石板
「貴殿に一つ、頼み事をしたい」
目の前にいる人物は、厳かな声でそう言った。
腕は筋肉で丸太のように太く、恰幅のよい男性。 豪奢な衣服を身に纏い、黄金の煌びやかな装飾を施された椅子に、どっしりと腰を預けている。
「私奴に頼み事など…… 私にできることならば、何なりと御申し付けください、オグド皇帝陛下」
私は跪き、畏敬の念を示す。
「貴殿も知っておるだろうが、先日、この国で遺跡が見つかった。その遺跡に先達した調査団が、奇妙な文字が刻まれた石板を発見したのだ。その解読を貴殿に依頼したい」
私は少しだけ考えて、面を上げる。
「了解いたしました。必ずや、その石板の文字を解読いたしましょう」
皇帝陛下は、満足したように頷く。そして、私は謁見の間を後にした。
私はトト。この地の歴史や文明を研究する考古学者だ。今は自室にこもり、奇妙な文字が刻まれた石板を前にして頭をひねっているところだ。
この帝国は、二百年以上安定して続いている。その前は国などはなく、ぽつぽつと小さな集落が点在し、慎ましやかな生活を送っていた。その人々を統括し、ここまで大きな国にしたのは、ひとえに現皇帝の先々代の功績だろう。しっかりと税金をとり、平等に分配することで、国民は飢えも貧困もない生活を享受している。
このような歴史のため、今までこの地に遺跡など、ほとんど発見されてこなかった。しかし、先日、古代の遺跡が発掘されたのだ。私もその発掘に関わりたかったのだが、まさか皇帝陛下直々の命を受けて関わることになるとは予想もしていなかった。
改めてその石板を見つめてみる。薄汚れた石基に細かく文字のような文様が刻まれている。一つ一つの文字は、直線であったり、芸術的な曲線であったりと、多種多様だった。
これでも私はプロだ。この程度の古代文字を解読するなど造作でもない。私は書棚の資料をいくつか引っ張り出し、文法の規則性や文章の意味を見いだしていった。
……幾日か経過し、この石板の言語の法則もある程度分かってきた。そして、この石板に刻まれている文章の内容も分かってきた。なにやら、物語のようなものが綴られていた。
恐らく予言なのだろう。予言の類いは、石板に書かれる内容として至極一般的なものだ。しかし、殆どの予言は眉唾だったり、空想だったりと、当てにならない。
私は少し落胆しながら、目の前の文章をさらに読み進めていった。しかし、読み進めていくうちに、違和感を覚える。何か、何かが、今までの予言書とは違う。
「こ、これは……」
私は目を疑った。予言書としてありきたりな内容だと思って読み進めていたのだが、その文章に書かれている内容が、この帝国の歴史と、成り立ちに酷似しているのだ。いや、似ているなんて言うものではない。書かれているのは、この国の歴史そのものだった。
私は興奮した。今、私は今までにない大発見をしたのかもしれない。この文章を刻んだ人は、ここまでの精度で未来を当てたというのか。
私は胸の高鳴りを押さえられない。まだまだこの石板に刻まれている文章は続いている。ならば、現在よりも先のことも書かれているはずだ。
「この石板は、真の意味での予言だというのか……」
思わずそんな言葉が口から零れる。私は一心不乱に記述を読み解いていった。
現在までの予言を読んで確信した。この石板の文書は、今までにない、完全な予言書だということ。そしてこの先に書かれている内容は、本来私たちが知ることのなかった、未来の記述だと言うことを。
私は息を飲む。そして、自分自身に問いかける。本当にこの石板を読み解いてよいのか。未来のことを、今の私たちが知ってよいのかを。
答えはもう明白だった。考えるまでもなかった。そんなの、読むしかない。もし未来にどんなことが起きようとも、ここまで読んでしまったのだ。ここで読むことをやめることなどできやしない。私は、好奇心のままに未来を知ることを決めた。
