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第1章


          1



 形の定まらない雲が、一面に広がっている。

 上から見たそれは、柔らかく輝く乳白色の絨毯だ。深い青で彩られた空の下、どこまでも気高く、清らかで、美しい。

 少し下がれば雲の中に入る。空の青さとの対照も消えたそこでは、まるで光そのものに包まれているように感じられることだろう。

 だが、その輝きは、雲自身のものではない。光っているのは上空にある太陽で、雲はそれを反映しているだけだ。そして、ほかならぬ雲自身が陽光を奪っていく。最初は光そのもののようにすら見えた光景も、下がるにつれ、次第に影を濃くしていく。雲は分厚く続く。そして下の方では、光も満足に届かず、全てが曖昧な影になる。

 とはいえ、それも永遠に続くはずはない。

 抜けたその下には、陰気な風景が広がっていた。

 丘陵と平地が連なっていた。山並みが幾筋も交差してはいるものの、それほど険しい峰はない。山頂から樹木が生い茂り、ふもとへと続いている。季節が秋から冬にかけて傾きかけた今、針葉樹の黒みがかった緑と広葉樹の赤茶とが入り交じった景観となり、その彩りも、麓に降りるに連れ、赤みを増す景色になっている。

 山麓に降りていくに連れ変わるのは、色合いだけではない。少しずつ、人間たちの営みが入り込んでくるようになるのだ。森の中に、ためらいがちに切り開かれた土地が現れる。さらに少し進んだところにあるのは、もっと大胆な開墾地だ。そして平地まで降りてしまうと、むしろ人の手の入った土地が当たり前になってくる。

 そんな光景の中、山地と平地の変わり目ぐらいの場所の、街道から逸れた枝道の先に、それはあった。

 放棄された修道院だ。

 在りし日は、多くの修道士たちが暮らしていたのだろう。広い敷地の中に、いくつもの建物が、独特の調和に従って配置されている。とはいえ、今はすっかり荒れ果てていた。屋根や壁には剥がれ落ちた箇所が目立つ。敷地も草で覆われ、庭だった場所も花壇だった場所も既に見分けがつかない。もう何年も、人影が途絶えて久しいのだろう。

 だが今その中には、招かれざる客たちがいた。門を入ったすぐのところに、背中に旅の荷物を載せた、一頭の馬がいる。そしてもちろん、この馬だけではなかった。


     *  *  *  *  *  *


 玻璃窓(ステンドグラス)の色とりどりの破片が、床一面に散らばっている。昼間とはいうものの、射し込む陽光は頼りなく、石造りの大きな広間はあくまでも薄暗い。床に散らばったガラスの粒が、かろうじて鈍い光を映し出していた。

 そんなガラスを、靴が踏みしめた。毛皮を巻き付けた無骨な長靴の下で、耳障りな音がする。

「なんだよ、ここ」

 足元を一瞥してから、少年が言った。背中に大きな剣を背負い、身には鎧をつけている。小柄でしなやかな体つきだが、左腕だけは不自然に大きい。

 長い髪を揺らしながら、周囲を見渡した。つややかな黒髪だ。顔立ちを見ると、ぱっと見の印象ほどの子供ではなく、若者と呼んでいい年代のようだ。髪と同じ色の瞳が、強い眼光を宿している。

「またおんなじような広間じゃんか。どうなってんのさ、ベルナール」

 後ろから、答える声があった。

「そういうもんだ、クロウ。朽ち果てても、神の施設だからな」

 修道士だった。しゃがみ込んで、床に何か細工をしている。

「この種の建物は、単に住人の都合だけで建ってるわけじゃないんだ。部屋の形、位置、そして配置。みんな霊的な意味がある」

 そう答え、立ち上がる。長身で、聖職者には似合わない頑強な体格だ。年齢は壮年といっていい頃だろうか。少しくたびれた金髪が、肩よりも長く伸びていた。ほりが深く端正な顔立ちは、深い知性を感じさせる。ただその顔つきには、皮肉めいた影も宿っている。

