変なニャンコと上司の昔の友達
チュンチュン。
名前も知らない小鳥の鳴き声と共にアタシの頬を陽光が撫で、あまりの激痛に怨嗟と嗚咽を漏らしながら苦悶の絶叫を上げて跳び起きた。
否、起きたと言うよりかは目を開けたというべきでしょうか、
寝れる わきゃ ない 。
何も知らない眠ったままの拉致してきた少女と、これまた何も知らない愛して止まない上司が、「あははーなんだコレー」って戸棚からコンドーム引っ張り出して二人して遊び始めたんですよ。
どうですか皆様、その状況で眠れますか!眠れますかってんですよ!
フロントのお姉さんに「あの、お、女の子三人でもいいですか?」って問わなきゃならなかったアタシの気持ちがわかりますか!
わからないでしょうねえ!恥ずかしかったです!
「……うっさいなー、朝から騒がしいぞワイト〜」
そしてそんな問題上司が寝ぼけ眼でアタシの心の声に文句を垂れつつのそりと起き上がった。
なんで魂の叫びにまで文句言われにゃアカンのじゃい。
あれ、そういえば火車ちゃんの姿が無い。
まさか深夜にこっそり抜け出したのでは、と辺りを見回したらベッドの上に猫がちょんと座っていた。
黒っぽくてツヤツヤした、尻尾が二本あって目の赤いにゃんこだ。おかしいおかしい。
「うええ⁉︎なんスかこのにゃんこ⁉︎」
「ん〜……?何って、そりゃお前カシャニャンだよ」
カシャニャン⁉︎言うにことかいてカシャニャン⁉︎なんなんですかその売れなさそうなネーミング発音し辛い。
「なんだワイト知らんのか。火車ってのは猫の妖怪とも言われていて、それこそ数百年生きた化け猫、猫又の類ともされているんだぞ?」
「へぇ〜、死体を運ぶ火のついた手押し車の妖怪だと思ってました」
「手押し車の妖怪て」
じゃあ手押し車がなくても火車は火車なんですね。実態を現す事は名前に含まれていない、竜に乗ってないのに竜騎士、みたいなものでしょうか。
アイデンティティ崩壊してるじゃないですか。
「昨日ちーとんからLINEで送られてきたけど、この火車はまだ幼いから昼はにゃんこの状態で、妖力の高まる夜になれば少女の形を保てるそうだぞ」
ちょっと待て、あの陰陽師LINEとかやってんのか、というかいつの間にID教えたんスか、アタシもまだマスターの知らないのに。
ともあれどうやらそういう事情らしい。女の子どころかにゃんこが一匹増えてしまった。
「まあ私に怯えてるのか、私は持ち歩けんからワイト頼むわ。なんか懐いてるし、いい匂いでもするんじゃないか?」
「そりゃ目の前で惨殺されかけて拉致されたら怯えるでしょうよ。あとアタシからするのはシャンプーと死臭だけです」
あ、死体運ぶ猫じゃむしろそれがいいのか。
一人でポンと手を叩いて納得していると、マスターはいそいそと荷物をまとめ、着替えを済ませてロビーへ降りて行った。
やっぱ全部アタシ持ちなんですね、ハイ。
アタシも急いでシーツを揃え、部屋を脱臭して、荷物とカシャニャンを小脇に抱えて部屋を飛び出した。
◆
「昨晩はお楽しみでしたよね」
うるせえ。余計なお世話だ。
フロントのツヤツヤしたお姉さんにチェックアウトを済ませてアタシ達はホテルを後にした。
マスターは先に外へ出ていて、ラジオ体操を一人で行っていた。
いや、だから数千年前にラジオ体操はないだろうが。
体を大きく回す運動の辺りからアタシも参加して、死後硬直でバッキバキの身体をほぐしつつ、穴の空いた肺にいっぱい空気を貯めて大きく吐き出した。
「さて、今日も一日頑張るぞい!」
それどっかで聞いたことあるぞい。
しかし今日は何をするんでしょうか、昨日蘇って唐突に寿司屋目指して、んで陰陽師と妖怪に絡まれて、挙句カシャニャンというメンバーが加わったわけですが、たった一日でやりたい放題です。
きっと今日は昨日より忙しい、それで多分明日は今日より忙しいに違いない。
大変ですねー、とアタシの胸元から顔だけを覗かせているカシャニャンのアゴをちょこちょこ撫でてマスターの動向を探る。
「まあ、まずは資金調達が最優先事項だろう」
なるほど?たしかに何をするにもまずお金は必要ですよね。
マスターにしては珍しくまともな事を言うではありませんか、いつまでもアタシの預金が持つわけでもないですし、このままでは日々のご飯にもありつけませんですし。おすし。
「ということでここに千四百万円ある」
は?
