よからぬ出会いとよきせぬ出会い
「ん〜……んうぅ」
ちょっといやらしい声だなと自分でも感じながら、アタシは大きなあくびまじりに歪んだ関節を伸ばした。
マスターの銀行口座の作成やら衣類とか化粧品の調達、携帯電話の登録申請やら何やらを済ませていたら、あっという間に日は沈んでアタシらの闇の世界が広がりつつある。
ついでにアタシの預金残高にも闇が広がりつつある。
「うーん!現代文明はすごいなあ!とっても便利!」
そしてそんなマスターはそう言いながらスマホのパズルゲームをやっている。
しかもそのスコアが既にアタシの二倍ぐらいになっている。おかしい。
コイツ絶対ちょこちょこ生き返ってたって、アタシが数万課金して揃えたレアキャラコンボが抜かれて良いはずがない。
「いよーしっ、今日はもうこのくらいにしてとっとと寝よう!どっか廃屋か廃トンネルを探そう!」
「なんでそんな心霊スポットみたいな所で一夜明かさにゃならんのですか。アタシは嫌ですよ」
ただでさえマスターはそういう霊的な物を引き寄せやすい体質だし、面倒事を引き起こしやすい性格なんだ。
アタシの予算は完全オーバーしますが、どこかホテルか宿屋でも借りた方が適切でしょう。
あ、ちなみに言っておきますけど別に怖いわけじゃないですよ? 決して、断じて、全く。
いやいやいや、怖くなんかないんだからね?ホント、そこんところ勘違いしないでよね?
「おいワイト、あれ」
「は!? ひゃい!?」
急に声をかけられて、自分でも流石にマヌケすぎたと思うほどの情けない声を出して、アタシはマスターが指さす方へ真っ赤になった顔を向けた。
その先にあったのは、 トタン屋根やベニヤ板、古タイヤに電化製品、あとよくわからない木材とか廃材とか、都会ではよく見かけるし問題ではあるけど大して珍しくもない、いわゆる不法投棄物……
が、渦を巻いている光景だった。
「どええ!?なんですかアレ!?」
「さあなー でも一つだけわかるとしたら、」
そう、そうなのだ。
マスターの言うとおり、この渇いて腐った眼のアタシにも一つだけわかることがある。
「何かいる。」
「しかもめっちゃこっち睨んでますよ。」
渦の中央には黒い獣のような影が赤い目を光らせて唸り声をあげ、アタシとマスターを睨みつけている。
まさしく殺気むんむんの面持ちで佇んでいらっしゃるご様子。
まずいな、マスターは一回死んでるとはいえ今は一応生身の人間だから、こういう物理的なモノは打ち所が悪けりゃ致命傷になりかねない。
何だかよくわからないけど、今は私がマスターを御守りしなくては。
アタシは内ポケットに忍ばせておいた短剣を静かに取り出すと、両手で絞るように握りしめて身構えた。
護身用に昔から持っていた物ですが、かなり古い物なので今となっては正直威力よりも値段の方が高いレベルのゴミアイテムですけど、まあ丸腰よりはマシでしょう。
「ハルルル……!」
主人を守るためにワンちゃんが吠える威嚇のそれとは違う、飢えた猛獣が己の欲を満たすがために荒げる獰猛な声、黒い影は我々の間合いを図り終えたのか、ピタりと鳴き声を止めるとついに攻撃を仕掛けてきた。
獣の咆哮と共に、古タイヤや電子レンジや木材が結構な早さで襲いかかってくる。
うわ、こんなのボロボロ初期装備で防げるようなもんじゃないっつーか、でかっ、でかい!無理無理無理!
最悪アタシの身を犠牲にして、マスターの盾もしくはクッションになる覚悟を決めたその時、
「グウゥッ……ゥッカァッ……!」
と、黒い影は突如発生した謎の光に包まれると苦しげな声を上げ、泡を吹いて倒れ伏した。
アタシ達目掛けて飛んできた廃材も、渦をまいていた不法投棄物も、黒い影と同じく力無く地面に落っこちたのだった。
「危ない所でしたね……。そいつは"火車"。死体をかっさらう趣味の悪い妖怪です」
しゃらんー、とまるで鈴を転がしたかのような声……あ、違うわ、本当に鈴鳴らしてた。
が後方から聞こえたと思ったら、そこには艶やかな黒い髪をした女性がしゃなりと立っていた。
「えと、ありがとうございました。おかげで助かりました」
「ふふ、いえいえ。それよりこの辺りは物騒です。悪いことは言いません、速やかにご帰宅された方がよろしいかと」
アタシがお礼を告げると、黒髪の女性は僅かに微笑み、透き通った声で私たちに忠告した。
「うむ、そうしたいのはやまやまなのだが、生憎私たちは今まさに宿を探している最中でな、ご帰宅する場所が無いのだ」
しかしマスターは初対面の相手にも毅然とした態度で淡々とそう言った。なんと失礼な。
「それはそれは、さぞかしお困りでしょう。宜しければこの近くに私の屋敷があります。一晩泊まって行かれては如何ですか?」
「い、いやいや!そんな申し訳ない!すいませんうちの子が不躾なもので……」
「いえいえいえ、遠慮なさらず。ただでさえ私一人では余ってしまうぐらい無駄に大きなお屋敷ですし、それに此処一体は先程のような妖怪もよく現れます。これもきっと何かの縁、是非いらしてください」
黒髪の女性はそう言うと煌びやかな瞳を細ませてにっこりと微笑んだ。
そのガラス細工のような美しさに、思わず息が止まりそうになる。
止まってるけど。
だがそれはさておき妖怪って何なのかよく知らないけど、そういう不確かな存在と平然とやり合っているこの人は正直、危ない人なんじゃないかとアタシは疑っているのだ。
助けていただいたのは紛れもない事実なのですが、その……、何かこの人には関わってはいけないような気がしてならないと、アタシに秘められたワイトセンサーが警報を鳴らすのだ。
「まあまあワイト、この方もこう言ってくれている。ここはご厚意に報いるためにも、ありがたーく泊まらせてもらおうじゃあないか」
しかしマスターは既に目をキラキラさせてしまっていた。
ああ、こりゃダメだ。この目をしたマスターを止められたものは誰一人として存在しない。もう既に泊まらせてもらう気マンマンだ。
そして多分、この人へすごく興味があるのだろう、探求の血がアリーナ席でコールアンドレスポンスをしているくらいには騒がしい。
心折れたアタシは小さなため息をついた。
が、同時に今晩のホテル代が浮いたという不意の幸福に、折れた心の片隅で小さなガッツポーズをしていた。
「えと、それじゃあ、すいません、お言葉に甘えさせていただきます……。えっと……」
「あっ失礼、申し遅れました。私の名は秋月千歳。陰陽師を生業としております」