お前ほんとそう言うとこだぞ
「今度は恋愛シュミレーションゲームを作るぞ」
淡々とした、聞き慣れた声が耳に届く。
後ろから聞こえてきたそれに、俺はゆっくり振り返って確認する。
いやいや。
いくらなんでもそんなはずはない。
何十回も何百回も、なんならほんの数十分前に言ったばかりだ。
そんなはずは。
ノックもせずに部屋に入ってくるなんて、ははは…。
「…」
「よっ」
入口には、腕を組んで立っている俺とは全くと言っていい程似ていない兄と、キィィ…と音を立てて揺れている先程確認した時には確かに閉まっていたはずの扉。
目の前で起こっている現実に、俺は両手で顔を覆って、震える声を絞り出した。
「部屋入る時はノックしろっていつもいってるじゃねえかよ…」
*・*・*
「今度は恋愛シュミレーションゲーム作るぞ」
「なんで今二回も言ったの⁉聞けてますけど⁉ちょ、今片付けてんだろーよ、入ってくんな!」
床に散らばった物を隠すようにせっせと片付けている、この部屋の主である片木近也は入口からすでに部屋に入ってこようとしている兄の片木遠也を必死に止めに入った。
現在、近也が着用しているTシャツには水色の下地に青髪のサイドで高く結い上げている少し眠そうに目を細めて微笑んでいる美少女が真ん中にプリントされていた。
床に散らばっていたものは、おそらく同一人物だと思われる少女が描かれているDVDやポスターだろう。
そう。
片木近也は、一般的にアニオタと称される男である。
アニオタと言うだけあって、旬のアニメを一つたりとも見逃さず様々なものを吟味してきた彼であるが、最近はその中でも特に推しているのは『魔法少女みるみるっ!』のまりぃと言うキャラクターである。
当初は何気なく見ていただけだった。
アニメが日本の誇るべき文化であると他国から言われ始めて久しい。
魔法少女は、アイドルもの、ロボットものに次いで王道ジャンルに分類されていると言っても過言ではないだろう。
ほとんどのものが似たような話の物ばかりで、今回もそんなもんなのだろうと勝手に決めつけ期待などしていなかった近也だが。
いざ視聴してみて、あっけなくドハマりした。
そりゃあもうDVDBOXに加え初回限定版も全て買い揃え、フィギュアやぬいぐるみなどのグッズの情報が出ればネットの波を掻い潜り、ライブがあるとの情報が入れば参戦する為に力を入れる程度には。
そんな、ガチ勢と言っても過言ではない近也であるが、決して自身がオタクである事は周りには周知させないようにしている。
何故か。
恥ずかしいからだ。どうしようもなく。
いや、好きなアニメを推している事を恥ずかしい事とは思わない。
それはオタクとして禁忌にあたり、自身の存在意義を否定することになるからだ。
そういうことでは無く、ただ単にバレた時の周りとの温度差に耐えられないだけなのだ。
アニオタとバレてしまったときの、相手の「あっ…」という気を使ったような態度。
たまらなく悲しい。悲しすぎる。
それは家族とて例外ではなく…。
「お前まだこんなん好きなの?…まあ本人の自由だからなんも言わんけど…、ほどほどにな」
「変に優しいのが逆に傷つくわ!アニオタの何がいけないの⁉まりぃたん可愛いだろが」
特に、兄である遠也は見つかるごとに尽く哀れな目で見てくる為、全力で隠したいわけである。
大方、大事なものを片付けた近也は、来ているTシャツをそのままに立ったまま律義にも待ち続けている遠也を部屋まで誘う。
無造作に置かれた座布団に座ると、遠也は真面目な顔つきで話を切り出した。
「…今度は」
「しつけーわ!恋愛ゲーム作るんだろ?何回言うんだよ」
「聞こえてないかと思って」
「兄貴は俺の事をやべぇ馬鹿だと思ってんのかそこ詳しく聞きたいわ」