え、何で?何だ何で何で何で何で何で?
昔からおかしい事を突拍子もなくしでかすマスターだけど、今回は群を抜いておかしい。
おかしいというか意味わからない。
だけど確かに昨日アタシと一緒に発行手続きを行った通帳には、しっかりとその数字が書き込まれていた。
「マ、マスター……?なんですそのお金怖い……。どこから持ってきたんですか……?」
「ん?昨日お前が寝た後にだな、ワイトのナイフを質屋に入れた」
ガッデームッ!
あああああ、アタシの唯一の思い出の粗品がああああ!悠久の時を共に歩んだただ一人の相棒があああっ!
うわ、ほんとだ胸ポケットになんかあると思ったら駄菓子しか入ってない!いいよそんな気遣い!好きなヤツだけど!コンポタ味だけどッ!
うわあああ!本当にアタシの『無銘剣ワイト・ククリ【凶】』がマスターの活動資金千四百万円になってしまったあああああああっ!
というか全然気づかなかったああ!アタシ寝てんじゃん!ガッツリ寝てんじゃん!!
恥ずかしいいい!冒頭のセリフ全部が恥ずかしい!何が寝れるッわきゃッないッだよバカあああああッ!!
ん?でも待てそれならまあいっか。雑魚武器だったし。
「ということで今回はこれを元手に資金を増やしていこう」
アタシが羞恥と微妙な歓喜に苛まれているとマスターはまたも訳のわからんことを重ねて言い始めた。
いやいや、増やしていこうとは言いましてもお金なんていうものはそう簡単にポコポコ増えるようなものではないですよ。
そもそも人生というのはお金を稼いで自己満足十連ガチャに浸るソーシャルゲームみたいなものですからね。
「よし、馬券当たった。これでとりあえず五千万に膨れ上がったな」
は?
「マ、マスター……?今いくらぶっこんだんです……?」
「へ?馬単千四百万ぶっぱ」
あー、もう意味わからんわー。
なんだこれ、チートですよチート。
あー、そっかー、マスターもチート系主人公ってヤツだったかー、
いや、一応現実で起こりうる可能性は秘めてるからTASですね。
現代に生きるリアルTASさんですよこの人、死んでますけど。ふざけんな人生そんな楽じゃないんだよ?
「お、FXと株取引で四百万儲けっ!いただき!」
ひええ、昨日ケータイを手にした少女がもう日本の経済を回してるうううっ!
マズい……、何がマズいのかイマイチピンとこないけどお金稼ぎがこんな簡単なもので良いはずはない。
その圧倒的普遍的な常識とも言える事実の根底がペロっとひっくり返されそうなのが怖い。
アタシの中の当たり前が当たり前じゃ無くなっていくのを、当たり前だと思っていた常識が実は間違いだったんじゃないか、という疑問に変化していくのをこの掠れた眼で見届けるのがマズい……!
