目覚めと宴
ぼんやりと暗い闇の中、自分に問いかける。
何だ、何だ、何だ。
自分は何だ、一体誰だ、なぜ生まれた、なにをするために、どこにいけばいい、誰を頼ればいい?
誰だ、誰だ、誰だ。
見えない闇の中でもがくのは、声をかけてくるのは、混ぜて闇をかき乱すのは、僕を、私を、俺を、求めるのは、追い払うのは?
何処だ、何処だ、何処だ。
ここは一体何処なんだ、あがけどもがけど沈んでゆく、光からどんどん遠ざかり、足も腰も腕も首も瞳も心も、何かに掴まれ引きずりこまれていく、暗い、暗い、暗い暗い暗い暗い暗い暗い暗い。
やめて、やめて、やめて……!
ボクを必要として、ボクを見捨てないで、ボクを否定しないで、ボクを認めて、ボクを助けて、ボクを期待させて、ボクを殺さないで、イヤだ。嫌だ厭だいやだいやだいやだ! 手を離せ、手を離せ! まだボクは消えたくない、死にたくない、死にたく、ない……!
鉄のように冷たい体が、答えを求めて闇を彷徨う。
ぼんやりとした意識はやがて少しずつ鮮明に、語りかけるノイズ混じりの声も聞き取れるようになって、全身の身体の感覚が、魂の存在がモザイクだらけのまま形を取り戻す。
身に覆いかぶさったその闇はぬるく、そして妙に暖かく、存外ふかふかとしていていい匂いがする。
そうして、ゆっくり目が覚めた。
「ココ……は……?」
見覚えのない、小さな和室。
薄暗いその中で、"ボク"は一人闇の中から起き上がった。
全身に汗をかき、頭は重く、脳みそを掻き回されたかのように、意識が混濁としている。
初めての、最悪の目覚めだ。
「おゥ、起きたか?」
すると背後から声をかけられた。
ボクは振り向いて、その声の正体を確認する。
そうして思い出した。
事の顛末、傷の痛み、味わった恐怖全てを。
……だとしたら何でボクは生きている。
「よし! じゃあ飯にすっか!お前さんも来いッ!」
手を引かれ、ボクは闇から引き剥がされて何処かへ連れてゆかれる。
「いっただっきまーす!」
連れていかれた先で広がっていた光景は、まるで宝物庫のようだった。
ピカピカきらきらしたお寿司達がめいっぱいに並ぶ、夢のような場所だった。
「おー! よかった、起きてこれたか"鎌鼬"!一緒にお寿司を食べよう!」
「え……?え、ボクが?鎌鼬……?違う、ボクは、もう……」
「いーからいーから!さあ近う寄れ! お姉さんがお寿司食べさせてあげるから!」
自分を鎌鼬と呼ばれた少年は動揺していた。
黒髪長く麗しく、小さな肩と白い細腕、華奢な身体に中性的な声と、もはや垂涎ものの大変アタシ好みな彼は、噂話という概念媒体から、自己の存在を形成確立した立派な妖怪である。
マキラさんとは違う種族の新しい鎌鼬、まさにニューカマー。
そう呼ぶのが彼に相応しく、それこそが紛れもない彼の正体だ。
大将はあの時、一瞬だけ彼を切り裂く鎌鼬となったが、やはり包丁は殺しの道具では無かった。
というより、大将がそう言ったので殺せなかった。
立派に妖怪として自己を形成した彼の存在を打ち砕く程でもなく、マスターの治療によって一命を取り止めたのだ。
彼もまた、血染桜の呪いに蝕まれた被害者の一人だ。
もしマキラさんや血染桜がこの町にやってこなかったら、もし彼の先代にあたる彼らがどこか別の地で決着を果たしていたら、彼の辿る道も生まれる経緯も、過ごした日々もまた違う物であったろう。
それに殺されるためだけに生まれたなんて、そんなのあんまりじゃないか。
ちなみにそんな呪いの元凶、ついでに言うならアタシを二十六万三千五百回斬りつけた顔の無い侍、血染桜さんも今マスターの隣で一緒に酒をかっ喰らっている。
「うむ、良い腕ではないか迅風のカマキラス。貴公の繊細さはそちらに向いているぞ?」
「その名で呼ぶな血染桜! いい加減消えてくれマジで頼むから、まだ私を許さんのか貴様は」
「阿呆。美味い酒と寿司を前にして、おいそれと姿を消してたまるものか。まあ、既にこの身は討ち果たされ、我らが野望も潰えた故、残された力など在りはせん。貴公の側に立つのが精々だろうよ、週一ぐらいで」
「勘弁してくれ……」
マキラさんはすっかり自身の身体を取り戻し、色白でスレンダーなとびっきりの美少女となって、大将の指導の下お寿司を握ってくれている。
爪や牙に若干の名残は見えるものの、本来の鎌鼬という種族の姿に戻り、自身の尾と種の怨念の集合体、妖刀血染桜との決別を見事果たしたのだ。
鉄の身体でなく手にした包丁で魚を切りつけ、白く長い指でお寿司を握り、文句を垂れつつも一族に褒められて嬉しいのか、ピコピコ動くケモミミがいい感じにギャップ萌えだ。
そうですよね、イタチですもんね。
怨念たる血染桜を断つという宿願を果たし、する事のなくなったマキラさんは、大将に弟子入りしてお寿司の修行と勉強をするのだそうだ。
考えてみればマスターと動機などほとんど一緒、単純にもっとたくさんの人と関わって、これからもたくさん刃物を振るって、人にシアワセをもたらすのが自分に向いていると語るのだ。
「ほーらほらほら〜、あーん。」
「あ、あー…ん?」
マスターも鎌鼬くん(名前募集中)を膝に座らせて餌付けしている。
彼はまだ自分の置かれた状況や立場がよく分かっていないのか、やたらとウロチョロきょろきょろしているが、一口お寿司を食べた途端のシアワセそうな顔を見ると、心配なんてものは何処か彼方へ吹き飛んで、どことなく暖かなほっこりとした気分になる。
彼にとって、おそらくこれが初めての食事になるだろう。
あたたかな団欒など一切無縁の、延々続く自問自答の闇の中で、漸く歪ながらも自己を形成して世界に生じた彼には、たとえどんなちっぽけなものでもいいから、少しでも多くシアワセを知って感じてもらいたい。
と、この世界にダラダラ生き続けたアタシの老婆心が、顔を覗かせ微笑むのだ。
ああ、宴だ宴だ。アタシも飲もう飲もう。ショタをつまみに酒を飲もう。
お寿司は熱燗……、いやココは祝いも兼ねて、純米吟醸酒ですかね。
美味しいものを食べるとシアワセになる。
お寿司は美味しく、食べれば皆シアワセ、か。
なるほど、存外それも間違ってないのかもしれない。