 並ぶと、二人は頭2つほども違う。ただ、それ以上に、出で立ちが対照的だった。

 クロウの姿は、この国のどこに行っても目を引くだろう。胴を包む鎧は、薄い金属の小片を緋色の紐で密に縫い合わせて作ったもので、くすんだ光景の中ではひときわ鮮やかに映る。両肩には、同じ細工で仕立てた板状の装甲だ。そして、不自然に大きい左腕は、肘から先が金属ですっぽりと覆われている。

 一方ベルナールは、いくぶん黒ずんだ白い修道衣(トゥニカ)に黒い頭巾(フード)付きのローブを組み合わせた、典型的な旅の修道士の出で立ちだ。旅人仕様の修道服がしっかり身に馴染んでいるが、どこかくだけた雰囲気も漂わせていて、あまり敬虔なようには見えない。

 ベルナールが先に立って歩き出した。

 いくつかの出入り口があった。扉自体が朽ち果て、荒れ放題の庭が見えるものもある。それらを通り過ぎて奥へと進み、いちばん大きな扉の前に、二人は立った。

 紋様が刻み込まれた木の扉だった。ベルナールが慎重に手をかけると、軋み音を発しながら、ゆっくりと開いた。そしてその先には、廊下があった。薄暗い広間だったが、出た先はさらに暗さを増している。ふたりはためらうことなく、足を進めた。

 顔をしかめながら、クロウが言った。

「なあ、ベルナール。あんたら修道士って、よくこんな辛気くさいとこで暮らしていけるよね。なんか、むかむかしてくんだけど」

 ベルナールは苦笑いを浮かべた。

「ここは特別だ。俺ですら、むかむかしてくる。既にやつらが棲み着いて長いってことだろうな」

 クロウの目が鋭く光った。

「じゃ、やっぱいるんだ」

「ああ、俺にはわかる。魔女狩りの経験は、おまえとは比べ物にならんからな」

 見通しも満足に効かない暗い廊下を、ベルナールはためらいなく歩みを進めていく。初めて足を踏み入れているのに、住み慣れた場所であるかのようだ。教会や修道院といった建物に、よほど詳しいのだろう。

 つきあたりは、ふた手にわかれていた。ベルナールが言った。

「ここから左右に別れて長い回廊が続いてる。その先に、正餐(せいさん)堂がある。魔女や使い魔どもは、そこに群れてるはずだ」

 クロウは軽くため息をつく。

「めんどうだね」

「一匹ずつ相手していくのはな。それで、さっきの場所までおびき寄せるわけだ。

 クロウ、おまえは左から回れ。使い魔どもに、背後から思いっきり派手に襲いかかるんだ。俺は少し遅れて右から行く。後はいつもの手順だ」

「結局オレが先に突っかかるってことだよね。なんか、あんたの方が(らく)してない?」

「世の中ってのはな、役割分担で成り立ってんだよ。つべこべ言わずに、(いぶ)り出してこい!」

 肩をすくめ、クロウは歩き出した。その背中に、ベルナールが呼びかける。

「それからな、ひとつだけ念押ししとくぞ。使い魔どもは、煮るなり焼くなり好きにしろ。だが、その背後から魔女が出てきたときはだ…」

「斬るな突くな、ってことだろ?」

「得意の(ファウスト)を食らわす分には一向に構わん。だが、血を流して殺すのは絶対にだめだ。背中の剣も、決して抜くんじゃないぞ」

「抜かねーって!」

 言い返してから、つぶやいた。

「ってか、こいつはそういうもんじゃないんだ」


 回廊はまっすぐ長く続いていた。とはいえ、暗くて先を見通すことはできなかった。

 自然体で歩くクロウは、その実、警戒を解いていない。油断なく周りを見回しながら歩いている。

 人が通るだけの場所としては、無駄に大きかった。数人が横に並んで歩けるほどの幅がある。天井も負けじと高く、交差するアーチで造られていて、両横に等間隔で並んだ柱によって支えられている。その壮麗な作りは、通る修道士たちに畏れを感じさせるための細工なのだろう。だが、今それを見るクロウにとっての関心事は、あくまでも敵のことだけだ。