既にあまり機能していない胃が痛くなってきた……。
そんなこんなでマスターは端末一個でもりもりお金を稼いで行き、正午に差し掛かる頃には既に三億円もの資金が集まっていた。
「ははは!大量大量!チョロいもんだな!」
小会社を幾つか買収してはそれを買い戻されを繰り返し、手元に資金だけを得て経理を放った悪魔が、札束で仰ぎながら高笑いを上げた。
「全く意味がわからないです。何でこんなことが出来るんですか」
「なんでも何も、ひたすら動向を探って、空いたところを突くか、ちょっとこっちからカマかけてスキを見せた所に差し込むだけだぞ?あと運。ちょっと馴れれば誰でもできる」
それが簡単に出来るのならば多分貴女は大剣豪にもプロゲーマーにもなれるでしょうよ。
そう言いたい気持ちをグッと堪えてアタシはアハハと砂漠よりも渇いた笑い声を上げた。
「ぃよーし!じゃあ懐も温まった所でご飯にするか!ワイトー、飯行くぞ飯〜」
マスターはそう言うと、花畑を自由きままに飛び回る蝶々のように、さぞ楽しげにくるくると回りながら鼻唄交じりにスキップして行った。
いや、もうなんかアタシは既にお腹いっぱいですが、いっぱいですが!
こんなにお金があるとなれば今日のランチはさぞ豪勢に美味しいモノが喰いたい放題のはずです!
アタシ実は前々からすごい高いローストビーフに興味があるのです!ペラッペラのじゃなくて分厚いステーキみたいなローストビーフを口いっぱい頬張ってスパークリングワインを飲むのがちょっとした夢なんです!
もうすでにお店も調べ済み、ここから駅まで徒歩十数分、そこから二度の乗り換えをすればおよそ四、五十分で到着するはずです!
マスターだってお肉好きですしちょっと相談してみれば行けるはずです!ビーフ!ビーフ!
「あ、ここの定食屋でいいか。五目そば食べたい」
ズコーーーーーーッッ!
そ、そんな……! 手持ち金三億で定食屋て、定食屋って!
そんなバカな話……、あ、待って何このイカの煮たヤツが乗った丼物美味しそう。
アタシが絶望を奥歯、新たな発見を前歯で噛み締めていると、マスターはもう既にガララと戸を開いて店内へ足を踏み入れていた。
「ごめんくださーい」
「はい、いらっしゃっせー」
続いてアタシもお店の中へと入った。
お世辞にも繁盛しているようには見えない。
店内には二名のスタッフが調理と接客をしつつ、数名のお客様が点々と座っていた。
一人の店員さんにカシャニャンのことを伝えると、店員さんは指でこちょこちょといじくり回して快く了承してくれた。
それどころか小さな座布団と煮干しを数匹までもいただいて、アタシら一行は奥のお座敷に腰を下ろした。
「ご注文はお決まりですかー」
店員さんがお冷を二つ持ってきて、にこやかに声をかけてきた。
「んとー、五目そば!」
マスターは当初の予定通り五目そばを注文した。
なるほど……たしかにこれはメニューに載っている写真を見るだけでも、具沢山であんかけがとろっとしていて美味しそうだ。
「じゃあアタシは、このイカのうま煮丼っていうのを……」
それならアタシもファーストコンタクトを大切にしよう、と店前で見つけたイカの丼物を注文した。
ほんのり赤みがかったリング状のイカとゲソ、それに里芋とピーマンという異色のメンバーを一緒に煮たようで、なんというかそこには得体の知れない魅力がある。絶対美味い。
注文を済ませると、マスターはおもむろに店内をキョロキョロと見回した。
