処方と決意
「敵襲!敵襲です大将!マキラさん!」
アタシは店に辿りつくなり、開口一番大声を出してお店の扉をぞんざいに脚でこじ開けた。
「妖刀が現れました! 現在進行系でこちらに向かって……ま、す……」
危機的現在の状況を迅速に伝えようとしたのも束の間、目の前に飛び込んできたのは腕を組んだまま佇む大将と、ぎこちない手つきで寿司を握る刃物の姿であった。
「いや何やってんスか!!刃物の扱い教えるって話でしょう⁉︎ 何お寿司握ってんスか‼︎」
「む、帰ったか屍の従者よ。案ずるな、これは私の意志だ」
「ことさら何やってんスか! 今は職業体験してる場合じゃないでしょう⁉︎ そもそも刃で握るもんだからお寿司がフードプロセッサーかけたみたいになってるじゃないですか!」
アタシが声をより荒げると、マキラさんは悲しそうな顔をしたまま、小さくしゅんと縮こまってそれ以上何か言うことはなかった。
「どういうことですか大将! 何やってんスか!」
「……お前たちが出て行った後、あっしは約束通り鎌鼬に技術を教え業を伝えた。ほんだらあっちゅう間に習得会得するもんだから、なんか面白くなくて拗ねちまってな。……今滑稽な握りを見て腹の内でほくそ笑んでいる所でさあ」
あぁもう! 何やってんの本当に!お気持ちは察して余りますが状況を鑑みて! 器広く持って!
「そんなことよりマスターがこの始末です!い敵は恐らくこちらに向かってきています!」
「……これは、ヒドいな。私が常備している切り傷によく効く軟膏がある。とりあえず奥に寝かせて処方しよう。」
アタシの背にいるマスターの容体を見て、マキラさんは真面目な顔つきになると、ツケ場を飛び出して駆け寄ってきた。
唸るマスターを布団に寝かせ、血で汚れた腕を拭いてその傷の具合を確かめる。
「傷はやや深いが……、切り口は綺麗だな。痛み止めも含まれてるし、これなら問題なく癒着するだろう。」
幸いにも相手は妖魔とはいえ刀だ。
毒や呪いの類で傷口が爛れてたりはしていないようで、マキラさんは軟膏を取り出すとコレを塗って包帯か何か巻いてやれと言い、アタシはコクりと頷いてマスターに処方した。
「ハァ−−、ハァ、……すまない、マキラ」
マスターは目をつぶったまま、途切れ途切れに細い声で言葉を吐き出した。
「……無理に喋るな。謝らねばならぬのは私の方だ。
……傷は、痛むか……?」
マキラさんのあまりに小さな一つの問いは、マスターの耳に届くことはなく、返答をしないままマスターは呼吸を整えて眠りに入った。
すう、すう。としだいに落ち着いた寝息が聞こえるようになると、マキラさんが刀を静かに抜くかのように立ち上がった。
そのスラっとした立ち姿は、やはりどこか妖しくも美しく、胸に宿る決意の炎は己を鍛刀するかの如く燃え上がっているのが見て取れる。
「これ以上、人間に傷はつけられんな。必ず……!」
刃の拳をギリリと握りしめ鎌鼬は顔を上げた。
決意に満ちた目は鋭く光り、静かな殺気が周囲をピリリと刺激する。
その畏ろしい雰囲気は今朝までと同じ者とは思えない迫力で、頰が僅かに裂かれたかと錯覚するほどだった。
「まァ、まだすぐに決戦ってワケじゃねえんだ。今は大人しくしておけやマキラ。お前さんだってすこぶる万全ってわけじゃねぇんだからよ。せっかくの綺麗な顔が台無しだぜ?」
すると、板前の衣装を着崩しながら大将が廊下から歩いてきた。
「バ……ッ! な、バカ!ヤナギバ!なんで脱いでるんだ! そ、それに……、わた、わたたたたッttたしがッ、き、きれれ、きれ…っ!など、と……!バカ!バーッカ!」
おや?
「まあまあ、今日は最初から店じまいなんだ。それよりも、だ。お前さんの腕前だかなんだかは見てやったが、その……斬れ味がよぅ? 見過ごせねえっつーか見てらんねぇっつーかよぉ……」
大将がそう言うのでよく確認すると、顔を真っ赤にしてワタワタしているマキラさんの刃の身体は、所々に傷や擦れた跡、それに錆ついたり刃こぼれした箇所が多々見受けられ、また一方で半裸でニヤつく大将は大きな砥石を持っていた。
「まあ全身研いでやっから、風呂場に来な。」
「なッッーーーー⁉︎」
おやおや? そういう王道ラブコメみたいな展開は求めていないのだが?
結局顔を真っ赤にしたマキラさんはワーキャー騒いで抵抗していたが、大将に手を握られると同時に顔面から蒸気をあげて小爆発し、顔をうつ向けたまま黙って引きずられるように浴室の方へと連れられていった。
まあ、彼女は身に纏う服ですら刃ですし、考えようによっては装備の新調と全身オイルマッサージみたいなもの。
此処ではこれ以降の描写は彼女にも大将にも悪い気がするので、マンガ版やアニメ化した際に追加されるとして、アタシはマスターのお側で介抱にあたりましょう。
桶に水を汲み、布を濡らしてマスターの額の汗を拭う。
それを幾度か繰り返していると、アタシのズボンのポケットから銀色の鈴が転がり落ちた。
小さな音を立てて転がるそれを見て、アタシはふと寿司くい姉のことを思い浮かべる。
もし彼女がこの鈴を渡していなかったら、もしこの鈴がまったくもって贋作でクソしょーもないただの鈴だったら、今頃マスターはこうして穏やかに眠ってなどいないだろう。
そう考えると急に寒気がして、それ以上考えるのが何故だか怖くなって、アタシはマスターの頭をそっと撫でた。
ああ、マスター、マスター。貴方という人は
アタシは小さな鈴を握りしめて立ち上がると、一人外に出て既に落ちかかっている太陽を見上げた。