 中ほどまで進んだ時、背中から声が上がった。

「これ、クロウ。本当にだいじょうぶか?」

 幼い子供の声だ。

「おまえまで、オレが“抜く”って思ってんのか?」

「違う違う、そうではない」

 幼児だった。クロウの背中にくっついている。

「マロはどうにもあのベルナールとやらが信用できぬ。そもじは真っ直ぐで正直な性格だから、騙されやすいのじゃ」

 髪はクロウと同じ漆黒で、顔の左右に8の字で束ねている。頭にしがみつくように身を乗り出して、話を続けた。

「そもそもマロの姿が見えんというのが、怪しい。修道士とか申しておったが、真実、神に仕えておるのなら、純真な心を持っておるはずじゃ」

 なおも話し続けようとする。だが、回廊が終わりつつある今、クロウは目の前に集中したかった。

「クサナギ。おまえうるさいから、少し黙ってろ」

 言われた子供は、ぷうっとふくれてみせる。

「顕現しておるときに、そのような名で呼ぶでない。こうしておるときのマロの名は、トキコじゃ!」

 ふっと姿が消える。クロウの背中には、元のように剣が背負われていた。

 暗い空間は、進むに連れその暗さの質を変えていく。

 回廊が終わった。油断なく正餐堂に入っていくクロウ。もちろんすぐには踏み込まない。中から濃厚な気配が漂ってくるのが、経験の浅いクロウにさえも、はっきりと感じられた。そっと中に入ると、暗さに目を慣らすため、そこにとどまった。

 やがて目が慣れてきた。と同時に、困惑した。魔物らしき姿はどこにも見当たらないのだ。

 そんな中、視界にうっすらと人影が映った。

 クロウは、息をこらして近づいていく。向こうも同じように近づいてくる。次第に距離を詰めていく中、緊張感が高まっていく。だが、あるところまで進んだ時点で、止めていた息が、ふっと抜けた。

 さらに歩みを進める。そして、目の前に立ちはだかる人影に向かって、クロウは言った。

「なんだ、ずいぶんベルナールの旦那に似た使い魔だな」

 言うまでもなく、本人だ。憮然とした表情で突っ立っている。クロウは、さらに続ける。

「まあ、ベルナール様ともあろう方が、作戦間違いなんてはずないし。ってことは、こいつは化ける能力を持った魔女ってこと? どうする、試しにぶん殴ってみるか?」

「クロウ。おまえ、ほんっとに可愛くねえ小僧だな」

 苦虫をかみつぶしたような表情で、ベルナールが言う。

「俺だって人間だ。見込み違いぐらいあるッ!」

「比べものになんない経験ってのは、見込み違いの数ってこと……」

 だが、全てを話し終わらないうちに、クロウの表情が険しいものに変わった。

「……それとも、こういうの?」

「向こうから近づいてくることぐらい、想定してる」

「ほんとに? じゃ、ここまで想定済みなわけ? 今、完全に立場逆転してるよね」

「たいした問題じゃないさ」

 笑みとともにベルナールが言い返す。

「俺のトゥニカの下が素っ裸なんて思ってるわけじゃないだろ?」

 ベルナールの手は、いつのまにか服の下に入っていた。メイスが既に握り込まれているのが、膨らみからもわかる。クロウは軽くうなずいた。

「で、どうすんのさ」

「振り返ってちゃ、隙ができるな。巴になって互いの横をすり抜けよう。接近戦じゃ、どうしたっておまえが中心だ。合図は任せる」

「わかった。左側から行く。3つ数えたところで、やるぜ」

 不自然なほどに穏やかな話しぶりだった。

「これ、クロウ。何を話しておるのじゃ」

 クサナギ=トキコが不安げに話しかけてくる。クロウが言い返した。

「おまえって亡霊のくせに、鈍いんだな。周りをよく見てみろよ」

「失敬な! 亡霊とは違うぞ。マロは……」

 左右を見渡したその顔が止まった。

 彼らの周りは、既に異形の生き物たちに取り囲まれていたのだ。あるものは地を這い、あるものは天井のアーチにしがみついている。大小さまざまだが、姿は同じだ。トカゲに似ているが、角のある頭が不釣り合いに大きい。尻尾は長いが、端が丸く巻いている。眼球は大きく飛び出し、左右がそれぞれに断続的に旋回している。

