とちがみさまのおはなし①
やあ、星の彼方より来訪した異形を助けようとするその途中、まったく繋がりなぞないのじゃが、すまんが少し付き合うてはくれまいか?
いつ語るべきやと思案したが、答えが出ぬまま彼奴等が戻る、ならば無理にでも語ってしまった方が利口かと思っての。
こりゃ、まあそう厭な顔をするでない、不遜であるぞ?
無理矢理な導入は気に食わんか? フン、其方ら人間の事情など知ったことではないわ。
何故ならこれより語るは『わちき』の話、神のこと故な。
まあ、聞きとうないなら聞き流せ。
◆
――時は数千年ほど前に遡る。
生きるためには知恵が必要だ。
一匹の獣はそう思い至った。
木の実、川の魚、黄金色の麦、腐り乾いた肉。それらを食み、悠然たる自然の中で獣は一つ呼吸をする。
黄金色の見目麗しい毛に覆われたふさふさの尻尾を振りながら、獣は朽ちた木に座り込むと、蒼い空にぼんやりと浮かぶ雲を退屈そうに見上げて耳立てる。
奪い合い、逃げ恐れ、世を恥じんで狡猾に生き延びる……、果たして生きるというのは、こんなことで良いのだろうか。
命尽きるまでこんなことを繰り返し、命果てた後もこんなことを繰り返す。
繰り返し続けたところで何も残る物は無く、繰り返さずとも何も残らない。
本当にそんなものが、生きていると言えるのだろうか。
などと、ただの獣如きがヒトのようなことを考えているうちに、その身はいつだか人のように変容していた。
容顔すぐれ髪は長く美しく、煌びやかな着物に袖を通した女は森の中、その場で一人くるりと回ってみる。
ああ、そうか。もしかしたら自分は獣でなく、人だったのかもしれない。
そう思うと不思議と驚いたり困惑したりすることもなく、あっさりと人の身を受け入れて里へと降りていった。
ヒトの言葉は分からぬ。故にヒトと言葉をかわせぬ。
里へ降りるなり女は大衆の目を惹きつけた。
しずしずと歩き、辺りを見回す妖艶たる美女、どこの城から逃げ出た姫だろうかと、里の者はたじろい密かに騒いだ。
そんなことなど知り得ぬ女は人の目など気にかけず、慣れない足で人里を歩き廻っては時折どこかに腰掛けて休み、行く当てもなくふらふらと彷徨った。
「だれかぁ、だれかぁ……」
すると馴れぬ形の耳が人の声を捉えた。
それは童の酷く怯えた小さな声だった。
女は辺りを見回すと、木の上で震えたまましゃがみ込む童女を見つけた。
目は赤く腫れ、いくつもの涙の跡も見え、頰は痩せこけ、腕や手脚も酷くぼろぼろの醜い人の子だった。
経緯は不明だが、どうやら木の上から降りられなくなっているらしい。
放っておけば今日の晩にでも死ぬだろう、そんな命に目を向ける者など誰も居ないのか、辺りには人も獣も虫の影も見えず、見上げる女の姿のみがそこにあった。
これを見て見ぬふりして立ち去ろうものなら人でない、だが今のこの身は人である。
だとするならば、助けてやらねばと思う"これ"こそが、人が人を人たらしめる心とやらなのであろう。
女はするりと木を登り、童女に手を回して小脇に抱え込むと、そのまま草の上へと飛び降りた。
立ち上がりざま童女を見ると、突然の事態についてこれなかったか、既に体力の限界を迎えていたのか意識はなく、ぐったりとしたまま言葉を発さなかった。
はて、と困った女は童女を背負い、一人山の中へと足を踏み入れた。
草葉を集めて童女を寝かせ、自らの着物を川で濡らして身体を拭いてやる。木の実を口に含んでは噛み潰し、それを口に運んで呑ませてやる。
冷えた身体の童女を抱いて、優しく撫でて揺らしながら、『人は恐ろしく強い者だとばかり思っていたが、なんと脆く弱いのだろう。ああ、今だけでもあの黄金色の毛がまだあれば、せめて温めてやることくらい出来たろうに』と思うと、いつの間にやらかつての尾が尻から生えて戻っており、女はそのことに喜んで、その尾を童女の枕代わりにして丸一日寝かせてやった。
童女は時折怯えた声で「かあさま、かあさま。」としきりに呟き、その度に女は微笑みかけて頭を優しく撫でてやった。
童女が目を覚ますと、女は嬉しそうな顔で抱きしめて撫で回し、木の実を取ってくると一緒に木の実を食べた。
