朝食とカマキラス
「あ、マスター。来ましたよ」
昨晩から大人しく寝静まっていた刃物の女性と、その様子を覗きにいっていた大将が、足元のふらつく彼女の手を引いてやって来た。
刃の女性の両目は赤く腫れており、何度か目元を拭ってはパチパチと瞬きを繰り返していた。
きっとまだよく眠れていないのだろう。
「オウ、おはようさん。そっちはどうだった?」
「残念だが見つからなかったよ。だが特に暴れた様子もなかったから、向こうも息を潜めているのかもしれん」
マスターとアタシは、昨晩襲いかかってきた銀色の光を放つ何かの手がかりを追って早朝から外へ出向いていた。
マスター曰くまだこの周辺に畏ろしい気配は残っているようで、そう遠くに行ってはいないらしい。
念のため街の周囲に微弱な結界をいくつも張ってきたので、またアレが移動しようものならすぐにでも居場所は特定できるそうだ。便利ですね。
「まあ見つからないんじゃあしゃあねえ。とりあえず飯にしようや」
大将が調理場へと赴き、一人ちょこんと取り残された女性は、我々の顔を交互に見るとやや目線を下げながらもじもじとしていた。
「……おはよう、ございます。昨晩から迷惑を重ね申し訳ない……」
刃の女性は昨日のような強情な態度は見せず、しおらしく頭を下げてそう言った。
戻ってきた大将もそれを見て笑顔になると、「傷がついても構いやしねえから座んな」と椅子を引いて座らせた。
みんなが席に着いた所で大将の合図と共にいただきます。
板前は朝が早い分、力をつけるために晩よりも朝のほうが豪勢なメニューになるそうです。
ちなみに本日のこんだては
・ネギとサケのあら汁
・ハマチムニエル
・梅シソイカおくらの和え物
・たくあん
・握り寿司三種 イサキ 赤身 サーモン
でございます。お魚尽くし。
「ほいで、単刀直入に聞くが、銀色のお嬢さんは何モンなんでい?ウワサの鎌鼬かい?」
大将は朝食が始まったのも束の間に、率直な質問を投げかけた。
はぐはぐと目の前のごはんを夢中で貪り食らっていた刃の女性はピタりと箸を止めると、ごっくんと飲み込んで綻ばせていた表情を改めた。
「……如何にも。私は妖怪、鎌鼬なのだ」
「ほう、名前は?」
妖怪鎌鼬だと正体を明かしたものの、大将もマスターもやはりといった様子で、それ程驚いたような素ぶりは見せず、大将は続けて質問を重ねた。
「……かまきらす」
え?今なんて?
自らが鎌鼬であると公言した刃の女性は、自分の名を問われると同時に顔を紅潮させ目を潤ませ、下唇を噛んでうつむいたまま、針で何かをひっかいたような小さな声で何か言った。
「ごめんな、おじさん聞こえなかった。……もう一回だけ教えてくれるかい?」
「……うぅ、か、カマキラス……!私は妖怪鎌鼬!名を迅風のカマキラスだ!笑いたきゃ笑え!」
大将がもう一度その名を問うと、鎌鼬は半ばヤケクソになりながら声を荒げてそう言った。
流麗でいて美しく、しなやかな立ち姿と銀色の刀身そのものの肌を持った美女には似つかわしくない、創作ウルトラ怪獣のようなクソみてーなセンスの名を名乗り、これにはさすがのマスターですら押し黙り、大将も始末の悪そうな表情を浮かべて硬直していた。
「マキラ……」
「へ?」
「マキラ…!うん、そうだマキラって呼んでもいいか⁉︎ いや、あっしは短ぇ名前の方が呼びやすいからよ!いい名をしてるが許してくれな!マキラ!」
大将は必死ともとれる素振りで急遽愛称をつけ、さり気なく本名を褒めてから自分をへりくだらせて話題を遠ざけた。
すこぶる紳士な対応に感心すると同時に大人のズルさを垣間見て、アタシのいつまでたっても少女な心は微妙な気持ちに昂っていた。
「……笑わないのか? 私の名を聞いても……?」
マスターは依然黙ったまま静かに頷き、大将はわざとらしい笑顔を浮かべて親指を立て、アタシは必死に笑いを堪えて沈黙していた。
大丈夫、マスターも変な名前だから。
この世には変な名前というだけで、バカにされたりいじられたりする者は結構多くいるのだ。アタシはそんな彼らの力になりたい。
「へへ……、えへへ。マキラ……か! へへ、愛称だなんて初めてだ。えへへ……!」
当のマキラさんは両手を頰に当てて体をくねくねさせながら、初めて彼氏にプレゼントをもらった彼女のように喜んでいた。
マスターと大将からも思わずフゥ、と安堵の息が漏れる。
その後はアタシとマスターと大将も名乗りを上げ、「なぜ魔物と魔物祓いと寿司屋の主人に私は助けられたのだ?」と、確かにそりゃわけわからん誰しも納得な事情をあれこれ説明しているうちに、気がつけば皆朝食を食べ終えていた。