「やれやれ。油断しちゃいなかったのに、全然見えなかった。なんなんだよ、こいつら」

「あわわ……ど、どうするのじゃ!」

「とりあえず、おまえは引っ込んでろ」

 幼児の姿がふっと消え、背中の剣に戻った。

 もっとも、そんな二人のやりとりは、お互いにしかわからない。見えない者にとっては、あくまでも背中に背負われた剣に過ぎないのだ。ベルナールが怪訝な顔つきでたずねてくる。

「おいクロウ、こんなときにも独り言か?」

「好きにさせろよ。それよりさ、(アイン)

 敵はいよいよはっきりしてくる。大小様々な個体の中、とりわけ大きいものが、じわじわと間合いを詰めてきている。

(ツヴァイ)

 クロウは息を大きく吸い込む。

 ベルナールの目がぎらりと輝いた。

(ドライ)!」

 合図とともにふたりは力強く踏み出した。

 互いの横をすり抜け背中合わせに。そして相互に背後を預け合いながら、暴れ……るはずだった。だが、二人が演ずべき殺戮の円舞曲は、出だしから(つまづ)いてしまったのだ。

 ベルナールが、懐からメイスを繰り出しながら左に踏み込んだとき、そこには右の拳を固めて力強く踏み込んだクロウがいた。しかも、鋭く踏み出した結果、二人はほとんど密着、まるでしっかり抱き合ったような格好になってしまう。

「おまえ左側から行くって言っただろ!」

 ベルナールが怒鳴った。クロウも同じように怒鳴り返す。

「あんたの側から見た方で言ってやったんだよ!」

 ちょうどその時、クロウの背後から大型の個体が飛びかかってきた。

「クロウ、後ろに回るぞ!」

 ベルナールはクロウを抱きかかえたまま旋回する。噛みつこうとする顎が空を切った瞬間、二人分の力を乗せたメイスがその頭部を直撃した。

 華麗な回転を終えたとき、使い魔はとばされ、小さな仲間の何体かを巻き添えにしながら、床を転がった。

 すると、今度は天井に張り付いていた小型の個体が襲いかかってくる。

「ベルナール、上だ!」

 またしても同じスタイルで、今度は縦の旋回を加える。先ほどよりも格段に小さな個体が、大きく飛んで行く。

 だが、息をつく間もなく、次々と飛びかかってくる。

 “シャアァァァァッ!”

 威嚇なのか、それとも怒りなのか、喉から空気を絞り出すような鳴き声を盛んに上げてくる。二人は右へ左へと小刻みに移動しながら、攻撃を交わし、また一撃を入れた。その間、抱き合った体勢を解く間もない。

 クロウが叫んだ。

「あー、もうっ! なんでこんなとこでおっさんとダンス(タンツェ)しなくちゃいけないんだよっ!」

「おっさんて言うなッ! 俺はこう見えても四十前だ!」

「じゅうぶんおっさんじゃねーかよっ」

 ベルナールが表情をふっと変え、説き伏せるように言った。

「そうだ、クロウ、俺の股をくぐれ。そうすりゃ予定通りの背中合わせだ」

「やだ」

「なんだって?」

「そんな屈辱的なことできるかっ!」

 ベルナールは大きく息を吸い込んだ。一拍の空白、そして一気にまくし立てた。

「おまえの股が、俺でもくぐれる程でかかったら、俺は迷わずそうしてやる。だからおまえも迷うなっ!」

 そのとき、ベルナールの視界に、新手の敵が飛び込んできた。床の一部にしか見えなかった場所に、敵の個体がふっと現れたのだ。

「そうか、保護色か……。クロウ、今度は下だ!」

 クロウはすかさず反応した。ただ、ベルナールの思っていたのとは、少し違っていた。身を屈めて攻撃したベルナールの肩が、ちょうど自分の目の高さになったのを見ると、素早く手をかけたのだ。すかさず足もかけると、ベルナール自身の体の動きも利用、軽やかに跳び上がった。

