剣客と噂話
「ボクが鎌鼬! そう、ボクこそが鎌鼬なんだよ!」
突如として降り吹き付けた雨風と共に現れた色のない男は、雷鳴のような声で叫んだ。
「アアァ……ッ!やっとだ……! 漸く邪魔な奴等がボクの手に……、フフ、フフハハハ!これで、これでボクが最強の鎌鼬なんだァッ‼︎」
「ふざけるな! 貴様はなんだ!鎌鼬は私達の知っているマキラ以外は滅びたはずだ!」
不可解で不愉快な単語を吐き悶え狂う謎の男に向かって、マスターは珍しく怒号を放った。
今朝聞いたマキラの話では、鎌鼬という種族は人間の一方的都合で陰陽師に滅ぼされ、その怨みは妖刀血染桜となって現れた。
つまり鎌鼬と呼べるものはマキラという唯一の生き残りと、妖刀へと変じたかつて鎌鼬であったものの二つしか存在しないはずである。
「ハハハハハ……、そうだよねェ、そう、そう。滅びたハズだったんだッ! だのに残っていた!滅びたのに滅んでなかった!だから、ボクは、へへハハハハ……、だけど、今はボクが!」
「……なるほど、どうやら会話できるほど発達してはいないらしい。"そういうこと"か。」
何かが不足、欠如している自称鎌鼬との数回の会話で、マスターはどうやらその正体に心当たりがあったらしい。
「貴様、この街の噂話だな。」
『なんでも、鎌鼬が出るんだとか。
釣った魚が真っ二つになってたとか、木が一本だけ綺麗に縦に裂けてただとか、家に帰って気づいたら切り傷ができてて血が滲んでた……、なんて噂が広まって、気づけば随分と街も静かになったもんでさあ。』
マスターのその仮説を聞いて、アタシの脳裏に大将のセリフが反復する。
噂話から変じて生じた怪異、人が信じる心が生み出した妖怪。
無名の怪異は鎌鼬という大きな名を奪い、自らを鎌鼬であると言ったのだ。
そもそも鎌鼬とは、どんな妖怪だろうか。
鎌のような爪を持つ鼬の妖怪、真空の風を司る妖怪、太刀を構えた妖怪、人知れず人を斬る妖怪、説は様々あり、コレといって定まった姿は特に無い。
共通して切るか斬るという妖怪であり、鎌鼬を描いて見せよと言われたら、鬼や天狗程の固定イメージはないだろう。
山に棲み穏やかに日々を過ごしていた鎌鼬は、陰陽師によって唯一人を残して絶滅した。
だが誰もそんなことなど知る由も無く、しかし現代まで鎌鼬の名は誰もが一度は耳にした怪異として存在する。
ともなれば、鎌鼬らしきことを成すものが鎌鼬の名を借り受け鎌鼬と成ることも不思議ではないのだ。
自らの存在証明としてその名を語るに値するのであれば、元は鎌鼬であったものでさえ覆し、鎌鼬の定義はそれであると言ってのける。鎌鼬の座を奪ったのだ。
つまりあの男は今正しく鎌鼬であり、元鎌鼬であったマキラは今となってはただの刀の一振り、妖刀 魔綺羅に過ぎないのだ。
「ボクは、鎌鼬……ッ! だから、斬る、お前らも斬って、殺して、斬って殺して殺して斬って殺して殺して殺して斬って殺して斬って殺す……」
鎌鼬は妖刀を構えてこちらを向いた。
ただ何もかもを斬って殺すだけの悪鬼、マキラの如き鋭さと、血染桜の如き殺意をこの世全てに振りかざす大妖怪。
そこに自制は無く怨みは無く、優しさは無く憎しみも無く宿願も悲願も何もなく、ただ斬るという一心のみが残っている。
「ワイト、何でもいい。丈夫な棒か何かはあるか」
「アタシの骨でよければ。足の一番発達したヤツならすぐにでも」
「よし、悪いがこの際それで良い。大将を何処か遠くまで連れていってくれ」
マスターは折れて地に横たわる血染桜の片側を拾い上げ、ワイトボーンと組み合わせた即席の魔剣を構えた。
形こそやや不恰好ながら、復讐に燃えた刀身と幾億数千何百年以上この世に存在し続けた化け物の骨だ。
マスターが振るう魔剣としては十分であり、禍々しくも美しく、歪でありながら強靭なその剣は、目の前の鎌鼬を前に妖しく光る。
ほんの数分前まで戦いあった刃と骨が、こうして互いに手を取り共闘することになろうとは、どちらも思っていなかっただろう。
「斬る」
鎌鼬は一瞬で間合いを詰めマスターの首を狙った。
およそ目が捉え脳に情報を送るよりも速いその剣突を、マスターは当然の如く防いだ。
防いだ、というよりかはココを斬ってくるだろうと予め想定して、魔剣をそこに置いていただけにすぎない。
「ほう、斬ることに特化したせいか、成程さっきのチャンバラとはうってかわって超人離れした剣の腕前というわけか」
続いてマスターも斬りかかるが、一つとしてかすることなく躱され、その後も間合いを詰めながら一進一退の攻防が成されている。
正直目の前で何が行われているのか訳がわからん程の、剣閃の煌めきと金属音だけが竹林にこだましていた。