「うむ、店内の装飾やメニューに独自性があって好感が持てるな。こういうのは参考にしていきたい」
マスターはやっぱり変な所で妙に真面目だ。
好奇の目と感心の目を交互に使い分けて、いいところをたくさん探している。
普段は呆れる言動の多いマスターだが、 こういった真面目な部分には素直に尊敬する。
「……そうッスね。やっぱりマスターが経営するお寿司屋さんなら、どこの何よりも逸脱した魅力ある雰囲気を出さないとですね」
「はは、ワイト。珍しく褒めてくれたな?だがその通りだ!写メ撮っておけ!」
いや、そういうのはちゃんとお店の許可とかないと色々まずいんじゃ。
などと、二人でベラベラ語り合っているとお店の戸がガララと開いた。
別に何もおかしくも不思議でもない。
飲食店なのだから誰かが食べにきてお店の戸ぐらい開ける。
何もおかしくなどないが、音に反応してついついそっちを振り返ってしまった。
どんなお客さんなのかな、とかそういう興味など一切ないはずなのに、ふと、なんとなく振り返ったのだ。
そしてアタシは言葉を失った。
何をするのが最適であるのかがさっぱりわからなくなってしまい、日常における当たり前プログラムにエラーが発生して、アタシの思考回路は動作が停止してしまった。
お店に入ってきた人物は、鼠色のスーツと深いハットを被った大柄な男性だった。
だが問題はそこじゃあない、その男性は全身が白い布のようなもので巻きつかれていたのだ。
手も、足も、胴も目も顔でさえも、一切の肌を露出することなく完全に全身ぐるぐる巻きになっているのだ。
しかしそのぐるぐる巻きの状態で、さも当たり前のように店内に入り、どころか常連のようで店員さんとも親しげに喋っているではないか。
「何……アレ……?」
ギッシギシに軋んだアタシの口から染み出た言葉は結構失礼なものだった。
でもそれもしかたないと言えるほどの異形を前に、全身の動揺はそれ程までに激しかったのだ。
すると、アタシの異変を察したのか「なんだー?」とマスターがひょっこりと顔を覗かせた。
その瞬間、マスターは笑顔をパアっと明るく咲かせると、突然机を叩いて謎のスーツ男に飛びついていった。
「ダンナーーーーー!!」
突然情熱的なハグをされた男は、戸惑いと動揺を見せながら聞いたこともない声を上げていたが、すぐにマスターのことに気がついたのか嬉しそうに頭を撫でていた。
は、え、ちょっと待って。知り合い?
遠くで何やら店員さんともごにょごにょ話した末に、マスターは男の手を引いて満面の笑みでこっちの席に戻ってきた。
どうやら相席することにしたらしい。
「ダンナー!久しぶりだなダンナー!もう何年だ?三千年振りぐらいか?」
「はっはっは、もうそんなに経つかなあ。しばらく見ないけど変わらないねぇお嬢ちゃん」
「おいおーい、そこはお世辞でも大きくなったとか綺麗になったとか言う所だろー?」
うわ、どうしようめっちゃ仲良い。
どうしましょ、上司の友人って対応に困りますね。
「いやー、しかしお嬢ちゃん、まだ生きていたのかい?しぶといねえ」
「こっちのセリフだよ!むしろ私はもう死んだよー、昨日復活したばっかなんだぁ」
「あーららそうなの?そりゃご愁傷様っと、僕はまだなーんとなく死にたくないなあと思って気づいたらこんなトシ」
「あっはっは!」
何だこの会話、超常現象が日常茶飯事になっている。
復活って普通じゃないですからね?驚くべき所ですからね?
そもそもなんですかこの人本当に人なんですか?どちらかと言えば我々のような魔物の類なのでは?