 自分の身長ほどの高さを飛び越え、着地した。

「これで予定通りだよな」

「……おまえ、今俺を足蹴(あしげ)にしたな?」

「股くぐるのが問題ないんなら、これだって問題ないだろ?」

 その時、女の声が響いた。

「あーっはっは、おかしいったらありゃしない」

 壁の一部が(うごめ)き出した。それは小さな使い魔の群れだったのだ。石造りの壁と同じ色だった体色は、ざわめきながら緑がかったものへと変わっていく。

 各々の方に歩き去った後には、女が出現していた。

 取り囲んでいた使い魔たちは攻撃を止め、左右に別れて道を作った。女がゆっくりと進んでくる。どこか爬虫類を思わせる容貌だ。体に密着した服もまた、(うろこ)のような光沢を帯びている。

「わざわざこんなとこまで乗り込んでくるんだから、どんな凄腕なのかと思ったら、とんだお笑い二人組だったね」

 ベルナールはメイスを懐に戻しながら、澄ました顔でクロウに言った。

「おびき出すことには成功したな」

「さすが、魔女狩り経験の豊富な大先輩だよ」

 ため息混じりのつぶやきで、クロウが返す。

 女は嘲るような笑みのままで言い放った。

「おまえたちごときが、魔女を狩る者(ヘクセンイェーガー)とは、かたはら痛い。あたしの可愛い化け物たちの餌にしてやるよ」

 戦闘再開のようだった。使い魔たちが再び間合いを詰めてくる。特に大きい個体が一頭、前へと進み出てくる。

 その異様な姿をみながら、クロウが尋ねた。

「使い魔ってのは、元々は生き物なんだよな。こいつら、何なのさ。こんなの見たこともねーんだけど」

「カメレオンというトカゲだ。ヌビア人たちの住む土地の、さらに南の方にいる。変な姿形だが、大きさ以外は、元々こんなものだ。

 特徴は三つ。まず、飛び出した目玉で全方位を見渡すことができ、死角がない。次に、周りに合わせて体の色を変えられる」

「それで、いたのに見えなかったんだ」

 その時、正面にいた個体がいきなり口を開いた。何かが急速に向かってくる。だが、ベルナールは既に予想していたようだ。懐に入れていた左手を素早く繰り出し、迫ってきたものを弾き返した。

「これが三つめ、粘着する舌を長く伸ばして獲物を絡めとる」

「で、どうすんだ?」

「とりあえず、目を閉じろ!」

 ベルナール自身は言いながら伏せている。クロウもわけがわからないまま反射的に見習ったその直後だった。

 ドーン!!