「はは、これは疾い疾い。秒間に三、いや四か? それ程の斬撃とは恐れ入った。私が十四歳の頃を思い出すなあ、あの頃は魔剣だとか聖剣だとかにハマって、よく使ってたもんだ!」
さて、突然ですが剣士、剣客といえば何を思い浮かべるでしょう。
おおよそ剣を扱う戦士を思い浮かべるでしょうか。
剣の扱いに長け剣の道に邁進する、己と剣の双方の力を持って困難に立ち向かう勇士。
そういった意味ではマスターは別に剣士ではない。
だが、伝説とは時に残酷なもので、人生のうちほとんど剣など握って居なかったにも関わらず、マスターは剣に関する伝説をいくつか持っている。
例えば、昔とある山にドラゴンが住み着き、村人や家畜を襲って困っていると相談を受けたマスターは、近所の武器屋でブロードソードを一本買って、それ一つで千を越えるドラゴンを葬った。
後にそれは竜殺しの剣として神格化し、武器屋の店主も武器の神として語られるようになった。
例えば、昔とある国にはとてつもない魔力を秘めた、悪しき者だけが抜ける魔剣と、とてつもない力が込められた、清い心を持つ者だけが抜ける聖剣が存在し、マスターはこれを両方引っこ抜いて自分のものとした。
後にその二本の剣は一つに融合して、神の祝福を受けると天と地を繋ぎ止める楔として今も世界の何処かに存在している、という伝説が生まれた。
実際の所は力を示してドラゴンに気に入られ、傘下に加えて話し合いと交渉の末に立ち退いてもらっただけだし、合体してどうのとかそんな物騒な魔剣だか聖剣だかは存じていないのだが、マスターのやったこととして民衆は語り、伝説は紡がれる。
噂話が真実を凌駕すれば、それはより濃い真実となってその者の力となる。……ちょうど相手の鎌鼬と同じように。
とにかく、マスターは剣に関しての逸話において特に尽きることなく、数多の伝説となってその力を存分に扱うことができるのだ。
言うなればグランドセイバー、言うなれば鬼に金棒、猫にカツブシ、エクソシストにソードなのだ。
「斬る」
「遅いッ!」
剣の腕前はおそらく達人の域には辿り着いていないだろう、だが持ち前の観察眼と運と直感で相手の動きを読む、心を覗く、未来を視る、そして過去を探る。
なんなら相手の次の一手、先の先の動きを思うがままに誘導させることも可能なのだ。
目の前の相手でなく、少し先の未来の相手を斬る剣、それがエクソシス流の剣技である。(会得者一名)
その分集中力をとんでもなく削ぐので、この時のマスターは非常なまでに非情であり、周りに目をやっている暇はない。
「甘いッ! そこッ!」
「ぐぎぎ……!」
鎌鼬の急所はこれまでに何度も捉えてはいるが、それでも相手は倒れない。
おそらくこの土地に根付く鎌鼬の噂、伝説は強く色濃く、完全に破壊するには至れていないのだろう。
とはいえ剣を持ったマスターが負けるハズもない、今アタシに課せられた使命はこの勝負が決着するまでの間、出来るだけ大将を連れて遠くへ逃げることだ。
「マキラ!どうしちまったんだしっかりしろ!」
なのだが、一歩たりとも大将は動いてくれそうにない。
「大将! 今は危険です、ここは一度退避を!」
「うるせェッ! 俺たちは此処に何しにきたッ‼︎ 妖刀を倒すためか?鎌鼬を倒すためか? 違ェッ! マキラの力になるためだろうがッッ!」
ふええ、メッチャ怖い。
しかし、そのお気持ちは察して余りあります。
それはぐうの音もでない程に正論で、咎めるのもおこがましい正義の振る舞いで、アタシのような雑魚ではとても引き止められない強い意志表示だ。
「やいそこの自称鎌鼬ッ! テメェその手に持ってるナマクラを離しやがれッ! テメェなんかにゃ過ぎた玩具だ、顔洗って出直して来いッ!」
アタシは必死に大将を止めた、だがその力と心はあまりにも強く、ズンズンと地を踏みしめ歩む彼を、しがみ付いていても止められない。
「……お前、斬るッ!」
すると、マスターとの斬り合いの最中、鎌鼬は突然大将目掛けて妖刀を振りかざした。
「ソイツで斬れるもんなら斬ってみやがれアホンダラァッ!!」
「大将ッ!」
アタシとマスターが声をかけるよりも早く、鎌鼬は大将の身体を切り抜けた。
「え……?」
誰が発した声か、辺りには妙な違和感と疑問が渦巻いた。
鎌鼬の一撃はたしかに大将を捉え、妖刀はその身体を嘗めとった。
身にまとう服はズタボロに剥がれ、傷だらけの肉体が露わになる。
全身を切り刻まれたようなその傷は、どこか見覚えのある姿だった。
「ほらみろ、斬れねえ」
しかしそこから鮮血はほとばしらず、大将は死なず倒れず、不敵に笑ってみせた。