童女は困惑と怯えを終始どうにも感じずには要られないようであったが、ぱたぱたと揺れ動く女の尻尾を見るなり目を輝かせ、自分のことをやたらと可愛がってくれる女に悪い気などしなかった。
二人はすっかり仲良くなって、女は童女に手を引かれるまま再び里へと降りていった。
「ひめさまひめさま、ここがわたいのいえです」
自分をひめさまと呼ぶ童女に連れられてきたのは、雨をしのぐも精一杯といったボロ小屋だった。
すると、童女の声を聞くなり一人の男が家から飛び出した。
「ちよ、おお、ちよ……!」
「あーっ!ととさま、ととさま!」
どうやら男は童女、おちよちゃんの父親だったようで、二人は身を寄せ合い抱き合うと、おいおいと声を上げて泣き出した。
「何処へ、何処へ行っておったんだ……、心配したぞ……」
「かあさまの、かあさまがげんきになるようにくすりをさがして、やまにいって……、それで……」
「そうか……、そうか」
親子の再会をぼーっと立って眺めていた女は、おちよの父に手を握られ頭を下げられた。
男からは仄かに線香の香りがして、きっと葬式か何かが最近あったのだろうなと女は察した。
「ありがとうございます……、何処の方かは存じませぬが、娘を助けていただきありがとうございます……!」
女は男に何を言われているのか分からなかったので、とりあえず微笑んで軽い会釈をすると、男をぎゅっと抱きしめて頭を撫でた。
娘はこれで喜んだし、泣いているヒトはこうしてやれば良いのだろう、そんな単純なことであったが、男は涙を流して大層喜んだ。
男は名を田助といい、女を家に上がらせると米を炊いて振る舞った。
ツヤツヤと輝く白い米はほんのりと甘く、ふうわりとやわらかく温かく、女は目を輝かせて夢中で米をかきこんだ。
おちよと一緒に飯を食らい終えた女は、田助が米を食わずにニコニコ微笑んでいるので、それは何故であろうかと疑問を抱き、そしてすぐに自分が全て食ってしまったのだと気がついた。
家の裏の荒れた田畑を見て、申し訳なさと恥ずかしさから涙を流すと、それは一粒の種となり、乾いた地に落ちるとたちまち土は肥え、たくさんの米がすくすくと育っていった。
これを見て、田助は大層驚き笑みを浮かべると、言葉の分からぬこの女を引き取ることにした。
月日が流れると、田助の米は多くの金を産み、生活も安定していった。また田助が迎え入れたという女の噂を聞きつけると、里の者共は女を一目見ようと田助の元に立ち寄るようになった。
女は訪れる人々の言葉は分からずとも、いつでも優しく微笑みかけ、帰り際には必ず稲の一房を握らせていた。
その稲は女の手から離れると、たちまち黄金色に輝いて、一度振るえば大層美味い米がたくさん溢れでた。
見目麗しい髪と美しい顔立ち、そして慈愛に満ちた微笑みと、黄金の毛に覆われた尻尾。
女は神の子と慕われ崇められ、多くの人々に愛された。
ああ、そうか。もしかしたら自分は人でもく神の子だったのかもしれない。
女は幸せそうにしている人々の顔を見るのが何よりも嬉しく大好きで、自分の行いで人を幸せに出来るのであれば、これこそが生きることだと確信した。
ならば皆の言う神の子として、もっともっとたくさんの人を幸せにしてあげたいと心より願っていた。
子守、炊事、畑仕事に井戸の掘り、できることがあるならば、と様々な人の様々な手伝いをして、たくさんの人の心に寄り添い幸せをもたらして、幸せに日々を過ごしていた。
しかし、女はあまりにも物事を知らなかった。
所詮獣であった身では、ヒトの恐ろしさなど到底理解していなかったのだ。
その晩、里の男達は女の奪い合いを始めた。
獣にヒトの倫理など分からぬ、人の心の闇など理解しうるはずもない。
女の振りまく愛に優劣などなく、注ぐ慈愛に一切の偏りなし。
しかし、求められるがままに肌を重ねることも多く、神の子の慈愛を独り占めにしようとする者があまりにも多かったのだ。
何がキッカケになったのか、誰が初めにそうしたか、神の子に最も愛されているのは誰であるか、男か女か子供か大人か農夫か武士か、人々は言い争い、我こそが我こそはと主張を始め、幸せな里はたった一晩で地獄と化した。