 大音響とともに、さきほどの個体がはじけ飛んだ。閃光が走り、炎が上がる。

「走るぞ!」

 居合わせた個体が光に目がくらんで動けないでいる中、ベルナールは回廊めざして走りだした。クロウも追いかける。

「今のは?」

「舌を戻すとき、ついでに擲弾(グラナタ)を食わせといたのさ」

 そういうと、左手で鉄製の玉を見せ、投げ渡す。

「これって、前に“法力が封印してある”とか吹いてたやつだな」

「まあ、そいつはさっきのと違って景気付け程度のものだがな」

 回廊に飛び込んだふたりはそのまま一息に走り抜け、広間の入り口でようやく立ち止まった。

 クロウが油断なく後方を見張る一方、ベルナールは開いたままの扉に素早く手をかける。

「じゃあ、しばらく頼んだぞ。それから念をおしとくが…」

「ようは、魔女さえ斬らなきゃいいんだろ?」

 ベルナールはうなずくとそのまま広間に入り、扉を閉ざした。

「さてと」

 扉を背負って立つクロウは、今走り抜けてきた廊下の方を見やった。魔女と使い魔たちが近づいてくる音が聞こえる中、落ち着いた様子で軽く体をほぐしている。

 肩の上には、トキコ=クサナギが顕現している。

「これ、クロウ。何をしておるのじゃ! そもじも早く中に入らぬと!」

 焦った様子でクロウの顔を覗き込む。そのクロウはというと、対象的に冷静で、気負った様子もない。

「敵を溜めるんだよ」

「は?」

「少しずつ相手していると、めんどくさいだろ。だからここで溜めといてから、一気に中に入れるんだ。修道院中の使い魔どもが全部集められたら儲けものだ」

「何もそんなことせずとも……」

 トキコの表情が恐怖に変わった。使い魔たちが、追いついてきたのだ。たちまちトキコの姿は消え、クロウの背中には、再び剣が戻る。

 使い魔たちはクロウをぐるりと取り囲んだ。

 後ろから魔女が現れた。

「はん、時間稼ぎってわけかい。小僧一人でいつまで持ちこたえられるつもりだい?」

 だがクロウは一瞥をしただけで、冷ややかに言った。

「……気安く話しかけんじゃねーよ、化け物のくせに」

 魔女の顔が醜く歪んだ。クロウは構わず、左腕を真横に振り上げる。腕の中から振り出されてくるものがあった。鋭い輝きを放つ、一振りの短刀だ。クロウの大きすぎる左腕は、実際には義手だったのだ。中に仕込まれていた刀はまっすぐ伸びたところで固定され、クロウの肘から先と一体化していた。軽く反りの入った刀身には、波目模様の刃紋が浮かんでいる。

 魔女が叫んだ。

「やっちまいな!」

 最前列の使い魔がいっせいに口を開けた。瞬時に、長い舌が繰り出されて来る。

 瞬間的に立ち位置を変えたクロウは、鋭く踏み出した足を起点に旋回した。使い魔たちのねばつく舌が伸びきったとき、クロウの左腕が大きな弧を描き、銀色の軌跡を見せた。

 クロウが止まった。同時に、切り取られた舌先が鈍い音を立てて床に転がった。

 “ジィヤアァァァッ!!”

 使い魔たちが苦痛にのたうつ中、今度は天井から小型の個体が飛びかかってくる。だが、クロウの反応は素早く、容赦がない。軽やかに体の位置をずらすと、左の剣を一閃させ、使い魔の体を一文字に切り裂いた。

 闘いがひとしきり続いた。時には拳や蹴りも使いながら、闘っている。剣技というよりは格闘技だろう。ただそれ以前に、軽やかに足を刻む姿は、まるで踊っているかのようだ。使い魔たちは、いなされ、またかわされ、まとまっての攻撃に出られないでいるのだ。

 後方では、魔女が歯ぎしりをしていた。

「まったく、なんてざまだい」

 苛立つ魔女とは対照的に、クロウは冷静だ。多くの敵が集まっているのをみやると、つぶやいた。

「そろそろかな」

 クロウは懐に手を入れると、先ほど受け取った擲弾(グラナタ)を取り出し、振りかざした。

 それを見た魔女はあわてて飛びのき、叫ぶ。

「おまえたち、あたしを守れ!」

 使い魔たちが位置を変える中、クロウは高く放り投げた。

 パーン!

 閃光とともに甲高い爆発音が響き、あたりは煙に包まれた。視界が戻ってきたとき、既にクロウの姿はなかった。

「おのれ、小僧め! 坊主ともども、八つ裂きにしてやるっ!」

 魔女が杖を振りかざすと、使い魔たちは閉ざされていた扉に殺到した。扉が大きく揺れ、やがて開いた。使い魔たちは、雪崩を打つように中へと吸い込まれていった。


 日差しの頼りなさは、相変わらずだ。とはいえ、先程までいた場所に比べれば、まばゆく輝いているような部屋だった。その明るさに使い魔たちが戸惑い、足が止まった。

 高いところから、声が響いた。

「罪深き異形の被造物(クレアトゥーラ)どもよ。ようこそ、我が裁きの広間へ」

 壇上に飾られた大きな石像の上だった。ベルナールは、(ほこり)まみれのキリストとマリアに遠慮なく足をかけ、魔女たちを見下ろしている。

 使い魔の後ろから、魔女が叫んだ。

「いたね、腐れ坊主。どんな術を使うつもりか知らないが、それは不可能さ。おまえにはそんな時間はない。詠唱が終わるより前に、こいつらが飛びかかるからね。さあ、やってごらん!」