命の冒涜へのチャレンジ精神が旺盛。
「おや?そちらのお嬢さんは?」
すると、ダンナと呼ばれているマスターのご友人は、布切れに覆われた顔をアタシの方に向けてきた。
改めて近くで見ても、やっぱり白い布で全面が覆われており、一体どうやって周囲を探っているのかさっぱりだ。ちょっと怖い。
「ああ、彼女は私の古くからの知り合いのワイトだ。何でも言うことを聞いてくれる使い勝手の良い安コマだ」
あ、今の最後のは照れ隠しですね、そうですよね。
ハハッやだなあサスガニズットイルカラソノグライワカリマスヨ。
ともあれ、ご紹介預かったのだからしっかりと名乗りは上げておかねばなるまい。
アタシはその場でスクッと立ち上がると手を差し出した。
「初めまして、この小娘の世話係をしております、ワイトと申します。お世話になります」
例によって死後硬直でバッキバキの身体を直角に近い形でへし折り曲げて深々と頭を下げた。
上司のご友人への態度ってこんなんでいいんだろうか。
「うん、初めましてよろしくね。僕はジョン・ドゥ。まあー……、ミイラ男って所かな?」
ジョンさんはアタシの手を取って顔の包帯をしわくちゃにさせた。もしかして微笑んだのだろうか。
しっかりと握手をしたつもりだが、ジョンさんの大きな手は見た目と反して随分と軽く、乾いた布のような重量しか感じなかった。
しかしその分何か歴史の重みのようなものが伝わってきた。
「ふふ、それにしても全身ぐるぐる巻きで私生活に支障とかないんですか?」
アタシもくすりと微笑むと、ちょっと気にかかっていたことを思い切って尋ねてみた。
するとジョンさんはアッハッハと上体を上げて高笑いをし、
「いやー!さすがにもう何年もコレだからねえ!馴れだよね馴れ!」
と、アタシの隣の多肉植物に向かって話しかけた。大丈夫かこの人。
一通りあいさつも済ませた所で、アタシ達は席に着き、お冷を一口。
ジョンさんはカシャニャンを撫でくり回してあいさつを済ませていた。
閑話休題。
「それで、マスターとジョンさんはどういった経緯で知り合ったんですか?」
料理を待つ間、アタシはマスターとの馴れ初めをジョンさんに尋ねてみた。
いっちゃなんだがこんなイカれたメガゴリラ、仮に知っていたとしても見て見ぬフリをして当然だろう。
「んん〜、僕は旅人でねえ。色んな所を旅して周ってるんだけど、行く先々でお嬢ちゃんとよく出会ってねえ。それで友達になったんだよ」
へえなるほど、たしかに当時の現役マスターは何でも屋の極みのような存在で、世界中のあらゆる難事件や怪異にひっぱりだこだった。
世界中をぐるぐる周っている旅人が何度も別の土地で同じ人物と出会ったら、そりゃ自然と交流も深まるというものだ。
「元々はある事件を追ってる最中にダンナに情報提供をしてもらったんだ。そん時はそれで終わりだったんだけど、その後も何かと同じ店で食事してたり、同じ宿に泊まってたり、たまたま出会うっていう確率がかなり多くてなー」
「まさかこのトシになってまで、いやお嬢ちゃんなんて一回死んでるのにまた出会うとは思ってもなかったけどねえ。」
そりゃ思ってるわけねえわな、だって一回死んでんだぞ。
それにしても、アタシがマスターに仕えていた当時はこんな友人が居ただなんて知らなかった。
アタシが仕えるそれより前のマスターの話は、とんでもないぶっ飛んだ伝承ぐらいでしか知らないので、ちょっぴり新鮮だ。
そうして談笑している内に注文していた料理が運ばれてきた。
五目そばと、イカの丼。それとジョンさんが頼んでいた焼き魚定食。
どれもこれも、鼻腔をくすぐる心地よい美味しい香りがして、なんだか急にお腹が空いていたの思い出した。
「いったっだきまーす」
マスターは料理が到着するなり割り箸を割って麺をすすり始めた。
「う〜ん、おいひい!」
美味しそうだなあ、いい表情で食うなあ!
ああ、アタシもガマンならない、もうかっこもう。
絶対美味い、絶対美味いもんこれ。
アタシは割り箸を口に咥えてパキりと綺麗に割り、丼目掛けて箸を突き立てるとそのままの勢いで口に放り込んだ。
「おいしーーい!!」
アタシは感嘆の声を上げた。美味い、美味い!ビール飲みたい!これ好き!