里の男は家族を棄てて互いを殺し合い、妻も子も、稲も畑も踏み荒らされた。
田助もおちよも殺されて、いよいよ神の子の慈愛を得るものは誰であるかと、里の者は一人の女を求めて醜く争った。
するとたちまち女の与えた黄金の稲は輝きを失い、暗く澱んだ稲は血と泥にまみれ、火を噴きあげて灼け落ちた。
呆然と立つ獣の目に映るのは、いくつもの人の死体と血だまりと、火に焼かれもがく者達と崩れ落ちたかつての里、尚も殺し合いを続ける男達から逃げ惑う女子供、それを邪魔だと言わんばかりに殺して除ける、この世の地獄だけがあった。
なんで、こんなことに。
こんなはずじゃ、こんなはずじゃ……!私はただ、自分の生きる意味を、人の幸せを……、私が望んだことは、私が求めていたのは、こんなことじゃない……、こんなはずじゃ……、これじゃあ、これじゃまるで……。
肉の焼ける香ばしい匂いと、鉄とも似つかぬ血と臓物の酸っぱい臭い、いくつもの憎しみと絶叫が焚べられた炎の中、女は頭を抱え泣きながら咆哮した。
火事の騒ぎを聞きつけて、外の里から男達がやってきた。
燃え盛る炎と無数の人の屍の中で、獣の尻尾を宿した女が一人、全身血を浴びてこの世の地獄を恨むかの如く泣いている。
そのあまりの異様な光景に、畏れた一人の男が声をあげた。
「バ……バケモノ……!」
ああ……、そうか。
自分は獣でなく人でなく神の子でもなく、
最初からバケモノだったんだ。
そう思うと不思議と驚いたり困惑したりすることもなく、あっさりとバケモノの身を受け入れて、その身を血で汚していた。
ああ、苦しむな、憎しむな。
私のせいで、彼らは狂った、憎悪にまみれた醜悪な魔へと堕ちたのだ。
ならせめて、ならばせめて、私を求める醜き者よ、私を欲する哀れな者達よ。
我が血となり肉となり、共に生きることを許そう。
我が愛は無償、我が愛は隔たりなく、我が愛に優劣はないのだ。
理解せぬならそれで良い、それでも私は貴方達を愛そう。
男よ、女よ、こども達よ、人を憎むな、人を恨むな、人を悲しむな、私を欲する者は皆、私が全てを喰らって受け入れよう。
私を愛するな、私が愛す。
人を憎むな、私が憎む。
我が愛を受け入れよ、貴方達は私を求めるがあまり、私の生を奪ったのだ。
ああ誰か、誰でもいい。
私の身を裂いてくれ。
◆
たった一晩、その身一つで里の集落の人々を誑かして破滅させ、獣の如き剣幕で大の男相手に一歩も身を引かず、里の外より駆けつけた者共も一人残さず喰い尽くした妖怪の名は、瞬く間に国中へと広がった。
人の耳にも神の耳にも、そして妖怪の元へもその噂が立ち込めると、妖怪の長にも気に入られ、すぐに取り入られるとその後は人々を脅かす妖怪として名を馳せた。
人の身を裂くなど容易く、人を惑わし貶めるのも心地良く、何より人の肉ほど美味いものはない、火を通したのであれば尚更だ。
かつて何かであったモノは、自分の何よりの居場所とカタチ、命の有り様と生きる実感を得て、数々の武勇を上げ、ついには妖怪四天王の座にまで辿り着いた。
ついぞ行われた都での人と悪鬼の全面戦争では、多くの仲間と共に人々を蹂躙し、陰陽師を術で縛ってはその肝を喰らうことを何よりの悦びとした。
しかし妖怪も陰陽師も互いに数を減らした頃、まさかの結末でこの戦争は幕を下ろすことになる。
陰陽師の長と、妖怪の長が互いに和平を認め、なんと二人が結ばれたのである。
こうなってしまっては互いに手出しなどできようものも無く、そうして人々は日の下に、妖怪達はその影にその身を落とすこととなった。
しかし、一人影に身を落とせぬ妖怪が居た。
かつては獣、かつては人、かつては神の子とも謳われたその女をどうするか、陰陽師と妖怪達は互いに頭を悩ませるも、明確な答えは見つからなかった。
すると、そこに争いを眺めていた神が現れた。
神はその妖怪の心を見透かすと目を細め、かつて神の素質があったものとして、人と妖怪を繋ぎ止める神になるように命じた。
その土地に根付き、人と妖怪と獣の秩序を保つ神になるのだ、と言われるとその妖怪は不思議と驚いたり困惑したりすることもなく、あっさりと神の身を受け入れて天へと昇っていった。