「そうかい?」

 次の瞬間、広間が一変した。

 今度のは、本当のまばゆさだった。轟音とともに、目の前の床から激しく炎が噴き上がったのだ。間髪入れずに次の炎が噴き上がる。柱のような炎はあっという間に横へと広がり、白熱する炎の壁となって使い魔たちを取り囲んだ。

 まばゆい光が、広間を照らした。ベルナールもまた照らされている。手には床へと繋がる紐が握られていた。

「残念だったな。俺の法術に、詠唱(そいつ)はいらないのさ」

 使い魔たちの悲鳴があがる。だが、それも新たな轟音にかき消された。炎の壁の中でさらなる火焔が起こり、渦を巻いて吹き荒れた。

 炎が収まったとき、使い魔たちは、ただの一体も残っていなかった。広間の床の上には、魔女ただ一人が立っていた。

「ば、ばかな! あたしの使い魔たちが……全滅……」

 肉が焼け焦げる臭いが硫黄の臭いと混ざり、むっとする熱気に満たされる中、魔女は呆然と立ち尽くしている。

 その時、石像の上から声があった。

「おい、いいのか? 下が完全にお留守になってるぞ」

 我に返った時には、もう遅かった。魔女の視界の片隅には、うずくまって力を溜めるクロウの姿があったのだ。

「小さすぎて見えねとか、言うんじゃねーぞ!」

 全身をバネに、弾けるように伸び上がるクロウ。その全体重を込めた拳が、魔女の腹部を正面から捉えた。

「ぐはっ・・・!!」

 身構える間すらなかった。決して小柄とはいえない魔女の体が、浮き上がった。細長い体が、腹部を中心に折れ曲がるようにしなる。次の瞬間、魔女は後ろに大きく飛ばされ、床の上を転がった。

「ふん、他愛もねえ」

 見下ろしながら、クロウがつぶやく。

「ぐっ……はぁっ、はぁっ……」

 魔女は、這いつくばりながら、声にならない声を口から漏らす。

 よろめきながらもどうにか立ち上がると、近くにあった扉へと向かった。そこは、外庭に通じる出入り口だった。この場からどうにか逃げ出そうと思ったのだろうか。とはいえ、その企みには無理があった。両足はちぐはぐな動きを見せ、まっすぐ歩くこともままならないのだ。どうにかたどり着いたとき、足がもつれた。魔女は、なすすべもなく朽ちた扉にぶつかり、壊しながら地面に転がった。

 今度は、起き上がれなかった。クロウの拳が効いているのだろう。地面の上で腹を押さえ、もがいている。

 ベルナールが近づいてきた。なんとか進もうと、魔女は伸びきった雑草の中をはいずり始めた。

「効いてきたようだな。さぞ苦しかろう。クロウの拳を真正面から腹に食らったら、内臓(はらわた)がもたん。おまえたち魔女の再生能力をもってしても、元通りになるのは、しばらく先だろう」

 ベルナールは、首からかけていたロザリオを外しながら、魔女に歩み寄った。

「そしてこいつの力で、その他の能力も封じられることになる」

 ロザリオを素早く魔女の首にかけた。反射的に手をかける魔女。

「ぎゃああっ!」

 魔女はたちまち悲鳴を上げ、地面を転げ回った。その手を電撃が走ったのだ。

 クロウも外に出て来て、ベルナールと並ぶ。

「ほら、ちゃんと約束守っただろ?」

「ああ、上出来だ。おかげで、仕事がやりやすい。イェーガーとはいっても、俺の仕事は実のところここからなんだからな」

「どうすんの?」

「洗いざらい喋らせる。出自、本当の名前、そして仕えてる上位魔女。まずはそんなところからだ。まあ、当面はじっくり待つさ。喋れる程度に回復するまでな」

 魔女は、少し離れたところにうずくまっている。逃走する気力も、既に失っているようだ。どうにかベルナールの方を向き直すと、吐き捨てるように言った。

「……おまえ、ただのイェーガーじゃないねッ……まさか、異端審問官?」

「下級魔女ごときに名乗るわけがないだろ。そして質問に答えるのは、俺じゃない」

「お、おのれ、人間の分際で!」

「そう、おまえさんたちが卑しむ人間だ。いくらでも卑劣な手を使ってやるぞ。言っておくが、俺は魔女の回復力は熟知している。つまり、どれだけの痛めつけなら死なせずに済むのか、わかってるってことだ。まずは、名乗ってもらおうか」