*****
……あれから数日が経過した。その数日で、私は未来を知った。これからのこの国の行く末を。この地で何が起こるのかを。
私は皇帝とまた話すことに決めた。その石板の解読の結果を報告すると近衛兵に言った。するとすぐさま、謁見の用意が整えられた。
私は謁見の間へ急ぐ。緊張のせいでつい足早になってしまう。
私は深く息を吸って、吐き出す。それとともに、私の精神は研ぎ澄まされていった。
目の前の重厚な扉が開かれる。視界が絢爛に染まる。部屋の中央に、案の定オグド皇帝陛下が泰然と腰を下ろしていた。
私は恭しく跪いた。皇帝陛下が面を上げるように言う。
「よくぞ参られた、トトよ。さて、早速だが、石板の研究が終わったそうだな。その成果を聞かせてほしい」
私は面を下げたまま言う。
「陛下。あの石板に刻まれた文章は、予言でした。しかし、今までにあった予言書とは違います……。この石板の文章は―― 恐ろしいほどに正確でした」
陛下は、満足げに頷く。
「そうか。それで、予言というからには未来のことが書いてあったのだろう? その内容は?」
「その内容とは――」
私はその瞬間、全力で大理石の床を蹴り、駆けだした。そして、右手の冷たい感触を感じ、陛下に向かって突撃する。
静寂が場を支配する。陛下に覆い被さる私の右手には、無骨な短刀。その刃先は、深々と、陛下の脇腹に突き刺さっていた。
陛下はうめき声も出さずに動かなくなる。ただ、面食らった表情だけを顔に浮かべていた。
私のするべきことは終わった。すぐさま謁見室は混乱に包まれる。周りの近衛兵たちは私を縛り上げ、拘束した。私は抵抗せず、されるがままにしていた。
私はそのまま仄暗い牢に入れられた。皇帝を殺害した私はきっと、執拗な尋問の末処刑されるだろう。
独房の冷気が私の頬を撫でる。しかし、何故かこの空気が心地よかった。私は犯罪者だ。しかも、皇帝を殺害するという、恐らくこの国で最も重いであろう罪を犯した。
……全ては未来のためだ。あの石板の予言で未来を知った私は、その罪を犯す義務を背負ったのだ。
あの皇帝は他国の傀儡だ。あの崇高な予言書に書かれていた未来では、あの皇帝は、この国を売ったのだ。この国の安定を売り、自分の利益を優先した、卑劣な王なのだ。
しかし、この未来を知っているのは私以外いない。ならば、私以外に国を守れる人はいない。だから、私は現皇帝を殺め、この国を、この国の未来を救ったのだ。
きっと全ての人間は私を非難するだろう。しかし、それでも構わない。もし誰も気づいていなかったとしても、この国を救った名誉は、私の命を捧げるに値する以上の価値があるのだから。
牢の鍵が解かれ、扉が開けられる。それとともに、私に多数の視線が突き刺さる。しかし私は目を閉じる。心を閉ざす。この国が滅びる運命があったことを知っているのは私だけでいい。私の役目は、私の全ては、これで成し遂げたのだ。
私は徐に立ち上がった。これが、私の最後の自発的な行動となった。
*****
あるところに、一人の男がいた。その男は慎ましやかな衣服を身につけ、地面にしゃがみ込んでいた。
「うぅん。つまらないな……」
その男は、石板にたがねと金槌を器用に操り、文字を刻みながら呟いた。
「この地の未来なのにこんなに地味では、王が退屈してしまう……。この地で発展する国は何でこんなにも安定しているんだ……」
男は頭をひねった。そして、一つの考えを思いつく。
「そうだ! どうせこんな石板なんか王が一度読んで終わりなんだから、この未来の国は私が考えて、面白い内容にして書けばいいんだ!」
男は俄然やる気が出てきたようだった。そして、その男によって書かれた石板は未来に託される。