子連れてるの?」

 その言葉に反応したのは、クサナギ=トキコの方だった。嬉しそうに身を乗り出して言った。

「お、そもじ、マロが見えるのか?」

「わ、喋った!」

 クロウがあごで指しながら、紹介した。

「こいつはトキコ。村の宝物だった剣、クサナギだ。オレが抜いたら、こうなっちまった」

「剣? ……ごめん、何言ってるのかわからない」

「ほほほ、本当は高貴な身分のお子様なのじゃぞ。よんどころなき事情で、剣を形代(かたしろ)にして命を繋いだのじゃ。それがひょんなことからクロウの先祖に拾われての、それ以来、一族のお宝ということにされ、門外不出にされておったのじゃよ」

「クサナギは、抜いちゃいけないって言われてた剣だった。それをオレが抜いたのさ」

「それで、その子……トキコちゃんが出てきたってこと?」

 トキコは満足そうに頷く。クロウが続けた。

「誰にでも見えるってわけじゃないんだ。大人が見ると、オレが背負ってる剣にしか見えない」

「いつでもヒトガタで顕現するわけではないぞ。ほれこのとおり」

 そういうと、トキコはトリーの目の前でクサナギに戻ってみせた。

「ほんとだ。剣になっちゃってる」

 その剣が再びふっと消える。とまどうトリーの足元から声がした。

「顕現するときも、クロウの肩に乗ってるばかりではないぞ。ある程度自由に動けるのじゃ。とはいえ、本来はクロウに背負われてるわけじゃからの、その方が楽でよい」

 トキコはトリーの体によじ登ると、クロウの肩へと戻った。

「君ってすげえな。オレとこいつ、今とんでもないこと話したり見せたりしたんだけど、もう理解しちまってるんだな」

「だって、ほんとうなんだもの。受け入れるしかないでしょ」

「はあ、そりゃまあ、そうだ」

 なんとも間の抜けた返事になってしまった。

「ほんとうはね、あたしだって驚いてるわ。もう、信じられないって叫びたいくらい。でも、それが事実なんだもの。

 父様がね、教えてくれたの。観察し、仮説を立ててから、実証する―そういう順番で物事を見極めなさいってね。いきなり決めつけたり、昔の偉い人が言ってたからなんて理由で信じこんだりとかせず、ちゃんと事実を受け入れること、それが真実にたどりつく唯一の方法なんだ……ってね」

「へえ、そういう考えってあったんだ。家宰さんって、やっぱり立派だな」

「そうなのよ! 父様って、すごい人なの。あたし、世界でいちばん素敵な大人の男性なんだって思ってる。うーん、クロウと一緒にいる修道士様もけっこうイケてそうだけど、父様ほどじゃないわ、たぶん」

 ―あんなのと比べちゃだめだよ―なんて本音を必死で飲み込み、クロウはうなずいた。

 トリーが少し改まった顔で言った。

「ねえ、クロウ。あなたも魔女の専門家なのよね。魔女に会ったことあるんでしょ?」

「嫌ってほどにね……」

 表情は少し曇っている。だが、トリーは気づいた様子がない。自分がこれから話そうとしていることに、気持ちがいっぱいなのだろう。

 しばらくの沈黙が流れた。トリーの中にも、ためらいがあったようだ。やがてそれを振りきって、クロウの方を向きながら、言い出した。

「あのね、あたしね……うん、本当のこと言うよ、ちゃんと聞いてね」

 大きく息を吸い込むと、一気に言った。

「あたし、魔女になりたいの!」

「はあ!?」

 思わず、聞き返す。

「魔女って、あの魔女のことだよな。君が、なりたい……?」

 こくっとうなずく。

「なんで魔女になんかなりたいんだよ」

「だって、空が飛べるでしょ。動物だって自由に操れるんでしょ。指から電撃飛ばしたりとかも。それってすごいことじゃない。人間なんかでいちゃ、もったいないって思わない?」

 クロウの表情に困惑が浮かんだ。

「もちろんあたし、見たことなんてない。でも、外の世界には、力を持った魔女がいっぱいいるんでしょ? 司祭様がそう言ってた」

「司祭って、教会にいる坊さんだよな。その人は、さあ魔女になろうなんていってるわけじゃないだろ」

「そりゃそうよ。

 司祭様のお説教だとね、魔女は、悪魔と契約した人間がなるんだって。だから、地獄で永遠の劫火に灼かれるなんて言ってる。でも、そういうこといいながら、おかしいのよね。魔女は死なないなんていうんだもの。だったら地獄とか、関係ないじゃない。そもそも、地獄なんて、きっと嘘よね。見てきた人なんていないんだし」

「そういうことになるのかな…」

「でも、悪魔との契約って、よくわからないの。ねえ、どうやったら魔女になれるか、教えてもらえないかしら」

 クロウは口を開いた。ただ、言葉が見つからなかった。何かを言おうとして言えない、そんなことが何度か続いた。

 やがて出てきた言葉は、言った本人にすら、思いも寄らないものだった。

「魔女になる方法はわかんねえや。魔女のことは君より知ってる。いつか話してやってもいいけど、今は気がのらねえ。だけどさ、君がどうしても知りたいんなら、力になれると思う」


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