天界から神の修行を終え、ひとりぼっちになった新米の土地神は地に足をつけると、一匹の獣に出会った。
それは小さな猫であり、群れも伴侶も持たず、ぼんやりと空を眺めては何かを食み、またぼんやりと空を眺める変わった猫だった。
「退屈かえ? 何方の心境は如何様か」
土地神は猫に声をかけた。
「このまま生きていても意味がない、何故自分が生きているのかお空に答えを探しているの」
猫はぼんやりと空を見上げたまま答えた。
「そうかそうか。それならわちきと約束しよう。もし百年、今から百年生きてみて、全く答えが見出せぬのであれば、わちきのことを思い出せ。その時にヌシに答えを与えてやろう」
土地神はまるで昔の自分を見ているようで、猫に興味と嫌悪を抱きつつも、百年間影から毎日見守っていた。
そうして気づけばあっという間に約束の日になっており、土地神は顔を綻ばせ、笑みを浮かべたままゆっくりと猫に近づいた。
「さて訊こう、命尽き果てるその前に、生きる意味を見つけられたかえ?」
「うーん、わかんにゃい。生きることは罪ばかりで、死ぬことはそれの放棄。何をすれば正解か、猫にはてんで分かりませんでした。なので考えるだけ無駄でした。結局美味しいものを食べる喜びを感じているのがシアワセでした。だから次は死ぬので、死について考えたいと思います」
土地神は驚いた。猫の死生観は自分の想像と知り得る範囲での思考の上をいき、ただのちっぽけな猫如きに成る程な、と教えられてしまった。
「ヌシ、実に面白い。素晴らしい。じきにヌシの身体は朽ち死に至るが、わちきならそれを止められよう。どうじゃ? もう少しばかり、わちきを愉しませてはくれまいか?」
「う。猫だけが特別扱いされてもよいのかにゃ、ただでさえ百年も生きた猫が、更に死にもせず猫と言い続けてよいのかにゃ」
「斯様な些細なことなど気に留めぬ。誰の何を前にしてヌシは会話しておる? わちきは神サマじゃぞ。猫の身のままでは不服というならば、その尾を割いて二つに分けようか、……ほれ、コレでヌシは猫ではないだろう?」
「う。屁理屈にゃ、オトナのズルにゃ」
「そうじゃ、オトナは皆ズルいのじゃ」
そうしてひとりぼっちだった土地神に、一匹のともだちが出来た。
ふらりと会っては言葉を交わし、互いの主張を唱え、たまに魚や木の実などを採って共に食み、土地神はその楽しさに微笑んだ。
猫は人の身に興味があり、神にねだって人に化ける術を得た。
思いのほか使い勝手の悪いその身体は、弱く、脆く、冷たく貧相であったが、猫はどこか気に入って、度々化けてみては一日その身体で過ごしてみたりもした。
死について考え出すと、朽ちた葉や腐った肉、風化しかけた骨や土くれを拾い集め、壊れた道具や形を失った物もまた死であると、廃材なども集め蓄えていた。
いつしか死についての理解は高まり、死したモノの声を聞き、チカラを借りてまたチカラを与え、その人か猫かは死体攫いの妖怪と語られ変容していった。
持ち出した死体は必ず最後には灰にして天へと昇らせてやり、昇った死者は極楽浄土で成就すると言われ、その妖怪は人々の中にも若干の信仰を得ていた。
……と、まあ長々語ってきたところで時は丁度わちきがバケネコを食ろうた七日後に飛ぶ。
うっかり眠りこけて喰われてしもうた、なんともか弱きわちきを救ったのは、やはりあの猫であった。
厳密に言えば猫だけではないが、まあ些細なこと故目を瞑れ。
やることは単純明快、聡明完結な作業の端くれ。
わちきは、やはり獣でなく妖怪でなく神などでなく、人の身が一番好ましい。
土地神など退屈で飽き飽きじゃ、獣も単調でつまらん、妖怪も血生臭くて今の世で生きていくに刺激が足りん。
何も出来ぬ単調な人の身で、田助と共に畑を耕し飯をかっ喰らったあの日々が、一番わちきにとってのシアワセじゃった。
元より芯の無く思慮も浅く、 信仰も集められんわちきに土地神など向いておらん、"もっと土地神に向いた友をわちきは知っておる"。
ヤツならなんと言うであろうか、ふざけるなと怒ってもらいたい所ではあるが……。
悪いが次も付き合うてくれ、土地神さまからのお願いじゃ、すまんの。