至って真面目な様子の遠也は、目の前の弟が話をしっかりと理解している事を確認すると、一冊のノートを差し出した。
「今回の案だ」
「…おう」
近也はそれを受け取り表紙をペラリ、とめくる。
まるでそれを待ってましたと言わんばかりに。
片木兄弟は、所謂フリーゲームを共同制作してインターネットにて配信している。
彼らが作るゲームジャンルは様々であるが、最も得意なのはフリーホラーゲームである。
代表作の『彼岸で待ってる』シリーズは、ゲーマーから徐々に話題を生み、そこそこ有名な実況者がプレイしたことによって今や3万ダウンロードを超えている。
そんな片木兄弟であるが今だ手を出していないジャンルは恋愛シュミレーションゲームのみとなった。
別に作らなくてもいい、と思っていた近也であるが…。
今目の前にいる兄がそれを作ると豪語した。
『作りたい』のではなく、『作る』。
もうすでに制作することは決定なのだろう。
何と言ったって、制作する権利は兄の遠也が握っているのだから。
遠也が手渡したノートには今までのゲームの元となった設定やあらすじが描かれている。
もちろん、それらすべてが反映されるわけではないが大体はそのノートに沿って話が作られる。
恋愛ものは今までよりも設定が難しく、話も手の込んだものでなければ他作品と同じような話の恋愛ゲームなどプレイする側が飽きてしまう。
どんなものができたのだろうと心を躍らせていた近也だったが…。
「は?」
ノートを見た近也は、思わず素っ頓狂な声を洩らした。
そこに書かれていたのは、『男と女が色々あるけど何とか結ばれて色々乗り越える話』とだけだった。
「えっ、ちょっ、設定とかビジュアルとか、細かなストーリーは?」
「ない」
「は?」
「彼女が出来たことのない俺に期待をするのは間違ってると思う」
「なぜ恋愛ゲームを作ろうとした⁉」
真面目な表情でとんでもない事を言い出す遠也に、近也は声を荒げる。
開いたままのノートをそのままに近也は頭を抱えて呻いた。
まさか何も考えずにただ作りたいだけなんて、今までの様々な遠也の所業の中でもすこぶる性質が悪い。
得意分野であるフリーホラーならば足りない部分は近也自身が補ってなんとか作品として成り立たせることが出来たが、今回は無理だ。
何故なら、近也もまた恋愛経験が皆無だからである。
アニメの素晴らしさに気付いてから、生身の人間よりもゲームの中のキャラクターを大切にしてきたのだ。
分かりやすく言えば、家族を除いて異性と会話したことすらないのだ。
今回の案件が無理難題としか言わざるを得ない。
「兄貴…今回は諦めよう。俺達には無理だ」
「何で無理と決めつけるんだ、やったこともないのに」
「いやいや、どう考えたって無理だろ。細かなストーリーも作れてない、なにより彼女が居ないんだから恋愛の雰囲気なんて作れるはずないだろ」
「じゃあ彼女を作ればいいだろ」
「簡単に言うな!そんなに言うなら兄貴が作れよ!よく一緒に帰ってる女の先輩いるだろ⁉兄貴に気があるんじゃねえの?」
「無理。あいつはブス」
「おっまえホントそういうところだぞ」
アニオタではない、決して悪い男ではない遠也が何故今まで彼女が居なかったのか。
答えは簡単だ。
隙あらば毒を吐く腹黒だからだ。
そんな事ではないだろうか、と薄々感づいていた近也だったが予想通りの遠也の回答に更に項垂れる。
「だっていくら何でもあれは」
「分かったから!腹黒通り越して性格悪すぎだろ!」
インターネットではそこそこ名が広まっている片木兄弟。
果たして恋愛ゲームを配信することが出来るのだろうか。
今から訪れるであろう難題に近也はキリキリ痛む胃を押さえた。