 その時だった。不意に馬の足音が響いた。

 振り返ったベルナールたちの視界の片隅に、武装した騎士の姿が映った。その左手には槍が握られている。

 魔女はよろよろと立ち上がった。その口元には、笑みが浮かんでいる。騎士はあっという間に間合いを詰め、ベルナールたちのすぐ横をかすめ、魔女の横を駆け抜けた。

 足音が遠ざかった時、そこには胸を串刺しにされた魔女が残されていた。魔女の視線はベルナールを捉えている。邪悪な、してやったりと言いたげな笑みだった。だが、その表情もすぐに消えた。眼から光が失われる。魔女は、大の字になったまま後ろに倒れ、大きな音がした。

「なんてこった……」

 ベルナールは、苦虫を噛み潰したような顔で、魔女の死骸を見下ろした。

 再び馬の足音が近づいてきた。

「危ないところだったな、その方ら」

 馬首をめぐらし、騎士が戻ってきたのだ。ベルナールの横までくると、面あてを上げる。髭面の中年男が現れた。

「拙者は騎士セバスチャン。当地の領主である男爵家に仕えておる。貴公は?」

「……ドミニコ会士、ベルナール」

「ほう、家宰(かさい)殿が教皇庁(ローマ)にイェーガーの派遣を要請したとは聞いておったが、貴公がそうであったか」

 そう言うと、露骨に値踏みするような目で、ベルナールの全身を見はじめた。やがて導いた結論は“安物”だったようだ。馬から降りる様子もない。

 クロウが近づいた。

「おい、騎士のおっさん……」

「無礼者! 従者の分際で、騎士に直接話しかけるでないッ!」

「な、じゅ・従者だと?」

 驚愕するクロウ。だがその感情が怒りに変わるのを、ベルナールが制した。

「この者に代わって私が言おう。今の槍のことだ」

「はっはっは。礼にはおよばんぞ。危機に陥っている弱き者を助けるのは、騎士の務めであるからな」

「どこどう見たら、あれが危機に見えたんだよ!」

 クロウが叫ぶ。だが、セバスチャンはちらと一瞥を与えただけだった。“従者”など黙殺すると決めたようだ。ベルナールの方を向いて、言った。

「では、後ほど。そうそう、貴公の到着は、拙者から伝えておこう。おそらく今宵は歓迎の宴となろうな。はっはっは、貴公のような者の口には滅多に入らん御馳走が待っておるぞ」

 馬首を巡らせ、騎士セバスチャンは立ち去っていった。後には、ベルナールとクロウ、そして槍が刺さったままの、つい先程まで魔女だった死骸が残された。

 ベルナールは顔をしかめながら立ち尽くしている。

 クロウが言った。

「刺されちまったね。これって、どうなるわけ?」

「どうにもならんさ。この地はもう(けが)された」

 クロウは魔女の死骸に近寄った。

 もうぴくりとも動かない。人間のそれと変わらない赤い血が流れだし、地面をどす黒く染めている。

 クロウは空を見上げた。曇り空だ。ただ、さっきまでの陰気さは薄まり、薄日が差し始めている。

「魔女って、殺されても単に死体のままだよな。前には、灰かなんかになっちまうって思ってたけどさ」

「身体そのものは人間と違わんからな。だが問題は、それじゃない。この土地に、魔女の血が流されたってことさ」

 ベルナールは騎士の去った方をみやった。街道へと繋がる枝道があり、その先には、これから向かうこの封国の首都がある。やがて、吐き捨てるように言った。

「ったく、野蛮人め! 地獄が本当にあるんなら、俺が推薦状を書いてやる!」


     *  *  *  *  *  *


 西暦1301年。魔女たちの宣戦布告から、3年が過ぎていた。

 教会の組織はまだ残っていた。皇帝そして選帝侯たちもあり、王や諸侯その他の領主たちも、それぞれの領地を治めていた。だがそんな表面上の平穏とは裏腹に、西方世界は徐々に魔女たちのものになりつつあった。




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