甘めの味つけながら、ほのかに香る生姜の風味、くにくにと歯ごたえあるイカを噛み締めると、尽きることのない強烈な旨味が溢れだす。ほくほくとろりとした里芋はその旨味をしっかりと受け止め、時折顔を覗かせるピーマンの苦味が更なる食欲を刺激する。
丼という一つの舞台に、様々な性質を持った者達がそれぞれ曲を奏でる、アーティスティックなコンサート。
どこをつついても違った顔を覗かせる、なんて魅力的な食べ物なんだ。
「そいえばさー、ダンナはなんでジャパンに居るんだ?また旅の途中?」
アタシが一人で低ランク魔物らしくガツガツ貪り食っていると、マスターは麺をまぜまぜしながらジョンさんに問いかけた。
それに応じるようにジョンさんは箸を止めると、あれちょっと待ってどうやって食べてたの今、ねえ。
「んん、僕は今ちょっと旅やめててねぇ、ニッポンに住んでいるよ。とは言ってもまだ百……、百三年ぐらいだけどね」
いや、それ普通の人の一生以上住んでます。
「はえー、あの旅好きのダンナがまたどうして?そんなにこの国がお気に召したのかい?」
あんかけをよく絡めて、エビをぷりぷり噛み締めながらマスターはさらに質問を重ねた。
「ふふふ、よく聞いてくれたねお嬢ちゃん。その通り、僕はこのニッポンの食文化に感銘を受けたんだよ」
ジョンさんは今までとは声の調子をすこし上げ、突然楽しそうなテンションで味噌汁のお椀を手に取った。
「それこそがこのミッソスープ!にも使われている『カツオブシ』さあ!コイツはお魚の内臓を取って茹でて乾かしたもの、即ちミイラなんだ!わかるかい?お魚のミイラだよ?その時点で驚きと感動だったというのにニッポン人はそれを食材にしてしまうんだ! 儀式とかお土産とかじゃなくて食べちゃうんだよ? いやー流石の僕も薬の原材料とか、燃料としてミイラを使う国や人を見たけど、食べちゃうのはこの国ならではだね。しかもニッポン人特有の食のセンス、『ウマミ』をこの調理工程で何十倍にも倍増させているんだそうだ! この国のごはんは美味しい、それもこのウマミについての探究心と独自性と繊細さ、それに何より貪欲さがモノを言うよね! だからこそ僕は、このニッポンという国が大好きになってしまったのさ!」
お、おう。
半分くらい聞いてなかったけど、要は美味しいごはんはパネェってことっスね。
アタシが「やっぱりマスターの友人なだけあって変人だった」というガッカリな事実をイカと共に噛み締めていると、マスターは目をキラキラと輝かせて箸を両手に一本ずつ持って立ち上がった。
「わかるー! チョーわかるわー! 実はダンナ、私もジャパンのごはんに感動して、今お寿司屋さんをやろうと思っている真っ最中なんだ!」
「それは本当かい⁉︎ さっすが嬢ちゃん、いやー話がわかるねえ! うーん、気分がいい!そうだ、この後もし時間があるなら僕の家に来ないかい? 良い物を見せてあげるよ!」
「やった!いく、絶対いく!だってとってもいい予感がするもん!な!な!ワイト!」
類は友を呼ぶって奴ですね。
もうアタシ程度の下級コモンモンスターには、彼ら限定SSRをどうにもできそうにない。
ここは大人しく話の流れに身を任せましょう。
ジョン・ドゥというこの人も、昨日の陰陽師に比べれば十分信用には値するお方ですし、純粋にアタシも少し彼に興味があります。
向けられたぴかぴかの眼差しに思わず目を細めて、アタシはこくりと頷いた。
それを見たマスターはいつになく子供みたいに笑い、席に着いて五目そばを食べ始めた。
「うん!飯は美味いし、旧友にも会えたし、いい話は聞けたし今日は最高だな!ハッピーデイだ!」
そういえば午前中も、いやそもそも生前からスーパーウルトララッキーガールでしたこの人。
多分どこ行っても行く先全てでいいことが待ち受けてるんでしょう。うわあ怖。
「うんうん、僕の家はここからそう遠くないからね。ゆっくりご飯をいただいて、食べ終えたらすぐに行こうか!」
さて、これで本日午後の予定は決まりました。
とりあえず今はご飯をいただきましょう。美味い。